反省し、学習し、成長しても、対処に余ることは出てくる。

「くっそ!!」

性格が壊れていても、上品揃いで知られる音井ブランドらしからぬ罵り声を上げ、オラトリオは侵入者を灼き払った。

Episode00-色は匂へと-03

反省は学習を促し、学習は成長を呼び、成長は対策を講じさせる。

ほんのわずかに灼き残した侵入者の一部が、こそりと逃げ出すのを横目に眺め、オラトリオは歯噛みした。

わざとだ。

完膚なきまでに灼き払えば、侵入者はコンピュータの前でブラックアウトした画面を前に、歯噛みするだろう。そしてまた、新たな手を講じて同じコンピュータから侵入をくり返す。

だが灼き残せば、侵入者は正しく侵入経路を辿って、巣へと引き上げる。

引き上げたくて引き上げているというより、そこまで潜りこんでしまった以上、簡単に接続を打ち切れないという事情がある。

接続などは失敗に気がついた時点で叩き切ったほうが安全だが、そうすれば侵入に使った自分のネットワークが無事には済まない。

まだ若く、経験が浅く、自分の腕に驕れば驕るほど、その傾向が出る。

まさか、それがわざと灼き残されたのだとは思わない。気配だけは感じる姿なき『電脳最強の守護者』に動きがないことを良しと見て、大慌てで引き上げる。

だから、わざとだ。

動きがないように見えるオラトリオがそもそも、擬装。

そこから動けないようなふりをして、実はオラトリオはすでに侵入者が辿ってきた道を辿り、幾重もの擬装を引き剥がして、間違いなく繋がっている侵入者のもとへ。

回線が叩き切られていない以上、その道を辿ることはオラトリオにとっては容易いこと。

そして、国単位だろうが、個人だろうが、オラトリオの講じた対策は変わらない。

コンピュータ・システムそのもののクラッシュ。

データバンクを塵となして、溜めこんだ情報の重要度も斟酌せず、ただ破砕し、滅殺する。

画面がブラックアウトするどころの話ではない。

証拠は残さない。

それこそ、ロボットとして、コンピュータ・プログラムとして、考え得るシミュレーションを厳密に行い、振るい落とし、さらにバージョンアップを重ねて。

「…こんなことばっかりうまくなりおって」

瞬間的に飛び出し、そして瞬間的に破砕を行って帰ってきたオラトリオを出迎えたのは、呆れ顔を隠そうともしない師匠、コードだ。

その背後には、常なら明るく輝く白亜の宮殿がそびえている。

だが、今あるのは、ただ闇だ。

反省し、学習し、いくら対策を練っても。

現実は、厳しい。

想定の上を行く事象などごろごろ転がっていて、そのたびに一から案を練り直す羽目になる。

そして、そうやって食った時間は思いきり反映されて。

「…くっそ……っ」

闇を睨み据え、オラトリオは小さく吐き出す。

その怒りは、システムダウンを起こした相棒に向けるものではない。

彼を追い込む卑劣の輩に、そして、絶対の信頼を抱かせてやれない、自分へ。

「…オラトリオ」

コードが名前を呼ぶ。

いつも、未熟者だの、卵の殻を被ったひよっこだの、好き勝手呼ぶ彼が。

「あれに悪気があるわけではない」

「そんなこと考えていやしませんよ」

庇うコードに、オラトリオは即座に返し、闇へ向かって足を踏み出した。

今頃、外側から人間が、<ORACLE>を復旧させるべく、手を尽くしていることだろう。

だが、それとこれとはまた別に、『オラクル』を起こさなければならない。

いくらシステムを回復させても、その管理統括を担うプログラムが引き篭もったままでは、<ORACLE>は運営出来ない。

人間だけで運営出来るレベルはとっくに超えて、それこそ<ORACLE>はオラクルとオラトリオという精密にして厳密なコンピュータ・プログラムで、ようやく正常運営出来ている状態なのだ。

なにもない基盤がうねって、オラトリオの足を呑みこむ。呑みこまれるに任せて、オラトリオは闇に沈みこんだ。

<ORACLE>内部へ。

相棒がひとり、うずくまっているだろう、その場所を探して。

***

「…ごめんね」

「別に」

胸に抱きこんだオラクルが、いつものやわらかさを取り戻した声でつぶやく。素っ気なく応えたオラトリオは、ますますきつくオラクルを抱きしめた。

だが、無駄だ。

腕の力など、関係ない。

ここは電脳で、相手はプログラムで。

「ありがとう、オラトリオ」

やわらかな声だけを残して、オラクルのからだが解け、収縮し、拡がって空間に消えていく。

闇が急速に蠢きだし、一度は崩壊した空間を再構成し直す。

「…」

存在を失って空虚になった腕を見つめ、オラトリオはただじっと、再構成が終わるのを待っていた。

まばゆい光が視界を埋め、かすかに目を眇めた一瞬に。

オラトリオは、いつもの執務室に立ち尽くす自分に気がつく。

反射的に目をやるカウンターの中に、常ならそこに座している主人の姿はない。

空間だけは構成し直しても、立ち直りきれない彼は、ひとり静かに傷の痛みに馴れるのを待つ。

相棒のオラトリオすら、頼ることなく。

頼ってくれ、と言いたい。

そのための相棒だ。

そのための守護者だ。

言いたいけれど、出会いからこちら、手酷く扱ってきた記憶が邪魔をして、なにを今さらと思えば咽喉が閉じて声にならない。

未練がましく執務室の中を見渡して、オラトリオはわずかに肩を落とす。

頼れなくしたのは自分で、甘えさせてやっていないのも自分だ。

彼はあんなにも鷹揚に自分を甘えさせ、気づかぬうちに頼らせているのに。

「…未熟、だ」

どれほど反省し、学習し、対策を講じても。

実際に、動きを取れなければ、それはなにも反省していないのと同じだ。学習の意味も、対策の意味もない。成長したなどとは言えない。

「また、来るから…?!」

つぶやき、去ろうとしたオラトリオの背中が、遠慮という言葉とは無縁の力で蹴り飛ばされた。

ひとのことをこういう蹴り方をする相手に、こころ当たりはひとりしかいない。

それも、油断していたとはいえ、背後を取れるとなれば。

「ししょ」

罵ろうと振り返ったオラトリオは、唖然として二の句が継げなくなった。

「そんなこと、天が赦してもおばあさまが赦しても、お兄様が赦しても、ついでにオラクル様が赦したって、このエルが赦さないのですわ!!」

そっくり返って憤然と叫び、それから、日ごろおしとやかさを売りにしている『彼女』は首を傾げた。

「…言いたいことはつまりそういうことですけれど、全部言ってしまうと、それはそれでリズムとか、語感とかが悪いものですわ。でも、どれもこれも省けませんし」

真剣に検討し出す。

どこまでもなにかがずれている彼女を行儀悪く指差し、オラトリオはようやく声を上げた。

「エモーション?!」

動揺しきった叫び声に、指差されたエモーションはその非礼を糺すこともなく、いつもどおり、にっこりと典雅な微笑みを浮かべる。

軽く足を引いてお辞儀すると、礼儀正しく名乗りを上げた。

「お久しゅう、オラトリオ様。お察しの通り、A-E<EMOTION>ELEMENTAL/ELECTRO‐ELECTRAでございます」

「あああ」

まさかエモーションに背後を取られたうえ、蹴りを入れられたとは思いたくない。

だが、どう気配を探っても、彼女の過保護な兄はいない。そうなると。

動揺するオラトリオをにっこり微笑んで見つめ、エモーションはたおやかな手を天へと振り上げた。

高らかな破裂音が鳴り響き、オラトリオの頬が張り飛ばされる。

容赦もなくオラトリオの頬を張り飛ばしたエモーションは、浮き上がったまま顔を合わせると、微笑みの中にあからさまな怒りを覗かせて、もはや呆然とするしかないオラトリオを見つめた。

「いつまでこんなことを続けるおつもりですの?!電脳最強の守護者の名が泣きましてよいいですか、エルはそんな頼りない方に、オラクル様を預けられるなんて考えたりはいたしません。お兄様と違って、わたくしはちょっと厳しいですわよ」

「…?!」

わけがわからないオラトリオに、エモーションはさっと手を振った。

「探しにお行きなさいオラクル様を貴方の大事と思うなら。何度拒絶されたって、何度跳ね返されたって、何度逃げられたって、追いかけ続けなさいその情理を解さないほど、オラクル様は薄情な方ではありません!」

「…」

憤然と言われ、オラトリオは回転の鈍っていた頭を働かせ始める。

彼女の言っていることは。

言いたいことは、つまり。

「早くぐずぐずしないそれとも」

「行きますいきますいきます!!」

叫ぶと、オラトリオは度重なる攻撃でずれたトルコ帽を被り直し、『鬼軍曹』と化しているエモーションを笑顔で見つめた。

「ありがとう」

どこか舌足らずな口調は、彼の隠れた相棒によく似ていた。

振り撒かれた無邪気な笑顔は、片割れにそっくりだった。

探査を掛けながら広大な空間を走り始めたオラトリオを見送り、エモーションはいからせていた肩を落とす。

いつものように典雅な微笑みを浮かべ、頭を下げた。

「幸運をお祈りしております、オラトリオ様。それから、オラクル様」

探査されるとは考えていないらしい相棒は、厳重に隠れたり封をしたりすることもなく、ひっそりと<ORACLE>の片隅に居た。

外に出ていくことが出来ない以上、どこかしらにいるしかなくても。

「…?」

それでも、オラトリオはわずかに首を傾げた。

探査の結果が、微妙に納得いかない。

適合率98パーセント。

なんだろう、この数字。

肝心要の<ORACLE>の管理人を探させて、見つけたと言って、適合率が百パーセントではなく、まったく合わないわけでもなく、この微妙にして半端な欠け具合。

まさか心身症にかかずらっている間の管理人は、正当な管理人とは認められないとか、そんな複雑怪奇な運用方針でもあるのか?

冗談混じりに考えて、それがあまりに自分が抱える不安と合ってしまって、舌打ちが漏れた。

「オラクル」

不安を吹き飛ばすために、声を上げる。

オラクルが潜む、物陰に向かって。

「オラクル…」

ここまで来て、臆しているのは愚かの骨頂だ。

オラトリオは無遠慮に物陰へと踏み込んだ。

「オラトリオ」

「…?!」

いつもより、かん高い声が応えた。

ような気がした。

さっと走らせた目の隅を、小さな影が慌てて駆けだしていく。

伊達の守護者ではない。ネズミ獲りは得意中の得意だ。

素早く手を伸ばし、影をつまみ上げる。

「「…なんで」」

異口同音に、言葉が漏れた。

そこで絶句してしまったオラトリオを、情けない顔のそれ……どう考えても、幼児にしか見えないプログラムは、かん高い声で詰った。

「なんで、探しに来ちゃうんだ。こんなの、見られたくなかったのに」

声はかん高く、常にも増して甘く、聞き覚えがないと言い張ることも可能だった。

姿は片手でつまみ上げられるほど小さく、全体にふっくら丸っこく、あまりにあどけない表情は、見覚えがないと言い張っても赦されただろう。

だが。

「……オラクル……」

つぶやきに、幼児がびくりと身を縮める。

オラトリオの厳正にして厳密なコンピュータ・アイは、その、情けない顔をした幼児のプログラムが、間違いなく、彼の相棒、探し人たるオラクルだと示していた。

「…道理で……」

いろいろなことに説明が行き渡り、新たな問題が発覚して、オラトリオは天を仰いでしばらく立ち尽くしていた。