ぴらりと目の前に閃く短冊。
「つうわけで達樹、お願いごとをしよう」
――俺にはたくさん願いごとがあるような気がするが、現状、もっとも切実な願いは。
さろん・ど・すたーらいと
「いいか、おまえの脳内で始まった話題を、一言も口に出すことなく、途中から人を巻き込むその癖をどうにかしろ」
「へ?」
聡はきょとんと眼を見張る。
「このだめジャ○アンがっ」
俺には「つうわけで」の繋がりが、どこから来たものかわからない。
そもそも今、なにをしていたかと言えば、家庭科室で家庭科の授業を受けていたところだ。
家庭科教師による本日の無茶ぶりは、ミシンを使ってのエプロン製作。およそこの無茶ぶりが、二週間ほど前から延々とくり返されている。
なんでこう、家庭科教師というものは、平然と無茶を振るんだ。それが教師の宿命とはいっても、家庭科教師の無茶ぶり具合は、度を越している。
片手でミシンの速度調整をしつつ、両手で布を押さえ、もう片手でスイッチの入り切りをする。見ろ、手が四本ないと扱いきれないミシンを、二本しかない俺たちに扱えと言うんだぞ。
ついでにその四本の手にはそれぞれ作業を監視する目と考える頭が必要で、つまり俺たちに求められているのは四面四臂。
なんの仏像に進化しろと!
苛々している最中の俺に対し、隣に座った聡は平然としている。勉強・運動となんでもこなすヒーロー体質のこいつは、家庭科にも小器用さを――発揮するわけではない。
聡は買ってきた布を好きな形に切ると、好きなように重ねてジグザグと縫い、新たなるボロ切れをつくり出して終わらせ、現在家庭科教師と抗争中だ。
「まあいいからさ、達樹。七夕のお願いごとしようよ」
「世界征服」
「ん?」
「世界征服して、家庭科を授業から失くしてやる…………っ」
「………」
聡は軽く天を仰いだ。
「追い込まれてんね、達樹さん」
「出来ないの嫌いなんだ」
「そうだね」
ゆえに図工も嫌いだ。
「というわけでとりあえず、高校三年間をきっちりと勉強し尽し、大学は最高学府に入学、そこで四年間経済と政治について突っ込んだところまで勉強し、それでも足りないようなら院に行ってさらに理解を深め、就職先は老い先長そうなベテラン議員の議員秘書、その後そいつの後釜と成って政界に打って出て」
「長いながいながい、達樹さん!視野が長期的なのにも程がある!!」
叫ぶ聡を、俺はきっと睨みつける。
「なにを言う。世界征服なんて、長期的視野で行動しないで成功すると思うのか」
「いや達樹さん、もう少しがっと行かないと、そのアイディアだと日本征服で一生が終わるから」
言われて、俺は視線をミシンに戻した。きりきりと睨みつけ、考え直す。
「だったらとりあえず、高校三年間をきっちりと勉強し尽したあと、国外の最高学府に入学、そこで二年間ほどで経済と政治を学び尽くしたあと、証券会社に入社し、株と先物の取引の極意を五年で身に着け、独立して開業し」
「だからなんでそう、ものすっごくこと細かに具体的かつ現実的で夢想家なの、達樹さん?!」
「そうだな、独立して開業するより有望な会社に就職したまま、陰からトレーダーとして」
「落ち着いて、達樹さん!それだと世界の経済は支配できるかもしれないけど、教育改革まで突っ込んだ政治の世界まで支配するのは難しいから!」
聡に反論され、俺はぐ、と布を握った。
世界征服も難しい………たかが世界征服も出来ないのか。そういう非力な俺だから、ミシンでエプロンをつくるのにも、こうまで苦戦するのか。
ため息をついた聡が、ぴらりと短冊を目の前にかざした。
「達樹、とりあえず、朝目が覚めたらエプロンが出来ていますようにって書いて、家の玄関に飾っておきなよ」
「そういうことをすると、母親に正座で説教を食らう」
その挙句に、母親の監視の下でエプロンつくりだ。説教を食らう時間が無駄かつ無意味だ。
きりきりと歯を食いしばる俺の背を、聡があやすように叩く。
「っていっても、いくらなんでも力み過ぎだって。もうちょっと力を抜かないと。力抜けば、かえってうまいこといくかもしれないしさ」
まったく力を入れずに、教師と抗争中のやつもいるな。
「………」
とはいえ確かに、聡の言うことにも一理ある。
小学校のころからの刷り込みで、俺は家庭科というとどうしても少し、構えて接するところがある。
最初から構えて力んでいると、余計に体が動かなくなるものだ。そうでなくても、器用さとは程遠いところにいるのだし。
目を閉じて、すうはあと深呼吸をした。
「よしよし」
聡が宥めるような声とともに、背中をぽんぽん叩く。子供扱いされる謂れはない。
ん?
「………おい」
「ん?」
「おまえは暇だ」
見据えて言うと、聡はぱちぱちと瞳を瞬かせた。
「………まあね。終わってるからね」
正確に言うと、終わってはいない。放り出した挙句、教師と真っ向勝負しているだけだ。
だがとりあえず、暇だ。
「手を貸せ」
「んえ?」
「後ろに立て」
「あい?」
きょとんとしつつ、聡は俺の後ろに立つ。なんだろう、と首を傾げているのを、腕を掴んで俺に伸し掛からせた。
「達樹?」
「よし、布を押さえろ。俺は速度調整とスイッチの入り切りに集中する」
「はい?」
まだまだ訳がわからなそうな聡の手を、ミシン台の上に誘い、布を押さえさせる。軽く視線だけ上にやって、聡を見た。
「布をまっすぐ送ることに集中しろよ。曲げたら殴る」
「うっわ、なんだこのアイディアマン」
ようやくわかった聡が、軽く天を仰ぐ。
「俺がまっすぐが苦手ってこと、わかって言ってる?」
「俺のためだ。やれ」
「うっわ、かっこいい!すげえかっこよく言い切られて、胸のときめきが止まらない!亭主関白な達樹さんて最高!出来ないことでもやらせていただきますって言うしかないよね!!」
言いながら、聡は布から手を離して俺を抱きしめる。
俺はその手をぺしぺしと叩いた。
「ふざけてるな。結構ひとりでロスしたから、時間がない」
「それはいいけど、俺に苦手なことをやらせる以上、なんか見返りはないの?」
「ちっ」
「舌打ち!しかしめげないよ!!なんのために俺が自分のを放り出したと思ってんの」
それはもちろん、やりたくないことは決してやらないという、間違った主義主張を押し通すためだ。
後ろから抱きしめられたまま、俺は聡の胸に頭を凭せ掛ける。しばらく考えて、頷いた。
「キスしてやる」
「微妙にしわいなー……」
「しなかったらキスするのを止める」
「まさかのセット販売!!」
叫んでから笑い、聡はミシン台へと手を伸ばした。
「しょうがないから折れてあげるよ。なにしろ愛する達樹さんのためだからね。それで達樹さんのゴキゲンが直るんだったら、まあ、いいってことにする」
「よし」
「でも速度ゆっくりね!!」
「わかってる」
やる気になった聡を背後に、俺はミシンのスイッチを入れた。速度をゆっくりにして、聡の手を見つめる。
初めはぎこちなかった聡の体が、半ばも過ぎると大分ほぐれて、俺の上に伸し掛かって来た。
「重い」
「地味に腰痛いって、この姿勢」
「じゃあ、適当なところで変わるか?」
「んや、いい。なんか楽しくなってきたし」
言葉通りだという証拠に、聡は鼻唄までこぼし始める。とんとん、と片足でリズムまで取って、ずいぶん調子がいい。
見ている限り、きちんと縫い線に沿ってまっすぐだ。
俺も少しだけ楽しくなって、聡の胸に凭れた。
うん、そうか。
「自分ひとりでやろうとするから、悪いんだな」
「ん?」
「おまえがいるんだから、おまえと二人でやればいいんだ、なんでも」
言って、笑いがこぼれた。
考えてみれば、すべての能力がほとんど、俺より上なのが聡だ。
悔しいことは悔しいが、聡は俺が求めれば、その力をすべて、俺に貸してくれる。
つまり、聡の力は俺のものも同然。
「うん」
「達樹さん?」
世界征服の案に、聡を組みこんでおこう。
そうしたらたぶん、俺一人では不可能と言われた案も、可能になるから。
短冊に願いごとを書くよりずっと、そっちのほうが、叶う可能性が高い。