赦さずの。

それが花魁巡音こと、ルカに付けられた二つ名だ。

夢繚乱噺-04-

その器量に惚れこんで、幾人もの男がルカを望んだ。だが、最後まで辿りつけたものはひとりとしていない。

最後の一線を越えることを、ルカが決して赦さないからだ。

それでは商売にならないのが吉原というものだが、ルカを求める客は引きも切らず、手を付けられなくてもいいから顔を見たいと通う中毒者も多い。

そういうものが殺到したために、ルカの値は吊り上がる一方で、今となっては、一見の客など通されない。

だというのに。

「…………うちの見世は何時から、女の客まで取るようになったのかしら?」

ひくひくと頬を引きつらせて吐き出したルカに、座敷に上がった「少年」は、悪びれもしないで片目を瞑ってみせた。

「やだなー、ルカちゃん。ボク今、女の子じゃないよ。ミクオ、男の子だよ☆」

「ふっざけないでよ、このおとぼけさん!!短髪のカツラ被っただけじゃないの!!」

外に聞こえないように低めた声で、しかし堪えきれずに怒鳴ったルカに、ミクオ、ことくりねずみ一家のお屋形、ミクは目を丸くした。

「え、すっごいなー、ルカちゃん。こんな暗いのに、ボクがカツラだってわかるんだ?」

「わからいでか!!」

どこまでもおとぼけるミクに、ルカは吐き捨てる。

そのルカに、ミクは笑った。

「髪だけじゃないよ。着物もちゃんと、男物だよ」

笑うミクへと、ルカも胸を反らして笑った。

「つるぺたぺちゃ胸が役に立ったわね!!」

「そうだよね。ルカちゃんみたいな肉まんじゅうだったら、こんな変装無理だよねー」

笑い合うふたりの、瞳がさっぱり笑っていない。激しく火花が散る。

実際のところ、ミクは短髪のカツラこそ被っていたが、着物は純然と男物というわけでもなかった。よく言われる傾奇者がいちばん近い。

派手でかつ、下手を打つと下品になりそうな柄と形のものだ。

吉原に行ってルカに会う方法は、いくつかあった。

そのいくつかの中で、ミクは客として行く方法を選んだのだが、そもそもが吉原だ。女の客など取らない。

だからというわけでした変装だが、地味な男物の着物を着ることには、激しく抵抗があった。

なんだかんだ言って、年頃の少女だ。と、本人が主張している。

それならば客にこだわらず、別の方法を模索すればいいわけだが――

「相変わらずいい肉だよね」

「肉言わないで!!」

伸ばしたミクの手を叩き落とし、ルカはつんと顔を逸らした。

「一見めから触らないで頂戴。吉原の規定も知らないの?」

「ボクとルカちゃんの仲じゃん」

「知らないわよ」

「またそういうこと言う」

笑って言いながらも、ミクはおとなしく手を引く。ルカからわずかに離れて座り、据えられた膳へと手を伸ばした。

「一寸、お酒なんか飲まないでよ。貴女まだ年が」

「天ぷらがおいしそうなんだもん」

「このお子ちゃまが!!」

ルカはそっぽを向いて吐き出す。どうして天ぷらがあるのかが謎だ。普通、初見では膳が出ないはずだ。

「………」

ルカは瞳を細め、無邪気に膳へと箸を伸ばすミクを見た。

今は短髪のカツラなど被っているが、それでも少女の面影は拭えない。いくら胸がぺちゃんこでも、行燈の仄明かりでも、百戦錬磨の婆たちの目を誤魔化しようがない。

それでも、こうして座敷に上がっている。

その事実が示すことといえば、膨大な金――

「貴女、相変わらず莫迦よね」

「ルカちゃんは相変わらず美人だよね」

「当たり前のこと言わないで」

「そのうえ、性格も歪んだまんまだ」

ミクはさらっと言う。

ルカは顔を歪め、ミクから顔を逸らした。しかし、長くは続かない。どうしても、視線が戻ってしまう。

里を出て――久しぶりの、再会だ。里にいたころには毎日まいにち顔を合わせていて、見ない日はなかった。

そんなに毎日まいにち見ているから、だからきっと、駄目なのだと思った。離れればこの心も醒めるから、きっと思い違いに気がつくから――

そう思っていたのに。

「…………くそ」

上品なつくりのくちびるから、似合わない罵倒が吐き出される。

無邪気に膳を掻きこむミクが、憎い。

思い違いどころの話ではなかった。駄目なのはきっと、自分の生まれつきの性質というものだ。

こうして再会してしまえば、打ち破れたと思った枷が、ひとつも外せていなかったことに気がつく。

こうして、再びその存在を間近に感じてしまえば――

「ルカちゃんが言ったんだよね一見めから、触んないでって」

「煩いわねっ!!」

膳を放り投げて間を詰め、押し倒してきたルカに、ミクはのんびりと言う。下に組み敷かれた緊張感もない。

ルカは潤む瞳を瞬かせ、懸命に涙を払った。くちびるがわなわなと震える。

「どうして貴女は………っあたくしが、あたくしが、こんなに、こんなに…………っ」

「んくっ」

後は言葉にならず、ルカはミクのくちびるを自分のそれで塞いだ。激しく中を弄り、ついさっきまで食事を楽しんでいた口を味わう。

「っミクさん………ミクさん………っっ」

「っつつ」

狂おしく呼ばれながら掻き抱かれて、ミクは顔を歪めた。長い爪が、少女のやわらかな肌を抉っていく。

不自由な体をそれでもなんとか動かして、ミクは宥めるようにルカの背を叩いた。

「……………そんでもって、相変わらずルカちゃんは、ボクのことをアイシテル」

「くそぉっ」

「あはは」

吐き出される罵倒に、ミクは明るく笑う。乱れた着物で起き上がったルカは、そんなミクを憎々しげに見下ろした。

とても、アイシテル顔ではない。

だが、ルカは間違いなく、ミクを愛していた。愛し過ぎて、憎くなるほどに。傍にいることも耐えられずに、里を抜け出すほどに。

「よくものこのこと、あたくしの前に顔を出せたもんだわ。それも、仰々しいお供も連れずに、ひとりで。たとえ里から出て遊女なんてやってても、あたくしは鈍ってないわよ。貴女ひとりなら、勝つ見込みはある」

「ふぁ……っ」

首を撫でながらささやかれ、ミクは顔を歪めながらも、笑う。

「勝って、どうするの?」

「はっ」

無邪気な問いに、ルカは笑った。

「鎖に繋いで、座敷に閉じ込めてやるわ。そうして、ぼろぼろに腐り落ちるまで、丹念に可愛がって上げる。日がな一日、あたくしのことだけ考えて、あたくしの名前だけ呼んで、あたくしのためにだけ生きて」

熱っぽく言い、ルカは焦点の合わない瞳でミクを見つめた。

「あたくしだけのミクさんにする。あたくしだけの、あたくしのための!」

「あははっ」

調律の狂った声で吐き出される睦言に、ミクは明るく笑った。手を伸ばし、極限まで瞳を見開いたルカの頬を撫でる。

「ほんと、変わんないね。なんのために里を出たのさ。てかむしろ、びょーき進んじゃってない?」

やさしくささやくミクの瞳が、満足したねこのように細められる。

「ほんと、ボクの思うつぼだよ」

「ミクさん……っ」

「んん………っ」

熱っぽく名前を呼んだルカが、ミクへと体を沈める。熱いくちびるが肌を撫でて、ミクは軽く仰け反った。

そのときだ。

「お待ちください、英部様!!いけませ…っ」

「め、巡音?!!」

禿の上げる悲鳴とともに、座敷の襖が開かれ、ひっくり返った男の声が飛びこんで来た。

「ちっ……」

「な、なにをしておるのじゃ、そなた?!」

少年(少なくとも暗がりで見る限り)を押し倒しているルカに、男が悲鳴を上げる。

ルカの二つ名は、「赦さず」だ。

これまで、どんな男に対しても、指一本触れることを赦さなかった。

それが、まさか。

「禿!」

「ひっ、ご、ごめんなさ、ごめんなさ、姐さっ」

「ぁはは」

接客している花魁の座敷に、予約もない客を上げるなど失態中の失態だ。

ドスを利かせたルカの怒鳴り声に、禿は震え上がり、ミクは明るい笑い声を上げた。

「め、巡音、そなた……っく?!」

「きゃぁ?!」

座敷に上がりこんで来ようとした男が、突如その場に頽れる。禿が悲鳴を上げ、ルカははっとして、下に組み敷いたミクを見た。

ミクの手には、どこから出したのか、小石が握られている。

「大丈夫だよ。さすがにここで殺しはしない。ちょっと気絶してもらっただけ☆」

ほんの小さな石礫を投げて、男の咽喉を突いたらしい。一時的に気管が詰まり、男は気絶したのだ。

ルカが言葉を探すうちに、慌てた婆が用心棒たちを連れてやって来た。

倒れている男を見て蒼白になり、それからミクを押し倒したままのルカを見て、さらに瞳を見張った。

「……っ」

きり、とくちびるを噛むルカの首に、ミクが手を回す。軽く肌蹴られた着物もそのままに、うっそりと笑って、立ち尽くす見世の人間へと視線を投げた。

「さて、今宵、金を払ったのは誰かな?」

「……っ」

用心棒たちの足が竦み、禿が素直に後ろへと下がる。

す、と瞳を細めた婆だけが、廊下にさっと手をついた。ミクへと、深々頭を下げる。

「失礼いたしやんした。これ以上の失態はいたしやせん。どうぞごゆるりお愉しみなんし」

言うと、竦んだ用心棒の足を蹴飛ばす。我に返った用心棒たちに男の体は運ばれ、襖は元の通りに閉められた。

「………」

激情がどこかしらけ、ルカはミクから離れた。

素直に手を離して、しかし寝転がったまま、ミクは首を傾げる。

「あの男は?」

「大名のひとりよ。英部様。まあ、近々あの男に、あたくしの貞操も奪われるでしょうね。金の詰みが半端ないわ。これ以上はお婆もごねられないでしょうよ」

さばさばと言い切り、乱れた着物を軽く直す。寝転がったままのミクは肌を晒したまま仰け反って、閉じた襖を見やった。

「噂はほんと、ね………やっぱり、客として上がって良かったよ」

「ミクさん?」

小さ過ぎて聞き取れない言葉に、ルカが視線を流す。

ミクは微笑むと、立ち上がった。晒した肌を隠し、ずれたカツラを被り直す。

「……」

「一見めは触れないんでしょ?」

心細く揺れる瞳を向けたルカに、ミクは無邪気な笑みを向ける。手を伸ばすと、見上げるルカの顎を掴んだ。

「触っていいのは、何回目?」

「さんかい、め………」

近づいたくちびるから吐息がかかり、ルカは陶然となってつぶやく。ミクは笑みの形のくちびるをルカのそこに押しつけ、軽く触れただけで離れた。

咄嗟に追ってくる手を避けると、かわいらしく首を傾げ、手を振る。

「通うよ。三回ね。いい子にしていられる?」

「してるわ………っ」

反射で答え、ルカは自分の体を掻き抱いた。狂おしくミクを見つめ、瞳を潤ませる。

「貴女だけ、待ってる………待ってるわ、だから………っ」

「うん。またね」

軽く言い、ミクは座敷から出た。襖が閉じられ、その姿が見えなくなった瞬間、ルカの体が大きく震える。

喪失感はあまりに大きく、これ以上の別離は耐えられる気がしない。

それでも、里に帰ろうとは思えない。

里に帰って、お屋形として、大勢のために微笑む彼女を見ていたら、殺さずにはおれない。

自分のためだけに存在していない、誰かのための彼女は赦せない。

「…………っ」

里を出て、こうして離れて過ごして。

なにひとつ、変わることなどなかった。

なにひとつ、変えられなかった。

見開かれた瞳から滂沱と涙がこぼれていたが、ルカは自分でも、そのことに気がついていなかった。