長いながーい階段を上って、長いながーい………………………うん。
きれいな紅葉の中を歩いているから、たのしいことはたのしいんだけど……どうして階段かな。
山をめぐるように道をつくるんじゃ、だめなのかな。
三千里
それとも人間って、直線で階段上るほうが好きなの?
訊くと朔は、「僧侶というものは皆、被虐趣味なんだ」と答えた。つまり、好きってわけじゃないみたい。
で、朔いわく「人間の臨界点に挑戦している」階段を上りきると、目の前に、小さな門。
その奥には、きれいなお庭が広がる。さらに奥に、山の中腹に立っているには、大きなお寺。
俺たちの住む六所神社と、街を挟んで対に立つ山にあるお寺、鹿曜寺だ。
「ついた!」
「ああ。十六夜、とりあえず……」
「どうやって入ればいいのかな」
門の前で、お庭を眺めて首を傾げる。
耳もしっぽも、ぴりぴりして毛が逆立つ。このお山の主が、ちゃんと結界を張っている証拠だ。
主さんが、はいってもいーよって言ってくれないのに無理やり入ったら、ケンカ売ることになっちゃう。
なんでもこの山の主さんは、朔にとってはおかーさんみたいなひとだって言うから、ケンカは売りたくない。
「おそらく、大主のほうでこなたの気配に気がつくはずだから…………ああ、ほら」
朔が言う途中で、門の中の空間が揺らいだ。
揺らぎが収まると、門の前には黒髪に黒い瞳のおんなのひとが立っていた。
耳は垂れ気味の、鹿耳。
しっぽが着物からはみ出てないけど、鹿のしっぽって俺たちきつねと違っておしとやかなんだよね。着物の中におさまっちゃう。
おんなのひとは黒目がちの瞳を細めて、うれしそうに笑った。
「よう来たの、朔坊。それに………」
「久方ぶりだ、大主。これは俺の式神で、十六夜だ」
「十六夜です」
「ほ」
紹介されて軽く頭を下げると、おんなのひと、大主さんは大きく瞳を見張ってから頷いた。
「その様子ぢゃと、妾のことを覚えておらぬのぢゃな!」
「えっと…」
あー、やっぱり知り合いなんだ………そうだよね。俺が目を覚ました街の近くに立つ山の主だもん、ご近所さんだものね………。
俺は今、長いことお昼寝し過ぎたねぼけ状態で、いろいろ記憶がすっ飛んじゃってるんだよね………。
困って朔を見ると、手を伸ばして耳を掻いてくれる。だいじょうぶ、の証。
「ふゃ」
「ほっほっほ」
気持ちよさについ、目を細めると、大主さんがたのしそうな笑い声を上げた。
見ると、大きな瞳をきつねみたいに細くして、口元を着物の袂で上品に隠して、笑っている。
「良き哉良き哉。ぬしはそれくらいで良い。些事なんぞ、片環に任せておおき。あのぼんくらめは、それくらい平気で背負えるぢゃろうからの。ぬしのことも自身でやるより、余程上手いことやるぢゃろう」
「???」
「片環のことも覚えておらぬか。尚のこと、妾のことなぞ覚えていようはずもないの!」
言ってることがぜんぜんわかんないよ!
緊張に、耳としっぽがぴんと立つ。
朔がため息をついて、また俺の耳を掻いた。
「それより、大主。いつまで門前だ」
「ほっほ、これはこれは、失礼した」
大主さんは笑って、俺たちをたおやかに手招いた。
「お入り、朔坊、そして十六夜。鹿曜寺が主、旱がぬしらを歓迎する」
呼ばれて、ぴりぴり逆立っていた耳としっぽの毛が落ち着く。結界の主に赦された証拠だ。
朔の顔を見ると頷いてくれたので、俺はそろっと門の中に入る。
隣に並ぶと、大主さんは俺と朔を見上げ、また笑った。
「にしても、朔坊。一寸会わぬ間に、随分と甘えたに成ったようぢゃの?」
「あ!」
「え、そうなの?って、ちょっと朔!」
朔が慌てて、俺の胸を押す。俺も慌てて、朔を抱っこする手に力をこめた。
「危ないよ、落ちるでしょ!」
「いいから下ろせ!すっかり忘れてた!」
「なんで?!いいじゃない!」
「いいわけあるか!!」
「ほっほっほ」
朔があんまりにも暴れるんで、俺は仕方なく抱っこをあきらめた。
階段の半ばくらいでへばってきた朔を、俺は抱っこしてここまで運んできた。
俺が朔の式神ってこともあるけど、俺は朔のことを抱っこするの、すっごくすきなんだ。
お日さまのにおいとか、それ以外にもなんだかあまいにおいがして、とってもしあわせな気持ちになるから。
もう少し大きくなっちゃったら抱っこできなくなっちゃうから、今のうちだけ――なんだし、そんなにいやがらなくてもいいのに。
笑いながら、大主さんは手を打った。
「来やれ、黒点!」
「此処に」
大主さんのそばに膝をついたのは、真っ黒い髪と瞳、それに真っ黒い着物を着たおんなのひと。耳は大主さんと同じ、鹿耳。
おんなのひとはまず大主さんを見て、それから俺を見て、大きな目を見張る。
「これは……」
「黒点。此れは朔坊の式神、十六夜ぢゃ。良いな、十六夜ぢゃ。妾が客として歓待せよ」
「はっ」
大主さんに頭を下げてから、おんなのひとは地面に膝をついた、かしこまった姿勢のまま俺を見上げた。
「失礼仕りました、十六夜さま。身は黒点、鹿曜寺が日女さまの眷属に御座います。どうぞ良しなに」
「えっと、こんにちは………」
どうしよう。大主さんとは違う意味で、言ってることがわかんないかも!
おどおどする俺に大主さんはまた笑って、お寺を指差した。
「妾は奥で、茶の用意をしておるゆえな。ぬしら、黒点に足を洗うてお貰い。ではな、頼んだぞ、黒点」
「はっ」
頭を下げる黒子さんの頭を撫でてから、大主さんは俺を見上げた。
「歓迎するぞえ、十六夜」
「っ」
ぴりっと、なにか。
いやな感じじゃないんだけど、なにか………名前を呼ばれたときに。
確か、蝕に初めて面と向かって名前を呼ばれたときも、こんな感じで、ぴりっとした。
なんだかわからずに首を捻っている俺に構わず、大主さんは来たときと同じく空間を歪めて消えてしまう。
気配が落ち着くと、頭を垂れて見送っていた黒子さんは顔を上げて、きりっと俺を――朔を見た。
その顔が、ものすごく心配そうに歪む。
「如何したことだ、朔坊?!しばらくぶりに会うというのに、わずかも大きうなっておらぬではないか!きちんと飯を食わせて貰うておらぬのか。夜眠っておらぬのか?!まさか、六所の御方は……」
叫ぶ黒子さんに、朔はだんだん!と足を踏み鳴らした。
「わずかもってことがあるか!順調に成長してるわ!人間の成長速度ってもんを考えろ!だいたいにしてな、」
「人間は身らより余程早う、成人するものぞ。それがこうもちびたままとは…!」
「人の話を聞け、黒点!!ちびたままとか言うな!」
朔はいっしょけんめい叫んでいるけれど、なんか、黒子さんにはぜんぜん、届いていない感じ。
ぽかんとして見ている俺の前で、黒子さんはすっくと立ち上がった。
あ、意外と背が高い。俺とおんなじくらい。
そのまま、黒子さんは腰をかがめると、ずっと下にある朔の肩をつかんで頷いた。
「心配するな、朔坊。鹿曜寺に来たからには、ただでは帰しやせぬ。美味い飯をたらふく食わせてやって、きっと肥えらせてやるからの!」
おいしいもの?!肥える?!
「やった、朔!おいしいもの食べさせてくれるって!!朔、元気になるね!」
「待て、十六夜……っ」
うれしくなって言った俺に、朔は慌てた顔になる。
でも朔がなにか言うより先に、黒子さんが俺にずい、と顔を近づけた。
「なんと!朔坊は元気がないと?!これはますますもって、放ってはおかれぬ!まだ斯様な童べの時分から元気がないようでは、先々持たぬこと必定!」
「だよね、だよね、だよね?!心配だよね!!」
「左様で御座いますとも、十六夜さま!どうぞ、身どもにお任せ下され。必ずや朔坊に精をつけさせてみせまする!そしてゆくゆくは、上背ある逞しきもののふに!!」
「うんうんうんうん!!」
「ちょ、待て、こら!」
朔が下のほうでなんか叫んでいるけれど、俺と黒子さんは構わず、がっしりと手を握って頷き合った。
「そうとなれば、こうしてはおれませぬ。日女さまに申し上げて、茶ではなくがっつりと飯を!」
「お肉ね!」
「勿論に御座います。精がつくと評判の、鹿曜寺がしかにくを!」
「よろしくね!」
「はっ、お任せあれ!!」
力強く頷いた黒子さんが、お寺へと駆け戻っていく。俺はほくほくしてその背を見送った。
「っから、ちょっと待てぇえええ!この間会ったのは三月前だろうが!!たかが三月で人間が劇的に成長するかぁあああ!!」
朔がなにか叫んでいたけど、よく意味がわからなかった。