B.Y.L.M.

ACT3-scene3

明確な地位、立場をもって、公的に並び立つ妃、伴侶がいたことはない。

けれど南王は現在までの在位中に、十二人の子を生した。男でもなく女でもないものを三人、男でもあり女でもあるものを三人、女でしかないものを三人、それに、男でしかないものを三人――

「このうちの『男でしかない三人』の、末の三番めであり、すべてひっくるめて数えた際にも、十と二番めの末の子にあたるのが、私です。そして今のところ、これ以上にきょうだいの増える様子もありませんので、私があれの残り最後の子となります」

ようやくカイトが杯を受け取ると、がくぽは今度は自分の分を注ぎながら、すでに話し始めた。併せて、自分の動きを目で追うカイトには飲むようにと、しぐさで促す。

話の途中でもあるし、相手がまだ座ってもいない。

カイトからすればずいぶんと礼儀から外れた所作ではあったが、がくぽはどこか、カイトが飲むのを待っている節がある。

多少の戸惑いは覚えたが、咽喉が渇いていないといえば嘘だ。起き抜けの一杯を飲めるのは正直、有り難い。

わずかなためらいののち、カイトは杯を口元に運んだ。無意識に、すんと鼻が鳴る。過ぎずに甘い香りが、ほのかな湯気とともに鼻先を掠めた。

今日の朝の一杯めは、温かな茶らしい。凍えるとは無縁の気候ではあるが、だからと温かな茶が不快なわけでもない。むしろ朝の、ことに起き抜けには、行き届いたこころ遣いだと言える。

カイトはちらりと視線を投げ、茶器の置かれた小卓を確認した。

透明硝子製の瓶の内に、彩り鮮やかな花びらが数種、浮かんでいる。水の色は、カイトが哥にあって茶としてよく馴染んだ紅色ではなく、淡い若葉の色だ。

カイトには、この色の茶は東方で好んで飲まれていたという記憶があるが、色から受ける涼やかさというものがある。この温帯な――あるいは熱帯の――気候下で暮らす南方人がなにかのきっかけで知れば、きっとこちらを好むものも多いことだろう。

なにより紅色の茶より若葉の色のほうが、花の色との対比がさらに鮮やかとなり、目で見ている分にも愉しい。

風呂といい髪飾りといい、それに昨日の果実水に、今朝の茶といい――

すべてにおいてがくぽの生活には色が溢れ、そしてそれらをうまく統制し、調節して使っている。決して不快になる組み合わせにしてこない。

さらに推し量るなら、これらはきっと、単に目を楽しませるだけではない。薬効も十分に計算されたうえで、最終的に組み合わされている気配がある。

騎士としても十分、十二分に優秀な男なのだが、どうにも薬師としても身を立てられそうな雰囲気が芬々にある。多才なと言えばいいのかもしれないが、そうとは素直に口にし難い。

それは今日まで偽られ、隠されてきたものの多さと、その重さによるものだろうが――

たとえば今まさに明言されたがごとく、実は南王の血を引く子息であったといった。

せめても口元に運んだ茶の香りが、甘みはあっても軽やかであり、爽やかであることは幸いだった。そして同時に、ぬくもりがあることは。

なにかしら冷えた気がする腹の内を温めたいと、カイトは杯を傾けた。こくりと、ひと口飲む。

持っている分にはぬくもりがあるという程度で、さほどに熱いとも思わなかった。が、その程度であっても、こくりと飲みこむとぬくもりが心地よく、咽喉から腹へと落ちていくのがわかる。

大分、礼儀作法をなおざりにする悪癖がついてきているとは思ったが、なにかが堪えきれず、カイトはそのままこくこくこくと、ひと息に中身を飲み干した。

「かふ…っ」

ひと息にしたせいで、小さな吐息も堪えきれずこぼれる。

体の芯にまで水が行き渡り、生き返るような心地があって安堵がこみ上げるが、真剣な話をしようとしているところだ。それも、カイトから求めた。

さすがにどうなのかと自己嫌悪を覚えたカイトだったが、がくぽにとっては大したことではないようだった。

「もう一杯、注いでおきましょう」

当然と言って、返事も待たずにカイトの手から杯を取り、新たな茶を注ぐ。

「♪」

そしてこれまた当然と、うたに聞こえる韻律の言葉が短くこぼされた後、杯がカイトの手に戻された。

相手のあまりに自然な流れに逆らいきれず、ただ大人しく受け取ったカイトの指に伝わるのは、ぬくもりだ。熱すぎず、心地よく保たれた。

カイトが先に、どうにも待たれているようだと感じたのは正しかったらしい。

二杯目、おかわりとなるそれをカイトに渡したがくぽは、自分用に注いでいた杯を取ると、ようやく座った。カイトを座らせた長椅子の斜向かいに置いてあった、背もたれのない腰かけだ。たとえば座ったときに腰の位置を直すような感覚なのか、背に負う翼が一度、軽くばさりと、羽ばたいた。

確かにあれを負っては、背もたれのある椅子は不便だろう――

呼ばれたように視線を流したカイトの頭を、そんな考えがふわりと過る。

カイトの視線に気がついていただろうが構わず、がくぽはひと口、自分でも茶を啜った。ただ、あくまでひと口だ。カイトのように干すことはせず、杯を持ったまま膝に置くようにすると、軽く目礼した。そのうえで、再び口を開く。

「問われることは多かれ、私の誠意の在り処として、まずはあなたの夫の身上をつまびらかに――その過程で、あなたの問いのいくつかも解消しましょう」

「……ああ」

否やのあるものではない。

がくぽに倣って自分の膝の上に抱えて杯を置き、カイトは了承を頷いた。

なにしろこの夫に関しては、隠されていたこと、あるいは知らないこと、わからないことがあまりに多過ぎる。好きなように訊いてくれと言われてもなにから手をつけたものか、さて困るというところだ。

がくぽから順を追って話し、そのうえでつど疑問を差し挟むか、それでも足らないものを訊くほうが、カイトとしても容易い。

一度は逸れた思考と視線を戻したカイトに微笑み、がくぽはさてと、始めた話の続きに戻った。

「昨日のひと幕にて、薄々とはお察しでしょうが――私はあなたの騎士団に所属するに当たって提出した通り、ないしは精査された通りの身分、哥の辺境貴族の子息ではありません。言うなら、哥の国どころか、西方の血はひと滴たりとも、この身に流れていない。私の正たる出自は南方、――南王の冠被りたる、あれの子のひとりとなります」

座ったままながら恭しい素振りで言って体を戻し、がくぽはどこか呆れたように笑って、肩を竦めた。

「とはいえ――先にお伝えした、私の上にいたという十とひとりのきょうだいについての話は、ほとんどが人づてに聞いただけのものでしてね。そういうのが『いた』という。私が生まれたころに残っていたのは……男でもなく女でもないきょうだいがひとりに、女でしかないのがひとり、ああ否、ふたり……ふたり…ん、混同しているかもしれないな、ここら辺は。まあ、ひとりかふたりです。三人はいなかった。それに私と同じ、男でしかないのがひとり。……いたかな。ぅん?」

話し始めこそ淀みはなかったものの、自分のきょうだいのこととなると、がくぽはひどく曖昧に数え上げた。

それはいわば、王族や貴族の身分であれば珍しくもないことではあった。

王族、ないしは貴族の身分において、きょうだいというのはあらゆる意味でもって、非常に微妙な問題だ。同胎の生まれか、異母きょうだいであるのか、妾腹であるのか。男か女か、あるいは長か中か末の子か――

片親の出自や理由によっては、自らの『きょうだい』の正確な人数を把握していないことなどざらであるし、どこに存命しているのか、もしくはそもそも存命であるのかすら、知らないことも多い。

だからこれをして、がくぽがことにおかしいと言い立てる理由にはならない。

本来であれば、だ。

「――まあ、どちらにしても、十とひとりはいませんでしたね。私を除いて三、四人。残っていたのはそんなものです」

記憶を呼び戻すことを途中で放りだし、適当に結論づけたがくぽを、カイトは注意深く見た。視線まま、慎重にくちびるを開く。

「わからないことが、すでにいくつかある」

「はい、どうぞ」

なにかの教師のような口調で促すがくぽに、カイトはやはり、慎重に問いを続けた。

「きょうだいの内訳だ。後半はわかる。十一人すべてが上だったというから、『女でしかない』『男でしかない』というのはつまり、姉が三人と……兄が二人、いたということだろうだが、前半がわからない。否、男でもあり女でもあるというのは、なんとなしに想像がつくが――男でもなく女でもないというのと、それとは、別なのかというか、性別というのは、そうも多いものか」

「ああ……」

慎重ではあれ、困惑を多大に含んだカイトの問いに、がくぽはくるりと瞳を回した。

昨日に、『花とはなにか』を問うたときと似ている。自分にとってあまりに身近で、当たりまえに過ぎ、逆々的に説明の言葉を持たないという。

「多いというか――まあ、この四種ですよ。ひと親から四種が生じることは本来、ないですがね、いかに片親が違うとはいえ。そういうところでも無駄に人智を超えてみせるのですよ、あれは」

「………」

自らの親を清々と腐すがくぽの言葉を、カイトは礼儀正しく聞き流した。

がくぽとしても、わざわざ指摘を受けたくてしているわけではないだろう。見ているところ、ことに思考の介在しない、条件反射と思しい。

だからすぐに切り替え、カイトの問いに答えるべく口を開いた。

「昨日も少し、触れた気がしますが……そも、南方には原初の森が存在し、神期より続く旧き一族が未だ、太古に生じたままの血を伝え遺しております。そして言うなら、今世にあっての性別とは、男女の二分けに大別されるだけのものですが、旧き一族の盛んであったころは、そうまできっぱりと分かれてもいなかった。男とも女とも言いきれない族や、時々の情勢に応じて男か女かをつど選択しながら生きる族、もとより男と女の両性を常に有する族などがむしろ、多勢でした。ええ、そうですね……神話に覚えがありませんか。ことに前代神期に、そういった挿話が多かったと私は記憶していますが」

「ああ……」

言われて、カイトは記憶を掘り起こした。

世界広かれ、国は多かれ、その原典、原本たる神話の根は、ひとつに辿ることが可能だとされる。

そのうちの、今世の続きとされる後代神期の挿話については、各国の独自色が強い。

さらに言うなら『今世の続き』というだけあって、後代神期の挿話は『神話』というより、どちらかといえば人間社会の写しといった感が強い。それに、わずかに色を添えた程度というような。

が、後代との争いに敗れて消えたとされる前代神期となると、地域による挿話の違いは些少なものとなる。まるでお伽噺の世界だ。現実味がない。

それをして、前代とは後代のひとびとの想像の産物、創作話の一種であり、現実には存在しなかったと言われることもあるが――

少なくともがくぽ、ないし南方においては、前代神期とは厳然と存在した、否、細々ながらも現存しているものであるらしい。

言うなら確かにカイトの目の前にも、前代神期の挿話に出てきそうな手合いがいる。妙なる美貌の持ち主ながら、頭の両脇に曲がり角を持ち、背には闇すら明るく見えるほど昏い、射干黒の巨大な翼を負う。

つまり夫、がくぽだが――

こういった異形が闊歩し、そしてその性別の表現も曖昧であったり、雑多に複雑であるのが、前代神期の特徴の最大であった。

いわば実例を目の前に、本来呑みこみに苦労する不可解が、すとんと呑みこめた。

納得して頷いたカイトに、その思考の全貌はさすがに見通せないがくぽは、どこか安堵したように話を続ける。

「十とひとり――私も含めれば、十とふたりですか。血の片輪はすべて、南王の冠被りたるあれですが、もう片親はほとんどが違います。もうひとつ言うなら、それぞれの片親の種族もまた、雑多に多様です」

言って、がくぽは浮かべる笑みに苦みを含ませた。

「たとえば私などは、片親は人間の純粋種でしたが、幼いころに辛うじて存命であった、男でもなく女でもないきょうだいなどは、『最奥のもっとも旧き』と謳われる、旧き一族の出でした。どう見ても、あれと自分とが、片親なりと同じ血を引くとは、到底、思えなかったものですが……」

同じ『あれ』という言葉を使っていても、きょうだいを差すがくぽの言いようと表情とは、自分の親を差すときとはあからさまに違った。懐かしさや慕わしさといったものが含まれている。

懐旧を愉しむ風情のがくぽを窺いつつ、カイトはそっと、くちびるを開いた。

「よいきょうだいだったのか」

「ああ……あれですか?」

カイトの問いに、がくぽはふと気がついたように眉を跳ね上げた。少しだけ深く潜り、思い出すような間を挟んで、頷く。

「まあ、情の強い性質でしたね。母親のようなところがありました。片親が最弱種族の人間であることもあって、いかに南王の子とはいえ、――否、南王の子であればこそ、脆弱極まる赤子の私が見過ごせなかったらしい。よく構われました。それも、まあ――私が自らの足でもって走れるようになるくらいまでですが」

端々に窺えるものがあり、カイトは表情を曇らせた。あまりはっきりと憐憫の情を浮かべるのも非礼に当たるし、なにより相手は矜持の高い騎士でもある。

加減に注意は払いつつも、カイトは小さなため息をこぼした。こぼしたため息の続きのように、言葉を吐く。

「亡くなられたのか」

「ええ、まあ」

カイトの沈痛さに構う様子はなく、がくぽの返しは非常に軽く、言うなら明るくすらあった。その様子まま、清々と告げる。

「先にも言ったような気がしますが、現在、今時点で、南王の子として存命であるのは、私ひとりです。十とひとり――あとのきょうだいはすべて、南王の冠被りたるあれに、喰いきられました」

「……っ」

即答だった。迷いもためらいもない。

想定の範囲の答えではあるが、想定以上の答えでもある。

取り繕いようもなく動揺を晒して絶句したカイトに、がくぽはなぜか朗らかしく笑った。

「先に申しました、きょうだいのほとんどが、人づてに聞いただけのものであると。私が生まれたころには未だ存命であった、三人だか四人だかのきょうだいにしても、私がこうまで大きくなるより前、ずいぶん幼いころにはすべて順々に、あれに喰いきられていなくなりました。ゆえに新たに下のきょうだいが増えていない今、私があれの子の、最後の生き残りとなります」

がくぽの言いように、カイトの耳に蘇ったのが昨日の、南王の言葉だ。

――今この場にてふたたりめの仕合となれば、我れに喰らわれるが、汝れが避けえぬさだめとなろう。

――もっとも半端にして終わりの、我が末の息子よ。

あれらの言葉を、カイトは飾り言葉の一種として聞いていた。あるいは、なにかしらの比喩の一端として。

聞き流し、忘れていたそれが蘇る。わからず流したそれが、意味を伴い始めた。

指先が凍えていく気がする。与えられた茶が、杯が温かかったことは、幾重にも僥倖だった。

予感ですでに表情を強張らせたカイトに、がくぽは困ったように眉尻を下げる。翼がためらうようにそよぎ、しかしここまできて誤魔化しても仕様がない。むしろ事態は悪化するというものだ。

なによりがくぽは、夫として誠意を見せると誓って話し始めたのだ。

カイトの様子を注意深く窺うようにしながら、がくぽはそっと、くちびるを開いた。

「――言葉通りです。比喩でもなんでもない。あれは、私が剣を向けたから、あなたを横から奪うまねをしたから、私を喰いきると言っているのではない。あれはすでに、私の上のきょうだいを、自分が生した十とひとりの子を、すべて喰らった。加えて言うなら、十と二番め、末の子の私もいずれ避け得ず、そうなる予定でした。もう少し大きくなり、もう少し力が満ち――あれが喰うに足るまで成長したなら」

「自分の子だ」

ほとんど答えはわかっていて、カイトはそれでも訊いた。これがひどく酷な問いであるとはわかっていたが、訊かないわけにはいかなかった。

答えなどひとつだ。相手は南王、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた。

「そうですね。片親は違え、すべてあれの血を引く実の子だ。私も含めて」