がりくった道

2-1

「びっくり。した」

本当に驚いた顔で、カイトは言った。大きな瞳を瞬かせ、今まさに驚いたかのような様子で、頷く。

「泣く。とか。――思わなかった。びっくり、した」

「なんでよ」

自分がなににどう、どれほど驚いたのかを一所懸命に説明したカイトに、聞かされていたメイコは鼻を鳴らした。不満の表明だ。

カイトとメイコは、音楽活動家たちのためのコンセプトシェアを謳ったマンションに、それぞれのマスターとともに住んでいる同士だ。

住居階は違うものの、同じボーカロイドということで、自然と親しくなった。

さらに言うなら、『同じボーカロイド』の中でもカイトとメイコ――シリーズKAITOとシリーズMEIKOはともに旧型、旧式と括られる、ロイド草創期に設計され、今でも生産が続いている数少ないロイド同士だ。

思考にしろ嗜好にしろ、言葉に因らずとも互いに通じる部分が多く、ためにカイトとメイコとは、殊更に仲が良かった。

念のため補記しておくと、あくまでも友人として、だが。

とにもかくにもそういう仲なので、カイトはメイコが相手となると隠しごともせず、起こったことはなんでもかんでも話した。

対するメイコも同様だ。どのみちだれ相手にしても遠慮はしない彼女だが、ことカイトが相手となると、尚更だった。

だから今のように言うだけでなく、行儀悪く鼻を鳴らすようなこともする。

鳴らす鼻だけでなく、表情も不愉快そうにしかめ、メイコは無邪気な様子のカイトを横目に睨んだ。

「ん?」

小首を傾げ、カイトは端的に過ぎる形で不満の理由を問う。

理解が及ばないと不思議そうではあるが、感情の向きを単純に明暗で表現するなら、『明るい』だ。

ふたりが今いる場所が、住居とするマンションの2階に設けられた住人用のダンススタジオで、窓が大きく、外光を多く取りこんで明るいということもあるだろう。今日は晴天だ。今は真昼間だ。もっとも明るい時間帯といえる。

だがもちろん、外的な要因だけではない。

カイトの表情は、明るくなった――ほんの数日前と比べれば、覿面に。

その、明るくなった原因だ。

そして、表情や雰囲気こそ明るくなってなお、未だ解消されないところに、メイコの不満があった。

「それよ」

「『それよ』?」

指摘をおうむ返しにするカイトへ、メイコは指を振った。最終的に振る人差し指をカイトの胸に当てると、刺すようにつつく。

「『それ』よ。だから――あんた前はもっと、ちゃんと………わりと普通に、しゃべってたでしょ。そんだけしゃべるのヘタになったの、『アレ』からじゃない」

「ん」

メイコの言葉に、カイトはくちびるを引き結んだ。表情が止まる。

止まる、だ。

空白に落ちるのとは、違う。相反する、あるいは混乱し、迷走する感情と反応が同時に起こった結果、『止まる』としか表現できない状況に陥った。

そうやって止まったカイトに、メイコはまた、鼻を鳴らした。

「ボカロのくせに、それだけ『音』に影響出しておいて――ショックじゃないとか、あり得ないでしょ。そりゃあ、泣くわよ。泣くでしょうよ。むしろ泣いたほうが健全だわ。泣いてよ。てかもう、いっそ泣かそうかと思ってたとこよあたしは。で、ようやく泣けたわけでしょ。だれってあたしじゃないわ、ボケナスサムライの前でってことよ。そっちがおめでとうだわよ。良かったわよ、恋人復活とかどうでもいいわね。あんたがあのボケナスの前で泣けたことがもうなによりだわ。あの激ニブ男、これでやっとこころ置きなくシメられる」

「めーこ」

立て板に水とまくし立てるメイコに、カイトは閊えていた声をようやく吐き出した。力は弱い。だから手を伸ばし、メイコにも少しだけ、触れる。触れることで、出ない声を補う。

触れないと、出ない声の力弱さは補えない。

「なによ」

二の腕に軽く置いた手を振り払うことはないものの、メイコは相応に厳しい眼差しを向けて来た。だからとめげることもなく、カイトは首を横に振る。

「や」

端的な、ひと言。

ようやく、なんとか、全身全霊を尽くすほどの力をこめて、吐き出せる、たったのひと言。

「や、だ」

強張って、舌はうまく動かない。

閊えて、のどから声が出て来ない。

思考が空回りして、ひたすら空虚に無為に回って、言葉がまとまらない。

暴れて自由にならない自分に全力で制御をかけ、カイトはくちびるを震わせ、戦慄かせ、言葉を吐き出す。

「がくぽ。いぢめ、たら。や。だ。おれの、コイビト。だいじ、だから」

――カイトの全力を懸けても、やっとこの程度だ。なんとか思うことを吐き出したが、相変わらずひどい言葉で文章。

思うことが多ければ多いほど、言いたいことがあればあるほど、逆にのどは閊えて舌は強張り、言葉が出ない。出せない。

メイコは、そんなカイトを見る。眇めた目で、奥底まで見通す瞳で、厳しくカイトを見つめる。

カイトは、見返す。メイコとは違う。瞳は常に揺らいでいる。風吹く湖面のようだと、吸いこまれそうだと、――

本当に吸いこまれそうな陶然とした表情で言ったのは、『どちら』だったか。

どちらでもいいと、カイトはくちびるを引き結ぶ。

讃えるくちびるが、カイトのくちびるに触れた。また、触れるようになった。触れられる。

だから、カイトはいいのだ。

いいと、決めた。

だから。

「どうでもいいわ」

みたび、鼻を鳴らして、メイコは言った。瞳の厳しさは変わらず、けれどカイトの瞳から焦点は逸れた。

「どうでもいいのよ、そんなこと」

くり返して、メイコは瞼を下ろした。表情から、険が取れる。

次に瞼を開いたとき、メイコはカイトへと笑いかけた。眉を曇らせ、瞳を翳らせて。

「どうでもいいから、そんなこと………余計なこと考えてるんじゃないわ、カイトのくせに。あんたはただ、あのボケナスにたっぷりと甘やかされて甘ったれて、愛されまくって蕩けてたら、それでいいのよ」