意識を失ったカイトを置いて寝室から出て、がくぽはわずかに眉をひそめた。

リビングの明かりが、まだ点いている。

Pop goes the weasel-03-

「…」

少し考えてから、まず洗面室に行く。タオルを取り出すと、自分の体を軽く拭って清めた。

羽織っていた浴衣を脱ぐと、汚れたタオルとともに洗濯機に放りこみ、新しい浴衣を軽く引っかける。

きれいなタオルも出して、それを持ったままリビングへと行った。

案の定、マスターが床に大の字で伸びている。

「まったく………」

大して丈夫でもないくせに、掛物の一枚もない。部屋の中は常に一定の温度に保たれるように空調が利いているが、暑さに弱いロイドのために、少し涼しめだ。

このまま放っておけば、明日には間違いなく、医者を呼ぶ羽目に陥る。

「性質の悪い酔いどれが」

小さく罵りながら、がくぽは足音を忍ばせてマスターの傍へと行った。持っていたタオルを肩に掛ける。

床に膝をつくと、伸びる体に手を掛けた。

差し挟んでわずかに持ち上げたところで、マスターの手が上がる。

「カイトはどうした」

酒に灼けた掠れ声で訊かれ、がくぽは肩を竦めた。

「意識が飛んだ」

「そりゃすげぇわ」

笑って、マスターは寝転んだまま身じろぐ。がくぽの腕から逃れようとするしぐさだ。

「すぐに意識は戻るだろ。ちゃんと傍についててやれ。泣くぞ奥さん」

「ならば暴れず、大人しうせんか」

拒まれていることを構いもせず、がくぽは再びマスターの体を抱え上げる動作に戻る。

マスターは内臓が出て来そうなほどに深く、ため息をついた。

「いいか。俺の世話をさせるためにおまえがいるんじゃない。おまえはカイトのことだけ考えていればいい」

「奏を呼ぶか」

軽く投げたがくぽの言葉に、珍しくも黙ったのはマスターのほうだった。

そのマスターへ、がくぽは畳み掛ける。

「奏を呼ぶか、俺に運ばれるか。二つにひとつだ」

「なんでそう両極な選択肢しかないんだ。おまえには地球にやさしい第三の選択肢ってもんはないのか」

「ないな」

適当に慨嘆するマスターに、がくぽは即答で言い切る。

「この世にあるのは、白か黒、有りか無しかだ。おぼろにして曖昧な、第三の選択などというものは、存在せん」

「仏様の教えを知らないのか。『中庸』って言葉は国語辞書にも載ってるぞ」

「理想としてだろう」

酔いどれても口の減らないマスターに、がくぽも淀みなく答える。

「体現することが難しい、存在するならいいと提唱された、理想だろう。つまり、そんなものは存在していない。それゆえの理想だ」

「そんなことないだろう。仏様とか体現したから提唱するんだろう?」

「どうして奴らがほんとうに、中庸を体現していたと言い切れる?」

反論に口を開こうとしたマスターに、がくぽはかわいらしく首を傾げた。

「奏を呼ぶぞ」

「……………………………………………酔い潰れたとこ見られるのやだ」

ようやく本音をこぼしたマスターに、がくぽは高らかに笑う。

抵抗を止めた体を抱え上げると、マスターの寝室へと向かった。

「おまえはおかしいよ」

「貴様に言われたくない」

カイトによって、「→頭がおかしい」とまとめられたマスターの言葉に、がくぽは鼻を鳴らす。

「貴様が俺に与えた選択肢は二つだ。カイトを愛するか否か。第三の選択などなかった。そして俺は選んだ。カイトを愛すると」

マスターを両腕に抱えたまま、がくぽは器用に扉を開いた。暗い部屋の照明は、顎でスイッチを押して点ける。

「貴様の思惑通りだ。このうえなにが不満だ」

「カイトを愛するのと俺の世話がイコールで結びついてるとこ」

「カイトを愛すればこそ、本来見たくもない貴様の面倒まで見る羽目に陥っているんだろうが」

言葉も声も荒いが、ベッドに横たえるしぐさは労わりに満ちて、やさしい。

マスターは再び、深いふかいため息をついた。

「おまえのやさしさは狂気だ」

「…」

「哀れだよ」

吐き出された言葉に、がくぽは微妙にくちびるを歪める。丁寧なしぐさで、マスターの体に布団を掛けてやった。

「どの口で言う」

「この口だ」

静かに責められて、しかしマスターは臆することもない。

「なにひとつとして言った言葉は撤回しない。謝りもしない。だがこうして付き合えば思うこともある。人間だからな。おまえはやさしい。恐ろしくやさしい。それゆえに哀れだ」

「酔いどれが」

罵ると、マスターは明るい笑い声を上げた。

布団の中から手を出し、軽く振る。

「もう行け。愛しているなら奥さんをひとり置いたままにするな」

「だれのせいだ」

吐き捨て、がくぽは肩に掛けていたタオルを手に持つと、踵を返した。

しかし、照明のスイッチに手を伸ばしたところで、止まる。

振り返ると、布団に埋もれるマスターを睨んだ。

「そういえば、貴様………カイトが『ああ』なることを、知っていたな?」

「知らん」

マスターは即答してから、がくぽが反論するより早く、布団から出したままだった手を振る。

「噂を聞いたことがあるだけだ。KAITOシリーズは酒を飲むと『スイッチが入る』ってな」

言って、マスターは咳きこむような笑い声を上げた。

「タガが外れると言おうか。そんな噂があってな」

「待て」

がくぽは頭痛を堪えるように、眉間に手をやった。

「飲んだと言っても、軽くひと口、啜っただけだぞ?!」

「なんの都市伝説かと思うわな」

軽い言葉でがくぽの疑問を肯定し、マスターは咳をひとつ、吐き出した。

「ギャグとしか思えない量だろう。とはいえ真偽を確かめたでもなし」

「……」

「酔っ払いの面倒なんか見られん。嗜好するわけでもないから飲ませないでいた」

「……っ」

そこまで言って、マスターは体をくの字に折って、激しく咳きこんだ。笑いを堪えすぎたのだ。

「タガの外れた奥さんはどうだ気に入ったか!」

「貴様……っ」

がくぽは奥歯を軋ませ、喘鳴を立てながら訊くマスターの元へ行った。

笑い転げて暴れたために落ちた布団を拾い上げると、マスターの体を厳重にくるむ。

「寝ろ、酔いどれが!」

「あっついって」

文句を言いながらも、マスターは大人しく布団に収まる。大きなあくびをこぼした。

「今度奏に言っとく。適当に酒を用意しておいてやれって。好きなときに飲ませて好きに堪能しろ」

懲りずに言うマスターに、がくぽは顔を歪めた。

「アル中になるわ!」

「そんなにか!!」

吐き捨てたがくぽに、マスターは再び笑いの発作に見舞われて、体をくの字に折る。

そのマスターを今度こそ見捨て、がくぽは照明を消すと部屋から出た。

自分たち夫婦の寝室へ入ると、カイトはまだ、ベッドに横たわったままだった。

意識が戻らないのかと顔を覗きこめば、いつも以上に茫洋とした瞳が、わずかに咎める色を宿してがくぽを見返す。

「手の掛かるマスターがおるゆえな」

「…」

言い訳をつぶやくと、カイトの瞳は和らいだ。今度はがくぽのほうが、くちびるを歪める。

「マスター」の一言で、なにもかも許容されたくない。

浮かぶ思いを誤魔化すために、くちびるを落とした。

「ん…」

軽く触れ合わせるだけで離れると、がくぽはけぶる瞳へと笑いかけた。

「気持ち悪かろう起きられるなら、風呂に入れてやる。起きられぬようなら……」

「……旦那様」

体を拭いてやる、と続くはずの言葉を遮って、カイトは腕を伸ばす。がくぽの首に掛けて体を引き寄せると、その腰を挟むように足を添えた。

けぶる瞳が、潤んでがくぽを見つめる。

意図を察して、がくぽは瞳を細めた。

「疼くか」

「あ………っ」

ささやきながら、手を回してカイトの秘所を探る。湿った音を立てるそこに指を差し入れると、首に回ったカイトの手に、力が篭もった。

「まだ足らぬか」

「………………はぃ」

先までよりは落ち着いて、しかし確かに欲に潤んで、カイトは頷く。

「ください………旦那様…っ」

「…」

躊躇って掠れた声で強請るカイトに、がくぽはくちびるを舐めた。

奥にもう一本指を差しこみ、広げるように開く。

「ひぅ………っ」

「そなたが満足するまで、幾度でも…」

ささやき、がくぽは指を抜いた。すでに硬くなっている己を取り出し、余韻も拭われていない場所に宛がう。

「まこと、酒とは怖いな」

嘯くと、がくぽは再びカイトの体に沈みこんだ。

END