その独占欲の理由は、なんなのだろう。
りぃんりん-松虫編
「マツッ!マツッッ!!」
昼休みの教室は、騒がしい。
その騒がしい教室の中でも、さらに一際大きな声で呼ばれて、私は口を噤む。
呼んでいるのは、スズだ。
「マーツッ!」
「………呼んでるよ、マツちゃん」
「そうね」
おしゃべりをしていた友人に遠慮がちに促されて、私は特に感興も覚えずに頷く。
よくあることだ。
私が誰か、クラスメイトとおしゃべりをしているときに、スズに呼ばれることは。
そういうときは大抵、スズの周りにもスズの『お友達』がいる。ギャル系と呼ばれるスズと同じような格好をした、いわば同類のお友達が。
そんなところに、髪も制服も一切弄っていない、まったく異質な私を呼びつけるというのは――
「………だいじょうぶ、マツちゃん?」
さらに小さな声でぽつりと訊かれて、私は思わず微笑んだ。
中学からの付き合いであるスズは、ギャル系と呼ばれる見た目だ。
髪を染めて、爪は常にきれいにコーティングし、化粧も欠かさない。
ブラウスのボタンが上まできちんと留まっていたことはないし、スカートはちょっと風に煽られれば、すぐに下着が覗きそうな短さだ。
風紀委員や生徒指導の先生との追いかけっこは、日常。
ただスズは、『あいつらたぶん、あたしのことスキなんだよ。もう、ストーカーレベルで』と笑って評するだけだけれど。
対して私はというと、髪にはカラーもパーマも入れずに、黒髪をそのまますとんと伸ばしただけ。爪は伸び過ぎた部分を切り落とすくらいで、制服は常に校則通りにきちんと着ている。
そのうえ、あまり積極的に物事に関わろうとする性格でもなく、周囲からはとてもおとなしいと言われている。
そのせいで、的外れな心配をされることも多い。
つまり、スズが私を虐めているのではないか、と。
クラスメイトの大半は見て見ぬふりをしているし、教師もこういった問題に関わることを非常に厭う。
だから表立ってはっきりと、訊かれることも少ない。
それでもこうやって仲の良い相手には、それとなく探りを入れられる。大丈夫?と。
教師は知らぬ存ぜぬで押し通したいらしいけれど、生徒がやっている風紀委員も、たまにそれとなく、探りを入れてくる。
すべて的外れで、まったく事実に即していないのだけど――
ただ、こうして気にかけてくれるひとがいることは、いいことだと思う。
本当に『そうなった』ときに、傍にいてくれるかどうかは、別としても。
たぶん、この時点でまったく声をかけてもらえないよりは、遥かに。
「マツッ!!」
だんだん、スズの声もヒステリックになってくる。
窓際に集まったスズとご同類のお友達のグループと、私とを見比べて、おしゃべりをしていた友人は微妙な表情でくちびるを引き結んだ。
私は立ち上がりながら、彼女に笑いかける。
「大丈夫よ。――ごめんなさい、あとでまた」
言い置くと、応えを待つことなく身を翻し、窓際のスズのもとに行く。
「おっそいじゃん、マツッ!」
「なぁに?」
軽く詰るようには言われたものの、私は謝らない。
今日の昼休み、私は特にスズと約束をしていない。おしゃべりの途中で突然に呼びつけたのはスズで、そこに私の非は介在しない。
用があるなら、本来はスズのほうから私のところに来るべきだ。
用があるなら。
「なぁにってか」
私が見つめるのは、スズだけだ。彼女の周りで、笑いながら私とスズを見比べているお友達のことは、見ない。
一瞬口ごもったスズだけど、すぐに笑った。多少、意地悪く。
「べっつに、用はないよ。あたしが呼んだら、マツってどれくらいで来るのかって、計っただけだから」
吐き出される言葉。
重なるように、爆発する笑い声。
それはイジメだよスズと、げらげら笑うお友達たちに、スズも笑い返す。
「イジメじゃないって!こんなの、イジメなわけないじゃん!!ただ呼んだだけなんだし!」
――まあ確かに、これを虐めと定義することは、難しい。
他の誰かならともかく、相手はスズだ。
スズは私が他のクラスメイトとおしゃべりをしていると、頻繁に呼びつける。
自分も別の友達とおしゃべりをしたりしていたのに、突然に、脈絡もなく。
そしてそういうときに、用事らしい用事があったことなど、一度もない。
いわゆる、『パシリ』とされるために呼ばれるわけでもなく、ただスズは私を傍に呼ぶ。
私個人の友人から私を引き離し、自分の傍に。
大抵、理由などないと先に告げて、でも来た以上はいいからとかなんとか続けて、そのまま自分の手元に置いておきたがる。
スズと、スズの友人のおしゃべりの中に。
そんなところに置かれても、私に共通の話題もないし、興味のあることもない。
けれどスズは私が席を立つことを妨げるように、なんだかんだとずっと話題を振ってくる。
そうやって、時間を潰して――
それはたぶん、スズの独占欲だ。私に対する。
どういった理由からかは知らないけれど、確かに言い切れる。
スズの、私への独占欲だと。
「………どれくらいの時間だったの」
笑うスズたちに混ざることなく、私は静かに訊く。
スズは多少気まずそうに笑いを引っこめて、けれどくちびるだけは歪めたまま、肩を竦めた。
「四〇秒ってとこかな」
「そう」
あくまでも静かに応えた私に、スズはわずかに身を屈めた。媚びるような上目遣いになって、私を見つめる。
「怒った、マツ?でも、これくらいのこと」
「満足した?」
「………」
笑い返すこともなく重ねて訊いた私に、スズは体を引いた。
媚びる笑みに歪んでいたくちびるが拗ねて尖って、揺らぐ瞳は甘えを含んで私を睨んだ。
「したよ」
不機嫌に吐き出してから、一転、声音は媚びを帯びる。肩を竦めて、スズは続けた。
「あーあ、もう……あたしが悪かったってんでしょ?イキナリ呼びつけてさ、マツの都合とかお構いなしで。でもさ、別に………」
「満足したならいいわ」
「マツ?え、ま……………っ」
謝罪と言い訳と開き直りをいっしょに紡いでいたマツの言葉が、中途半端に途切れる。
途切れさせたのは、私。
拗ねて尖る、ルージュの塗られたくちびるに、そっと私のくちびるを押しつけて。
触れるだけ、それもほんの一瞬で離れて、私は呆然とするスズを見下ろす。
自然と、微笑みが浮かんだ。
「四〇秒でも、私が来たら満足できるのね、スズ。ならば次は、一分かけることにするわ」
言い置くと、私はスズの反応も待つことなく、身を翻した。
自分の席には戻らず、教室から出る。
「ま………っ!!」
叫ぶスズの声が聞こえたけれど、私は無視した。
次は一分とは言ったけれど、今回の呼びつけに応える気は、そもそもない。
この赤い顔を、どうにか落ち着けてからでなければ――
「………スズ」
名前を紡ぐくちびるを、私はそっと撫でた。
ファーストキスだった。
片思いでも、騙し討ちでも、ファーストキスを好きなひとに上げられた。
片思いで騙し討ちで、――永遠に叶うことのない、思い出にするしかない、好きなひとだけれど。
同性の友人のファーストキスなんて、望まれるはずがない。
だからそんなことは、絶対に言わないけれど――
「………あと、十分ちょっと」
廊下を歩きながら腕時計を見てつぶやいて、私は洟を啜った。
昼休みが終わって午後の授業が始まるまで、あと十分少々だ。
赤い顔が十分で治まったとしても、意味もないこの涙は、十分で治められるだろうか――