「おまえはあたしの話をきいてたの?」

「………」

よくよく人のことを踏むのが好きな神だ。

寝台に横たわっていたがくぽは、ようやく痛みが引いてきた胸を遠慮なく踏まれ、さすがに恨みがましく思った。

確かに痛みには強いが、好きなわけではない――治るなら、早く治って欲しいというのに。

しょちぴるり

第1部-第8話

「あたしがなんていったか、おぼえてる、このばかちんが」

「………メイコ殿」

夜更けだ。木戸が腐り落ちた部屋は、常に窓が開け放された状態で、外から月明かりや星の光が差しこんで、そこそこ明るい。

そうはいっても、彼女がまとう鮮やかな色彩までが見えるほどではない。しかし振り上げた片足でがくぽの胸を踏むメイコからは、明々と燃え盛る炎が見えるようだった。

恨みがましさを出さないようにと気をつけながらも、がくぽは詰まる息に声を掠れさせる。

構うことなく胸に重みをかけ、メイコは身を屈ませた。

「カイトのそばに、ずっといなさいって、いったのよ。どんなとき、どんなところでも。いいこと、どんなとき、どんなとこでも、ずっといつも意味わかる、人間?!」

「………」

しつこくくり返されて、がくぽは瞳を見張った。

そうまで言われれば、わからざるを得ない。

そうでなくとも、メイコが捻じ込みに来た時間と場所、そして現状がなによりも雄弁に、彼女の言葉の意味を説いている。

踏まれて苦しい息の下、すぐには言葉を継げないがくぽに、メイコはくちびるを歪ませた。

「おまえに自由などないの、人間。生きているなら生きている時間のすべてを、カイトのためにささげなさい。そうよ、寝るときですらね。それがあたしがおまえに上げた『試練』!」

「………っ」

がくぽはこくりと息を呑みこみ、わずかに瞳を伏せる。

カイトとがくぽの寝る場所は別々だ。

がくぽは初めに連れて来られた神殿――住処の、寝台のある部屋。寝る時間まではカイトもここで過ごすが、いざ寝るとなると出て行く。

どこで寝ているのか、実際のところは知らないのだが――

「あの子がどこで寝ているか、しってる?」

「………っ」

痛いところを突かれて、がくぽはくちびるを引き結んだ。

守り役になれと言われて、確かに森の中を歩くのにはついて回っている。しかしもっとも無防備となる、寝場所のことをすっかり失念していた。

失格どころの話ではない。

己の失態に気がついたがくぽに、メイコはくちびるの両端を吊り上げ、笑い顔を作った――しかし暗闇にもあからさまにわかるほど、目が笑っていない。怒り狂っているとすら、言っていい。

胸の上の足に力を込め、メイコはゆっくりと言葉を吐き出した。

「そとよ。野っぱら。てきとーな花野で、てきとーに寝てるの、っ」

「っっ」

引きつった表情のがくぽが、メイコを跳ね除けて起き上がる。衝撃に束の間揺らいだメイコだったが、無様に倒れることはない。

がくぽはメイコに構うことなく、寝台から飛び降りて剣を掴み、出入り口に向かった。

風のように素早い動きに、メイコは瞳を細める。

「頭がワルそうだから、もう一度いうわ、人間。おまえに自由などないの。ほんのちょっとだってカイトから、はなれてはだめ。たとえ寝るときでも。おまえは生きて在るかぎり、気をぬいて寝ることすら、赦されないの!」

苛烈な命令に、がくぽは一瞬だけ振り返った。

腕を組んでふんぞり返るメイコを見つめる瞳に、感情はない。

「………承知」

低く短く答えて、外へと飛び出した。

見送ったメイコは、窓から外を見やる。姿は見えない。追えるのは、気配だけだ。

思わしげに眉をひそめ、爪先まできれいに整った指が、くちびるを撫でた。そのまま、がりりと爪が咬まれる。

「そう。ほんのちょっとだって、はなれてはだめ…………常にカイトのことを考え、カイトのことで頭を埋め、………そして、<しょちぴるり>におまえを刻みこむまで………決して、はなれては、だめ…………」

***

出たはいいが、森は広く、そして花野も多い。

住処の前で一瞬だけ途方に暮れたがくぽだったが、すぐに腹を括った。独特の呼吸法をくり返して、精神を研ぎ澄ませる。

数多のイクサにおいて、生き残れるのは剣の腕前だけが理由ではない。

複数ある選択肢の、もっとも有効な活路を真っ先に見つけられる勘の鋭さも併せ持って、初めて『歴戦』の名を戴くことが出来るようになる。

ほんのひとつでも選択を間違えば、命を失うのがイクサ。

そしてほんのわずかでも実行を躊躇えば、命永らえることがないのが、イクサ。

がくぽは人生のほとんどをイクサに生き、そして今ここに永らえている。

逸る心を鎮め、がくぽは一度、天を振り仰いだ。星が輝き、月が皓々と照らしている。

「導きを」

短く吐き捨てると、がくぽは迷いなく歩き始めた。

呼ばれるように体が向くほう、向くほうへ、立ち止まることなく進む。

そうして足が向かうままに辿りついたのは、がくぽが初めに連れ出された野辺だった。見渡しても、カイトの姿は視界に入らない。

だとしても迷うことなく、がくぽは野辺に踏み込んだ。

丈高い花が、日の昇る方向と逆らって不自然に蕾を垂らす、その場所に――

「………っ」

丈高い花に囲まれ、まるで傅かれ守られるようにして、いつもどおりに薄絹姿のカイトが無防備に横たわっていた。

しかし、それだけではない。見るからに子供と思しい、小さな影が傍に在る。

子供に見えても油断することなく、がくぽはすぐに抜けるように剣に手を掛け、歩を進めた。

「シっ」

「っとと!」

短い気迫とともに薙いだ剣を、影は身軽に避けた。

間近に見て、がくぽは瞳を細める。

少年だ。

ごく単純なつくりの貫頭衣は、この地方の子供独特の衣装だ。髪も、長いとも短いとも言えずに曖昧で、男でも女でも通る。

北の地方にあっては、十五歳で成年の儀を迎えるまでは、子供に男と女の別をつけないように育てるのだという。

その意味は定かではないが、地方によって容姿の成長度合いが微妙に違う子供たちの、年齢を計る基準にはなる。

少なくとも少年は、十五歳には達していないということだ。布地から突き出した手足などの骨組みは華奢で、まだ体が成長しきっていないとはっきりわかる。

これまでこの森で出会った中で、もっとも幼いと言えるだろう――人間としての年齢が、意味を持つならば、だが。

「イキナリ抜くかあ!」

「抜いてはいない」

飛びのいた少年は、怒る様子もなく愉しそうに言う。がくぽは油断することなく、鞘に入れたままの剣を掲げてみせた。

「ぶつかると痛いだけだ」

「おお、言うな、人間!」

妙に感心したように言ってから、少年は違うちがうと高速で片手を振った。

「いやいや、痛い思いさせてみなんで避けないのよ、痛いじゃないの、おばかって、俺がリンに怒られるし!」

「………」

がくぽはカイトを背後に庇うと、腰を落として少年と相対した。

少年だ。つまりは男。

カイトは言っていた――男ノ神はすべて追い出されたと。生まれたとしても追い出されるから、森にはいない。

森にいる男ノ神は、カイトだけだと。

つまり少年は、神ではない可能性がある。しかしがくぽを評して、『人間』という呼称を使った。

人間が人間に対して、『人間』と呼びかけることは、滅多にない。

人間に『人間』と呼びかけるのは、とりもなおさず、『人間』ではない証だ。

そして世界には、神と人間だけがいるわけではない。神ではないからといって、気を抜けるわけではない――下手をすると、神のほうがまだましだった場合もある。

対立の歴史から、顔を突き合わせると闘争に発展するが、基本的に神は無邪気で善良だ。対する人間のあくどさに、吐き気を覚えるほどに。

「何者か。なにをしていた」

低く端的な問いに、少年は軽く肩を竦めた。愉しそうな様子を崩すことはないままに、がくぽが背後に庇うカイトを指差す。

「イタズラしようとしてた」

「……」

「うっわ、本気の殺気?!東方の剣士の本気の殺気こわっ!!肌痛い!!びりびりする!!殺気でひとが殺せるって、ほんとなのか!!」

がくぽが迸らせた殺気に、少年は自分の体を抱いて震える。怖がっているようだが、どこか嘘くさい。莫迦にされているような気配がある。

がくぽは鞘から抜かないままに持っていた剣を、腰に戻した。鐔を反して、剣を抜く体勢に入る。

「あ、ヤる気満々だ。躊躇いがない。さすがだな!」

「感心してる場合じゃないでしょレンが斬られたら、リンまで痛いのよ!」

「っ」

ふざけたままに叫んだ少年の表情がくるりと反って、同じくちびるから少女の声が迸った。

同じ顔だというのに、間違いなく少女に見えるようになったそれは、さらに目を凝らせば未発達ではあっても、体つきまで少女となっている。

「……っ」

「あっははぁっ!」

戦慄するがくぽに、少女は少年とそっくりの顔で、愉しそうに笑った。悪戯が成功した子供ままに得意満面となると、無邪気に手を叩く。

「驚いたおどろいた?!リンとレンはねえ、双ツ神なのよ。一ツ体に、双ツ心と双ツ性と双ツ頭を持つ、異端の神。異端ゆえに時系から弾かれ、<神>の総意によって、存在を禁じられた神」

「………」

どこまでも愉しそうに、少女は語る。

がくぽは瞳を眇め、柄に手を掛けたまま、少女を観察した。

「………それで、その双ツ神は、なにをしていた」

油断することなく発された圧する声での問いに、少女は愛くるしく笑い、カイトを指差した。

「イタズラしようとしてた」

「………………」

「ぅっわ、ばっかじゃねえの、リン?!それさっき、俺がやったじゃんなんでおんなじネタ被せるんだよ!」

表情がくるりと反って、少年の声が叫ぶ。がくぽが遠慮なく向ける殺気に、じりじりと後ずさった。

その表情がまたも反って、少女が現れる。

「ばかって言ったら、言ったほうがばかなのよレンのばーかばーかばーか!!」

「んだよリンなんか三回も言ってんじゃんじゃあリンは、三倍ばかだなばーかばーかばーかばーか!!」

「んなによぉっ!!」

目が回るほどに忙しなく顔と体が入れ替わり、同じくちびるから少女の声と少年の声が代わる代わるに迸って、互いを罵り合う。

その罵倒の低次元さに、がくぽは頭痛を覚えた。

年端もいかないごく幼いきょうだい間での、おまえのかーちゃんデベソ合戦と同じにしか見えない。

確かに双ツ頭に双ツ心、そして双ツ性があるかもしれないが、罵り合う体はひとつで、どう考えても最終的には『自分』へと還るしかない罵倒だ。

異端だどうだ、イタズラだどうだと言われて、油断のならない神かと思えば、この有様。

いくらどうのこうのと言っても、所詮は神ということなのか。

肩を落としかけて、がくぽはふと戦慄し、剣の柄を握り直した。

カイトが起きない。

間近でこれだけの騒ぎをくり広げられているというのに、横たわる体は眠りこんだまま、微動だにしなかった。