賢者への贈り物
<ORACLE>は預けられるデータを、ただしまっていくだけの知の倉庫ではない。
<ORACLE>自体もさまざまなデータを独自に集積し、分析に掛けている。
加入者がいて初めて成り立つ運営会社だから、ユーザビリティやアクセシビリティについて常に検討し改善していく必要があるのだ。
さらには世界規模で展開し、さまざまな国と付き合っているから、それらの国の国勢や政治情勢を知っておかないと致命的なことにもなりかねない。
そのために集めるデータは、多岐に渡る。
すべてのデータを常時監視し、分析して即応出来ているのは、まさに<ORACLE>が世界一の演算能力を誇ると言われる由縁だろう。
とはいえ、<ORACLE>にも弱点はあった。
まだ稼働したばかりのため、こと対人に関するデータの分析に時折つまずくのだ。
「…?」
違和感に押されて、オラクルはカウンターから顔を上げた。
首を傾げて違和感の正体を探り、眉をひそめる。
ユーザとの通常交渉を任せている窓口システム、インターフェイスから警告が上がっている。
それも、ひとつふたつのことではない――複数の地域において、同じ現象が確認されている、と。
至急の対応を要する、と発される警告に、オラクルは仕掛中だった仕事をとりあえず脇に退けた。
「ふむ…?」
そうやってカウンターをきれいにしたうえで開いたいくつかのウィンドウ上に並べたデータを見比べ、オラクルは厳しい顔になった。
ここ数時間、ある一定地域からのアクセスの減少が著しい。こうして見ている今も、アクセス数は減っていく。
常態と比べてみれば、現在のアクセス数はおよそ半分――現状、歯止めもかからずに減っていっているのを見れば、確かに原因を突き止めないとアクセスゼロを記録しそうだ。
だが、該当地域のニュースを開いてみても、アクセスの減少に繋がるような大事故や大事件の報道はない。赦される限りの特権を用いて、伏せられている事柄がないかと政府ネットも調べてもみたが、徒労に終わった。
大規模な停電、サーバダウン、テロ………その他もろもろの原因となりそうな事柄は、なにも確認出来ない。
「んん………」
オラクルは渋面のまま、展開していたウィンドウを閉じる。
新たなウィンドウを呼び出すと、そこに映し出されるデータの分析に掛かった。
ややして、首を傾げてつぶやく。
「めりーくりすます………?よいくりすますを…………?」
見ていたのは、ユーザとインターフェイスが交わした会話の記録だ。
インターフェイスは、あくまでも定型文をくり返すだけのプログラムだ。ユーザが出したキィワードを拾い上げ、そこから求められていると思しいデータへと繋げるための。
時間に追われるユーザに対し、どれだけ正確で迅速に、求められるデータを供出できるか。
あからさまに加入者数へと跳ね返るサービスなだけに、<ORACLE>としては決して無視出来ない最重要項目だ。
そのために、会話のすべてを理解出来なくても、そこに頻出する単語や言い回しといったものはデータとして蓄積され、インターフェイスの改善へと繋げられる。
その会話記録の中に、ここ数時間のうちに頻出した単語が「くりすます」だ。
データを詳しく分類していくと、国も人種も言語も多岐に渡るというのに、なぜか一様に――。
「なんの符号なんだ?」
首を傾げて検索を掛けようとしたところで、オラクルははっとして顔を上げた。
巨大なデータが<ORACLE>に下りてくる――この信号は、間違いようもなく。
「よっす、たっでーま、オラクル」
「おかえり、オラトリオ」
束の間揺らいだ空間に、高速で組み立てられるCG。
現れたのはオラトリオ――<ORACLE>の頼もしい守護者で、『オラクル』の頼もしい相棒だ。
起動して一年にも満たない現状、オラトリオは、まだまだ頼もしいなんて言い切れねえよ、と腐すけれど。
渋面が一転して、自然と花が綻ぶように笑ったオラクルは立ち上がって彼を出迎え、ふと思いついた。
単純な知識量を言えば、オラクルのほうが断然多い。
だが、世事や最新のニュースやネットにも上げられないような極秘情報を持っているという点では、オラトリオのほうが圧倒的に優れる。
自分一人で闇雲に原因を探すより、ここに現れたが百年目、オラトリオも巻き込んでしまったほうが、確実かつ迅速に解決出来る。
「……うっわ、なんだ、その笑顔?!」
「なんのことだ?」
引きつった声を上げて仰け反るオラトリオに本気で首を傾げつつ、オラクルはふわりと浮かんでカウンターから出た。
「うぅ~わ~………」
「あのな、オラトリオ」
小さく悲鳴を上げながら後退さるオラトリオに構わず肉迫し、オラクルは無邪気な瞳で頼りになる守護者を見上げた。
「『めりーくりすます』って、なんだ?」
「は…………はぁっ?!」
ぎょ、と瞳を見張るオラトリオを囲むように、オラクルはいくつかのウィンドウを展開した。
「ヨーロッパを中心に、およそ五時間ほど前からアクセスが減少しているんだ。で、これが……」
「待て、オラクル!」
次々にデータを展開していくオラクルの肩を掴み、オラトリオはため息をついた。
「オラトリオ?」
無邪気に見上げる瞳になんとも言えない顔になって、首を振る。展開していたウィンドウのひとつを弾くと、オラクルの眼前にぴ、と人差し指を立てた。
「まずおまえは『クリスマス』を調べる。調べたら、このアラートマークを付けた地域の多数派宗教とカレンダーを照らし合わせる」
「『くりすます』……を」
素直にくり返して、オラクルは瞳を伏せた。纏う色が、ぱたぱたと明滅する。
ぞろりとオラトリオの背筋を這い登る圧迫感があり、オラクルが検索を稼働させたことがわかる。
ややして、夢見心地に彷徨ったオラクルの瞳が、ぱ、と見開かれた。
「クリスマス………ああ!『クリスマス』なのか!!」
「そうだよ。ったく」
快哉を叫んだオラクルに呆れたように応じたオラトリオは、しかしまだ甘かった。
「………………だから、なんなんだ?」
「っあああああああ!!」
真顔で問い返されて、オラトリオは天を仰いだ。きれいに撫でつけたダーティ・ブロンドを無残に掻き回す。
「クリスマスったらお祭りだろうが!一年の最後で最大のイベントだよ!こんな日に働きたいやつぁいねえんだよ!!」
叫ぶと、オラクルは不思議そうにきょとんとした。
「そう、なのか?」
「おまえはなにを調べたんだ!」
ぼやいて、オラトリオはいくつかウィンドウを展開した。世界各地のニュースソースから、クリスマスに関するものを選り出して並べる。
「ほら、祝祭ムード一色だろうが。こことここなんか紛争中だってのに、クリスマス期間だけは停戦するって協定まで結んでんだぜ」
「ああうん、そうなんだよな。このニュースは見たけど、意味がわからなかったんだ」
「それだけクリスマスってのは、ここらの地域の人間にとっちゃ重要なお祭りなんだよ。そのクリスマス当日に働いてるなんて、クレィジーそのものだ。働くやつが減少すれば、<ORACLE>へのアクセスだって当然減少する。でも祝いが終わればまた仕事をするから…」
「そうか………お祭り、かあ。そういえば人間って、お祭りの日がお休みの日だとか言ってたっけ」
「…」
オラトリオは天を仰いだ。
まったく間違っている、とは言えないが、合っているとも言い難い、微妙な知識だ。
『休日』の概念を一から説明しようかどうしようかと考える。説明する場合、ひどく煩雑になること請け合いだ。
「うわ、すっごい。きらきらぴかぴかだ!え、オラトリオ、これ、個人宅って書いてあるよ?!個人宅でもこんなに派手にきらぴかにするのか?!」
「…っん、ああ。……ああ、最近はイルミネーションはクリスマスの醍醐味みたいになってるからな。まあ、さすがにここまでのを個人宅でやるのはクレィジーって呼ばれるけどよ。どこの家でもクリスマスツリーくらいは、……」
オラクルが纏う色を派手に輝かせて見入るクリスマス・イルミネーション特集をいっしょに眺め、オラトリオは少し考えた。
休日の概念をきちんと教えるのは、また今度でいいだろう。
それよりも今は、『今』しか出来ないことをしたほうがいい。
「わあ、この小物とか、かわいいな…………ん?」
イルミネーション特集からフェア特集へと移り、愛らしい小物やご馳走に見入っていたオラクルは、ふと顔を上げた。
ぞろりと背筋を這い上がる圧迫感――オラトリオがなにか、重い計算をしている?
不思議そうに眺めていると、しばらく瞳を閉じていたオラトリオは、優雅に微笑んで天を指差した。
「?…って、つめたっ?!」
見遥かすことも出来ない、高い高い<ORACLE>の天井から、はらはらと舞い落ちてくる白いもの――はらはら、ひらひらと降る、冷たいそれは。
「やっぱクリスマスったら、雪が付きものだろ。あったけえとこも悪かないんだけどよ」
「ゆき……」
現実の雪とは違い、オラトリオが降らせた雪は積もることはない。束の間の冷たさとともに、接地するとともになにもなかったかのごとく消え失せる。
手のひらに受けても消えていく雪を飽かず眺めていたオラクルは、視界の端に瞬く光に瞳を見開いた。
振り返る、執務室の真ん中に。
「これ……」
「雪ばっか降ったって、寒いだけでおもしろくねえだろ。ツリーがなけりゃな」
<ORACLE>執務室内に忽然と現れたのは、華やかな飾りを施された、伝統的なクリスマスツリーだった。
青々と茂るモミの木に、りんごやキャンディ、ジンジャーマンクッキーを吊るし、そしてモールやライトで輝きを足す。
「で、まあ、このまんまだとアレなんで」
「え?っわ、なんだ?!」
見入っていたところを前触れもなく抱え上げられ、オラクルは慌ててオラトリオにしがみついた。
悠々とオラクルを運んだオラトリオは、来客用のソファへと腰掛ける。荷重の計算を忘れているために羽のように軽いオラクルを膝の上に下ろした。
「Light Down」
「っわ…っ」
命令とともに、執務室の明かりが落ちる。空間統括者である自分が意図しない暗闇に、オラクルは反射的にオラトリオにしがみついた。
「大丈夫だって。ほら、見てみろ」
「ん…」
促され、オラクルはこわごわと辺りを見渡す。
暗くなった執務室内を、仄かに照らすツリーのイルミネーション。
そこにちらちら舞い浮かぶ、雪片。
「……きれいだ…………すごい、オラトリオ…………!」
「まあな」
感嘆の声を上げて身を乗り出すオラクルに、オラトリオは笑った。
室内に雪が降る怪現象も、重厚な造りの執務室からは浮いてしまうツリーも、暗くしてしまえば誤魔化しが利く。
咄嗟の思いつきだけでやっているが、なかなかのものだ。
自画自賛するオラトリオの胸元を、ツリーに見入るオラクルがわずかに引っ張る。
「暗いし冷たいのに………なんだか、あったかい気がするな………」
「…」
オラトリオは瞳を細めた。
つぶやくオラクルの纏う色は、暗闇に仄かに輝いている。
夢見がちな表情と相俟って、そうでなくても現実感の薄い彼を夢幻世界の住人のように見せた。
「…………………あったけえココアとかかなあ」
重さのないからだを抱いてその肩に懐いたオラトリオのつぶやきに、オラクルがはたと我に返った顔になる。
乗り出していたからだを心持ち戻して首を傾げ、肩に懐くオラトリオを見下ろした。
「あったかいここあ………?」
知の巨人ではあっても、それはあくまでも学術的な意味においてだ。人間の暮らしにはまだまだ疎く、知らないことのほうが多いオラクルだ。
その欠けている部分を補ってくれるのが、彼が頼みにする守護者。
不思議そうな声音に、オラトリオはますますきつく、軽いからだを抱いた。
「今、飲みたいもん」
笑って言って、オラトリオはオラクルへとくちびるを寄せた。