ロイドは夢を見ない。
入眠も目覚めも、機械的なものだ。
その目覚めが良いとか悪いとかいうのは単に、スペックやプログラムの問題で、起動がスムースかどうか、という程度のもの。
それでも、しあわせな目覚めというものは存在する。
温泉に行こう!-01-
がくぽはそう確信し、しあわせを噛みしめていた。
朝、目が覚めて、同じ布団の中に、だれよりも愛しい恋人を抱いている。まず目にするのが恋人の顔で、嗅ぐにおいが恋人の体臭で、恋人の体を抱きしめている、その感触――
すべてが幸福に繋がる。
毎朝こうだといいと思うが、家での二人の寝部屋は別々だ。
二人が特別だというのではない。双子として設定され、二人一組で置いておくほうが安定するリンとレン以外の家族は全員、そうだ。個人部屋を持っている。
がくぽだとて、カイトと恋人同士になる前は、一人になれる空間の恩恵に与っていたが――
同じ屋根の下にいるとしても、だれより愛する恋人と、壁を隔てて過ごしていることが苦痛となってきている、現在だ。
しかし、ロイド――それも、うたうたうために感情豊かに造られているボーカロイドには、一人になれる部屋が絶対的に必要だというのが、マスターの信念だ。
長い経験の元に生まれた信念なので、成就した初恋に浮かれるがくぽがちょっと訴えたところで、打ち破れるものではない。
それになによりがくぽ自身にも、カイトと同部屋になったとき、自分の自制心がどこかに旅に出てしまって、戻って来ないかもしれないという危惧がある。
個別に部屋がある現在でさえ、隙あらば共寝に雪崩れこみ、――そしてもちろん、同じ布団で眠るだけで済まないからこそ、恋人同士だ。
同じ布団に雪崩れこめば、がくぽはカイトの甘い悲鳴を聞きたくなってしまう。
カイトを部屋に連れ込んだ時点で、自制心は先におねんねしている。さもなければ、星空の下で寝たいと屋根に。
――結果として家族会議の末に、「寝不足堪りません!!三日に一回にしてください!」と、全員に頭を下げられる羽目に陥る。
家族の安眠、ひいては健康のためにも、我慢がまん――とはいえ。
「…………ふ」
眠るカイトを見つめるがくぽのくちびるは、どうしても緩む。
障子越しに差しこむ朝日の中、穏やかに眠る恋人をいのいちばんに眺めて起きられることは、これ以上ない幸福だ。
毎日こうだといいと、やはり思ってしまう。
「………」
がくぽは瞳を細めてカイトを見つめ、その頬を撫でる。
――実のところ、昨日の夜はお互いに、なにもしていない。ただ同じ布団に入って、抱き合って寝ただけだ。
家ならば、そんなことは有り得ない。
しかしここは、家ではない。
畳敷きの座敷というところはがくぽの部屋と同じだが、造りが遥かに立派で、調度が違う。
現在がくぽとカイトは、温泉旅館に宿泊中だ。
いや、がくぽとカイトだけではない。家族全員での、慰安旅行中なのだ。
なにを思いつくのかまったく先の読めないマスターは、唐突に拳を突き上げて叫んだ。
「温泉に行きますよ!!」
――叫ぶのは唐突だが、そうやった場合、すでに旅館の手配からなにから、すべてを終えている。
数日前から虎視眈々と用意して、――というなら、単に性格が捻くれているか、サプライズ好き、で済む。
しかしこの場合、逆算していくと、マスターが手配を終えたのは、叫ぶ数瞬前だ。そしてさらに遡って、思いついたのは手配を終える数瞬前。
唐突で合っている。
有り得ないまでの行動力と、手配力だ。
さすがは生き馬の目を抜く芸能界で、女性の身でプロデューサの肩書を持ち続けているだけのことはある、と感心すればいいのか。
理由や理屈を訊くのも、無駄だ。彼女は直感的に生きていて、「行きたいと思いました!」しか言わない。
そんなこんなで、大慌てで家族全員、旅装を整えて出発した、温泉旅館――
マスターに、ロイドが六人、計七人という、大所帯だ。何人かごとに部屋を区分けられるだろうというのは当然の予測だが、がくぽはカイトと同部屋にしてもらえるとは思わなかった。
前述したとおり、自制心が頻繁に仕事をサボるのが、最近のがくぽだからだ。
おうちもおんもも関係ない。
カイトがいる。それがすべてだ。
「愛が深くて結構です!」
皮肉ではなく生真面目に評価してくれるマスターだが、まさか温泉旅館に来てまで、自制心のサボタージュを見逃すわけにもいかないだろう。
家族全員が、芸能関係者だ。目立つ。
恰好の餌としか言えない。
――と思っていたら、がくぽとカイトの二人をひと部屋に、後の家族五人がもうひと部屋と、分けられた。
「………いいのか?」
がくぽのほうがきょとんとして、むしろおずおずと訊ねてしまった。
「いいですよ。旅の恥はかき捨てです。解放的、大いに結構。多少羽目を外したところで、いくらでもフォローを入れます」
しらっと答えたマスターに、さすがにそこまではどうだと、遠慮したわけではない。
与えられた部屋は小ぢんまりしていても立派な内装で、しかも庭があり、そこに露天風呂まで備えていた。
やりたい放題可能。
――それでも、がくぽはカイトと共に同じ布団に入って、抱き合って寝ただけだった。
自制心が復活したというより、空間の持つ力に感化されたと言おうか。
カイトと二人きりの部屋で過ごし、夕飯も二人きりで済ませた。風呂はさすがに大浴場に出たが、それ以外はほとんど、二人きりだった。
そもそもが、穏やかでおっとりのんびりとした性質のカイトだ。二人きりだと騒々しくなることもなく、時間はひたすらに間延びして、緩やかに流れていく。
そこに持って来て、温泉旅館というものが持つ雰囲気だ。
大体の人間が、ここにはゆっくり過ごしに来る。騒々しくアトラクションを楽しみ、観光地を駆け回り、次はどうだこうだとやる場所ではない。
時折交わすキスだけでも十分に心は満たされて、思わず普通に寝てしまった。
「………まったく」
そんなことがあるとは思わなかった。
募る愛しさも、溢れる想いもまったく変わらないのに、恋人と十分な時間を持てるだけで、こうも――
馴れない環境だったために、多少癇性に出来ているがくぽは、いつもより早く目が覚めた。
おっとりのんびりしているのとは、また次元が違うところで図太い恋人は、いつもと同じ時間に起きるだろう。
それまでこうして、ひたすらに鑑賞していられるが――眺めていると、触りたくなってしまう。
触れて回ればさすがに、カイトも目を覚ますだろう。
せっかく心地よく寝入っているのだし、それでは可哀想だ。
「………仕方ない」
つぶやくと、がくぽは笑みの形のくちびるをカイトの額に寄せた。
軽く触れて、そっと体を離す。
「………と」
しかしカイトの手に浴衣を掴まれていて、体は布団から出ることができずに止まった。
愛しい、と。
想いが募ってくちびるを噛んだが、中途半端な恰好のままでもいられない。
がくぽはそっと布団をめくり、浴衣をきゅっと掴むカイトの手を露わにした。刺激し過ぎないようにゆっくり優しく指を剥がしていき、行儀よく布団の中に戻す――
「………やれやれ」
途中で、がくぽのくちびるからは苦笑が漏れた。
カイトの今日の寝間着は、浴衣だ。温泉に備えられたもので、まったくの素人でも簡単に着られる。いわば温泉必須アイテムで、これを着なければ温泉に来た意味がないとすら言える、「お約束」だ。
難点を上げると、すぐに形が崩れて、乱れてしまうということか。
寝相の悪いものだと、朝には素っ裸になっていることもある。
カイトはロイドだし、寝相が悪いということもないが、やはり多少の乱れはある。
布団の中にしまわれていたものの、ちらりと生足が覗いているカイトの艶姿に、がくぽのくちびるはどうしても綻ぶ。
可愛い。
いやらしい気持ちも募るが、寝乱れるかわいいカイトも十分に堪能したい。
つい、布団をまくって恋人の全身を露わにしたがくぽは、びしりと固まった。
生足、が、覗いているのは、いい。
わずかに筋張って細く、抜けるように白い、そこ――の、先。
見えてはいけない色が、見えている、ような。
カイトの髪色は青く、合わせるように、体の各所に最低限、生える毛も、――
そしてなにより、カイトも立派に男である証の、ぶらんぶらん――
「い、や――そう、そうだ、確か」
がくぽは高速で思考を空転させ、懸命にそこから視線を外すと、片手のひらを上げた。
もう片手の人差し指を当てると、ものすごい速さで『人』の字を書く。
「ひとひとひとひとひとひとひとひとひとひとひと…………」
書けばいいのは、三回だ。書いたうえで、飲みこむ動作が入る。そしてそれは、アガリ防止のまじないだ。
秒間何回、というスピードで『人』の字を手のひらに書いたがくぽは、数十秒後に小さく叫んだ。
「誤魔化せるかっっ!!」
――自分で、ことの無意味さに気がつけたらしい。
布団の下。
寝乱れて、肌蹴られた浴衣。
隠されていた、カイトの恥部。
そこには、本来もう一枚、布地が入る。
寝るときだけは下着を穿かない、という男もいるが、カイトは常に下着を身に着ける派だった。
これまで何度となく過ごした夜に、そこを脱がして恥部を曝け出させる愉しみを味わって来たのだから、確信を持って言い切れる。
最後の砦を奪われ、性器を剥き出しにされて羞恥に震えるカイトは、それはそれは可愛らしかった。
あるいは、いつまで経っても布地越しの愛撫しか与えられず、もどかしさに堪えきれなくなって、自分からはしたなくおねだりをしたり――
「とにかく!!」
カイトは、常に、下着を身に着けている。
しかし今、カイトが身に着けているのは薄い浴衣、それ一枚だった。