この独占欲の理由は、なんなのだろう。

りぃんりん-鈴虫編

同じ教室にいる。

同じ教室にいるけど、別々の席、別々のトモダチと、別々のおしゃべりをしている。

あたしだって、周囲の席に適当に座って、くだらない話をしてずっと、盛り上がってるナカマがいる。

あたしの世界には、マツしかいないわけじゃない。

でも、それでも――

「っぁあもう、ムリっ」

舌打ちしながらつぶやいて、あたしはダベっていたナカマから顔を逸らした。

昼休みの教室。

てんでんばらばらに動き回るクラスの連中に時に遮られながらも、ずっとちらちらと視線を投げていたマツに、完全に体を向けた。

「マツッマツッッ!!」

呼ぶ――叫ぶ。

あたしに背中を向けてクラスメイトとおしゃべりをしていたマツは、軽く振り返った。顔が見えるほどじゃない。

本当に軽く、視線を投げた程度。

マツは、おとなしい。

教室のちょっと離れたところから大声で呼ばれたときに、座っている今の席から、『なに?!』と叫び返したりはしない。

必ず席を立って目の前に来て、ちょこんと首を傾げて訊く。

『なぁに』と。

大きな声が出ないわけじゃないらしいけど、教室で大声を張り上げることはない。

傍にいるナカマと話すのでさえ、大声を張り上げているあたしとは、まったく違うマツ。

違うのは、声の大きさだけじゃない。見た目だって、全然違う。

いわゆるギャル系に分類される、全身化粧コーティングにアレンジ万全のあたしに対し、マツはいっそ天然記念物に指定したいほど、なにも弄ってない。

長い黒髪にはカラーもパーマも入れたことがなく、爪は伸びたところを切るだけ。

制服のブラウスが首まで留まってるのはいい。でもスカート丈を一ミリも弄ってないなんていうのは、いくらなんでも高校生にもなったら、マツくらいだ。

そのうえでおとなしい性格だから、あたしのシンユウだなんて、いくら説明したって誰も理解してくれない。

都合よく使ってるだけだろうとか、そう耳触りのいい言葉で騙して、イジメてるんだろうとか――

「ぅっわ、出た、スズのマツ病ッ」

「ジャンキー、ジャンキーマツジャン!」

話の脈絡関係なく、唐突にマツを呼び出したあたしに、周囲のナカマが笑う。どれくらい本気の『笑い』かはわからないけど、あたしは気にしない。

どうでもいい。

マツ以外に、どう思われてても。

「マツッ!!」

けたたましく呼び続けていると、マツはようやくクラスメイトとのおしゃべりを打ち切って席を立ち、あたしの前に来た。

「おっそいじゃん、マツッ!」

笑いもせず、だからといって怒った様子もなく、マツは詰るあたしを見た。

「なぁに?」

「なぁにってか」

――いつもの問いかけに安心しながらも、不安がある。

中学からの付き合いなのに、あたしにはマツがなにを考えてるのか、未だにわからない。

あたしはシンユウだって言い張るけど、マツからシンユウだって言ってもらえたことはないし、――

マツは正確にはおとなし系っていうより、ちょっとデンパ入ってるとこがある。

だからなおさら、なにを考えてるのかがわからない。

嫌悪感を示されない代わりに好意も見えづらいから、わからなくて不安で、あたしはつい、マツを試すようなことをする。

他の誰かとおしゃべりしたり笑ってたり、仲良くする様子を見ると、邪魔してしまう。

邪魔しても、マツが怒ったりしないか――マツがどんなときでも、誰が相手でも、必ずあたしを最優先にしてくれるか。

それはたぶん、独占欲なんだけど――マツからあたしに、独占欲を示してはくれないから。

あたしの独占欲は、どんどんエスカレートして。

「べっつに、用はないよ。あたしが呼んだら、マツってどれくらいで来るのかって、計っただけだから」

苦しい言い訳を吐き出したあたしにマツが応えるより先に、周囲から爆笑が沸き起こった。

さっきまでダベってた、あたしのナカマだ。

「それはイジメだよ、スズッ!」

「イジメ、カッチョワルイッ!!」

からかうようにあたしを詰りながら、腹を抱えて、あるいは机を叩いてげらげらと笑う。

「イジメじゃないってこんなの、イジメなわけないじゃん!!ただ呼んだだけなんだし!」

あたしも合わせてバカみたいに笑いながら、マツの反応を窺う。

イジメじゃない――イジメじゃない。

誰に説明しても絶対に信じてくれないけど、マツはあたしの唯一のシンユウだ。唯一絶対に、心からシンユウって呼ぶ相手だ。

誰も――マツですら、信じてくれてないとしても。

ちらりと窺ったマツは、表情ひとつ変えてなかった。薄めの肉づきのくちびるが歪むことも、いつも夢見がちに茫洋としている瞳が揺らぐこともない。

「………どれくらいの時間だったの」

媚びて笑いに混ざることもなく、マツは静かに静かに問いを落とした。

付き合いが悪い。たぶん、そういう空気。

マツはほかのおとなし系みたいに、あたしらと話すときに無理やりに空気を合わせようとしない。自分ペースを一切崩すことがないから、空気が読めないと罵られることも多い。

それでもマツは気にしない。全然、気にしない――

「四〇秒ってとこかな」

「そう」

「怒った、マツでも、これくらいのこと」

気まずく笑いを治めて連ねる、あたしの言い訳の言葉に重ねるように、マツは即座に問いを落とした。

「満足した?」

――ケンカ売ってんの?

相手がマツでなければ、そう言い返してる。

あたしが悪いとわかってても、そんな訊かれ方はムカつくから、言い返す。

マツが相手でも、多少はムカついた。

ムカついたけどそれより怖いのは、答えによってはマツがあたしを見限るんじゃないかってこと。見限って、嫌いになるんじゃないかっていうほう。

ムカっと、しきれない。怖くて、下腹がぞわぞわする。

もし嫌われたら、見限られたら――

「したよ。あーあ、もう……あたしが悪かったってんでしょイキナリ呼びつけてさ、マツの都合とかお構いなしで。でもさ、別に………」

不安から口早に吐きこぼす、思考の空転の産物で意味もないあたしの言葉は、中途半端に途切れた。

「満足したならいいわ」

謝罪になってない謝罪もふて腐れた言い訳も、あたしの言葉の一切に聞く耳を持たずに――

きっぱりと言い切ったマツが腰を屈めて、椅子に座るあたしに顔を寄せた。

「ま………っ?!」

意味のない言葉しか紡がないあたしのくちびるに、やわらかなものが触れる。

今さら、なんだこれはとか言い出すようなあたしじゃない。

すでに処女だって捨てて久しいし、今はちょっと、この間別れたばっかりだからフリーだけど、基本的にオトコが切れたこともないし。

だから今さら、くちびるにちょんって触れ合うくらいのキスで、どうのこうのと――

あたしは、だ。

あたしは!

呆然として見入ったまま、声が出ないあたしから離れたマツは、にっこりと笑った。

「四〇秒でも、私が来たら満足できるのね、スズ。ならば次は、一分かけることにするわ」

いつもと変わらない声音で言うと、あたしの応えを待つこともなく、さっと身を翻した。

自分の席には戻らずに、伸びた背中が颯爽と、教室から出て行く――

「ま………っ!」

呼び止めようとして、でも、続けられなかった。

「――さすがに今回は、怒ったんじゃないのー、まっちゃんも」

「アンタちょっと、まっちゃん好きにしても、やり過ぎだし」

ぼそっとつぶやかれたナカマの言葉が、あたしの不安を全部言い表してる。

けど今、それ以上にいちばん、問題なのは――

これが、マツのファーストキスだってことだ。

こんなちょんってぶつかるだけのやつ、数に入れないのはあたしだ。あたしや、あたしのナカマだ。

でも、マツは違う。

マツは違う――こんなものでも、十分ファーストキスになる。

マツの大事なだいじなファーストキスなのに、こんな、なんだかわかんないことで、あたしなんかに。

しかもマツのファーストキスを奪ったと意識した、あたしのバカな下半身ときたら――

「………マツ……ッッ」

立ち上がれない。

立ち直れない。

あたしは机に突っ伏して、頭を抱えた。