鷹秋が勤めている『設楽綜合警備保障』が、極道である設楽組のフロント企業であるということは、業界では有名な話だった。
だがそれだけなら、別に珍しくもない。
設楽綜合警備保障が密やかに噂になり続けるのは、そこの警備員から事務からすべて、社員一人残らずが、設楽組の構成員だという、珍しい以上に有り得ない事態のせいだ。
鷹秋さんの事情
確かに極道の構成員であっても、事務能力に優れているものはいるし、少し訓練してやれば警備員として使えるものもいる。
とはいえ、ひとつの会社を維持できるほどに多くはないし、そもそもがまともに社会人としてやっていけないからこその、極道構成員の道だ。
普通は、一般人と取り混ぜて、ほんの少々混ぜるくらいの、その社員すべてが構成員というのは、異常事態だった。
その異常事態をつくり上げたのは、設楽組の現在の組長、四代目と通称される設楽総悟――の、末っ子にして長女、一人娘だった。
通称、お嬢。
本名は隠していないが、誰ひとりとして、呼ぶものはない。それは、父親から兄たち三人に至る家族まで含めてだ。
迂闊に名前を呼ぶと、災厄を招く。
設楽組と関わるものは、末端のチンピラだけでなく、組長に近い上層部まで、誰も彼もが頑なにそう信じていた。
極道世界において、女性の地位は高くない。むしろ、底辺だ。
それは組長の妻であっても、娘であっても変わらない。それなりの気風と度胸を要求するが、基本的には『厄介者』であり、発言権などはないのだ。
その極道世界にあって、お嬢は『恐怖』の文字で設楽組の頂点に君臨する、怪物だった。
血狂い姫、流血お嬢、とも呼ばれることがあるほどの、容赦のない戦闘狂の暴力狂。
まだほんの小娘の時点から、お嬢の戦闘力は桁外れだった。小学校を卒業する頃には、すでに大人が敵わなくなっていたという話がある。
それだけならまだしも、お嬢の心には、情けや容赦、やさしさや思いやりといった人間らしい感情が、いっさいなかった。
血も涙もないという言葉では生温いほどに、彼女は徹底して冷酷だった。冷血以上に、血が流れている気配がない。
そのお嬢が、父親の起ち上げた警備会社に入社した。――あとは、推して知るべし。
社会からドロップアウトしたはずの、使えない頂点に君臨するチンピラたちが、お嬢という恐怖の上司のもと、背筋を正してまっとうな稼業に励んでいる。
それが設楽綜合警備保障という会社の、特異性だった。
そこに入社した以上は、鷹秋もまっとうな人間だったわけではない。
十代のころは、今となると不思議なほどに、血気盛んだった。いくつか暴力沙汰を起こして、知り合ったお仲間に引きずられて――の、よくある青春の過ち方式で、設楽組へ。
そして、上納金をたった一度だけ滞納したがために、設楽綜合警備保障への入社を命じられ。
自分が取り返しのつかない道を選んだのだと、心底から人生を後悔したのは、設楽綜合警備保障に入れられてからだった。
少なくとも、設楽組に所属するべきではなかった――せめても、警備会社に入社するべきではなかった。
お嬢と会うと誰もがそう考えることを鷹秋も考えつつ、警備員として修練を積み、ボディガードの訓練まで受けて――
「つまりおまえ、向いてんだよ」
部長室に置いてある、ひとり掛けのゆったりしたソファに座ったお嬢は、特に筋肉質でもなければ、大柄でもない。
街によくいる日本女性だが、放つ気魄が常人ではない。まるで巨人とでも相対しているかのような、存在感がある。
彼女はいつもどおり、背筋の寒くなる声音で、土下座する鷹秋に言った。
いや、現実にきちんと言うなら、鷹秋はむしろ、直立不動の姿勢だった。だが、精神的には土下座状態だった。
顔を上げたままお嬢と対するなど、苦行過ぎてまともではいられない。せめても心理的には、土下座でもしていないと。
「たまにいるんだ。ドサンピンのクソチンピラでもね。他人を守るってことに、すごく適応するやつが」
それが鷹秋だと言いたいらしい。
肩書き的には警備部部長であるお嬢の話の行方がわからず、鷹秋はひたすら緊張していた。
普段、自身も忙しく立ち働いているお嬢が、本社に顔を出して部下を呼んだときは、ロクな用事を言いつけないと相場が決まっている。
さしたる失態は犯していないはずだが、なにがお嬢の逆鱗に触れるのかはわからない。わかるようなら、極道一門が揃って怯えたりしない。
「そういうわけで」
来た、と思った。
身構えた鷹秋に、お嬢はごくあっさり言った。
「おまえ、今日から家政夫」
「…………は?」
表情をぴくりとも動かさないお嬢の鉄面皮を見つめ、鷹秋はマヌケに口を開いた。
「かせい、ふ?!」
本来なら、こんな口の利き方は許されない。お嬢の言うことにはなんでも「Yes, Sir!」と答えて、とりあえず死ね、と直属の上司たちに叩きこまれている。
裏返った声でくり返した鷹秋に、お嬢はぴらっぴらの紙切れを突き出した。
なにか書いてあるが、ここからでは読めない。わかったのだろうお嬢は、自分でその紙切れを眺めた。
「知り合いに、芸能事務所でマネージャなんかやってるのがいてね。そいつから、男の家政婦を都合出来ないかって言われたんだ。だからおまえを推しておいた」
「いやいやいやいや、お嬢?!」
噂とは違って懇切丁寧に説明してくれる、意外にいいひとかもしれない(錯覚)お嬢に、鷹秋は声をひっくり返したまま叫んだ。
「うちって、警備会社ですよね?!」
さすがに、家政婦の派遣業には手を出していなかったはずだ。他にもフロント企業はいくつかあるが、貸金が主だ。
訊いた鷹秋に、お嬢はつまらなそうに、自分の胸を指で差した。
「おまえ、あたしをなんだと思ってる?」
「…」
返答に詰まって、鷹秋は唾液を呑みこんだ。
お嬢は、お嬢は――
「――設楽綜合警備保障の、警備部部長です、っ!!」
軽い破裂音とともに、右耳に痛みが走った。
鷹秋の背がそっくり返る。
「あたしを、なんだと、思っている?」
スカートの下からスミス&ウェッソンを取り出したお嬢が、きっちりと狙いを定めたまま、もう一度訊く。
今度間違えば、耳がひとつなくなる。
一度目はぎりぎり皮膚を掠らせるくらいで済ませてくれたが、二度目は体のどこかがなくなる。今まで、幾人もの犠牲者を見てきたから、言い切れる。
新しい仕事をやらせようとしているときに有り得ない話だが、それがお嬢だった。
ここが日本であるとか、いくら極道でもそれはないだろうとか――いっさいの常識が通じないから、『恐怖』の文字を持って、女の身で極道界の頂点に立てたりするのだ。
鷹秋は唾液を呑みこみ、お嬢を見た。
警備部部長。
それがお嬢の、設楽綜合警備保障での肩書だ。
だが、彼女の制服はメイド服だった。
今時の風俗紛いの店で着られるようなものではなく、イギリスハウスメイド仕様の、古式ゆかしく実用的なメイド服だ。
どうしてそれが、お嬢の制服かと言えば。
「――石千院家、ハウスメイドにして、警備統括責任者です」
「……」
お嬢が、じっと鷹秋を見る。
よく、冷たい眼差しを蛇に喩えたりするが、蛇は生き物だ。なにが恐ろしいだろう。殺す方法がいくらでもある。
首を絞められているわけでもないのにチアノーゼを起こしかけた鷹秋に、お嬢は構えていたスミス&ウェッソンを、元通りにスカートの下に仕舞った。
「そう。警備統括責任者にして、ハウスメイドだね。おまえ、ハウスメイドってなにかわかるかい。家政婦のことだよ」
「…」
石千院家というのは、財閥のひとつだ。
歴史を遡れば、神武天皇時代まで辿れるとか嘯くほどの古い家柄だが、悪魔的な運の良さと頭の回転で、財閥解体も大戦も明治維新も――おそらくは、すべての苦難を乗り越えて来た、大企業だ。
その石千院家と設楽組は、やはり古い付き合いだった。昔は石千院家お抱えの裏部隊として、表に出せない仕事を請け負っていたのが、そもそもの設楽組の始まりと言われている。
今はさすがに『犬』として働いてはいないが、付き合いは続いていて、設楽綜合警備保障の設立自体、石千院家の警備を本格的に引き受けるためだったらしい。
その大事な大事な相手の、本家の警備の統括責任者がお嬢であり――なぜか、彼女はそこで普段、ハウスメイドとして働いていた。
恐ろしいのは、戦闘狂で暴力狂のお嬢のくせに、ハウスメイドとしての能力まで超級だということだ。
ひとりいれば、大きなお邸ひとつ管理することが可能だと、かの家のメイド長に言わしめたらしい。
「それで、ほかに質問は?」
「…」
その状況だけで鷹秋の疑問すべてを薙ぎ払って、お嬢は落ち着いて訊いてきた。
「…つまり、俺の仕事は」
「ああ、そうだね」
お嬢はまた紙切れを眺め、頷いた。
「掃除して洗濯して買い物して食事作って風呂に入れてやって寝かせてやって」
家政婦を通り越してナニーが入っている気がする。
お嬢と過ごす時間が長くなって視界が狭まってきた鷹秋は、懸命に背筋を伸ばし続けた。
だれた姿勢など取れない。姿勢保持のための訓練は、正しく地獄だった。もう二度とやりたくない。
「――まあ気が向いたら、エプロンでもぬいぐるみでも、作ってやってもいいさね」
なんの仕事だかが、本格的にわからなくなった。
酸素不足のせいなのか、血糖値が下がり過ぎたのか、血圧が上がり過ぎているのか、話が理解出来ない理由があり過ぎてわからない。
「とにかく、クライアントの家に住みこみで、自宅警備をしつつ、生活全般の面倒を見て、健康管理をする。拳銃片手に針仕事。それが今日からのおまえの仕事だよ」
「す、住みこみ?」
わけのわからない言葉はすっ飛ばして、聞き逃せない単語を拾い上げる。
これ以上いやな予感などないと思っても、まだあるものだ。
お嬢の日常を思い出し、鷹秋の背中を冷たい汗が伝った。
石千院家ハウスメイドにして警備統括責任者であるお嬢は、本家住みこみで働いている。
二十四時間、三百六十五日。四年に一度は三百六十六日。
そこでお嬢という直属の上司を持って、やはり住みこみで働いている、哀れな同僚のことも知っている――彼らに、『休日』は存在しない。
法律で定められていることを、お嬢が斟酌するはずがない。
鷹秋の人生から、『休日』の文字が消された。
それだけははっきりわかった。
もはや視界は黒一色で、それでも『恐怖』の文字に直立不動の姿勢を保ち続ける鷹秋の耳に、お嬢の最後通告が入った。
「住みこみだし、アパートもういらないだろ。解約しといたからね」
今朝出てきたばかりなのに!
――で、現在に至る。
****
食事を終えた那由多の口の周りを、鷹秋は丁寧に舐めてやる。キスのし過ぎでくちびるが赤く腫れて、肉感が増して艶っぽい。
「たかあきさぁん……」
「いい子にしてろ」
足をもぞつかせる那由多から、大量の食べこぼしの乗ったエプロンを取る。切なく上向いて晒された首にくちびるを寄せると、痕がつかない程度に噛みついた。
「ゃあ……っ」
震える那由多の体を軽々抱え上げると、食器を脇に除けたカウンタに乗せる。パジャマに染みをつくっているそこを撫でた。
「若いってのは大変だな。いや、俺だってまだ若いんだけどな!」
「心底からどうでもいいです………」
「なんだ?」
内にこもり過ぎて聞き取れないつぶやきに顔を上げると、瞳が切なく潤んで、こぼれそうになっていた。
「も、おねがぃですぅ…」
「仕方ねえな」
熱い吐息にそう答えて、鷹秋はパジャマの中に手を突っこみ、さんざんに煽られて汁を滲ませる那由多のものを取り出した。
「触ってもねえのになあ」
いじめられるだけでこうなれる、変態って恐ろしい。いや、自分的にいじめた記憶はないのだが!
しみじみした感想を抱きながら、遊んでいない証にきれいな色のそれを、軽く握って扱く。
「ぁあん…っ」
「肩に掴まれ。落ちると痛ぇぞ」
「ふぁ……っ」
カウンタの上で身悶える那由多に声を掛けるが、肩に置かれた手は震えて力が入らない。力無く頽れて、あの日の傷跡の残る耳にかじりついた那由多に、鷹秋は仕方ないと肩を竦めた。
「ひぁっ?!」
折れる体に頭を突っこんで、直接口に咥える。空いた手で、暴れる那由多の体を支えた。
キスと同じで、鷹秋の口淫はしつこくねちっこい。手を使っていないとは思えないほど器用に巧みに、那由多の快楽を追って高める。
那由多が遊んでいないせいで経験値が低いことを差し引いても、うまい。
だが、これでいながら鷹秋は那由多以外のものを咥えたことはない。
男と付き合ったことも、付き合うことを検討したこともないのだから、当然だ。
「ぁ、ああ………っ、たか、ぁきさ………っ、んんん…………っ」
腰をがっちりと押さえつけられて身悶えることも適わず、那由多の体には熱が溜まっていく。脳みそが溶けそうな気がして、鷹秋の背に回した手が爪を立てた。
ばたばたと暴れる足は、それでも鷹秋を蹴飛ばさないように気をつけている。
那由多としては、もっと痛く乱暴にしてもらいたいが、鷹秋の愛撫はやさしい。ひたすらに快楽を高められて、素面のまま痴態を晒しているような感覚で、耐え難い。
「たか、ぁきさん……っ、たかぁきさん……っ」
必死に名前を呼ぶ。腰を掴んだ手が熱く、含む口も熱い。ひっきりなしに上がるようになってきた水音が、耳を犯して感情の出口を塞ぐ。
「イキそうか?」
「はぃ…っ、はい………っ」
わずかに口を離して訊いた鷹秋に、泣き濡れる那由多が懸命に頷く。
「ん。わかった」
「ふぁ………っ!」
その様を眺めてから、鷹秋はまたも顔を埋める。咽喉奥にまで咥えこまれて絞り上げられ、出て緩んでをくり返す。
腰を掴んでいた手がわずかに移動し、カウンタの上で悶える尻を軽く掴んだ。疼く場所をぐい、と割り拡げられて、唐突な刺激に那由多の視界が眩む。
「ひぁあ………っっ!」
小さく悲鳴を上げて、那由多は呆気なく達した。鷹秋がすべて口で受け止めて、残滓まできれいに舐め取る。
忙しない呼吸の合間に、ごくりごくりと嚥下する音がして、那由多は震えた。
「鷹秋さん………」
「落ち着いたか」
あっさりした顔で、鷹秋は訊く。その手が、まだ那由多の尻を掴んでいた。
「………あの、そのぅ……」
もじもじする那由多に、鷹秋は手を離した。
「だめだ。出掛ける準備だ」
「…………生殺しです………」
「朝からなに言ってる」
「じゃあせめて、僕も……」
「要らん」
鷹秋のものを咥えたいと強請る那由多にすげなく言って、鷹秋は立ち上がった。カウンタの上でぐずぐずしている体を下ろす。
ふらついて立てない体を少しの間支えてやって、泣き痕のついた瞼を軽く撫でた。
「化粧で隠れるか?」
「………これくらい、出かける頃にはきれいになってます」
拗ねたように言って、那由多は鷹秋のシャツを軽く引っ張った。
「せめて、キスくださいぃ……」
「仕方ねえな」
愚図ると本気で動かなくなる那由多に、鷹秋は素直にキスを落とした。
口を漱いでいないから、精液臭いはずだ。だが那由多は、夢中になって鷹秋の口の中を探る。
基本的にしつこいキスの鷹秋は、たっぷりと那由多の相手をしてやった。
結果として、那由多はさらに、ひとりで立てなくなった。