おきがえ時間

那由多は虐められたい願望を持つ被虐趣味で、ついでにゲイだ。そしてさらに言うと、ブサイク好きだった。

さまざまなところで行われる芸能人ランキングで、『抱かれたくない男』と『ブサイク芸人』のランキングは、そのまま那由多の『ご主人様になって欲しいランキング』になる。

そういう那由多の好みから言って、鷹秋は少し、いい男過ぎた。

極道関係の、と聞いて、密かに期待していたような強面というわけではなく、ドラマなどで描かれるボディガードのような、甘い中に厳しさを宿した凛とした顔立ち。

そのうえに、ドラマの俳優とは違う、きれいに鍛えられた肉体。

もう少し顔相が悪くて、もう少し肉体が崩れていないと、那由多の食指は動かない。

とはいえ、虐めてくれる相手に飢えているので、虐めてくれさえすれば、イケメンだろうがイクメンだろうが、構わない。

――のに、どこまでも期待を裏切って。

「……………あのひと、おかしくないですか?」

言った那由多に、鷹秋を派遣した張本人である、彼の上司という女性は頷いた。

「おかしいんだよ」

だが、もっと言うなら、彼女の格好もおかしい。

鷹秋が派遣されて二週間、仕事先に様子を窺いに訪ねて来た彼女の差し出した名刺には、『設楽綜合警備保障警備部部長』の肩書が印字されていた。

だというのに、「まあ気楽に、『お嬢』とお呼び」と言った彼女の恰好は、どこからどう見てもメイドだった。

風俗系のコスチューム化したアレではなく、どこまでも実用本位で面白みはない、けれど確かにメイドの着る服だ。

警備部部長がなぜメイドしかも『お嬢』?

首を傾げた那由多だが、彼女の知り合いだと言うマネージャは、『お嬢』が確かに鷹秋の上司であると請け負った。

「まあ、いろいろ事情があるのよ」

芸能界にいると、『いろいろ事情がある』人も多い。そうでなくても設楽綜合警備保障は、極道企業として有名だし――いやだから、なぜメイド。

思いつつも、一歩家から出ると演技派俳優としての能力を遺憾なく発揮できる那由多だ。鷹秋は、『こんな』で外で人付き合いなんかできるのか、と案じていたようだが、これでいてうまく回している。

で、その鷹秋だ。

「――おかしいんですか」

「まあね」

あっさり同意されて思わず訊き返した那由多に、やはりお嬢はあっさり頷いた。

ちなみに、那由多とお嬢はテレビ局内のラウンジにいた。

今をときめく売れっ子俳優である那由多にはもちろん、専用の個人控室が用意されていたが、そこで女性と密会していた、というと、それなりにうるさいことになる。

ラウンジだともっと人目があるだろうという話だが、そのほうがいいのだ。隠さず堂々会っているということは、逆に大した関係ではないのだろうと思われる。

それになにより、相手がメイド服だ。

どう考えても、共演者かなにかと暇な時間を潰しているようにしか見えない。

幸いなことに、お嬢は悪くない面立ちだった。わりときりっとしていて性格がきつそうだが、昨今それが流行りでもある。

「………どうしてそんな、おかしいひとを」

「ちなみに訊くが、なにされた?」

那由多の問いを遮り、お嬢はおもしろがるでもなく訊いた。

那由多は黙りこみ、さらりと周囲を窺う。

ラウンジは人目があって、女性との醜聞ネタには今いち使えないが、秘密の話をする場所でもない。

その那由多に、お嬢は面倒くさそうに首を回した。

「心配しないでも。事前に、盗聴器も隠しカメラも撤去してある」

「………」

まあ、あるだろうなとは思っていても、実際あると聞かされると、それはそれで嫌だ。

黙りこんだ那由多をなんだと思ったのか、お嬢は気怠い視線を周囲にぐるりと巡らせた。

「うちはそっち系、業界でも随一の腕だよ。出し抜けるやつがいるってんなら、逆になんとしても雇いたいね」

「はあ」

マヌケな相槌を打った那由多に、お嬢は視線を戻した。見つめられる。

まともに見返して、那由多はぞっとした。

底知れない闇に墜ちていく。

墜ちた先には、やはり闇。

さらに墜ちて、墜ちて、おちて――

「なにされた?」

「ごはんを…食べさせてもらって」

ぼんやりと霞む頭で言って、その瞬間、はっと我に返った。

なにがあったのかと瞳を瞬かせてお嬢を見ると、彼女はおもしろくもなさそうにそっぽを向いていた。

「大したことないな」

「大したことですよ!」

思わず叫ぶ。

「だって、膝の上に抱っこされて、赤ちゃんみたいにスプーンで一口ひとくち、」

お嬢の視線が戻ってきて、那由多ははっとして口を噤んだ。その那由多に、お嬢はわずかに呆れたような気配を漂わせる。

「盗聴器も隠しカメラも撤去した。けど、あんたが大声で叫べば、必然的に聞かれるわな。ひとの耳までは塞いでない」

「う………はい」

小さくなり、那由多はそっと辺りを窺う。幸い、それほど人も多くない。

「で、飯を食わされただけかい。あたしの頭では、そりゃよかったねで片付くんだけどね」

「それだけじゃないです………」

那由多の感覚では、それだけでも十分、ずいぶんなことになる。

なにしろ、ごはんを作ってくれた、だけではない。あろうことかあの家政夫、食べながら眠りこけかけた那由多を抱き上げると、膝の上に乗せて給餌し始めたのだ。

しかも、物凄く手慣れていた。

設楽綜合警備保障の社員は、全員、極道構成員ではなかったか?

それがどうして、こんな。

「あとは?」

「――あとは」

淡々と訊かれて、那由多は声を潜める。

「お風呂に、いっしょに入って、――」

そこまで言って記憶が甦り、那由多は口ごもった。

これ以上のことを言うのは、女性相手にどうかと思う。そうでなくても那由多はゲイで、男相手のどうのこうのを黒歴史だとは思わない。

「犬に舐められたか」

那由多の気遣いをまったく無視して、お嬢はきっぱりと言った。

正確に言うと、舐められたわけではない。――そのあと、なんやかんやで、別のシーンで『舐められた』けれど。

俯く那由多に、お嬢は感情を窺わせない声音で訊いた。

「それで、おまえさんはどうしたいんだい。アレを強制猥褻で訴えたいか。家に帰るのが厭になった精神的苦痛で訴えたいか」

「そんな!」

淡々と吐き出された言葉に、那由多は顔を上げた。

確かに、鷹秋は那由多の好みから外れている。

顔良し、体良し、さらに致命的なことに、やさしい。

鷹秋の忍耐強さは本物で、やさしいのも天然だ――その表し方が、とても物凄くやり過ぎで、おかしいだけで。

だがそれでもいいくらいに、那由多は人肌に飢えていた。

顔を上げて必死に言葉を継ごうとした那由多に、お嬢は淡々と言った。

「訴えられるのは困るんでね。おまえさんが厭だってんなら、ちょいとうちに連れて帰って、お灸を据えるが」

「…」

瞬間的に全身の毛が逆立って、那由多はわずかに仰け反った。

どうにかしてお嬢から距離を取ろうとしたのだ。

なんということはない言葉を言われただけ、のはずなのに――背筋を悪寒が駆け上って、脳天まで痺れた。

原因不明の自分の状態に首を傾げながら、那由多は静かに深呼吸をくり返した。

家から一歩出たら、舞台だ。

舞台上では、どんなことが起こっても即応できなければ一流とは認められない。

顔だけで売っているわけではない。どんな状況にも即応して、勝ちを収めてきたからこその、那由多の現在の位置だ。

鷹秋が思うより、那由多はずっと強靭な精神を持っている。

呼吸を整えると、那由多はお嬢を見返した。

「困ってません。とても助かってます」

きっぱりはっきりと言い切る。

実際問題、戸惑ってはいるが、困ってはいない。――多少困りもするが、上司に『お灸を据えて貰う』ほどのものではない。

やさしさより乱暴が欲しくても、鷹秋に世話をされるのは悪くない。

たまに怒ってくれたら、言うことなしの万能家政夫だ。だがそれも、まだ二週間なのだから、おいおい。

見据えて言い切った那由多を、お嬢は底知れない瞳でじっと見つめた。

ごくりと生唾を飲みこんで、しかしそれを相手に悟らせず、那由多は懸命にお嬢を見返す。

「――クライアント側が『いい』なら、こちらから言うことはないわな」

ややしてようやくお嬢がそう言って、瞳を逸らす。それでも那由多は気を抜かずに背筋を伸ばしていた。

その那由多へ、出会ってから初めて、お嬢は笑みらしきものを浮かべた。

「そう警戒しなさんな。あたしは男には厳しいが、ゲイにはやさしいんだ」

「……なんでですか?」

問い返したのは、社会性動物としての反射だ。訊いてから、もしかして今流行の『腐女子』だろうかと思って、自分で自分の思いつきに眩暈がした。

那由多の想像を知ることはないだろうお嬢は、さらりと言った。

「あたしはレズなんだ。だから、男から『値踏み』されてると思うと我慢ならなくてね。ついツブしてやりたくなる」

「…」

言葉の連想で、那由多は足をもぞつかせた。『ツブす』の響きだけで、あそこが落ち着かなくなる。

どんなに虐められたい願望があっても、それは少し嫌だ。

うっそり笑うお嬢からそっと視線を外し、那由多は鷹秋のことを思った。

ほんのわずかな記憶しかないが、上司のことを語るときの鷹秋は、いつもとはまた違った形で常軌を逸していた。

その理由が、なんとなくわかった。

――というのが、数か月前の出来事だ。

それから数か月経って、今では鷹秋は那由多の生活に欠かせなくなっている。

那由多が思うに、確かに鷹秋はやさしい。やさしいが、根本がずれている。

はっきり言って、やり過ぎだ。やり過ぎなのに、あまりに疑問もなく自然にやられてしまうがために、あれよと流されて。

鷹秋は、実に穏やかな方法で、那由多を手懐けたのだ。

手懐けて、鷹秋がいなくては夜も日も明けない体につくり変えた。

再三再四言うように、那由多の好みからすると、鷹秋はいい男過ぎる。

那由多が不在の間にトレーニングをしているのか、家政夫業を続けているわりに筋肉に衰えは見えない。それどころかますますきれいに引き締まっていく。

だから、好みはもっと崩れた――

今いち食指が動かないタイプだったのに、鷹秋の姿を見ると、それだけで腰が甘く痺れる。

一歩外に出れば俳優『八黄楊那由多』として振る舞うことに慣れ切っていたのに、ぐずぐずに崩れて甘ったれになってしまう。

甘えさせられるより虐められたいのが本音なのに、甘やかされると心が弾んで。

「今日はこれだったか」

キスで腰砕けになってしまった那由多を、鷹秋は慣れきった動作で抱え上げ、寝室へと運んだ。あまりに軽々とお姫さま抱っこされるので、ここでも無駄にときめく。

那由多の体をベッドに下ろすと、鷹秋は続き間のウォークインクロゼットに分け入り、ハンガーに掛けられた洋服一式を取って戻ってきた。

出掛けるときの那由多の服は、その日のスケジュールに合わせて、あらかじめマネージャが一式用意していっている。

だいたい一週間分をつくって、何日はこれ、何日はあれ、と鷹秋に指示していっているから、鷹秋は指示された洋服を指示された日に出すだけだ。

別に那由多のセンスが悪いわけではないのだが、あまりファッションに頓着するタイプでもない。

売れれば売れるだけ、私服についても問われるのがこの世界だ。

そうでなくても那由多は若手のイケメン俳優として、センスを売っている。私服のセンスが悪いと、それだけでファンが離れる。

ある程度売れ出したところで、マネージャがスタイリストと相談しながらいくつかコーディネイトをつくる、今のスタイルで落ち着いた。

「ほら、着替えろ」

「うぅう………」

諸事情ある食事スタイルのせいで朝食に時間がかかり、起きた時間こそ悪くないものの、そろそろ出かけるのにぎりぎりの時間だ。

軽く言って服をベッドに放る鷹秋に、那由多は呻いた。

抜かれたばかりだ。だが、それだけで満足できる体ではない。

中途半端に放り出されたせいで疼いて落ち着かず、そこにさらに火を注がれて、完全に仕事とかけ離れた状態に置かれている。

恨みがましく見つめる那由多を、鷹秋は平然と見返した。

「仕方ないな、あんたは」

「………物凄く反論があるんですけど、あり過ぎてなにから言えばいいか、もうわかりません………」

「はいはい」

ぐずぐずとつぶやく那由多のパジャマに、鷹秋は躊躇いなく手を掛ける。ボタンが外され、うっすらと紅を刷いた肌が露わになった。

そこで手が止まる鷹秋ではない。

上着を脱がせると下に手を掛け、那由多をあっさりと全裸に剥いた。

「なんでしょう、この色気のなさ……」

「着替えに色気を求めるなよ。いちいち大変だろうが」

嘆く那由多に、鷹秋は呆れたように言う。

いちいち大変にしているのは、主に鷹秋だ。那由多から見れば。

「ほら、立て」

「……そんな無茶ぶりを平気で強要する鷹秋さんもすてきです………」

「まだ立てねえのかよ」

「僕が悪いんですね………インランでブタな僕が…………」

「自家発電を始めるな!」

呼吸を荒げてつぶやく那由多に、鷹秋が叫ぶ。

「出かける時間が迫ってるってときに、どうしてそう、余裕を失くすようなことを始めるんだ、あんたは」

「ぁあ………もっと叱ってくださいぃいい………っ」

「気軽に説教も出来ねえのか!」

ぶつくさと言いながら、鷹秋はしどけなく崩れる那由多の体を起こす。

「んん………っ」

大きな手がさらりと胸を撫でて、那由多は震え上がった。

最初はなんともなかった場所も、すべて性感帯に変えられている。

虐められたい願望はあっても性に関して初心で、まるで開発されていなかった那由多の体は、数か月でそれこそ『インランなブタ』に変わった。

「ん………たかあきさぁん………っ」

「だから時間ねえって言ってんのに、あんたは………」

自分で胸をつまんで強請ると、鷹秋はため息をこぼした。こぼすのだが、その手が伸びて来て、強請ったままに胸をつまんでくれる。

そこで焦らされたいような、罵倒されたいような、微妙な欲求不満はあっても、直接の刺激には替えられない。

「ぁんん………っ」

「っていうか、ここで煽るとまたやらなきゃいけなくなるじゃねえか。仕方ねえからあんた、ここだけでイけ」

「んゃ、無茶………いう、たか、ぁきさんて………すてき………ぃううっ」

胸の突起をこねくり回されながら無茶苦茶を言われて、那由多は素直に腰を痺れさせる。

やさしいけれど、鷹秋の言うことはだいたい無茶で、理不尽だ。誰のせいでそもそもこんなふうになっているかとか、まったく加味されていない。

「たかぁきさ………んんぅ」

甘く啼く口を塞がれて、今日何度目になるかわからない深いキスをされる。片手が胸から離れて、不安定に揺れる腰へと伸びた。

「んんん………っんむぅ………っ」

さっきイったばかりのそこを揉みしだかれ、悲鳴を上げる口も塞がれる。そのうえに、尖りきった胸を痛いような力でこねくり回される。

それが鷹秋の言う『若い』という証拠なのだろう、那由多は大して持ちもせずに二度目の精を放った。

「…………っふぁ………う………」

いくら若いとは言っても立て続けに二回も放てば、朝から疲れ果てる。

ぐったりとした那由多の体をベッドに放り出し、鷹秋は慣れた手つきで洋服を着せていく。

「…………も、今日、仕事いきたくない…………」

精は放っても、『肝心の』場所が放り出されたままだ。その味を覚え込ませたのも鷹秋だというのに。

疼く腹に堪えかねてぐずった那由多に、鷹秋は呆れたように顔をしかめた。

「ちゃんと働いて、俺の給金をきちっと稼げ、ご主人様」