「……ん…………?」
鈍い覚醒の感覚のなか、降り注ぐなにか、やわらかく甘いもの。
くすぐったいような、体の奥がもぞつくような、不思議で熱っぽい感触。
Snowman in the Lover's arms-03-
がくぽはくちびるを笑ませると、そっと瞳を開いた。
「ん」
「カイト」
ちゅ、と軽くくちびるを押しつけてきたカイトを呼ぶと、明るい光の中、ますます輝くような花の笑顔が返ってきた。
「おはよ」
「ああ。お早う」
「ん」
挨拶とともに、お返しのキスを送る。カイトはうれしそうに瞳を細めて、キスを受けた。
くちびるを離すと、がくぽは首を巡らせて、壁に掛けられた時計を確認する。
おはよう、と言うには少々、厚顔さがいる時間だ。そもそも寝た時間が、おはように掛かっていた。
こんにちは、と言い換えてもいいかもしれないが、目が覚めたならとりあえず、おはよう、でいいだろう。
「がぁくぽ…」
「ん」
横たわるがくぽの体に半ば伸し掛かるようにしているカイトは、愉しそうに小さなキスをくり返す。
受けて、がくぽは笑み崩れた。
目が覚めたら腕の中に、だれよりも愛おしいひとがいる。
いや、――この世でもっとも愛するひとのキスで、目覚めを迎えられる。
これほど贅沢で、しあわせなことなどない。
ここ数日の疲れも吹っ飛んで、余りあるというものだ。
「ね、がくぽ」
「ああ……」
「んひゃ」
強請られて、がくぽもまた、伸し掛かるカイトを招き寄せて羽ばたくようなキスをした。
くすぐったさに首を竦めて笑ったカイトに、がくぽも笑い返して、体を起こす。そのまま体勢を入れ替えようとして、ふと、部屋の隅のテーブルに目が行った。
昨日の夜の記憶はろくに残っていないのだが、テーブルの上に、どう考えてもなかったはずのものがある。
「がくぽ?」
「ああ…………少し、待て」
「ん?」
カイトを布団にくるんで、がくぽはベッドから降りた。
相手は予想がつくものの、勘違いならばまずい。
「あれ…」
がくぽの行方を目で追ったカイトもまた、テーブルの上のものに気がついて小さな声を上げた。
プレゼント・ボックスだ。
がくぽと違って、部屋の記憶がきちんと残っているカイトには、言い切れた。
昨日の夜、眠るまで、そんなものはなかった。
「…………」
「がくぽ…」
クリスマスの定番で、赤が基調の包装紙にくるまれた箱に、掛けられた緑色のリボン。
大体、一般的な大きさのホールケーキが入っているくらいのその箱を眺め、がくぽは瞳を細めた。
案の定だ。
「マスターだ。…………プレゼントだそうだぞ」
「わ」
箱の傍らに添えられていたカードには、マスターの直筆でメモが残っている。
おそらくは朝になって様子を見に来たが、ふたりが疲れ果てて爆睡していたので、プレゼントだけ置いていった、というところだろう。
――とはいえ正確さを期すならば、クリスマスは昨日までで、日本において今日の朝からはすでに、正月へのカウントダウンに入っているのだが。
「なに、なに、がくぽ、っわわ」
「そこにいろ。持って行くゆえ!」
「んん……腰………キた…………っ」
勢いよく起き上がったものの、昨夜の無茶が響いてベッドから降りられないカイトに、がくぽはわずかに慌てて叫んだ。
「大丈夫か?!」
「ん」
うずくまるカイトの元に行くと、照れくさそうな笑みが返ってきた。
「へーき。それより…………」
「ああ」
体を起こしたカイトの傍らに座り、がくぽはその膝にプレゼントの箱を乗せてやった。
「開けてみろ」
「ん、でも……」
「いい。……おそらく、どちらかといえばお主向けゆえ」
「ん?」
きょとんと首を傾げるのに笑って、がくぽはカイトのこめかみにキスを落とした。
そのうえで、再度、開けるようにと促す。
カイトは戸惑いつつも、好奇心を隠せないままにリボンに手をかけ、解いた。
「と、待て。丁寧に」
「んん?」
箱をひっくり返して包装紙を解こうとしたカイトを、がくぽは慌てて止める。
さらに首を傾げたカイトだが、箱の天地を守ったまま、なんとかきれいに包装紙を開いた。
中に入っていたのは、頑丈なクーラーボックス。
「…………っ」
「……」
瞬間的に期待値が跳ね上がったカイトの瞳の輝きを眺め、がくぽはくちびるを緩ませた。
そして。
「ティラミス?」
「『アイスティラミス』だそうだ。ラウンジのカフェに、あったのを頼んで包装してもらったと書いてある」
「ふぁああっ、アイスーっ!」
外装の大きさからすると、中身の小ささは詐欺紛いだ。
アイスが溶けないようにするためのクーラーボックスと、さらに中に詰める保冷剤がほとんどの面積を占めていて、肝心の中身はきっちり一人前。
そんなことなら大きさに見合った箱に入れて、備えつけの冷凍庫にでも適当に放りこんでおけばいいものを、おかしなところでこだわりを発揮するのが、彼らのマスターだった。
「アイスアイスあい……っ、あ、あいす…………っっ?!」
「わかった、わかった……大丈夫だ、クーラーボックスの蓋に、きちんとスプーンが貼りつけてある」
「ふぁあっ」
食べたいと気が急くあまりに、言葉すらも覚束なくなっているカイトに苦笑しつつ、がくぽは蓋に貼りつけてあった金色のスプーンを取って渡してやった。
「いっただきまぁすっ!」
「よしよし」
もはやアイスしか目に入っていないカイトを、がくぽは瞳を細めて見つめる。
厳重な保冷効果によって、溶けることもなくさっくりした感触を残しているアイスに、カイトはわくわくとスプーンを差し込んだ。
ひと匙掬って、口の中へ。
「んんんーっ、おいひーぃいっ」
「良かったな」
笑って、がくぽはボックスとともに持ってきたマスターの書置きへと目を戻す。
――はぴくり☆お疲れのカイトさんに、栄養補助をお届けです。ラウンジのカフェのアイスティラミスです。見つけてしまったので、プレゼント用にお包みしてもらいました。
読んでいる間に、カイトはふた匙目へ。
スプーンを差しこんで口を開いてから、ふと止まった。
中身は、きっちり一人前。
一人分。
いるのは二人。
「……………………ほぇ、はくほのふんは?」
「まだ口に入れていないのだから、きちんと話せ…………」
一応の注意をしつつ、がくぽはカイトの眼前にマスターからの書置きを閃かせた。
カイトはきょときょとと瞳を躍らせて、文字を追う。
――お疲れ大王のがくぽさんは、アイスを食べる絶頂かわいいカイトさんで癒されてください☆
文字を読み、カイトは抜け落ちた表情でぽつりとつぶやいた。
「………………ぜっちょーかわいー…………」
「かわいいぞ」
「………………」
「かわいい」
「………………………………」
真顔で言い切られ、カイトはほわわ、と目元を染めて俯いた。
確かに、がくぽは甘いものが得意ではないから、いくらクリスマスでも、ケーキをもらってうれしいということはないだろうが。
掬ったふた匙目を口に入れ、カイトはおそるおそると上目遣いにがくぽを窺った。
「まあ、あまりに食べ過ぎると心配が勝つが……ほどほどの量なら、目にも耳にも愉しい」
「……………………」
じっと凝視しながら言われ、カイトはスプーンを咥えたまま、しばらく固まっていた。
しばし見合い、ややしてカイトは思い切ると、スプーンをアイスに突っこんだ。
「………………っっ」
ぱくぱくぱくと素早くスプーンを行き来させるカイトに、がくぽはくちびるを緩める。
「そうがっつくな。逃げやせん」
「意識したら食べづらいんだってばぁっ」
――もちろん、わかって言っている。
がくぽは吹き出し、難しい顔でアイスをぱくつきつつも、頬を染めたままのカイトを見つめた。
「そういうところもかわいいぞ」
「きこえないっ」
言い切って、カイトはアイスを食べ終えた。
疲れきって一度、がくっとうずくまってから、また同じ勢いで顔を上げる。
「まず…………っ」
「ん?」
好物のアイスだというのに、おかしなことを意識したせいでまずく感じられたのか。
少しからかい過ぎたかと顔をしかめるがくぽに、同じく顔をしかめたカイトは、ひどく情けない視線を送ってきた。
「…………俺、『帰ってクリスマス』のつもりだったから、がくぽのプレゼント、うちに置きっぱなし。ここに持って来てない……」
「………………あー…………」
はたとその事実に思い至り、がくぽもとっておきにまずい顔になった。
窓の外を見る。寒い地方らしく、保温のための二枚ガラスの向こうは、未だに白く荒れている。
正気に返ってみると、いかに愚かしい真似をしたことかと、我が事ながら頭を抱えたくなる状況だが、ともかく。
「……………………俺もだ。お主に会うことばかりに懸命で、プレゼントまでは……」
「………………」
ふたりは微妙な顔を見合わせた。
もちろん、ふたりで夜を過ごせたことがなによりとはいえ、お互いにかなりの気合いを入れてプレゼントを用意していたのに、すでにクリスマスは過ぎて。
「んー……」
「がくぽ?」
がくぽは考えこみつつ、部屋に備えつけの電話まで歩いていった。
首を傾げて見送るカイトに軽く手を振ってから、受話器を取り上げる。ダイヤルして、おそらくフロントに。
「…………ええ、はい……お願いします」
「?」
カイトが見守る前で、がくぽは余所行きの声と口調で話し、しばらく黙りこむ。
ややして、その表情がいつもの雰囲気を取り戻した。
「…ああ、お早う。うむ、確かに受け取った。……ああ、存分に堪能したとも。それはそれはかわいかったぞ」
「……っマスター!」
離れていても、受話器の向こうが爆笑したことがわかった。
聞き覚えがある以前に、がくぽの言葉から、推測できる相手は一人だけ――マスターだ。
カイトは再び、音が聞こえそうな勢いでぶわわっと赤くなると、膝に乗せていた箱を放り投げて布団をずり上げ、体を隠した。
もちろん、テレビ電話ではない。
古式ゆかしいタイプの音声電話なのだから、カイトとがくぽの今の状況など見えていようはずもない。
はずもないが、はたと我に返れば、ふたりとも未だに全裸だった。
カイトはベッドに潜ったままだからまだいいが、がくぽはそのままで部屋中を移動している。
バスローブは手近に放り出してあるというのに、羽織る様子もない。
「…………っ」
今更ながらにそのことを意識して、カイトはがくぽを見られなくなった。
均整の取れた、美々しい体が惜しみなく晒されている。
カイトを組み敷き、押さえこみ、貫くすべてが。
「ひ…………ひとひとひと?!」
カイトは手のひらに「人」の字を書き出した。こっくんこっくんと飲みこむ。
「お、おちつかない…………っ」
「カイト?」
「ひゃぃっ!」
「…………」
完全に裏返った声での返事に、受話器を置いたがくぽは軽く瞳を見張った。
わずかに首を傾げたものの、とりあえずは話を続ける。
「……マスターの話では、吹雪が止むのは今日の昼過ぎの予定だそうだ。しかしそれから、除雪やらなにやらがあるので、交通機関の復旧は明日になりそうだと。ゆえに、今日もこちらに泊まるそうだ」
「あ、ああ、うんっ、そーなんだっ!」
「…………ああ」
こちらを見ることはないまま、真っ赤に染まって布団に隠れるカイトに、がくぽは徐々に徐々に、くちびるを緩めた。
恋人のこの反応には、ある意味慣れている。
いったい何度、体を重ね、情を交わしたことか。
それでもこの恋人は、正気ではがくぽの体を見られない。熱と欲に蕩かしてやって、ようやく、うっとりと鑑賞する。
がくぽはくちびるを笑みに歪めたまま、部屋の中を見回した。
「カイト、マフラーは?」
「ん?えっと、クロゼット」
訊かれて、カイトはがくぽを見ないまま、部屋に備えつけのクロゼットを指差した。がくぽはそちらへ向かう。相変わらず、上着を羽織る気はないらしい。
開いて中を確認し、がくぽは視線が合わないとわかっているカイトに、それでも顔を向けた。
「予備はあるな?」
「ん、もち……。…………なんで?」
「まあな」
問いに、答えになっていない答えを返し、がくぽはある意味冬らしい、真っ白なマフラーを取り出した。
ふんわりと毛の立つそれは、感触もやわらかでやさしく、そしてカイトのトレードマークらしく、非常に長い。
「がくぽ?」
「ああ」
「ふぁ」
ベッドへと戻ってきたがくぽは、隠れるカイトから布団を取り上げると、その首に持ってきたマフラーを巻く。
丁寧な手つきで、長いマフラーをきれいなリボン結びにした。
ねこの仔にでもするように、脇にリボンをセットして、笑う。
こめかみに口づけて、軽くウインクを飛ばした。
「プレゼントしてくれるか?」
「…………あ」
がくぽの言葉に、意図を察したカイトは瞳を見開いた。
つまり、「リボンを掛けられて」しまった状態。
もちろん、「あげる」にやぶさかではないけれど――
「ん……っ」
「カイト?」
即答せず、カイトは部屋を見回した。
目に留まったのが、ベッド脇に脱ぎ捨てられたバスローブ――の、腰紐。
「んーっ」
「……」
屈んで手を伸ばし、真っ白い紐だけを取ると、カイトはがくぽに向き直った。
朝の起き抜けの常で、いつもは括られている髪も、今日はさらりと垂れて流されている。
「……」
「…………」
がくぽの髪を緩やかにまとめると、カイトはそこに白い紐を巻きつけた。
きれいなリボン結びにして、笑いを堪えるがくぽを生真面目に見つめる。
「…………くれる?」
「っふっ」
堪えきれず、がくぽは吹き出した。
吹き出してから、それでも生真面目な顔のままのカイトへと向き直り、抱き寄せる。触れるだけのキスを交わして、昨夜に散々に堪能したはずの肌を撫でた。
「……ぁ」
「貰ってくれ。くれてやるのは、お主だけだ」
「…………」
とろりと低めた声で熱っぽくささやかれ、カイトはがくぽの胸へと縋る手を伸ばした。
胸に埋まり、ちろりと舌を出して肌を舐める。
「あげるから…………いっぱい、ちょぉだい…………」
否やのないおねだりに、がくぽは笑ってカイトへと伸し掛かった。