「にょー!」
元気いっぱいマヌケな声が、電脳図書館の執務室に響き渡る。
My Lover is killed Me-07-
「まあ、すごいですわ、『オラトリオ』ちゃん!でんぐり返りまでできますのね!」
「そうだよ、すごいだろう」
歓声を上げるのはエモーションで、仕事の片手間に自慢するのはオラクルだ。
カウンターをエモーションに取られたオラトリオは、やはり仕事の片手間に師匠の暇つぶしに付き合い、囲碁の勝負中だ。
はしゃぐ声にソファの二人は一瞬、カウンターを見やったものの、すぐさま眼前の勝負へと意識を戻した。
といっても、オラトリオとコードでは普通に勝負にならない。演算力と情報集積力の違いが大きくものを言うからだ。
シグナル辺りが見たら唖然としそうな大人げないハンデのうえに、ようやく一瞬で勝敗が決さないでいる程度のものだ。
あくまで暇つぶしなのだ。
「にょにょっ」
「あら、わたくしでは不満ですのね?やっぱり、オラクル様のことが大好きなんですのねえ、『オラトリオ』ちゃんたら」
「すまないな、エモーション。人見知りする子じゃないんだけど」
「いえいえ、構いませんわ。やっぱり『オラトリオ』ちゃんは、オラクル様がいちばん好きなのが、いいですわ」
「はは」
エモーションのふわふわの胸から飛び出してオラクルの腕の中に飛びこんだ『オラトリオ』は、大事に受け止められて、どことなく自慢そうな顔だ。
「…ほんとぉーに、そっくりだなああ…」
「師匠、俺、あと三手で勝てますけど、どうします」
「俺様客人。もてなせ」
「そういう俺は、仕事中なんすけどねえ」
ぼやく口調で、オラトリオは詰みにならないように石を置く。
なんだかんだと偉そうなこの先輩は、ことゲームにおいて手を抜かれることに躊躇いがない。
何事にも全力投球のシグナルが見たら釈然としないだろうが、矜持が別の方向を向いているのだ。
「まあ、そんなことも出来ますの、『オラトリオ』ちゃんたら!」
「それだけじゃないよ。『オラトリオ』はとっても頭が良くって、かしこいんだから。それに、すっごく勇気があって、どんな強いモンスターにも負けないで向かっていくんだ。無敵なんだよ」
「にょにょんっ」
急ぎの仕事がないのだろう。オラクルは腕の中の『オラトリオ』を抱きしめて、それはそれはうれしそうに自慢する。
甘い声は腰がもぞもぞしそうなほど、その表情のしあわせそうなことといったら、このうえない。
オラトリオは感情過多なロボットプログラムだ。
「…おまえ今、素で間違えたろう、未熟者が」
「…」
計算して打った詰みにしないための置きではなく、完全に明後日な場所に石を置いたオラトリオは、コードの罵倒に素知らぬ顔で通した。
オラクルが話しているのは、育成ゲームのキャラクタの『オラトリオ』のことであって、自分のことではない。
それはわかっているが、同時に、あのキャラクタはオラトリオの反映でもあるのだ。
パラメータはオラクルが考えるオラトリオを基準にされていて、だから、オラクルが「頭がよくてとても賢い」、「すごく勇気があってどんな強いモンスターにも負けない」と褒めるのは、間接的には自分に対する評価。
つまり、キャラクタというファクターを通しての、盛大なのろけなのだ。
奥手で鈍いシグナルあたりなら、気がつくこともなく素直に聞き流したろうが、今ここにいるのはエモーションとコード、海千山千の先輩たちだ。
よくもまあ、このふたりに対してここまで臆面もなく、と感心もするし、そうまでして自慢したいくらい自分のことが好きなのかと思えば、今すぐ悶え転がりたいほどにうれしい。
「オラクル様、ほんとぉ~に、『オラトリオ』ちゃんのことが大好きですのねぇ」
無邪気を装いながらも内心、かなり下世話に悦んでいるエモーションに気づかず、オラクルは『オラトリオ』の旋毛にかわいいキスを落とした。
「うん、大好き」
「…っ」
秘伝の卓袱台返しならぬ、碁盤返しを起こしそうになってようやく堪え、しかし我慢が出来ずに、オラトリオはカウンターに飛んで行った。
エモーションが茶々を入れる隙もなく、オラクルの腕から『オラトリオ』を取り上げる。
「オラトリオ?」
きょとんと見上げる無垢な瞳に、オラトリオはカウンター越しにからだを乗り出した。
「それはだめだ!」
「…それ?」
鷲掴みにした手の中で、『オラトリオ』が盛大に抗議して暴れている。
きょときょとんとして見つめるオラクルに、オラトリオは牙を剥き出した。
「キスは俺だけ!おまえがキスしていいのは、俺だけなの!」
目をぱちくりさせたオラクルが、ぷ、と吹き出す。
「キスって。あんなの」
「あんなのでもどんなのでもだめったらだめだ!こいつは抱っこまで!」
駄々っ子そのままに言い張るオラトリオに、オラクルはくすくす笑う。
完全には譲りきれない独占欲が、心地いい。
「わかったわかった…キスはしない。もうしない。おまえだけだ。おまえだけ。ね?」
「よし」
首を傾げて宥められ、オラトリオは偉そうに頷いた。
オラクルのくちびるがはんなりと笑み、誘うように瞳が瞬く。
おまえだけ、だから。ね?
音にされない誘いに、オラトリオは素直に首を伸ばした。
やわらかで冷たい、オラクルのくちびる。中に入れば、心地よい熱が迎えてくれる。
虜にならずにおれない、その感触。
「…っ」
溺れこみそうになった一瞬に背筋に走った悪寒に、オラトリオは慌ててオラクルから飛び離れた。
今まで自分がいたあたりを、絶対零度の冷気が、凄まじい速さで撫でていく。
細雪だ。
「…そういや、いたっけ」
「ぬぁにが、いたっけじゃ、こぉのぴよぴよっこがぁああ…」
「きゃー、大変、オラトリオ様♪兄様、落ち着いてくださいませ~☆」
マヌケな声でつぶやいたオラトリオに、怨獄の主と化したコードが細雪を構えて応え、妙にはしゃいだエモーションが、言葉とは裏腹に事態を煽る。
「コード、<ORACLE>の物を壊したらおまえでも怒るぞ!」
「そうそう師匠、<ORACLE>で細雪はご法度ですぜ!」
悲鳴を上げるオラクルと、尻馬に乗って叫ぶオラトリオに、コードの口からあり得ざる冷気が吹き出した。
「黙りゃあっ、このぴよっこガーディアンが!一遍、その性根叩き直さんと気が済まん!斬られろ!」
「斬られたら一巻の終わりじゃねえっすか!」
ぶんぶんと振り回される細雪から逃げ惑いながら、オラトリオは手の中の『オラトリオ』をオラクルに投げた。
受け取ったオラクルは、この事態を招いた原因もわからずに、はらはらとふたりの攻防を見つめる。
弟妹に甘いコードが、ほんとうにはオラトリオを傷つけることなど出来ないことを、エモーションはわかっている。
そんなことをしたら、『弟』に取り返しのつかない傷をつくることになるのだから、絶対に出来ない。
それでもひと暴れしないと気が済まないあたり、複雑な兄ごころではある。
「どうしよう、エモーション!」
そこのところの機微を理解出来ない鈍い弟に泣きつかれて、エモーションはにっこり微笑んだ。
「だいじょうぶですわ、オラクル様♪だってオラトリオ様は、とっても賢くてとっても強い、オラクル様の無敵の守護者じゃありませんこと?」
END