がくぽの体の上に半ば伸し掛かって布団に入っているカイトは、ようやくご機嫌が直ったらしい。
愉しげに足をばたつかせながら、がくぽの肌をいたずらに掻いては、怒られている。
女妓初め-04-
「こら、カイト………」
幾度目かのいたずらに、幾度目かの注意が降ろうとしたところで、カイトははたと顔を上げた。
「そういえば、『ひめはじめ』って、なんだったの?」
「………………」
ワルイコな手を掴んでいたがくぽは、しばらく空白の表情を晒した。
そもそも、事の始めはそうだった。
カイトが、どこから聞きかじってきたのか、『姫初め』という言葉の意味を知りたがって。
「………………」
「がくぽ?」
ワルイコの手は逮捕したまま、がくぽは軽く眉をひそめて考えこんだ。
マスターに訊いたら、がくぽに訊けとたらい回しにされて、巡って来たと言った。
カイトの話し方は少々独特で、というよりわりと自分本位で、会話の初めが電波になりやすい。
なりやすいが、慣れもある。
最近では、どこから出てきた発想だ、と項垂れることも少ないし、どうしてそこに飛ぶのかと、思考が追えずに苦悩することも少ない――こちらは多少、諦めが入っているが。
わかったことといえば、カイトは圧倒的に言葉が足らないことが多く、こちらで推理しながらでないと、とんでもない間違いを犯すこともあるということ。
「あ、がくぽ!」
考えこむがくぽに、カイトは手を取られたまま、わずかに体を浮かせた。
「もしかして、『ひめはじめ』だから、俺の体、ヘンだったの?!『ひめはじめ』って、体ヘンになるやり方なの?!」
「いや、カイト………………」
物凄い誤解だ。
なにやら雅らしい言葉を当てているが、その含む意味はあくまでも下世話で、くだらない。
あけすけな性質だった古人の、遊びというか。
「………………そもそもカイト、『姫初め』という言葉を、だれから聞いた?」
答えをやらないまま、がくぽは訊いた。
カイトは初め、言った――「マスターに訊いたら、『博識ながくぽさんに訊いてください』」と言われたと。
これは一聴、マスターとの会話の中で『姫初め』という言葉が出てきて、その意味がわからずに訊いたら躱された、ように思える。
しかしがくぽと恋仲になるまで、なんの理由かは知らないが、マスターはカイトにその手の知識を一切与えなかった――いやむしろ、もっと徹底して与えないでくれと懇願するような、乱暴な断片の知識だけしか与えなかった。
いわく、カイトにとってはお化け屋敷よりもこわいから、とか。
その傾向は、カイトががくぽと恋仲になってからも、変わらない。
その他の、未成年である少女たちには平気で下ネタを投げるマスターは、カイトにはそういった話を、ほとんど振らない。
――という一連の日常を考えると、マスターとの会話の中で『姫初め』が出てくるということは、考えにくい。いくら今日の彼女が、上機嫌だったとしてもだ。
となると、特にカイトに対してそういったこだわりを持っていない、きょうだい。
彼らのきょうだいのほとんどは、未成年。というより一名を除いて、すべて未成年。
そしてそういった下世話な話題を振るのは、常に――
嫌な予感に体を硬くするがくぽに構わず、カイトは無邪気に首を傾げた。
「リンちゃんだけど」
「………………………………………」
予想通りというか、この家におけるもっとも年少の少女の名前が出てきて、がくぽの視線は斜めを向いた。
もっとも年少の妹にすら負ける、おにぃちゃんの性知識。
といおうか、それとも、妹があまりにおませさんだと言えばいいのか。
「えっとね、なんだっけ………………『おにぃちゃん、今年はがっくがくに、ひめはじめしてもらうんだよね!』って言われて。『がっくがく、だいこーふんっwwだよねっ』って」
「………………………」
布団の中で横になっているが、がくぽは果てしなく項垂れた。
開けていられない瞼を下ろし、眠りの国に逃避を試みる。
「でもね、俺、なんのことかわかんないから。なにそれ?って訊いたら、『いやん、リンの口からはいえなぁいぃいっ!リン、年頃のオンナノコよ、おにぃちゃんっ!』」
「………………」
果てしなく疲れるのを助長することに、カイトはボーカロイドとしての要らない本領を発揮して、リンそっくりの口調と声で会話を再現する。
体の上にいるのはかわいいコイビトだが、その中には悪魔認定した妹も宿っているこの現実。
やはり眠りに逃避しようと決めこんだがくぽに、カイトはさらに体を乗り上げて伸し掛かってきた。
「ちょっと、がくぽ!ちゃんと教えて!」
「あー………」
詰りながら、カイトはちゅっとがくぽの目元にキスを落とし、耳朶に咬みつく。
コイビトのかわいいしぐさにだけ溺れて、あとはなにも考えず眠れたなら、これ以上のしあわせもない。
方法を模索するがくぽに、カイトは憤然として体を倒す。きれいにして寝間着を着直したが、がくぽのものは基本的に浴衣だ。簡単に肌が晒せる。
取り戻した手を袷から差し込んで肌を探り、責めるようにかりりと爪を立てて、カイトは晒した胸に顔を擦りつけた。
「リンちゃんの言い方からもう、えっちなことなんだろうなってわかったけど。念のためにマスターに訊いてみたら、やっぱりだし」
「………………」
読まれている。
読まれているぞ、家族………………。
がくぽは心の中で、家族に警鐘を鳴らしておく。
しかし結局、そうやって回された危険極まりないとわかっている据え膳を、断ることも出来ずに食べ尽くしてしまっている、がくぽの現状。
「で、がくぽのとこ来てみたら、間違いないし」
「あー………」
がくぽはぶつくさとこぼすカイトの髪に手を差し入れ、やわらかな手触りを愉しみながら梳いた。
「ん………」
「………………………」
まるで愛撫されているときのような鼻声を漏らし、憤然といたずらを続けていたカイトは大人しくなった。
しばらく梳いてやってから、がくぽは後頭部を掴み、カイトの顔を招く。
素直に招かれたカイトのくちびるに触れるだけのキスをして、肩口に抱き込んだ。
口元に来た耳朶に、そっと答えを吹き込む。
「………………………………………………………………………………………………………それだけ?」
「ああ」
「………………………………………」
呆然と声をこぼしたカイトに、がくぽは瞳を閉じて頷く。
それだけ、だ。
「じゃあ、なんで、俺………………」
「興奮していたのだろう」
自分の体の変化が理解できない、と戸惑うカイトに、頭を押さえ込んだまま、がくぽはつぶやく。
「新年が明けた。良い変化もあった。………………興奮していたのだ。それだけだ」
「………………」
まだ納得していない気配のカイトだが、がくぽは小さく笑った。
押さえ込んだままのカイトの頭を、軽く撫でる。
「そういうものだ、体というものは。気持ちが良いということは」
「………………………………………そー…なの………?」
覚束ないままに問い返すカイトを抱く腕に力をこめ、がくぽは頷いた。
「そうだ。そういうものだ………………案ずるな。俺が順々に教えていってやる。今年もな」