「だってぜーーーっったい、似てないもん!」

とりかへばや

現実空間の信彦が乗り移ったかのように子供っぽく言い張るシグナルに、オラトリオはため息をつき、オラクルはむむむ、と眉をひそめた。

「そんなはずないんだけどなあ…。なにが悪いんだろう」

「いやあのな、まともに構うなよ、おまえも」

真剣にデータに検索を掛けだすオラクルに肩を落とし、オラトリオは駄々をこねる弟の元へ向かう。

ひょっこりと<ORACLE>に遊びに来たかと思えば、仕様もない駄々ばかりこねてくれる弟だ。

警戒態勢を取るシグナルにも構わず、びしぃ、と容赦ないでこぴんを放つ。

「おまえもいい加減しつっこいんだよ俺とオラクルのどこが似てないか、五十文字で言ってみろ!」

「ごじゅうもじ?!」

「一文字も負からん!」

兄の無茶ぶりに、シグナルはしばし考え、胸を張った。

「似ていない似ていないにていない…」

「あほう!」

あほ解答を衒いもなく唱える弟のからだを、オラトリオは苦もなく組み伏せる。

「ひとの顔見りゃ、似てないにてないって。そりゃまあ、このおっとこまえのおにーさんの顔と甘ちゃんのオラクルの顔が似てなく見えても仕方ねえけどなあ」

「だれが男前だよオラクルのほうがずーっとずーっとかっこいいし、優しいし、かわいいよ!」

最後の一言を聞いて、オラトリオの笑顔がぴきり、と引きつった。

「よし、お仕置きだーべーさー」

「ぎゃーーーーっっ!!」

怪しい声音で唱え、オラトリオは稼働限界までシグナルに技をかけた。

戦闘型のシグナルだというのに、非戦闘型の兄にまったく抵抗できずに、やられっぱなしだ。

「こら、<ORACLE>は格闘場じゃないと何度言えばわかる」

「あいた」

悲鳴を上げながら技をかけられるだけのシグナルを助けてくれたのは、検索を中断したオラクルだ。

だいたいにおいて、兄の行き過ぎた「愛情表現」を諌めて助けてくれるのはオラクルだけだ。

きょうだいたちはこれが普通になってしまっていてちっとも助けの必要性を感じていないし、信彦ですら、シグナルとオラトリオって仲いーね、で済ましてしまう。

エララは一応気遣ってくれるのだが、オラトリオに「愛情表現っすよ♪」と言われると、「まあそうなんですの、それは失礼いたしました」と納得してしまう…―大好きな彼女のことだが、そういう騙されやすいところはちょっとあれだ。まあ、そこがまたいい、とてもいいわけだが。

そういうアレでコレな周囲のひとの中で、オラクルは数少ないシグナル絶対擁護派なのだ。

「おまえはそうやってすぐ、弟をいじめるんだから」

「いじめてねーって。愛情表現、愛情表現」

「度が過ぎれば愛情も伝わらないものだぞ。もうちょっと加減を覚えろ」

「…おまえはそうやってすぐ、シグナルを甘やかす…」

愚図るような兄の態度も、オラクルにだけ見せるものだ。オラクルを前にすると、いつも余裕綽々のオラトリオが、ひどく子供っぽく振る舞う。

オラクルってすごい!

というのが、生まれたてで経験値が低く、世間知らずで箱入り息子のシグナルの感想だった。

「ほら、やっぱりぜんぜん似てないじゃん」

「おーまーえーはー」

ぼそり、とつぶやいたシグナルに、オラトリオがダーティ・ブロンドをがしがしと掻く。びしい、とシグナルを指差した。

「学習しねえな、MIRAあんどSIRIUSハイテク無駄遣い!」

「なんだとぉ、オラトリオぉっ」

「おぉ、やるかやるかぁおにーさんが揉んじゃうよ、軽くひねっちゃうよー?」

「そーこーまーでっ!!」

ファイティングポーズを取ったきょうだいの上に、不平等にファイルが降り注いだ。

紙一重で避けて貰えたシグナルは、黙って身を引く。ちょっとだけ賢くなった最新型だ。

一方、不平等の犠牲者のオラトリオのほうは、慣れたもので、即座にファイルの山の下から起き上がった。

「くぉら、オラクルっ俺にもうちょっと優しく!」

「というわけで、服だ」

「は?!」

まったく繋がらない会話に、叫んだオラトリオのみならず、シグナルもきょとんとする。

マイペースさにおいて敵なしのオラクルは、まったく平然と話を続けた。

「似てる似てないがケンカの原因だろうだから、その解決策として、服だ」

「服が、なんだよ?」

話が掴めず、オラトリオは顔をしかめて訊き返す。オラクルはもどかしそうに頬を膨らませた。

「だから、シグナルが私たちを似てないっていうのは、視覚情報の分析の仕方が従来と違うからだろうそこに合わせるために、おそらく、似てないと判断する一助になっているであろう、服装の違いを解決するんだよ」

「…ああ!」

ようやく合点した様子の兄に対し、弟のほうはまだ首をひねっている。

「服装の違いって…どういうこと?」

きょときょととプリズム・パープルの瞳を瞬かせる彼は、十七歳という外見年齢以上に幼く見えた。

その弟に、オラトリオは性質の良くない予感ばかりする、にんまり笑顔を向ける。

「ま、見てなさーい♪」

言いながら、オラクルの手を取った。

アメジストの瞳と、ノイズ・カラーの瞳が一瞬見つめ合い、閉ざされる。するするとCGが解け、ふたりの姿が空間に溶けて消えた。

「え、オラクル、オラトリオ?!」

ぎょっとした声を上げるシグナルの前に、再びCGが構成されていく。

しかし、そのCGは元のものと違っていた。

瞳と髪の色はそのままで、オラクルはオラトリオの衣装である、軍服に長いコートを着用し、オラトリオはオラクルの衣装である長いローブを身に纏っている。

髪型も、きっちり普段の相手をなぞっていた。

「…っっ」

お化けに出くわしたような顔で固まったシグナルに、衣装を交換した<ORACLE>管理脳と守護者は、にっこりと笑った。

「「これでどうだ」」

「……ぁ」

声まで揃えられて、シグナルが天を仰ぐ。

びし、と行儀悪くふたりを指差すと、叫んだ。

「王子と黒魔法使い!!!!!」

「はあああっっっ?!」

想定外の叫び声に、オラトリオが素っ頓狂な声を上げる。

オラクルは声も出せずに、きょとんと瞳を見張った。ノイズカラーが火花を散らすように瞬く。

そのふたりをびしいびしいと指差し、シグナルはきっぱり言う。

「オラクル王子様にしか見えないオラトリオ、悪い黒魔法使いにしか見えない!!」

「おうじさま……?!」

「ぬぁんだとぅ、シグナルおにーさんに向かって、ワルったあ、いい度胸してるじゃあーりませんかっ!」

失礼な弟へとオラトリオが飛びかかっていく。

想定した答えに行きつかなかったシグナルに、オラクルは難しい顔でシミュレーターを起動させた。

「おかしいな…。再現率92%だろ…。なんでそれで王子様っていう単語が出て来るんだ…?」

背後ではシグナルが悲鳴を轟かせているが、今回、オラクルはそれに構いつける余裕がなかった。ぶつぶつとシミュレーションをくり返す。

「やっぱり髪の色と目の色も変えないとだめなのか…そこまでペルソナ弄るってなると、ちょっとなあ…」

「そこ真剣に検討しなくていいんだよっ!!」

オラクルの長ローブを器用に操って弟にエビ固めを掛けながら、オラトリオがツッコミを入れる。

「でも…」

「いいからこいつが完全あほうなのはよっくわかっただろ?なにしたって無駄だっつうの!」

「だれが完全あほうだ、オラトリオのぼけーーーっっっ!放せーーーっっっ!!!」

戦闘型だというのに一矢を報いることもできずに、シグナルはただ叫ぶだけだ。

その弟をさらにぎりぎりと締め上げて、オラトリオはちょっと顔をしかめた。

「んー。どうもいくねえなあ」

「ん?」

シグナルの態度のことではなさそうなニュアンスに、オラクルは首を傾げる。

「いや、服さ。おまえのって、結構からだにフィットしてるだろ。締めつけてるわけじゃねえんだけど、なんかぺったり張りついてる感が、窮屈」

「ああ」

納得したように頷き、オラクルは一応、オラトリオの頭を軽く叩いた。

「とりあえず、シグナルを放してやれ」

「えー。戦闘型でぇ、最新型なのにぃ、これっくらいも躱せないシグナルくんてぇ、げんめつぅう」

「うるっせぇやぃ、くそオラトリオーーーっっ!」

「いいから、ふたりとも!」

女子高生口調でくねくねするオラトリオから、それでも抜け出せずにシグナルは叫び、オラクルは眉間を押さえた。

オラトリオは身軽にシグナルの上から退き、ぷらぷらと腕を振る。

「それに、このローブ見てるときはあんま思わなかったけど、捌くのに結構コツがいるぜ」

「そうか?」

「動きにくい」

顔をしかめるオラトリオに、オラクルは自分のコートをつまんだ。

「それを言うなら、おまえの服も。これ、かなり重量あるぞそれに、なんかごわごわしてて…」

「生地が厚いんだよ」

「こっちこそ、動きにくい」

顔をしかめて言ったオラクルを見たシグナルが、兄への反撃もせずにぽかんとした。

「にてる」

「…ん?」

ぽつりと漏れたつぶやきに、オラクルとオラトリオがシグナルを見る。

床に座りこんだシグナルは、口をぱかん、と開けてマヌケな顔だ。

「『動きにくい』って言ったときの、ふたりの顔…すっごい、そっくりだった」

「え?」

「はあ?」

意図しない部分で望みの答えが出され、オラクルは眉をひそめ、稼動させていたシミュレーターの途中結果を覗く。

さらにきりきりと眉がひそめられた。

「…だめだ。どうもわからん」

「だーから、まじめにやんのがばからしいって言ってんだろ」

オラトリオは肩を落としてため息をつき、腕組みしてシミュレーターとにらめっこする管理脳の手を取った。

「とりあえず、元に戻そうぜ。どうにもやりにくくて敵わねえや、この服」

***

学校から帰ってきた信彦に呼ばれたシグナルが現実空間へと戻ると、<ORACLE>にはいつもの静寂が戻ってきた。

「よし、終わりっと」

「ん」

本来の目的であった仕事をささっと片づけて書類を差し出したオラトリオに、同じく執務机に向かっていたオラクルは承認の判子を押す。

「今回はこれだけ?」

「んや。結果待ちがあと一件あるんだわ。現地が夜なんで、そうだな…だいたい八時間以上経過しねえとどうにもなんねえかな。あと、こっから五件はまだ据え置き」

「了解」

さらさらとペンを動かし、オラクルはいくつかのウィンドウに仮承認を与えていく。

「おまえのほうは?」

「休憩なら四時間ほど前に取ったばかりだ。…まあ、急ぎの仕事も特に入ってないけど」

リストを取り出してざっと眺めて言い、オラクルはちょっと笑ってオラトリオを見た。

「すぐ行かないっていうなら、お茶くらい出してやるぞ?」

「ありがたい図書館だぜ」

ふつうの図書館ではお茶など出ない。茶化したオラトリオに、オラクルは楽しげに笑い声を立てた。

「いいじゃないか。それで、どうする?」

「あー。んや」

訊ねる顔になったオラクルに、オラトリオはちょっと気まずそうに顔をしかめた。

「そろそろ戻んねえとなんだわ。シグナルに構ってたせいで、結構時間かかっちまったから」

「ああ…」

穏やかさは変わらないまま、オラクルはわずかに寂しそうな色を瞬かせた。

凶悪なまでに素直なオラクルだ。まったくもって隠しごとに向かない。以前に、隠す必要性を感じていない。

それでも、言葉に出して、寂しい、とか、行かないで、とは言わない。

オラトリオは大きな手のひらで口元を覆った。

健気さに、つい、顔が緩んでしまう。

そんな表情を見れば、なに笑ってるんだ、とかなんとか、怒られることは目に見えているのに。

長の別れというわけではないが、別離のときに怒り顔というのも、あとで気まずいものだ。

現実空間でふと思い出したときに、胸が掻き毟られるような気がする。

「今度は、二十四時間以内に、も一度顔出すからよ」

「うん」

言い訳のようにつぶやいたオラトリオに、オラクルはやわらかく微笑んだ。ノイズカラーが、ほんのりと喜色を刷いて穏やかに煌めく。

オラトリオはでれ過ぎない程度に笑みを浮かべ、執務机の向こうのオラクルへ手を伸ばした。白い頬を撫でて、無防備なくちびるに小さなキスを落とす。

「行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

ささやきに、やわらかに返される。

オラトリオはもう一度オラクルの頬を撫で、コートを翻した。見送る姿勢になったオラクルの視線を感じる。

この瞬間だけは、何度くり返しても切なさに胸が灼けるような気がする。

「…」

シフトしようとデータをまとめかけて、オラトリオは止めた。

「オラトリオ?」

「ん」

きょとん、と首を傾げるオラクルの前で、たっぷりと広がるコートを脱ぐ。

現実空間とは違って冷却機能があるわけでもなく、ただ規定の服装というだけで着ているそれを、不思議そうなオラクルの肩にふんわりと掛けた。

「…オラトリオ?」

「次のときまで、預けとく」

「…?」

意味がわからないらしいオラクルに、コートのデータを送る。わからないまま、オラクルは素直にデータを受け取り、演算を引き受けた。

さっき衣装を交換したときとは違い、これはオラクルのサイズに直していない。わずかにだぶつくコートに埋まり、オラクルは瞳を細めた。

保温性など計算していないのに、からだがあたためられる気がする。

大切そうにコートを抱きしめたオラクルに、オラトリオは小さく笑った。

シグナルがいたときには堪能することもできなかったが、だぶつくコートに着られたオラクルは、ひどくかわいらしい。

同じ顔なのにそんなことを思うのもシグナル以上にどうかしているが、かわいらしいものはかわいらしいのだから仕方がない。

「じゃあな」

「…ぁ、うん、っ」

は、と顔を上げたオラクルに再びキスを落とし、今度は少し深く入りこむ。繋げた感覚をわずかに揺らして、オラトリオはオラクルのくちびるを舐めて離れた。

「…っオラトリオ」

責めるような甘い響きに笑い、オラトリオはデータをまとめるとシフトした。

ああいう、物欲しげな表情で別れるのも、それはそれで後が大変だ。

現実空間でふと思い出したときに、帰りたくて帰りたくて、こころが灼ける。