香具夜-01
川原の土手に、香具夜が白い足を無防備にむき出しにして寝転んでいた。
十一月、秋も晩秋だ。晴れていても空気が冷たい。夕方ともなれば、コートを着ていても思わず身震いするような季節だ。
だが香具夜は季節をまったく無視して、セーラー服一枚でコートも被らず、生気の抜けた茶色い草の残骸に覆われた川原に横たわっていた。
膝丈のスカートから、細い足がぬっと突き出ている。その生白い足は途中から、現実感の希薄な白い色のソックスをまとっているが、そのことがかえって痩せた足の肉感を増しているようだった。
少女らしくなく豊かにふくらんだ胸が、規則正しく上下している。
香具夜は生きている。生きて、呼吸をしている。
「なにしてるの」
訊ねたぼくに、香具夜は閉じていたまぶたをそっと開いた。だが、ぼくを見るわけではない。その黒い瞳は、暮れかけの儚い炎の色に揺らめく空を見つめていた。
「世界が侵食してゆく速度と、わたしの生きる速度の、どちらがはやいのかを計っていたの」
香具夜の声は明瞭だが、その感覚は電波だ。ぼくには図れない世界に住んでいる。
ぼくは香具夜のとなりまで、ひとに馴れた野良犬に近づくように降りていき、座った。暮れ色の暗い川が、足元をちょろちょろと流れている。
夏、この川で泳ぐ蛇を見た。
小さな蛇は水流に流されもせず、滝登りをする鯉か、卵を産もうとする鮭のように、上流へと向かってゆっくり、泳いでいた。
あの蛇がなにをしたかったのかわからないように、ぼくはこの香具夜がなにをしたいのか、わからない。
「それで」
問いを重ねたぼくに、香具夜は小さく息をついた。安堵のため息のようだった。長い睫毛が、潤んで茫洋と輝く黒い瞳を覆い隠す。
「わたしの生きる速度のほうが、少しはやいみたい。世界が侵食し終わるまえに、私は生き終わるわ」
答えてから、香具夜はぼくを見た。香具夜を見もせず、記憶のなかの蛇を川に泳がせているぼくを。
「せいちゃんは?せいちゃんの世界は、どっちがはやいの」
訊かれて、ぼくは肩をすくめた。
「世界かな」
香具夜は、世界は『うつくしい絶望』でできていると考えている。
世界には絶望があふれているが、それはとてもうつくしいもので、だからひとは魅了されて、絶望から離れることができない、と。
ぼくはその考えをナンセンスだと考えている。
世界が単一のものからできているなんて考えていないからだし、うつくしいだけとも、絶望だけとも、その両方が兼ね備わったものだとも考えていないからだ。
そもそも、絶望はちっともうつくしくない。
絶望は、醜悪で、滑稽で、できの悪い喜劇そのものだ。
本人たちが真剣になればなるほど、滑稽さは増し、やがてはあまりのくだらなさに感興も醒める。
そして、世界を感じることをやめる。
涙も悪態も尽きた心で、遠くの景色を眺めるように、ぼんやりと日々を過ごすようになる。
電車の窓から、流れる景色をただ茫洋と眺めるように。
香具夜が、世界を『うつくしい絶望』でできていると感じるのは、だから、絶望というものをほんとうには知らないからなんだろう。
絶望なんかしたことがないから、世界を『うつくしい』と、『絶望』だと表現するのだ。
だいたいにして、香具夜に、絶望するほどの感情があるとも思えない。
香具夜はまさに絶望的なまでに茫洋とした頭の持ち主で、昔からとろくさく、なにかが決定的に足りない子どもだった。
いつも考えているのは、ひとに伝わることのない、電波的ななにか。
「それじゃあ、せいちゃんは、いつか世界に侵食されてそれで消えるのね」
香具夜がぼんやりとつぶやく。また瞳を閉じた。胸が上下する。
呼吸をしている。だから香具夜は生きている。
執拗に考える自分を少し嘲笑いながら、ぼくは今朝のことを思い返す。