左手の婚約者:03
「キスくらいじゃ信じられない」
頭がだめになりそうなキスから顔をもぎ離して明人が言うと、剛は大きく瞳を揺らがせた。んく、と息を呑む音がして、受けたショックをどうにか流そうとしているのがありありわかる。
「…ど、したら、…信じてくれるの」
震えて強請る声は弱々しく、あの高飛車なつーくんと同一人物とはとても信じられない。
本来なら、そんなふうに情けを請うのは明人のほうだった。
つーくんならこんなとき、「じゃあ信じなくていい!」と癇癪を起こして飛び出して行っているはずだから。
「明人、おねがい。なんでもするから…」
甘い声が、涙に濡れて懇願する。
明人の心にもやもやと黒いものが湧き上がった。
こんなのはつーくんじゃない。明人が待っていたつーくんじゃない。
だが、確かにつーくんだ。明人が狂うほどに焦がれて待ち望んでいた、愛するつーくんその人だ。
腹に篭もった熱と、心を埋めるもやもやとは、結託して明人の頭の制御を奪った。
「…服」
「え?」
「服、脱いで」
低くつぶやかれた言葉に、剛の顔が強張る。彷徨う手が、新品の制服の胸元をぎゅ、と握って、無残に皺を寄せた。
「服脱いで。今ここで。全部見せて」
「…っ」
重ねて言った明人に、剛は顔といわず首といわず、全身真っ赤に染まった。
年上とは思えないほど小さく細い体が、追い詰められた小動物のように震えている。
明人としては、別にどうでもよかった。
大好きなつーくんの裸が見られるなら、純粋にうれしい。
だが、脱がない、と突っぱねられて、変態、と罵られても、それはそれで満足だった。懐かしい、高飛車で高慢な明人のつーくんが帰ってきただけのこと。
たとえ嫌われても、そのつーくんなら口説き落とす自信がある。
「…」
細い息が、剛のくちびるからこぼれる。ゆっくりと立ち上がると、無様に震えながら制服のボタンに手を掛けた。
「ぅ…ん…」
小さな嗚咽が漏れる。強張る指は幼稚園児よりも不器用にしかボタンを外せない。
ぐす、と洟を啜りながら、それでも剛は懸命にボタンを外していった。
苛々するようなそのもどかしい作業を、明人は座ったままじっと見つめていた。
手を出すでも、口を出すでもない。
たまに濡れた目でちらりと窺い見る剛を、ほとんど冷淡と言ってもいい顔で見返した。
「…あ、の」
「全部だからね。上も下も、全部」
詰襟とワイシャツを脱いだところで、窺うように声を上げた剛に、明人はぴしゃりと言った。
ぶる、と震えて、剛は許しを請うように明人を見つめる。明人は冷ややかに見返す。
「…」
かすかなため息をこぼして、剛は残りの服を脱いでいった。衣擦れの音の中に、涙を呑みこむ嗚咽が混じる。
「…脱いだ、よ…」
細い腕で懸命に体を覆い、俯いて、剛はつぶやいた。
向こうでも、外で遊ぶことなどなかったのだろう。剛の肌は同年代の男とも思えないほどに白く、血管が透けて見えるようだった。その肌が、恥じらいにわずかに朱に染まっているのがなんとも扇情的だ。
明人の目は剛の胸に釘づけになった。
服を着ていても細い体は、脱ぐとはっきりと骨が浮いて見えた。
そのぺったりとした胸、白く透ける肌の上に―…一筋、禍々しい赤黒い線がのたくっていた。ちょうど心臓のあたりだ。
肌の白さと対比されてその色は毒々しいほどに強調され、浮き上がってみえる。
大きな手術をしたと聞いた。
その証左が、この痛々しい蚯蚓腫れなのだろう。
「…あきと…」
無遠慮に眺められて、剛は体を震わせる。立っていられないと、その体は今にも頽れそうになっている。
明人はじっと蚯蚓腫れを見つめ、それからゆっくりと全身を眺めた。その目が、ふ、と止まる。
剛が必死に隠そうとしている、足の間。
「…なに、これ?」
「…ぅ」
呆れたような声が出た。剛がびくりと大きく震える。
体を捻って視線から逃れようとするのを立ち上がって掴まえると、自分に正対させた。
今にも折れそうに細い両手首を力任せに広げると、容赦なく体を晒させる。
「勃ってるじゃん」
「…ひぅ…っ」
はっきり指摘してやると、剛の足から力が抜けた。垂れ下がりかける体をベッドに放り投げ、明人は上に伸し掛かって逃げられないように押さえつけた。
そうまで乱暴に扱ってやったというのに、剛の分身はふるりと震えてまた少し反った。
「なにしてるの?状況わかってないの?つーくん、今、僕に怒られてるんだよ?
っていうか、まだなんにもしてないのに、なんでこれ、こんななってるの?」
「…だ、って…っ」
膨れていく欲望とは対照的に、身を小さく縮めながら、剛が啜り泣く。
「だ、って、あきと、に、見られてる、って、思った、ら…っ。あきと、の、まえで、はだか、なんだって、思ったら…」
「なに言ってんの」
冷たく切り捨てながら、明人は知らず、舌なめずりした。
別れたとき、つーくんはあまりに幼かった。
花のようにきれいなつーくんの記憶が薄れることはなかったが、成長した姿を思い描くことも至難の業だった。
大きくなれば当然のように付随するこの欲望を、ぶつけていいとも思えなかったのに。
こんなふうに淫らに反応するつーくんが、今、現実に目の前にいる。
湧いてくる唾液を呑みこみながら、明人は押さえつけている手をそっと緩めた。剛の白い胸を無残に切り裂く、毒々しい蚯蚓腫れをたどる。
「…っふぁ…っ」
「…」
ふるる、と震えて、剛の口から吐息のような甘い声が上がる。
蚯蚓腫れから逸れて、つん、と尖ったぴんく色の突起にも触れた。固くしこっているそれを、指の腹でくにくにと捏ねまわす。
「んゃぁ…っぁう…っ」
さざ波のように震えながら、剛は甘い声をこぼす。戸惑って口元を覆いながらも、声が殺し切れない。
「…ぁ、あきと…ぉ…っ」
「…」
忙しない呼吸で名前を呼ばれて、明人はにっこり笑った。
手を離した明人を、剛が窺うように見つめる。
扇情的なぴんく色のくちびるへ触れそうなほど近づいて、明人はやさしく囁いた。
「舐めてよ」
「…ぇ?」
きょとん、と目を見張る剛から離れ、明人は身を起こすと、自分の局所を撫でた。
「舐めて、つーくん。僕の。
好きならできるでしょ?」
「…」
意味を悟った剛の顔が、みるみる真っ赤になる。傍らに座った明人は、そんな剛を愉しげに見つめた。
怒りはまだくすぶっている。やさしくしてやりたい気分にはとてもなれない。怒りのままに傷つけたいとも思わないが、少し虐めるくらいは許されて然るべきだ。
「それとも、できない?」
「…」
どっちでも構わない、という口ぶりで言った明人に、剛がきゅ、と表情を引き締める。
こういっては可哀想だが、なんともかわいい。もっと虐めてやりたくなる。
「できる…」
「そ?」
つぶやくと、剛はもそもそと起き上がった。
正座すると、座っているだけでなにもしない明人の下半身へと手を伸ばす。惑うように一瞬、彷徨った手は、自分の服を脱いだときよりはなめらかに明人の制服を緩めた。
躊躇いながら差しこんだ手が、熱は篭もっても未だおとなしい明人をそろりと引きだす。
小さく息を吐くと、剛はそっと身を屈めた。口が付く寸前で束の間止まり、赤い舌が伸びる。
「ん…」
てろりと舐めあげられ、それから口の中へと呑みこまれる。たどたどしい舌使いで、けれど懸命に剛は明人のものを舐めた。
上へ下へと首が動くたびに、晒された背中もなめらかに波打つ。突き出す格好になった尻が、ゆらゆらと蠢いた。
「ん…んぅ…はふ…」
夢中になって舐める顔と、誘うように閃く体と。
それが、すべて明人のつーくんであるという事実に重なって、明人は眩暈がするほどの興奮を覚えた。堪えようもなく欲望は高じていき、剛の小さい口では持て余すほどに成長してしまう。
それでも剛は顔を上げて許しを請うこともなく、ちゅぷちゅぷと音を立てて明人をしゃぶった。
「つーくん…」
「ふぁ…っ」
明人が首筋から背中へと撫でると、剛は泣きそうな顔で仰け反った。明人のものを掴んだ手に、わずかに力が篭もる。
締めつけも今は気持ちよく、明人は背筋をぶるりと震わせた。
「ちゃんと舐めて、つーくん。最後まで」
「…はい…」
最後まで、を特にねばっこく言った明人に、剛はうれしそうに微笑んだ。
先走りと唾液で濡れそぼったそこに、再び顔を埋める。
初心者の剛には、決してうまいとは思えないはずの味だが、躊躇う様子はない。
たどたどしい煽り方でも、なにしろ相手が剛だというファクターは重要で、明人は大して時間もかからずに射精感を覚えた。
口の中に出してみたい欲求に駆られながら、さすがにそこまでは酷だと考える。これがトラウマになって、次がなくなっては困るのだ。
「つーくん」
それでも、顔にかけるくらいならいいだろう、と剛の頭に手を掛ける。
引き離そうとすると、剛は咥えたまま、いやいやと首を振った。そのまま明人の手を振り切り、口に咥えているのも難しくなったものを無理やりに咽喉奥へと押しこむ。
熱い粘膜にきゅ、と締めつけられる感触に、明人の背筋に堪えきれない感覚が走った。
「つーくんっ」
「んく…っぅ」
裏返った声を上げる明人に構わず、えづきそうになりながら、剛は抽送をくり返す。
そこまでされて、堪えられるほどに明人も経験豊富ではなかった。
「つーくん…っ」
小さいころのような切ない声で名前を呼び、明人は剛の口の中に精を放ってしまった。
一人遊びのときとは比べものにならない快感とともに、半端ない量が溢れる。
「ぅん…っ」
勢いよく出されて、剛が苦しそうに顔を歪める。その口から、白濁した液体が吹き出した。
「…つーくん」
どうしよう、と怒りも忘れて慌てる明人の目の前で、剛の咽喉がごくりと動いた。
こく、こく、と幾度かに分けて、口の中のものを飲み下していく。仕上げに口の端に流れたそれも指で啜りあげて、小さく咳きこんだ。
「つーくん…なにしてんの」
呆然とつぶやいた明人を、剛は涙に霞む瞳で茫洋と見返した。
「…あきとの、だから…ちゃんと、のむの…」
「…っ」
つぶやきながら、濡れる指をちゅるりと啜る。ぴちゃりと舌を這わせて、名残惜しそうにすら見える。
こんなのは無理だ。
くらりと眩む頭を抱えて、明人は懸命に呼吸を継いだ。
こんなのを、我慢するなど、とても無理だ。
自分は聖人などではないのだから。