「………ふにゅ」
ゆっくりと瞳を開き、カイトは首を傾げた。
見慣れない、白い天井。白いカーテンで覆われた、狭い空間。
空気は冷たく、シーツと布団も冷たい。
そしてかすかに聞こえる、歓声。
るーぷ・ぷ・ぷーる
「………ああ。起きたか、カイト」
「んゅ………?」
傍らから静かに声を掛けられて、カイトは首を回した。
パイプ椅子に座ったがくぽが、手を伸ばす。くしゃりと前髪を掻き回されて、カイトは小さく笑った。
笑ってから、はたと思い出す。
「あ………っ」
「落ち着け」
途端に赤くなったカイトに、がくぽは穏やかに言う。長袖のパーカはきっちりと着込まれて、ファスナーは首まで閉められている。
「……………えと」
「まだプールだ。救護室を借りた。ミク殿とリン殿は遊んでおる」
「ごめ……」
謝ろうとしたくちびるが、がくぽのくちびるに塞がれた。軽く触れるだけで離れ、がくぽは笑う。
「お主は悪くなかろう」
「でも…」
「もう気分が悪くないようなら、戻ってやってくれ。『おにぃちゃんと遊びたかったのに』と、ずいぶん落胆しておった」
「…」
笑って言うがくぽに、カイトは瞳を揺らす。
確かにミクもリンも、カイトと遊びたかっただろう。けれど、それだけではない。
がくぽとだって、遊びたかったはずなのだ。
そもそも、プールに行こう、と妹たちが言いだしたとき、がくぽは断ったのだ。
彼にはすでに、わかっていた――自分がいては、カイトがこうなってしまって、遊ぶどころではなくなってしまうと。
それでも強引に連れ出され、けれどさらにがくぽが、自分は見学しているから――と言ったのを、妹たちは上を行く強引さで、プールまで引っ張り出した。
確かに自儘に振る舞う妹たちだが、そこまで強引にするのは、彼女たちががくぽともいっしょに遊びたくて、それを楽しみにしていたということだ。
カイトとだけ遊べればいいというのなら、がっくんはワガママだなーとかなんとか言いつつ、適当なところで放り出してしまう。
なんだかんだと言いはしているが、ミクとリンにとってがくぽはすでに、大好きな、自慢の「おにぃちゃん」のひとりなのだ。
だから彼女たちの、「おにぃちゃんと遊びたかったのに」というのはそのまま――
わかっているから、カイトは布団の中で項垂れた。
「…………せっかく、プールなのに」
「俺は別に、泳げぬでも構わん」
「そうじゃなくて……」
子供成分が少ないがくぽだから、プールで妹たちと「お遊戯」をしているのは、あまり楽しいことではないだろう。
けれど、それでも。
「俺、もぉちょっとなんか、へーきになんないと………っふきゃっ?!!」
ぼそっとつぶやいた途端に、がくぽがじじっとパーカのファスナーを下ろした。全開にはしないものの、鍛えられた胸筋が見える。
即座に赤く染まったカイトを瞳を眇めて見据え、がくぽは開いた襟に指をかけ、中を覗きこませるように広げた。
「ががが、がくぽっ」
「俺はお主がそうやって、狼狽えているのを見るのが好きだ」
「はっ?!」
真っ赤になって目を逸らしたカイトだったが、がくぽの言葉に慌てて顔を戻した。がくぽは差し入れた指で、殊更にパーカを広げる。
「っ」
「これくらいのことで、正気を失うほど狼狽えるお主を見ているほうが、プールで泳ぐなどより、千倍は愉しい」
「せ、せんばい、って………っ」
見ないように見ないように、とは思っても、ついつい視線が行ってしまう。そもそもが、嫌いで見たくないわけではない。
好きだから見たい――が、見ると激しく照れてしまうだけなのだ。
強張るカイトに、立ち上がってベッドに乗り上がったがくぽが、伸し掛かる。薄い布団を退けられて、カイトはびくりとシーツを掴んだ。
カイトはパーカの前を閉めていなかった。意識を失ったあとにも、閉められることはなかったらしい。うっすらと染まる肌が、曝け出されている。
瞳を眇めたままのがくぽは、躊躇いもなく薄紅色の肌を撫でた。
「ん……っ」
「………ヌイてやろうか、一度」
「へ……?!っわ?!」
きょとんとしたカイトは、慌てて両手で口を覆った。がくぽの手は、肌を辿って、水着に覆われた場所を軽くつついている。
「ちょ、だめ、こんなとこで………」
「一度ヌケば、少しは治まるのではないか?」
静かに問われて、カイトは潤む瞳を尖らせた。手を伸ばすと、がくぽのパーカを掴む。
「そんなわけないでしょ!かえって煽られて、とんでもないことになっちゃうよ!!何回しようが、がくぽがかっこいーことに、変わりはないんだからっ!そもそも、がくぽがかっこいーからこーなってんだよ?!」
逆ギレチックに叫ばれて、がくぽは笑い崩れる。カイトの体の上に倒れこみ、肩口に顔を擦りつけた。
「ちょ、がくぽっ」
「お主がそうやって、俺のことであたふたしているのを見るのは愉しい。俺のことが好きだ好きだと、言葉でなく言われているようだ」
「………」
笑いながら吹きこまれた言葉を考え、カイトは小さく頬を膨らませた。
「………好きだもん」
「ああ」
「すっごい、好きだもん、がくぽのこと…………ぜんっぜん、まともでいらんないくらい、すっごい好きなんだから………」
「ああ」
肩口に擦りつくがくぽの頭を撫で、カイトは瞳を閉じた。擦りつく頭に顔を寄せ、長い髪を梳いてやる。
撫でられて瞳を細め、がくぽはさらに擦りついた。
白い肌が目の前にあって、それはほんのりと薄く染まっている。
あたふたしているカイトを見ているのが愉しいのは確かだが、もうひとつ。
水着姿になったカイトを傍に置いて、自分の理性が持つかどうかに自信がないというのも、実は本音で、ある。
「最中」にしか晒されないのはカイトの肌も同様だ。
夏になって薄着にはなったものの、それでも普段晒されない胸や腹がこうまであからさまに晒されてしまうと、どうしても――
「……………ヌキたいのは、俺か」
「がくぽ?」
「いや」
小さ過ぎて拾えないつぶやきに、カイトが首を傾げる。
がくぽは笑って、あやすようにカイトの肩を叩いた。
「さて、そろそろ本当に行かねばな。これ以上、ふたりの機嫌を損ねると、今度はなにを要求されるかわからん」
「『今度は』?」
身を起こして笑うがくぽに、カイトは瞳を見張る。がくぽは笑うだけで答えず、カイトの手を引いて体を起こさせた。
「がくぽ?」
「とりあえず、今日は俺が奢ることになっている。遠慮なく強請れ」
「あちゃー………………」
どういう顛末でそうなったか、さすがに妹たちとの付き合いが長いカイトには、見ていなくてもわかったらしい。
情けない顔になって、がくぽを上目遣いに覗きこんだ。
「ごめ………んっ」
謝ろうとするくちびるをくちびるで軽く塞いでから、がくぽはカイトと額を合わせた。
「哀れと思うなら、家に帰ったあとで存分に、慰めてくれ」
「……」
カイトはそろりとがくぽを見る。瞳に欲が閃いているのがわかって、ほんわりと赤くなった。
「…………ん。いっぱい、いーこいーこする…………」
ぼそりとつぶやき、潤む瞳でがくぽを見つめた。
「約束、ね」
ささやくと、ちゅ、とがくぽのくちびるにキスをした。