「おかしい……………っ」
疲労困憊して、俺は縁側に転がる。ほんとうは部屋に上がりたいが、ここまでで力尽きた。
「神無月で不在の神が多いっても、いくらなんでも物の怪が元気過ぎやしないか………?」
「朔、さくっ!!甘露水持って来たよ!飲める?飲める?!」
バタバタと足音も荒く、十六夜が走ってくる。
うむ、まさに疲労困憊だ――縁側に伝わる振動ですらきつい。
破狼陰
どうも神無月に入ってから、霊害に関する仕事が増えた。
それ自体は、毎年のことだ。
神無月というと、普段、出不精を極める土地神ですら任地を放って出雲に詣でてしまうので、土地の護りが甘くなる。
必然的に霊や物の怪の活動が活発化して、駆除や退治や抹殺の依頼が増える。
とはいえ、今年は異常だ。
連日のように数件単位で仕事が入る。
ちなみに、そこかしこの神が出雲に詣でている現在、うちの神二匹はいつもどおりの日常だ。
十六夜が詣でないのは単に寝惚けているからだと思うが、蝕が詣でないのは、ロクデナシを極めた出不精だからだ。
「朔、さく……っ」
ふわふわの耳を忙しなく動かし、もこもこのしっぽを落ち着かずに振り回しながら、十六夜は転がる俺の傍らに座る。
縁側に懐く俺の体を軽々起こすと、膝の上に抱え上げた。
赤ん坊でも抱くような恰好にされ、普段なら文句を言っているところだが、現状、その元気はない。
「ね、飲める?」
甘露水を入れた杯を片手に、うるうるの瞳で訊かれて、体の芯が疼いた。
…………あー、よしよし、若さまでは失っていないな………………。
「口移しでなら」
「わかった!」
きぱっと言うと、十六夜は素直に頷いた。うむ、素直は十六夜の数多い美徳のひとつだ。
――しかしそれにしても、なんなんだ、今年は。
まるで盆に、地獄が解放されたときのような……
「あっはん、そんなちびっこの疑問にズバッとお答えしちゃうわっ」
「我ら咎人に厳しく、ちびっこには優しい」
「「地獄の門番、」」
「きィっさまらの仕業かぁあああああ!!!過労で地獄に労災請求してやるぁああああああ!!!!」
「ひひひぃいいん?!」
「ふもぉおおおお!!」
俺は皆まで言わせるような愚を犯すことなく跳ね起きて、庭先に現れた闖入者二匹に飛び蹴りをかました。
馬頭のまちょ男と、牛頭のまちょ男、地獄の門番たる馬頭‐めず‐と牛頭‐ごず‐だ。
二匹は軽く吹っ飛ばされて、ご神木の根本でごろごろと転がった。
もちろん、俺がそれで済ませてやるわけはない。
「こンの駄馬と駄牛が、ロクなことをしやがらねえっ!!夏に命を佑けてやった恩も忘れやがってっ!!」
「ぶひ、ぶひひひひひんっ!!」
「ふもぉおおおおお!!!」
痛みに悶え転がる二匹の元へ行くと、たてがみと角を掴んで、大きな体を引きずり起こす。
もちろん、通常の人間でこの体格なら、まだ子供の俺にそんな荒業は不可能だ。あくまでも、霊力の強さこそが物を言う二匹相手ゆえだ。
………って、待て。それで思い出した。
「あと、ひとのことをちびっこ言うんじゃねえ!!」
「あぁん、疲れてると六所のちっこいのの残虐度倍増しだわっ!!」
「ふもぉお、六所のちっこいのの悪辣非道ぶりは際限を知らぬ……!!」
「だからちっこいの言うなぁっ!!」
叫んで足を踏み鳴らす。ついでに、ヨーヨーのように二匹の頭も振ってやる。
「あ………あ、あー………ええっと」
縁側に取り残されて呆然としていた十六夜が、ぱん、と手を打ち合わせた。
「うまにくのひとと、うしにくのひと!」
「「まさかの食肉認定?!!」」
「…………十六夜………」
こんな、食ったら食あたりを起こしそうな奴らを………。
おかげで、少しだけ頭が冷めた。
俺はたてがみと角から手を放し、二匹を自由にしてやる。
無様に地面に転がった二匹を睥睨し、胸を反らして腕を組んだ。
「で?今度はどんなロクでもないことを始めた?」
「あぁん、知らないままにここまでやれるなんて……」
「我らは本気でそなたの行く末が心配だ………!」
「てめえらに心配されるほど落ちぶれてねえ!!いいからきりきり吐け!!」
だん、と足を踏み鳴らした俺の前で、まちょ二匹が立ち上がる。
きりりと表情を引き締めた。――んだと、聡明な俺は察してやらないでもない。
馬で牛で、表情がはっきりしないのだがな!
突如、二匹の背後から花吹雪が舞い上がる。
「「破狼陰、始めました!!」」
「どこの昭和の文豪だ貴様らぁっ!!それとも改造マフラーで暴走したいのか?!!いやすでに暴走しているな!背中に縫い取りしてもらうがいい、この西洋かぶれどもがっ!!」
なにが破狼陰だ!!
万聖節前夜といえば、いわば西洋式お盆。地獄が解放されて、死者が地上を練り歩く日だ。
道理で奴らめ、好き勝手するわけだ…………地獄のお墨付きなら、それはやりたい放題するだろう…………。
「あぁん、だってぇ……。最近は、地獄も国際化してきてて、外国人の咎人も増えてるのよう」
「そやつらが、帰省するなら破狼陰でなくばならぬと主張するゆえな」
「破狼陰言うな、このふにゃ○んども。ったく、いちいち咎人の要望を聞き入れてんじゃねえよ……!」
頭痛と眩暈でぐらりと揺れた俺の体を、たおやかな手が支えた。
縁側から下りてきた十六夜が、心配そうな顔で俺を覗きこむ。
ああ、癒される…………もう十六夜の顔だけ眺めて生きたい……………。
「朔、甘露水!飲んで、元気になるから!」
「ああ」
差し出された杯を受け取り、俺は一息で飲み干す。
神域特製甘露水だ。削がれた気力が回復し、少し頭がすっきりとした。
ほ、っと息をついたところで、はたと重大事に気がつく。
西の習慣には詳しくないからはっきりとは言えないが………。
「隠しもせずに素直に吐け。うろ覚えだが、万聖節前夜は確か、神無月の晦日、一日限りの話だろう。どうして晦日でもないうちから、奴らの動きが活発化しているんだ?」
いやな予感を堪えきれない俺の問いに、馬頭と牛頭の背後から再び花吹雪が舞う。
「「神無月で神不在につき、一か月間まるっと破狼陰特別恩赦祭絶賛開催中!!」」
「………………………………十六夜」
俺はにっこり笑い、きょとんとして馬頭と牛頭を眺めている十六夜へと、手を伸べた。
「はい、朔」
従順に返事をした十六夜に、笑顔のまま命じる。
「破邪刀/切鬼雨丸を持て。今日こそは、うまにくとうしにくのバーベキューだ」