「どうぞごゆっくり」
朝食を運んできてくれた仲居がそう言って行儀よく頭を下げ、部屋から出る。
澄ました顔で向かい合って座っていたカイトとがくぽだが、仲居の姿が見えなくなると即座に、行動を起こした。
温泉に行こう!-04-
とはいえ、カイトは漲っていた緊張が解けて座椅子に凭れこんだだけだ。その間に、がくぽがカイトの隣に座るべく、皿やらなにやらを移動させている。
隣り合って座ると、がくぽはうきうきとカイトへ手を伸ばした。
「カイト」
「………がくぽの、えっち」
詰られて、しかしがくぽが懲りることもめげることもない。
「そうだな、俺はえっちだ」
「ぅううっ」
しかも悪びれもせずにそう答えられて、開き直りも甚だしいと怒ればいいのか、オトコマエだと惚れ直せばいいのか、そこも困る。
相変わらず、個部屋だ。
いるのはカイトとがくぽの二人きりで、未だに浴衣姿だ。
もちろん、下着は――
「ご、ごはん、食べる、からねっ?食べて、ねっ?!」
「ああ。食べる」
「えと、えと、あと………っ」
カイトがきょときょとと視線を彷徨わせながら言葉を探す間に、がくぽは腰に手を伸ばし、膝の上へと体を招いている。
――これ以上の行為を制止するのなら、膝に抱かれるのも拒めばいいのだが、カイトはそこに考えが及ばない。
膝の上に乗せられたときの常でつい、首に手を回したうえで、がくぽの顔を覗きこむ。
「………なんで、膝なの?」
「………決まりだから?か?」
「…………………なんで自分でぎもんけーなの…………」
問いも問いなら、答えも答えだ。
ぶすっと吐き出し、カイトはへちゃんとがくぽの体に凭れた。肩に顔を埋め、軽く背を掻く。
「カイト。後ろを向いてはさすがに、飯が食べられぬだろう」
「朝から疲れた………」
「………」
疲れもするだろう。
がくぽはきょろりと瞳を回してから、カイトを抱えたまま箸を取った。
ことが終わるとすぐさま、窓を開け、空調を最大にして空気を入れ替えた。最近は和風の温泉旅館であっても、なにかしらフォローしたうえで、最新の空気清浄機も置いてある。
こちらも最大で機能させ、自分たちの体の始末を済ませ――
まったく誤魔化せた、とは思わないが、「………かもしれないけど、それって私の目が曇っているからよね?!」程度には、持って行けたはずだ。
「そもそも、お主が言ったからだろう?『このまま放っておかれたら』」
「わぁあああんっ、俺、言ってないっ!言ってないことにするのぉおおっ!!そんな記憶、ないないしてバイバイして、ごみ箱ぽいしてぇえええええっっ!!」
「よしよし………」
がくぽは落ち着いて、ぐりぐりと肩に擦りついて喚くカイトの頭を撫でてやった。
一瞬、ようやくここまで、と到達感に打ち震えた恋人だったが、熱がひと段落すると、やはりいつも通りだった。
えっちな自分、はづかしい。
えっちなおねだりする自分、ぽいしたい。
――もちろん、いくら溺愛する恋人の頼みとは言え、聞けるものと聞けないものは存在する。
ないないしてバイバイし、ごみ箱にぽいするどころか、厳重にロックと保護を掛けたうえで、がくぽはその記憶を大事に仕舞いこんだ。
ことはもちろん、口に出さない。
ただ箸を置くと、今さら募る羞恥に悶えるカイトを抱きしめてやり――
「………って、待って、がくぽっ!!ごは、ごはんっ!!ごはん、食べるってっ」
その手が腰の辺りを怪しくうろつく気配に、カイトはびくりと肩を跳ねさせた。
慌てて顔を上げるが、がくぽがきつく抱きしめていて、それ以上身動きが取れない。
カイトを押さえこんだがくぽのほうは、相変わらず手を彷徨わせたまま、しらりと吐き出した。
「だが、後ろを向いているではないか、カイト。食べないという、意思表示だろう?」
「や、や、前向く、まえ、ま、…………前向かせてよぉっ、がくぽっ!!押さえこまないのぉっ!!」
じたじたもがいても、歴然たる力の差がある。
とうとう悲鳴を上げたカイトに、がくぽはほんの少しだけ、表情を歪ませた。
「………残念な」
非常に自分に正直なことをつぶやいてから、がくぽはきつく抱きすくめていたカイトの体を放してやった。
「も、もぉ…………」
さらにへとへとと疲れ切りながら、カイトは前に向き直る。相変わらず、がくぽの膝の上だ。ここから下りる必要性までは、感じていないらしい。
おそらくそうやって乗っていることで、さらに手を出されやすくなっているのだが。
「………そもそも、がくぽはさ。あ、お箸持たなくていーから」
「ん?ああ………。なんだ?」
「ん、あーん」
「あー」
がくぽと朝食の間には、カイトがいる。
ものともせずに箸を取ろうとしたがくぽだが、カイトはその箸を自分が持ち、甲斐甲斐しく給餌し始めた。
素直に口を開いて受け入れるがくぽが咀嚼している間に、カイトは魚の切り身を食べやすくほぐす。
「そもそもがくぽは寝るときにさ、自分はいっつも、…………のーぱんでしょ。なんで俺が………下着穿いてなかったからって、こーふんするの。それも、昼間とか普段ならわかるけど。寝てるときに」
「それ………あー」
「ちゃんともぐもぐしてから、ごっくんしてね?」
「んー………」
口を開けば、食事が運ばれる。
会話をするのは難しそうだと思いつつも、がくぽは言われるまま素直に、口の中のものをきちんと咀嚼し、飲みこんだ。
「はい、あー…」
「お主も食べろ」
「ん、次ね。はい、あーん」
「………あー」
隣に座っているとか、正面にいるというわけではない。がくぽの膝の上だ。
給餌をするためには面倒な形に体を捻らねばならず、カイトも大変なはずだ。
しかし大変だとも、やっぱり降りるとも言い出すことなく、カイトは楽しそうにがくぽの口に食事を運ぶ。
がくぽが素直に咀嚼しているのを確かめてから、カイトは同じ箸で、自分の口に糠漬けを入れた。
「俺が下着を穿いておらぬのは、日常だろう?普通のことだ」
「ん?ふちゅう?」
ちょうど箸を咥えていたカイトは、訝しげにがくぽを見る。
がくぽは一瞬募ったときめきを堪えて、平静そうに肩を竦めてみせた。
「一般的、ということではなく、いつものこと、という意味だ」
「ん、ああ……」
「対して、お主だ。違うだろう?」
納得したらしいカイトがもぐもぐと口を動かすのを眺め、がくぽは口を噤んだ。
「がくぽ?」
きちんと飲みこんだところで、カイトは空いた間に首を傾げる。
がくぽはそこで、ようやく口を開いた。
「お主が、下着を穿いていないことだ。日常ではなく、非日常、普通ではないことだろう?恋人がいつもと違うことをしていたら、興奮しないでおれるか?」
「………」
――口の中にものが入っていたら、間違いなくむせ返っていただろう。
自分が振った話題ながら、問いがあまりにも。
カイトはほんのりと頬を染め、体をわずかに引いて、上目遣いでがくぽを見た。
「………温泉の浴衣って、そーいうものじゃ、ないの?そーいう着方するのが、ふつーなんじゃ、ないの?」
「普通だが」
がくぽは迷うこともなく、即座に返した。返したうえで、あまりに早い返答にカイトが疑念を募らせる前に、さらりと太ももを撫でる。
「がくぽっ」
「それはそれ、これはこれだ。正式にはどうのこうのとあっても、嫌だと突っぱねる輩もおろう。だが、お主は素直に……」
「ぅ」
小さく呻き、カイトはますます身を引いた。
おそらく、その話を本来振られていたほうのメイコは、断固として下着を脱がなかったはずだ。
その体が落ちる前に強引に引き寄せ、がくぽは笑う。
「いつもと違うから、お主だとて興奮していたのだろうが」
「ぅっ、ぐ、ぅ………っ」
カイトはがくぽの膝の上で、もぞもぞと尻を蠢かせた。
たまに(註:カイト視点)ワガママになる恋人は、事が終わったあとに、もう下着を穿く!と主張したカイトに徹底抗戦し、――
結論が出る前に朝食を運ぶ仲居が来てしまったため、有耶無耶に議論は閉ざされた。そのせいで未だに、カイトは下着を穿いていない。
しばらくもぞもぞと尻を蠢かせていたカイトは、真っ赤に染まったまま、きっとして顔を上げた。
「じゃ、じゃあっ!俺これから、うちでも、寝るときぱんつ穿かないっ!た、確か浴衣じゃなくても、パジャマでも、男ならぱんつ穿かないの、よくあることらしいしっ!俺今度から、寝るときぱんつ穿かないっ!そしたら、ふっつーのことになるから」
興奮しなくなるよね?
念を押そうとしたカイトに、がくぽはひどい渋面になった。
眉をひそめてカイトを見ると、言いにくそうに自分の口元を撫でる。
「それは、止めておけ、カイト」
「なんでっ?!」
あまりに深刻そうな様子に、カイトは素直に瞳を見張る。
そんな大層な話をしていた覚えもない。
と、思えないほどに、がくぽの表情は深刻だ。
無邪気に瞳を見張る恋人の腰をさらに抱き寄せ、がくぽはゆっくりと首を横に振った。
「一日も、手放せなくなる。家族の安眠のことがなくとも、いくらお主とはいえ、毎晩では身が持たなかろう」
「……………っ」
揶揄う気配もなく、ごく真面目に吐き出された、言葉。
カイトはますます瞳を見張って、どこまでも真剣な恋人をまじまじと眺めた。
眺めていたが、がくぽは真剣なままだ。うそだぴょんになる雰囲気が、一切ない。
「……………あー、もう、………がくぽ」
「ああ。済まん」
へちゃんと肩に懐いたカイトの後頭部を撫で、がくぽは生真面目に謝る。
慰められつつ、カイトは箸を置いて、がくぽにきゅうっと抱きついた。
「すまんで済んだら、けーさついらないの。もぉ、謝んないで………マスター説得する方法でも、考えて」