しょちぴるり

第3部-第13話

「わるいものじゃないわ」

「そんなことは、あたくしにもわかります」

くり返された同じ答えに、メイコの傍らに座ったルカがつんけんと返す。

カイトはすでに、諦念の中に入りこんだようだった。がくぽの膝に座って、大人しく体を見られるに任せている。

「でも……」

「どこかで」

「待ってください」

どこかで見たことがある、知っているような気がする、と言い出しそうな気配を察して、がくぽは口を挟んだ。

不躾とはわかっているが、先からその言葉のたびに、不調者が出ているのだ。

いい加減、学習もする。

「なによ?」

不機嫌に睨まれたものの、現在、がくぽの膝の上にはカイトがいる。メイコとの間にカイトを挟んだ状態で、速攻でがくぽが足蹴にされて踏まれることもないだろう。

――カイトを盾にしているという考えは断腸ものだったが、仕方ない。

メイコは人間を踏むのが好きだ。おそらく。

「知っているような気がすると、ミク殿も言いました。ルカ殿も。メイコ殿も、そんな気がするのですよね?」

「だから……」

「記憶を辿ると、全員が不調に…………具合が、悪くなるのです」

「………」

視線を投げたメイコに、ルカはわずかに顔をしかめた。

「………そうですわね。どうにかして思い出そうとして、思い出せなくて、苦しかったんですわ」

「………」

メイコはその視線を、ルカからカイトへとやった。

カイトはこくんと頷く。

「くるしそうだったから、くるしいのがなくなるうた、うたったよ。思い出せなくてくるしかったなら、たぶん、思い出せるようになった」

「………」

カイトの答えに、メイコは自分の指を見た。先に、ルカの頭に潜りこませたものだ。

「………メイコ、貴女………あたくしが、禁忌に触れたと言いましたけど」

「『思い出す』ことが、禁忌ね」

「…………」

最後まで聞くことなく、メイコは断じる。

その瞳が自分に回って来て、予想通りながら、がくぽはため息を噛み殺した。

メイコの視線に誘われる形で、ルカの瞳も向けられる。

そうとなれば、カイトの視線も。

「………ああ、その。カイト殿に、ひとつ、訊きたいことが」

「なぁに?」

カイトの視線は甘い。

甘く、不可解を宿している。

がくぽは再びため息を噛み殺し、肌蹴られた着物をさらに肌蹴て、カイトの腹に触れた。敏感な体は、びくりと跳ねる。

「この、痣ですが」

「ん、ぅんっ」

反応には知らぬふりをして、がくぽは痣の周囲を撫でた。

「本当に、以前からのものですか今日の朝、突然に気がついたのではなく」

「………?」

恥ずかしさのせいだけでもなく頬を紅潮させたカイトは、がくぽを不思議そうに見る。見返すがくぽの瞳が真剣だとわかると、さらに不可解そうに、首を傾げた。

「そうだよ。今日じゃない、がくぽとしてから………」

「ノロケられてんの、あたしたちは」

「これくらい、ノロケのうちに入りませんわ、メイコ」

うんざりした声音で横槍が入り、庇われているのかどうか不明なルカの言葉が差し挟まれる。

わずかに言い淀んだカイトだが、結局、最後まで続けた。

「がくぽとはじめて『した』日から、ずっと、ある。少しずつ、おっきくなってきただけ」

「おおきくなった?」

メイコの声が跳ね上がった。

ルカには先に説明してあるから、彼女は特に反応しない。ただ、メイコの様子を興味深そうに観察していた。

「………そ、だよ。はじめは、花びら一枚だったけど………してるうちに、だんだん、こうやって。花びらが、一枚いちまい、増えてって」

「………」

メイコの瞳は、己の内に潜りこむ。

それを避けたいのだが、がくぽには咄嗟に打つ手が思いつかない。蹴られることも覚悟のうえで、肩を揺さぶるか――

対して察しのいいルカのほうが、がくぽへと話を振って来た。

「あなた、今、『今日の朝突然に』って言いましたけど。『今日の朝』にこだわるようなことが、なにかありまして?」

「あ、ええ。はい」

瞬間的に救われた気持ちで頷いたがくぽだが、すぐに黙った。

こだわることなら、ある。

不吉な予感を抱く理由も。

――しかしそれを、メイコには言っていいとして、ルカも譲るとして、カイトにまで、言っていいものか。

こぼされた、意味のわからないがゆえに不安を煽る言葉もある。

約束、――とは、なにを差して言われるのか。

思い返せばことの最初からずっと、カイトに執着しているようだった、異端の――

「なになんかあるの?」

ルカの機転によって、メイコは思考に潜ることを中断し、がくぽを鋭く見据える。

逃げ場はない。

おそらくここでもたつくと、カイトを飛び越して踏まれる。

今のところ怪我もないので堪えるが、カイトが泣いてしまう。ここでさらに、きょうだいに要らぬ不和を撒きたくもない。

「昨日の――夜に。子供神の、訪い………子供神が、来ました」

「こどもがみ?」

きょとんとしてつぶやいたのは、ルカだ。

切れ長の瞳を見張って、そうするとまるで幼い少女のような面差しになった。

メイコはすっと眉をひそめ、カイトは驚いたようにがくぽへと向き直る。

「なにそれ?!いつ?!」

取り縋られて、がくぽはわずかに仰け反った。所詮カイトは膝に乗せているから、あまり効果のない対応だ。

「その、私が一度、寝台を出たでしょう。そのときに」

「え、いつ…………あ、えっと、………あ、そか。うん、でた………あせ、気持ちわるいって……え?」

混乱してつぶやいたカイトが、さらに混乱を増した瞳をがくぽへと向ける。

「え、なんで汗かいてるのだってまだ、さむいよひえたって、いって………なにして、汗なんかかいたの?!」

「それは」

がくぽが言い淀んだのは、東の剣士としての矜持だ。

神とはいえ、相手は子供だ。

それ相手に恐れを感じて脂汗に塗れたとは、言い辛い。

混乱しているカイトは、その沈黙をまずいほうに解釈した。

「え、ちょ、がくぽ………!」

「違います、聞いてください戦ってませんし、殺そうともしていませんただ、その………気配に、圧されて、少し………」

「冷や汗ですわね」

それでも言い淀むがくぽの言葉を、ルカが引き取る。基本的に、親切な女ノ神だ。おそらく神の中で、カイトに次いでがくぽに好意的で、素直にやさしい。

振り向いたカイトに、ルカはやわらかに微笑んだ。

「察して上げてください、カイト。子供だというのでしょうそんな相手を怖がったなんて、誇りある剣士になればなるほど、言いにくいものですわ。ね?」

「………あ、ひやあせ………こわい…………」

カイトはぽつぽつと、ルカの言葉をくり返す。

かえってそのほうが余計に心に突き刺さり、がくぽは小さく項垂れた。

ルカはそんながくぽに対しても、慈愛深い笑みを向ける。

「そしてカイトが言いたかったことも、あなたが思っていることと、違いますけれどね?」

「え?」

「そうね、ちがうわね、このイロオトコが」

「え?」

メイコにまで言われて、そのうえ意味不明な罵倒までされ、がくぽは珍しくもきょとんとした顔を晒す。

そのまま膝の上を見ると、カイトは顔を真っ赤にして、両手で口を覆っていた。

「カイト殿?」

「っなんでも、ないのっ!!なんでも!!きいちゃ、だめっ!!」

「か………っ」

叫ぶと、カイトはがくぽに反論を赦さず、強引に口づけてきた。

うれしいが、女ノ神たちの前だ。

どうしようかと惑いつつも引き離せずにいると、カイトはさらにしがみついてきた。

カイトはがくぽが応えてくれないと、途端に不安定になる。

がくぽは腹を決めると、カイトを抱きしめ、本格的に口づけに応えだした。

「………やっぱり、ムダにノロケられてるんだと思うのよね」

短時間で終わることのない、濃厚にして熱烈な口づけに溺れるふたりを眺め、メイコはうんざりと吐き捨てる。

対してルカといえば、堪えた様子もない。むしろ勝ち誇った様子で、メイコに視線を投げた。

「これくらいで、なにを言いますの。ひと頃は、森の中でも野原でも、平気で押し倒していましたでしょう。アレに比べれば、まったく可愛いものではなくて?」

「くらべるものに、意味がないわ」

「そんなことありませんわ『本番』と口づけを目の前で見せられるなら……」

「子供ができないのが、むしろふしぎなのよね」

何事か語り出そうとしたルカを、メイコはばっさりと切り捨てる。

ルカは気を悪くするでもない。思い出したように、眉をひそめた。

「そういえば、『子供神』とか言っていましたけれど………誰のこと、言っていますの?」

「しらないわ」

ルカの問いにメイコはやはり、ばっさりと答えた。

むっと瞳を尖らせる相手を見て、くちびるに笑みを刻む。

「………あたしたちが、『総意を持って存在を禁じ』て、世界からおいだしたらしいわ」

「…………総意を、持って」

メイコの言葉をくり返し、ルカはがくぽを見た。すでにくったりしているカイトだが、離れない。カイトが離れないのではなく、がくぽのほうが。

「………なるほど。それは、禁忌ですわね」

どこまでも聡明で察しのいい彼女は、がくぽが言いたかったことも、メイコの情報も、それで呑みこんだ。

ため息をつくと、頭に手をやる。もう痛くもなく、違和感もないが――記憶は、残っている。

痛かった、その痛みの度合い。掻き混ぜられた感触。叩きこまれた苦しみ――

直前の記憶だから、鮮明なのではない。

求めたとき、求めたままに、覚えたときの記憶を再現する。

それが、神の記憶。

それが神の記憶でありながら、思い出せなかった。

思い出せないと嵌まりこみ――『思い出した』ことが、禁忌に触れたなら。

記憶は、『忘れた』のではなく、封じられたのだ。

歪ツを正に戻すはずのカイトのうたでも、一度は思い出したはずの記憶を残しておけなかった。思い出したがゆえの禁忌に触れた苦しみだけは残して、なにを思い出したのかは、一切。

そうまで出来るとなれば、確かにそれは、『総意』を持って決したことなのだろう。

総意を持って決したことだとすれば――

「もう、触れられませんわね」

「そうよ。なんにもできない。あたしたちにはね」

メイコは笑う。

ぐったりしたカイトを抱いて暗い瞳を向けるがくぽへと、指を突きつけた。

「わるいものじゃないわ。わかる?」

「………それは、………しかし」

納得出来ないとつぶやくがくぽに、メイコはひどく厳かな表情となって告げた。

「星と武勇の神たる<いつぱぱろとる>が、名に懸けて断じる。<其は悪しきものではない>」

「………」

がくぽはゆっくりと瞳を見開き、メイコを見た。次いで、ルカを。

わずかに苦い顔をしていたルカだが、同じく表情を改めると告げた。

「愛と欲の神たる<とらぞるておとる>が、不純と不潔を喰らう<とらえるくぁに>の二つ名に於いて断じる。<それは悪しきものではない>」

言い切ってから、ルカはいつものやわらかな笑みを取り戻すと、がくぽへ軽く首を傾げてみせる。

「わるいものではない、と。言い切ることは、出来ます。世の理を曲げることは、出来ない。それがわるいものであれば、あたくしたちは、神の位階に懸けて、わるいものではない、とは言い切れない」

「でも、いいきれた」

メイコが後を継ぎ、男の腕に抱かれて意識が朧になっている弟神を見つめる。

その瞳が己の意識の中に潜り、顔が苦渋に歪んだ。

今日、さっきからに関してはそれをずっと、避けようとしてきたがくぽだ。

しかしメイコは、潜る――自分の、禁忌の中へ。

なによりそれは、弟神を愛しむがゆえに。

「……………いいものであるとは、いいきれない。だからそれは、いいものではない、可能性が、ある。いいものではない………いまだ。いまは、まだ……………」

「…………メイコ、殿」

「いまは、まだ………っ、わるいもの、に、なっていない、だけ…………いいものでも、ない………いまは、まだ。まだ…………可能性は、……道は、定まらない」

メイコは惑乱に瞳を揺らがせながら、自分の意識を漁る。

がくぽはカイトを抱く腕に力を込め、ルカはメイコの傍らにそっと寄り添った。

見つめられながら、メイコのくちびるは大きく喘ぐ。

惑乱に定まらない瞳が、弟神を映して、つぶやいた。

「<しょちぴるり>を、愛せ。魂の奥底から愛し、その楔を刻め。我らが求めるものは、その先に」