B.Y.L.M.

ACT1-scene12

「済まないが…」

断りを告げようとして、カイトは口ごもった。

すぐには答えないカイトから相応の反発は感じているだろうに、幼い、成り立ての夫はそこを黙殺し、朝食の準備を進める。相変わらず、感情を抑えこみ過ぎた挙句の無表情で淡々と、しかして非常に甲斐甲斐しいしぐさで。

まずは寝台の傍らに置いてあった、小卓の向きを変えた。

これは寝台に転がったまま書きものをしたり、食事を摂るための、専用の小卓だ。主に寝台から起き上がるに不自由となった老貴族などが使用するが、たまには自堕落を好む若者も使う。

そしてがくぽがこれをカイトのために用意した理由といえば、昨夜の名残りで動きが不自由な『新妻』を理解したうえで、寝台から下りることなく食事を摂れるようにという。

小卓を設置しただけではない。実のところ、ただ座っているだけのこともつらいカイトのため、がくぽは枕や掛け布などを重ね、調整し、少しでも楽に体を起こしていられるよう、座り心地も整えてくれた。

そうやって座る場所と簡易的な食卓とを整えると、先に自分が運んできた盆を、そこに載せる。

やはり並ぶのは、馴染みのない料理だ。消化に良いものと言っていたこともあるから、おそらく今朝の主菜は粥だろうと、見当はつくが。

ともに並ぶとりどりの、そしてなにより見た目だけでも汁気の多そうな果物などは、覚えがない。

昨日にはそれらを面白がる、受け入れる余地もあったが、今はだめだ。

あまりに秘密が多く、体を繋げてすらほどける様子のない夫の態度に、カイトのこころもさすがに固まった。

それでもはっきりとした断りの言葉を告げられないのは、がくぽが見せる甲斐甲斐しい世話焼きの態度だ。これらをカイトよりも早くに起き、用意したのが彼なのだという――

自業自得だとは、思う。

使用人を雇わないのは彼の勝手であろうし、ならば家庭の一切を取り仕切る役たる妻が早くから起き、立ち働くべきなのだろうが、『夜』だ。

初夜ということもあるが、あれだけ長時間に渡って貪られて、翌朝早くに平然と起き上がれる人間はいない。

よしんば起き上がれたとして、――だ。

元は王太子であった、王太子としての教育しか受けてこなかったカイトに、そういった家庭の切り盛りなどができるかどうかといえば、答えは決まっているのだが――

とにかく、カイトより遅くに寝たであろう少年が、さらにはカイトより早くに起きてあくせくと働かなければならないとしても、それは彼が選んだことだ。

感謝に値しない。

――とは思うが、同時に、情がある。

なにかに追いこまれて追いつめられ、ひどく思いこむ少年の頑ななこころが、たかが一夜、体を繋げた程度でほどけていなかったとしても、カイトのほうにはすでに、この夫に対して情があった。

不安定に揺らいでいるからこそと理解はしていたが、この情はすでに、カイトに刷りこまれた。

まさか自分が妻と扱われるとも、同性の夫を持つとも、まるで想像したことはなかったが、なってみれば驚くほど、違和感も嫌悪感も覚えない。

縋るように啼きながらこの身を貪る幼い夫を思い出せば、下半身が痺れる心地すらする。

末期だ――なにとは明言しないが。

「どうぞ」

「……………は」

とうとう支度のすべてを終えたがくぽに促され、カイトは小さなため息を吐きだした。肺腑から押しだす、そんなわずかなもので空腹が呼び起こせるわけではないが、なにもしないよりはましだ。

少年の労力に対し、せめてひと口だけでも啜ることが礼儀だろうと思いきり、カイトは匙を取った。皿の配置や見た目から、これがおそらく今朝の主菜たる粥だろうと、当たりをつけた椀皿に匙を向かわせる。

野菜をすり下ろしたか、潰したかしたのだろうか。椀のなか、ほんのりと薄紅に色づく汁に、匙を潜らせる。見た目にもとろみを感じたそれは、掬ってもやはり重みとともに、カイトの口に入った。

こくりと、呑みこむ。

「……甘い」

思わず漏れたつぶやきは、自分でも現金だと思うが、微妙に弾んでいた。少なくとも、味つけの文句として出た言葉ではない。肯定の響きだ。

やはり野菜を、芋類をなにかすり下ろしたか、煮こんで潰したかしたものなのだろう。舌にはほんのわずか、ざらりとしたものを感じたが、咽喉に引っかかることもなく、容易く呑みこめた。

加えて、砂糖や蜜といった甘味料に因らない、熱を通した野菜特有の、自然でほのかな甘みの残り方だ。これがまた、舌に心地よい。

熱の加減も、絶妙だ。舌を火傷することなく、けれど吹き冷ます労力は最低限に、とはいえ腹の内から体が温まるように――

器用で気が利いて、不器用で下手。

複雑極まる年頃相応のと諦めればいいのか、まったく困った夫だ。

諦めて匙を口に運び続けつつ、カイトは傍らに控えるがくぽをちらりと窺った。今朝は、ともに食卓につく気配がない。作りながらすでにつまんできたのか――おそらくそうだろう。

カイトはこころ持ちから少々、食欲が落ちたが、がくぽの食欲が落ちる理由はとりあえず、見当たらない。

そして年頃の少年だ。挙句、夜にあれだけ激しく動いた。むしろ空腹で、早々に目が覚めてもおかしくはない。

「っん、く、…っ」

――食事時に、思い出さずともいいことを思い出した。

先とは別の意味で呑みこむことに苦労しつつ、カイトはなんとか平静を取りつくろった。

「がくぽ、おまえは」

「不要です」

「………………」

挙動不審を誤魔化したい意図と、あとは念のためにと、わかりきった答えの問いをカイトが放つと、案の定だった。案の定だったため、一瞬で終わる。

間が持たない。

微妙に恨みがましい気持ちを重ねたカイトだったが、幸いにして、この時間は長くなかった。

言っても、ひと皿の粥だ。重篤な病に倒れた病人でもなし、瞬く間に空となる。

先には、目に入っただけで疎ましい気持ちとなった馴染みのない色形の果物にも、こうなると手をつける意欲が湧くから、信じられないものの筆頭に自分がくることとなる。

昨日にも反省と後悔を重ねた自棄を懲りずに起こし、カイトはそれこそ、盆の上をきれいさっぱり、空にした。

見知らぬ、馴染みのない果物だったが、食べやすさとしては問題ない。否、絶品だ。

粥も非常に美味かったが、果物を口に入れた瞬間、カイトは今まで覚えたことがないほど、美味だと感じた。身に沁みると言えばいいのか――つい、おかわりを強請りかけた。如何に自棄を起こしたにしろ、それはさすがに控えたが。

現金なと、再び自分を罵る心地にもなったカイトだが、不足していた腹が満ちれば、思考の向きも変わる。たとえ不足を自覚していなかろうとだ、満たされてしまえば否応なしに、変わるものがある。

食べる以前、空腹の際には、容易にほどけない少年とともに頑なに落ちこもうとしたカイトだ。

しかし盆の上をきれいさっぱり片づけたあとには、年長者として、自分からまず鷹揚を示さなければいけないと、範を示すべきだという、ごく日常的な態度を思い出すことができた。

だが、くり返そう――なにかに追いつめられ、追いこまれてひどく思いつめているのが、がくぽだ。

もとは王太子であり、自分の主でもあった相手を、妻にと望みまでした。

カイトがいくら鷹揚さを思い出し、範を示そうとしても、そう容易くはいかない。いかせない。

時間を、与えようとしない。

なぜならなにかに追いつめられ、追いこまれてひどく思いつめているということは、そういった余裕を失うということだからだ。

だからがくぽの言動には罪悪感があっても、ためらいや迷いは少なかった。

空になった盆を下げ、小卓を片づけると、少年はすぐさま寝台に乗り上げてきた。

「がくぽ」

咄嗟に狼狽えた声を上げつつ、カイトはそういえばと、思い出していた。

今、着ているこの衣装は、気候に合って過ごしやすい形状だが、同時に、ひどく脱がせやすそうだなと、先にも思っていたのだった。

昨夜の例がある。そうまで無防備には見えなかったものを、ずいぶんあっさりとほどかれ、脱がされた。意外に無防備なのだなと――

考えるでもなしに考えたことを、思い出した。今だ。もちろん遅い。

狼狽えながら声を上げたカイトを、がくぽはあの、なにかの激情を抑えこみ過ぎて翳る瞳で見返した。片手に握っていた陶製の器を、軽く示す。

「薬を」

「くす……」

なんの、どこに、といったカイトの問いは、出る前に消えた。

蓋を開けて見えたそれは、乳白色の軟膏だった。口から飲むものではなく表皮の、外傷に塗布するものだ。

しかしカイトはどこにも外傷など――

「がくぽ」

呼ぶ、カイトの声がほとんど初めて、引きつった。

痛みが続く腰を懸命に引きながら、カイトは周囲を見回す。逃げ場を探してのことだが、もちろん、あろうはずがない。

そもそも引きたい腰が、食事の体勢を整えるべく宛がわれた枕や敷布といったものに遮られ、ほとんど引けていない。

「じ…ぶん、で、っ」

せめてもと訴えたが、無駄だった。

自分でやると言いきることもできないまま、カイトは足を引かれ、寝台に転がされた。どういう手妻か、転がったと認識したときには、下穿きも抜き去られている。

さすが騎士と言えばいいのか、体格の差をものともしない、鮮やかな手並みだった。乱暴な所作でありながら、カイトはほとんど痛みを感じなかった。

感じなかったがしかし、『乱暴』だ。

「がくぽ!」

「ためらえば、ひどい目に遭うのはあなたです、カイト様。ここを弄ることに、馴れてもいないでしょう」

「…っっ」

半身を起こしての抗議は、あまりに正論でしかない脅しに――正論であっても『脅し』と言うしかないほどの威迫をこめた声に、押されて潰れた。

揺らぐ瞳で、カイトはがくぽの手を見た。手に握られた、軟膏の入った器――

どこに塗られるのか、どこが塗り薬を必要としているかといえば、カイトに思い当たるところはひとつだ。

カイトは排泄器でしかないと認識していた場所、しかし昨夜、この年若の夫を呑みこまされ、さんざんに突き上げられ、抉られとして、――カイトに思いもしなかった快楽を与えた場所。

その快楽はこれまでに経験したことがない類のものであり、それによって迎えた絶頂もまた、ついぞ覚えのないほどのものだった。

が、所詮は代替器官だ。

しかも新妻にベタ惚れの年若の夫は、加減も忘れてその身を一夜かけ、貪り続けた。

初めてにも関わらずそんな無茶を重ねられたなら、もしこれが代替器官でなかったとしても、相応にひどいことになっていただろう。

カイトが知りもしなかった男同士の性交についても詳しかった少年だが、もちろんその後の対処についても、必要をきちんと押さえているものらしい。

それが、カイトを想ってから新たに学んだことなのか、それともこの少年の成育環境においては普通のことであったのか――

動揺から空転する思考は、ろくでもないものだ。

なにがろくでもないといって、そのあまりのろくでもなさにさらに動揺が募り、もはや止めようもなくひたすらに、いずれか知れぬ地平の彼方へと空転していくという。

「……っ」

強張り震えて見つめるカイトから後ろ暗い視線を逸らし、がくぽは指に軟膏を掬う。

見た目は、きれいな指だ。老練の、熟達の騎士ともなると、剣を握ることですっかり節くれだち、どこか形がいびつであったりするが、如何に早熟の才能を謳われたとはいえ、がくぽは未だ少年――まだそこまで、節くれだったという様子はない。

けれどそうだ、見た目はまだそこまでではないが、肌はしっかりと、硬くなっていたのだった。突き入れられた指は、見た目の華奢さをきっぱり裏切り、確かな存在感でもってカイトの内部を掻き回し――

「っっ!!」

――なぜ今、そこに思いを馳せてしまったのか。

カイトは声にもならず、自らを激しく罵倒した。罵倒したが、これはある意味、当然のことではあった。

そもそも軟膏を掬ったがくぽの指は、昨夜とは別の意図とはいえ、同じ場所に向かっている。連想が働くのはあまりに当然のことで、本来、罵倒する謂れのものではない。

けれど声もなく罵倒し、カイトはくちびるを引き結んだ。がくぽの指が、軟膏が、その場所へ向かうのを見つめ――しかし到達するよりずいぶん前に、耐えきれず瞼が落ちた。見えずとも落ち着かず、顔も逸らす。

だからと焦れるほども待たされることはなく、すぐにひやりとしたものが触れた。瞼だけでなく、そこもまた、今は羞恥と緊張にきつく閉じているのだが、相手が構うことはない。

「ぅ、く……っ」

羞恥に熱された体に、軟膏の冷たさはことさらに響いた。もちろん、傷口に塗りこめる軟膏であり、薬だ。すぐさま傷口が反応して、じゅわりとした熱を帯びる。

「ぃ……っ」

みっともないまねは晒したくないとは思うが、堪えきれずにカイトは呻いた。

痛みがある――痛みは、ある。

そこに傷があり、直接に触れられているのだから、痛い。それも単に『触れられている』に止まらず、薬を塗りこめるために押され揉まれとしているのだから、なおのこと。

――そのはずだが、同時に、薬効というものがある。

こういった軟膏によくあることで、おそらく痛みを鈍麻させる、速効性のなにかが入っているのだろう。痛みはすぐにも痺れに転じ、熱に変わってカイトの下半身を覆った。

「んっ、ぁっ!」

ちゅぷり、と。

掬い直し、たっぷりの軟膏とともに何度めかで指が押し入った瞬間、カイトが上げた声は紛うこともなく、嬌声だった。

すぐさま激しい羞恥が募り、きゅうっと身が縮む――が、概ね想定の範囲内というもので、逆効果だった。呑みこんだ指をうねりながらきつく締め上げ、その存在を、ことさらに感じてしまう。

肌は硬い。見た目は色白で、まだやわらかそうであるのに、しっかりと騎士の指、剣を振るうもののそれとなっていて、強かった。

加減のしようもなく、容赦を知らずにうねり、締め上げる腸壁の力をきっぱりと跳ね返し、ぐいぐいと奥に進み、あるいはずるりと引きずりながら出て行く。

それでありながらその指には、昨夜はなかった軟膏がたっぷりとまといつき、まるで潤滑油のような役割でもって、強引な動きをなめらかに行う。

なめらかに、痛みも少なく、ために異物感も違和感も小さく――

「ゃ、あ、ぁ……っ!」

声が堪えられず、カイトは瞳に涙を滲ませた。力が抜けて寝台に転がりながら、反して自分の男である部分が勃ち上がっていくことが、これまでになく憎たらしく、恨めしい。

年若の夫の情熱的なやりように、傷ついたのは表皮だけではない。初めてで、馴れもしない内襞もまた、相応に傷を負った。

痛みのもとを辿ればその程度は予想がつくし、そうとなれば内部にももちろん、軟膏を塗りこめることが必要だ。

とはいえ、カイト自身にそうまでのことができるかと言えば――

おそらく、表側の肝心なところに薬を塗布することが、すでに難しかったはずだ。カイトにとってはそういう場所でしかなかったし、それはたかが一晩程度では覆らない『常識』だ。

ために、自分でやると言ったカイトを、撥ねつけたがくぽの判断は正しい。

ほとんど脅し、威迫も甚だしいものではあったが、そうやって押しきられても仕様のない判断ではあった。それこそカイトのことを想えば想うほど、押しきらざるを得ないだろう。

だとしても、否、だからこそだ。

その治療行為で、声が上がる自分が厭わしい。

たかが一晩の行為で、カイトの内の常識は未だ覆りきっていないにも関わらず、すでに異物を味わうことを覚え始めている体が、あまりにいかがわしい。

男相手にはこんなにも淫らな体だったのかと、乱れて治まりの悪い身であったのかと、思えば思うほど、恥ずかしさに凍える。

凍えながら、身の内に熱が募って、苦しい。

「――初めのうちだけです、こんなものが必要となるのは。いずれすぐ、あなたの体は咲く。そうなれば…」

「ふ、ぅ………っ」

ややして指を引き抜いたがくぽは、慰めるにも似た声音と言葉をこぼした。

泣いているような鼻声をこぼし、カイトは潤む瞳を少年に向ける。たとえばこれで、見返す瞳が蔑む色や、辟易した様子を浮かべていてくれれば、すぐにも体の熱は引いただろう。引いたどころでなく、きっと世を儚みたくなっただろうが。

しかし幸か不幸か――これが幸いであるのかどうか、カイトには未だ、判別がつけられなかった――、カイトが潤む瞳で見つめた年若の夫に、あったのは激しい熱であり、滴る欲であり、堪えきれないほどのそれだった。

「ぁ………」

言葉が継げず、震えながら見つめるだけのカイトに、がくぽはちろりとくちびるを舐めた。

自分を落ち着けるための行為かもしれなかったが、瞳に宿る感情があり、灯す欲望がある。それは概ね、肉食の獣が獲物を前にして、涎を啜るさまに似ていた。

昨夜一晩、貪り尽くしてくれた相手だ。手酷く扱ったからと、薬を塗ったばかりの。

「が、くぽ」

「咲き開きさえすれば、薬も必要ない。馴らす必要も、それで苦痛も、なにも――あなたは快楽と悦楽のみを得られる」

「………」

動転しながらもなにかがふと過り、カイトは歯を食いしばった。

昨夜、思った。考えたことだ。

考えついて、けれど確かめる前に、確かめることも赦されず、がくぽに抱き潰された。

あれは故意であったと、カイトは覚えている。

がくぽはカイトに問われることを恐れた。問われて、答えなければならないことを――あるいは、答えを誤魔化さなければならないことを。

誠実な夫ではある。誤魔化すことを嫌うのだから。

代わりに黙して語らず、秘することがあまりに多い、とんでもなく不誠実な相手でもある。

光を得ればこれ以上なくうつくしく輝く花色の瞳を無残に翳らせ、がくぽはカイトを見つめる。見つめて、紅を塗る必要もなく朱を刷くくちびるを、うっそりと開いた。

「歓楽と享楽に――咲いてください、我が花よ。他の誰でもない、我がために、我が手によって……咲き開け、唯必然の花」