「「おにぃちゃぁあんvv」」
「ん?」
至福のアイスタイム中のカイトの前に、にっこにっこと笑うミクとリンが立った。
リボンと挑戦状
アイスで思考が蕩け気味のカイトは、そのままの蕩ける笑顔を妹たちに向ける。
「ろしたの?」
スプーンを咥えたまま、不明瞭な声音で訊いた。
ミクとリンは両手をお祈りの形にして、そんな兄を上目遣いに見る。
「あのね、今度のがっくんの誕生日のことなんだけど…」
「リンたちね、どぉおっしても、あげたいプレゼントがあるの!」
「「おにぃちゃん、協力して?」」
かわいらしいおねだり声だった。おそらく、がくぽやレンが訊いたなら、あとでどうなろうとも構うことなく、速攻で現地脱出を計っている。
脱兎のごとく駆けだす彼らはなにかしらの世界記録を生み出せるはずだが、カイトは妹たちの邪悪さに関しては、ひどく鈍感だった。逃げる意味を見出さない。
そのうえ今は、至福のアイスタイムに思考が蕩けきっていた。
危機感の持ちようがない。
ほややん、と愛らしく笑うと、カイトはこっくり頷いた。
「いーよ。なにすればいいの?」
***
誕生日に思い入れがあるかと訊かれると、がくぽはちょっと考えこんでしまう。
生まれたことを祝福されるのは、悪くない。少なくとも、その反対よりよほどましであることは確かだ。
だが認識はその程度で、派手に盛り上げて祝ってほしい、とは思わない。
がくぽにとって、「生まれた」こと自体はあまり重要ではないのだ。
カイトに出会った日、とか。
カイトと想い合えた日、とか。
そちらのほうが、よほど重大な記念日だと思う。
家族総出で派手に祝う日か、といわれると微妙ではある。むしろカイトとふたりきりで。
「――」
時計を見る。
そろそろ一時間経とうとしている――自分の部屋に閉じこめられてから。
がくぽの誕生日祝いだから、当然、夕飯はがくぽの好きなもので埋め尽くされた。つまり茄子料理だ。
世界各国の茄子料理、というテーマで、必ず茄子が使われている以外に共通点のない多国籍料理が無節操に並んだ夕飯を終えると、準備を見ちゃだめ、と言われて、がくぽは自分の部屋に押しこめられた。
通例でいけば、夕飯のあとに待っているのは誕生日ケーキ、そしてプレゼントの譲渡だ。
そのときに、だれかがこうやって部屋に押しこめられた経験など、ない。もちろん、去年の自分も。
準備って、いったいなんの準備なのだ。
「……………おとなしく待っている俺もどうなのだろうな…」
見たい知りたい混ざりたい、と部屋を出ると、いかにもレンのように稚気じみて見られるような気がして。
確かに「生きてきた」月日だけを基準にすれば、この家でいちばん「幼い」のはがくぽなのだが。
「――」
がくぽはがしがしと頭を掻いた。落ち着かない。
階下からの物音も治まってきたから、そろそろかとは思う。しかしそんなに時間をかけて、なにを準備していたのか考えると、こわい気がする。
今日のがくぽは絶対に、主役という名のおもちゃなのだから。
――と、断言するほどには、がくぽはこういうときの家族に信頼を置いていなかった。なにしろ去年は訳も分からないうちに、家の中でパイ投げ合戦が始まった。
「がっくーん」
「がっくがくー」
「――応」
暇に飽かせ、家族がどれだけ信用ならないかについてがくぽが考察を深めようとしたところで、襖が叩かれた。
声からするに、ミクとリンだ。いやな取り合わせだと眉をひそめる。
がくぽはカイトほどに危機意識が欠如していないので、タッグを組んだ妹たちのおそろしさについては、よくよく注意を払っていた。
「お待たせだよー☆」
「じゅんびおっけぇだよっ!早く来てきてー♪」
勝手に襖を開けて入って来ることなく、礼儀正しく部屋の外で呼ぶ彼女たちの声は、あからさまに邪悪に弾んでいる。
――と、がくぽには聞こえた。
信頼は皆無だ。女の子にとって家族の男子は、おもちゃか下僕と相場が決まっている。
着物を形ばかり整えることで気を引き締めて部屋から出ると、案の定、ミクとリンの瞳は爛々と輝いていた。
悪巧まれている。
「どこに行く?」
気づかないふりで淡々と訊くと、無邪気に邪気たっぷりの笑顔が振りまかれた。
「「リビング!」」
そのまま、両手を掴まれて引っ張られる。おにぃちゃん、はやくはやくーと空耳。
これがほんとうに「かわいい妹」なら、「おにぃちゃん」憧れのシチュエーションだろうが、見た形こそかわいくても、彼女たちは悪魔だ――がくぽの認識上。
とはいえ逃げ場もなく、がくぽは引きずられてリビングまで行った――先に、思いもよらないプレゼントが、鎮座ましましていた。
「がっくん」
「がっくがく」
「「誕生日おめでとお!!!」」
「「「おめでとぉおおおおおお!!!!」」」
ミクとリンが叫びながらリビングの扉を開いたのに合わせ、中で待っていたマスターとメイコとレンが叫びながら、クラッカーを鳴らす。
マスターとメイコは完全におもしろがっているが、レンはどちらかといえば自棄を起こしていて、複数の姉に囲まれた末っ子男子の悲哀を一身に背負っていた。
そして、肝心のカイトは。
「ボクたち、家族みんなからのプレゼントだよ☆」
「こころして受け取ってよね?」
邪悪、改め、いじわる小姑の顔で笑うミクとリンが指し示した「プレゼント」が、花束を抱えたまま、ほんわりとした微笑みを浮かべて、首を傾げた。
「誕生日おめでとう、がくぽ。……受け取ってね?」
「――」
駆動器官が機能停止した。
一瞬後に復旧を遂げたが、めちゃくちゃな電気信号を走りめぐらせ、世界が激しく揺らぐ。
リビングの真ん中には、いつもならメイコの指定席である一人掛けソファが移動してちょこんと置かれ、そこに花束を抱えたカイトが座っていた。
ただ、座っているのではない。なぜかリボン巻きだ。むしろ雁字搦めに縛り上げられている。
色とりどりのリボンで全身を飾り立てられた、もとい、縛り上げられたカイトは、不自由な体でがくぽを待っている。
頭で考えたというより、ほとんど衝動的に駆け寄って、がくぽはカイトを抱き上げた。
「遠慮なく貰うぞ」
宣言して、挑戦的に家族を見渡す。
がくぽはこのうえなく本気だった。
誕生日の余興程度で考えているなら、甘い。カイトは欲しいものの筆頭だ。
もうすでに恋人同士なのだから自分のものだ、とは思わない。カイトを取り巻く家族たちは味方だが、いちばんの障壁でもある。
なにより、カイトのことを愛して大事に思えばこそ。そしてカイトも、家族を愛して大事に思えば。
わかっていても、望むこころは止められず、願うことは止められない。
「貰うからには、一生、責任を持ちなさいよ」
笑いをくちびるにだけ残したメイコが、茶化すように軽く言う。しかし余興ではない、真剣な光が瞳を炯々と輝かせていて、獲物を狙う獅子もかくやという迫力だ。
「そぉだよ。ナマモノなんだからね!」
「途中で『飽きた』なんて、ぜったい赦さないんだから!」
お姫さまふたりが人差し指を突きつけ、精いっぱい威厳を振るって宣う。
レンに目をやると、見るなよ、と渋い顔をされた。
「………………せいぜい、にぃちゃんに飽きられないようにな」
むしろ飽きられろ、という言外の声が聞こえてくる。予想の範囲内だ。
問題は、最後の一人だ。
がくぽは睨み殺せるくらい、目に力を込めてマスターを見た。
「………えーと」
マスターは複雑な顔で、一度そっぽを向いた。変な風に咽喉を鳴らしている。どうも爆笑の発作に襲われているらしい。
構うことなく、がくぽは炯々と瞳を輝かせて、マスターを見つめた。
「貰ってくれると言うなら、差し上げます。なによりカイトさんが、貰われたがっていますし」
咳きこむようにして笑いの発作と闘い、マスターは懸命に声を押し出した。ふ、と顔を上げ、がくぽを見る。
「………とはいえまだ、正式に嫁にやるにはちょっと、時期尚早かな、と思います」
「…」
瞳に力を込めたがくぽを、マスターはにんまり笑って見返した。
「覚悟を見せてください、がくぽさん。私が音を上げて、土下座して、カイトさんを貰ってくださいとねじ込むくらいの、覚悟を」
「そのくらい」
「すぐにとは言いませんよ」
咬みつくがくぽに、マスターは手を掲げた。腕の中で心配そうにがくぽと自分を見比べるカイトへ、手を振る。
「これでいて、心情は複雑なのです。花嫁の父であり、花婿の母ですからね………。とりあえず、『しあわせ』を日々、見せつけてくれませんか。頑固親父も項垂れ、心配性な母親もそっぽを向くくらい」
マスターの言葉を考えて、がくぽは胡乱な瞳を向けた。
「つまり、思う存分にいちゃつけということか」
「現代語に直すと、そうなるらしいです」
「なにが現代語よ。ていうか、だれが父親で母親よ。あんたの性別はなんなの」
しらっと言うマスターに、メイコが呆れてツッコむ。
がくぽはカイトを抱く腕に力を込め、マスターへと笑って見せた。
「思う存分にいちゃつき、カイトをとろとろに蕩かし、その蕩け具合で、『嫁』にやるかどうか決めるということか」
「手抜きなど出来ませんよ。私の基準は厳しいのです」
「手など抜くものか」
あくまでもしらしらと言うマスターに、がくぽはくちびるにだけ笑みを残した。瞳は真摯に、マスターを見つめる。
「カイトはだれよりも、俺がしあわせにする。しあわせに蕩けて、元の形も思い出せぬほどに」
言い切ったがくぽに応えたのは、マスターではなかった。いつの間にかマスターの傍に集まっていた、弟妹だ。
「約束反故にしたらお仕置きだよ、がっくん!」
「ちゃんとリンたちが聞いたんだからね!」
「俺らががっちり記憶しとくからな!」
拳を握って、叫ぶ。
「もちろん、構わん」
躊躇うことなく頷いたがくぽの顎に、首を伸ばしたカイトのくちびるが触れた。
花束を抱えたままのリボン巻きカイトは、はにかんだ色を浮かべて、がくぽを見上げていた。
「愛想尽かさないでね?ずっと傍に置いてくれないとやだよ?」
その瞳に揺らぐ一握の不安に、がくぽはマスターの懸念を見て取った。
確かに、一見無邪気なだけのようなカイトには、不安定な部分や、自分にとって未知の部分が多い――今すぐに「嫁」にやるのでは、あとあとが心配だろう。
けれど、必ず。
がくぽはカイトのこめかみにキスを返すと、頷いた。
「愛想を尽かすなど、あろうはずがない。一生、カイトのしあわせのために尽くすと誓う」
真摯に告げると、カイトは花束の中のどの花よりも、きれいに微笑んだ。
「じゃあ、がくぽはずっとしあわせでいてね。そうしたらずっと、俺もしあわせだから」
おそらく駆動系のいくつかが、オーバーフローで切れた。
かわいいのは時として、凶器だ。
ぐらつく視界にそう説明をつけ、がくぽはカイトのくちびるに食らいついた。