シューケー、クドー語りて曰く-04-

カイトにとっては永遠にも近いほんのわずかな沈黙の間を挟み、がくぽは軽く身じろいだ。抱き込まれても首を傾げるようなしぐさをして、訝しい声でつぶやく。

「俺の、話………俺の話で、なんで内緒なんだ?」

「だって………っ!」

これまでの流れを忘れたのかと、カイトは涙声を上げた。ますますもってがくぽの頭を抱き込み、縋るように顔を寄せる。

「めーこが、ヘンな言い方するし………誤解されて、嫌われたらって、………ぐすっ!」

「変……………………」

今度落ちた沈黙は、先よりも長かった。まさしく永遠にも思えるほどで、緊張の只中にいるカイトは極まって、意識が飛びかけた。

幸いにしてカイトが意識を飛ばすより先に、がくぽが再び身じろいだ。もがいて、抱きしめて固まった腕の中から抜け出すと、ぼさっと乱れた頭を整えもせず、カイトを見据える。

「誤解されて嫌われるって、なにどういうこと?」

「ど……、って、だから………」

がくぽは最新型だ。思考の緻密さはもはや、人間と区別がつかないと言われる。旧型で、しかもおっとりしているために、頻繁に空気や行間が読めないカイトとは違う。

敏い。

言葉にされたこともされないことも、すべて読み取る。

――のに、この問いだ。

メイコは『弟ども』をからかうためにわざと、誤解を招くような言い方をしたのだ。話していたのは、『カイトが恋する相手』のことだと。

その流れで、話していたのはがくぽのことだと言えば、つまり『カイトががくぽに恋している』となりかねない。

同じ男で、ひとつ屋根の下に暮らす家族だ。しかもがくぽはカイトに気を赦しきっているのに、実は――

いくら鈍いと言われようが、空気を読めないと言われようが、これくらいのことはカイトにもわかる。

裏切られたと、がくぽがひどく傷つくだろうと。

誤解だが、それならば言わないほうがまだ、傷は浅かろうと思った。その考えがもっとも浅はかだったと、カイトにもわかる。

そう、カイトにもわかるのに、より以上に敏いがくぽの反応だ。

「ち、ちがう、のに………ぜんぜん、そんなんじゃ、ない、けど………がくぽが、………そう、いうふうに、……誤解した、らって………それで、きらわれたら、………どうしようって」

「……………」

どもりどもり言うカイトを見据えるがくぽの瞳はどんどん細くなり、宿す光は剣呑さを増していく。

とうとう言葉が消えたカイトから、がくぽは体を引いた。こわごわながらも目を離せずに顔を上げたカイトを、きろりと睨む。

「鈍い鈍いとは思っていたけど………わかっていたつもりだったけど。まさか、これほど………」

「が、くぽ………」

がくぽの機嫌がまたしても、ナナメを向いたことはカイトにもわかった。問題は、どちら方向のナナメ向きなのかがわからないことだ。

手を伸ばし、乱れた髪を梳いてやっても赦される方向なのか、それともひたすらに項垂れて謝罪をくり返すべき、ナナメなのか。

潤む瞳で懸命に見つめるカイトに、がくぽはずいっと顔を寄せた。

「カイト。俺が毎日まいにち、カイトの布団に潜りこんでやっていることを、なんだと思っていたそれだけじゃない。二人っきりのときに俺が強請るあれこれを、なんだと思って聞いていたの?」

「え………え?」

ゆっくりと噛んで含めるように訊かれたが、カイトには答えられなかった。

なんだと言われても、単に甘ったれな本性を見せて、甘えているのだろうと。なんてかわいらしいんだろうと――

言えば矜持の高いがくぽはきっと、さらに怒るだろう。

だからカイトは、じっと見つめるがくぽにただ、瞳を瞬かせる。

潤んで揺らぎ、今にもこぼれそうなカイトの瞳だ。そんなはずはないのに、舐めたら飴のように甘いだろうと――

「わかった。もういい」

答えられないでいる間に、がくぽは結論を拾い上げたらしい。吐き捨てると、体を起こした。

「いい。わかった。わかっていないことが、よくわかった、カイト」

「ぁ、の、がくぽ………」

突き放すように言われ、カイトはぐすりと洟を啜った。

ばかな逡巡のせいで感情がこじれ、とうとう嫌われたかもしれないと思う。

自業自得だが、悲しい。涙が堪えられる気がしないし、迷惑だろうとなんだろうと、縋りついて赦しを乞いたいほど、苦しい。

しかしカイトが思い余った行動を起こすより先に、がくぽがまたもずいっと、顔を寄せてきた。間近にカイトを覗きこむと、きゅっと眉をひそめる。

「かわいいは正義だ。畜生」

「が、くぽ………?」

思考が追いつけないカイトを、がくぽはばかにしたように瞳を眇めて見上げた。

「言って、カイト」

「ぁの」

「言って」

「……………」

ぐすんと洟を啜り、カイトは首を傾げた。

実のところ、今日だけではない。がくぽは頻繁に、カイトにこの言葉を言わせたがる。カイトにはなにが面白いのかわからないし、言う意味もわからない。

わかるのは、がくぽが納得するということだけだ。カイトが求められるままにこの言葉を言うと、がくぽは思考のどこかがすとんと、落ち着くらしい。

それにしても意味不明だが――

「か、わぃい、は………正義?」

「………」

なんとか言葉を絞り出したカイトを、がくぽは眇めた目で見ていた。

ややして険しかった表情が空白に落ちると、体を反す。ごろりと畳に伸びたがくぽは、カイトの膝に頭を乗せた。

「膝枕して」

「………」

――すでにしている。要求が後だ。

瞳を瞬かせたカイトは、膝の上にある重みをじっと見つめた。

ご機嫌が直りきったとは、言えないのだろう。瞼を落としたきれいな顔は、相変わらずしかめ気味だ。

首を傾げかしげ、しばらく眺めていただけのカイトだが、そっと手を上げた。乱れたままのがくぽの髪を、可能な限り梳いてやって、きれいに整えてやる。

手が触れた瞬間こそ、がくぽは閉じた瞼を痙攣させた。が、されるがまま抵抗も抗議もせず、表情からは徐々に険が取れていく。

「…………」

カイトはほっとして、さらに熱心にがくぽの髪を梳いた。

長い髪だが、元々癖があるわけでもなく、傷んでもいない。多少乱れても、すぐにきれいに整う。

しばらくは瞼を落としていたがくぽだが、カイトの手つきが落ち着いてくると、ゆっくり瞳を開いた。花色の瞳は揺らぐこともなく、静かではあっても力強さを宿してカイトを見つめる。

笑いもしなければ、緩みもしていない。そこにはまだ、蟠りがある。

あっても構わず、カイトは口を開いた。

「ぁ、の………ね。がくぽ、………がくぽのこと、好き、なのは、ほんとだよ……そういうのとは、ちがうけど………。憧れ、るし。だって、頭もよくって、かっこよくって………でも、すっごくすっごく、やさしくって………。俺、ね………もともと、『がくぽ』のシリーズって、ちょっと苦手だったんだけど………がくぽだけは、別。がくぽだけは、好き」

結論だけはきっぱり告げて、へにゃんと情けなく、笑う。

「……っていう話を、めーことミクに、してたの」

「ふん」

恥ずかしいでしょと、ほのかに頬を染めて告白するカイトに、がくぽは鼻を鳴らした。先までとは違う。上向く機嫌が見える。

ますますほっとしてやわらかになるカイトの手つきに、がくぽは瞳を細めた。横を向くと、カイトの膝にすりりと顔を擦りつける。だけでなく、突き進んで腹に顔を埋めると、甘える犬かねこのように、ぐりぐりと押し込んできた。

「んっ、がくぽ………っ」

がくぽは犬でもねこでもない。成人した男だ。力が強く、押しこんで来られると微妙に痛い。

加減はされているが、初めはどうしても痛い。そのうち満足すると力が抜け、今度はくすぐるようになって、それはそれで大変なカイトだが。

「ゃ、もぉ………っ」

「………ふん」

がくぽの頭を落とさないように、刺激しないようにと、懸命に堪えながらも結局、カイトの体はびくびくと跳ねる。

腹はくすぐったい。洋服越しであっても、だからこそか、余計にくすぐったい。くすぐったくてきゅうきゅうして、落ち着かずに足がもぞついてしまう。

「ん、ぁ、がくぽ………も、だめ………ねだめ………」

甘く啼きながら嘆願し、カイトは悪戯ながくぽの頭を軽く押さえた。野生の獣を宥めるようによしよしと撫でてやり、読めない感情を宿して見上げるがくぽへ、ほんのりと笑いかける。

「仕事で疲れてたのに、ごめんね……んと、今日の仕事は……」

「別に。上々だ」

がくぽの言葉は、素っ気ない。しかし未だ怒りを引きずっているわけではなく、大体いつも程度の素っ気なさだ。

普段は空気も気配も読まないカイトだが、このときだけは別だ。感覚を総動員してがくぽの様子を読み、本当に嫌なことがなかったかどうか、懸命に探る。

自分に対してだけは、我慢も遠慮もしないで欲しいと思う。

がくぽを甘やかして慰めることは、カイトにとって本当に愉しくて、うれしいことなのだ。だから――

「………がくぽって、いっぱい仕事請けるよね。暑くなったし……疲れとか、溜まってないこれまで通りみたいな働き方してると、熱暴走が起きやすくなるし……」

「そろそろ抑える。欲しいものは買えたし」

「欲しいもの?」

きょとんとしてつぶやき、カイトはがくぽを見つめた。腹に埋まってうまく見えないがくぽの表情を、それでも窺う。

いつもと変わらないが、しかし。

「欲しい、もの………?」

顔を上げ、カイトはがくぽの部屋を見回した。

『がらんどう』だ。

部屋に備え付けの収納は、カイトや他の家族には小さいが、きっちり片付けるがくぽにとっては『大容量』らしい。なんでもすべて、『きっちり』収めている。

もともと、物欲も乏しいがくぽだ。思いつくままに雑貨を買ってくるでもなし、衣装をこれでもかと集めるでもなし、持っているものの量も圧倒的に少ない。

思えば、どんな仕事でも請けて稼ぐことは稼ぐが、金遣いが荒いこともないがくぽだ。まさか貯金が趣味だと言われれば、言葉に詰まりながらも納得する。

そのがくぽの、欲しいもの。

「えなに?」

戸惑いながらも微妙に焦って訊いたカイトへ、がくぽは腹に半ば顔を埋めたまま、ちらりと視線だけ投げた。

「誕生日プレゼント」