「ねえ。がっくんは世界にひとりっきりになっちゃったら、どうする?」
リビングに置いた大型テレビに、齧りつくようにして映画を観ていたミクだったが、唐突に振り返ると訊いた。
レジェンダブル・ラヴァー
テレビ局の放映ではなく、レンタルソフトの鑑賞だ。終わっていないこともそうだが、CMが差し挟まれて中断されたわけでもない。話は続いている。
それでもミクは、後ろのソファに座るがくぽへと体の向きすら変えて、問いを重ねた。
「『朝起きたら、どこにもだれもいなくなっていました』→はい、どうする?」
珍しくも、ごく真面目な顔だ。ご丁寧に、正座までしている。
いつものように、返答次第でからかおうとか弄ぼうとか考えているふうではないが――
同じリビングにいたものの、がくぽは映画鑑賞をしていたわけではない。マスターとメイコの晩酌に、付き合っていたのだ。
どちらかといえば、彼女たちのおしゃべりを聞くことがメインだった。
だからというわけではないが、がくぽはしばらく沈黙し、返答を待つ妹を見つめていた。
同じ部屋にいる。
ミクはテレビに齧りつくようにしていたが、ヘッドフォンまでしていたわけではない。
おしゃべりとともに映画のストーリーも漫然と追っていたがくぽだから、ミクの問いが完全に脈絡がないとは言わない。観ていた映画から派生したのだろう。
しかし映画の筋からすると、『ある朝起きたら虫になっていました』という唐突さで、世界にひとりきりになるわけではないはずだが――
とはいえ、細々と疑問やツッコミはあっても、がくぽの答え自体は決まっている。
「カイトを探す」
程よく酔ったメイコが、きっぱりしたがくぽの答えにけらけらと笑った。隣では、マスターも声を潜めて笑っている。
ミクは壮絶にまずいものを食べた顔で仰け反ってから、がっくりと肩を落としてナナメに視線を流した。
「ああうんまあそうだよね。今のはボクの質問が悪かったです。答えにそれ以外なにがあるの的な」
「カイトを見つけたなら、マスターを探す」
「ん?」
続いていたがくぽの答えに、ミクはきょとんと瞳を瞬かせた。ナナメを向いた顔を戻し、小さく首を傾げる。
「光栄です、がくぽさん。それから?」
意外でもなさげに、マスターは落ち着いて謝意を示し、猪口を軽く掲げた。そのうえで、続きを促す。
がくぽも促されるまま、淀むことなく口を開いた。
「メイコ殿を探す。ミク殿と、リン殿、レン殿も」
迷いもなくきっぱりと言い切るがくぽに、ミクはかわいい顔を不可解さにしかめた。
「ええ?ナニそれ、なんで?おにぃちゃんさえ見つかれば、いーんじゃないの?だってそしたら、世界におにぃちゃんとふたりっきり!らぶふぉーえばーだよ?がっくんは絶対、おにぃちゃんひとりがいれば、世界が完結するんだと思ってたのに!」
「そうね、意外にも家族愛が深かったのね」
理解出来ないと叫ぶミクと、まるきり信じていない口調のメイコに、がくぽは淡々と頷いた。
「そうだな。俺はカイトさえいれば良い」
「でも、探すんですよね」
マスターはひとり変わらずいつもの笑顔で、口調も落ち着いていた。
おそらくこの中で彼女だけは、がくぽの答えの意味がわかっている。
けれど自分からばらすような真似はせず、がくぽが自ら言うことを待っている――
納得がいかないと渋面で見つめるミクに、がくぽは静かに猪口を口に運んだ。
「『俺は』良いがな。カイトが寂しがるゆえ。あれは家族がいないとなれば、寂しくて泣くだろう」
だから、探す。
それだけの理由だと、本人たちを前に言い切るがくぽに、マスターは声を立てて華やかに笑った。
呆れた顔のメイコは、そんなマスターとがくぽを見比べ、肩を竦める。
そこまで言われても、なおのことミクは納得がいかず、渋面のままだった。
「なんで?わっかんない!だって、がっくんはいるんだよ?!ふたりっきり、らぶふぉーえばーだよ?!」
「そうね。男甲斐に、俺ひとりいればカイトは十分だ、くらいのことを言い切ったらどうなの?」
理解不能だと喚くミクに重ねて、メイコも意気地がないとがくぽを責める。
そんな姉妹ふたりに、がくぽは小さく笑った。口に当てた猪口から、酒を啜る。
酒酔いの機能はないから、思うことも少ない。
しかし水のような、当たりのやわらかい飲み口を標榜しているそれが、わずかに苦味を帯びたような気がした。
がくぽ自身、自分の答えに納得しきっているわけではない。
味覚と同じく、どこか苦みの混じった笑いになって――それでも、答えは変わらない。
「貴殿ら、少し想像してみよ。カイトが俺とふたりきり、他にだれもおらぬ状態で世界に残されたなら、どうするか」
促したものの、姉妹たちに考える間を与えることはなく、がくぽは続けた。
「俺さえ無事ならばすべてどうでもよいと、切り捨てるか?貴殿らのことをわずかも気に掛けずに、俺とふたりきりの生活に耽溺すると思うのか?」
「………むぅ」
ミクはくちびるを尖らせて、唸った。
だれよりもきょうだいを愛し、マスターを愛し、大切にしているのが、ミクの兄であるカイトだ。
家族がひとり、またひとりと増えるたびに、だれよりも歓んだ。
ぽやんぽやんとした陽だまりのような笑顔で、折に触れては宝物だと抱きしめられて――
――みんなが来てくれてから、俺の毎日は、すごくしあわせなんだよ。
ミクは、自分が起動した日のことを覚えている。
不安を不安とも気がつけないまま、共に暮らすことになる先輩のロイドたちに相対した、瞬間を。
怯懦に強張る心に見ないふりを決め込み、プログラムに定められた通り笑ったミクを、カイトは心からのやわらかな微笑みで迎えて、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
そのやわらかな微笑みに、抱く腕の強さに、頬に与えられたやさしいキスに、――ミクは言葉に依ることもなく、自分が世界に歓迎されているのだと、無条件で信じられた。
自分は、求められて、生まれた。
生まれるべくして生まれ、ここに居る⇔要る。
早々に自分ひとりでもまっすぐと立てたのは、カイトがくれた無償の愛と、そこからしっかりと心に根付いた、確信ゆえだ。
「残念ね、がくぽ?あんたはカイトひとりいればいいのに、あっちはそうじゃないんだから」
意地悪い笑みにくちびるを歪めて言ったメイコに、がくぽも眉尻を下げて笑った。
ほろ酔いの姉の猪口に酒を注いでやって、ついでに自分にも注ぐ。
「そうだな、悔しい。悔しいが――」
完全に納得などしていない。
自分だけを見ろと、叫びたい日も多い。
俺だけのカイトでいろと、喚きたい――
それでも。
「そういう、カイトを好きになったのだ」
きっぱり、言い切れる。
まったく納得していないのに、言い切れてしまう自分がいる。
だからもう、がくぽは諦めをつけた。
出会った当初からカイトには家族がいて、彼らに深い愛情を抱いていた。
そうではないカイトを、知らないのだ。家族を愛しているカイトを見て、惹かれ、――
マスターが声高く笑い、メイコはべっと舌を出してそっぽを向いた。
ミクは至極情けない八の字眉になって、がっくり項垂れる。床に手をついて、図らずも土下座状態だ。
「なあに?なにかたのしいこと?」
そこにカイトが、新しく作ったおつまみとともにキッチンからやって来て、おっとり笑って訊いた。
話題のおにぃちゃんの登場に、ミクは古い映画の幽鬼よろしく、不気味な動きでさかさかと這い寄った。
立ち上がることはないままにエプロンの裾を掴むと、懸命な色を浮かべた瞳でカイトを見上げる。
「おにぃちゃん!おにぃちゃんはさ、ある日突然、世界にがっくんとふたりっきりになったら、どうする?!」
「ほえ?」
なにをやっていようともかわいい妹だが、あまりに唐突過ぎる質問に、カイトはきょとんとして瞳を瞬かせた。
「がくぽと、ふたりっきりなの?他にだれもいないで?マスターも?めーちゃんも、ミクも?」
「いなくて!でも、がっくんはいるの!世界にがっくんとおにぃちゃん、ふたりっきりなの!!」
「んー………」
困ったように唸っては見せたものの、カイトはそれほど考えこまなかった。
すぐに笑うと腰を屈め、ミクの頭を撫でる。
「みんなを探すよ?俺とがくぽのふたりだけ、みんなとは別の世界に飛ばされちゃったっていうんだったら、なんとしてでも帰る方法を探すし」
「あばんぎゃるどう!!」
意味不明な呻きを漏らすと、ミクはばったり倒れて、床に完全に伏せった。マスターといえば、さらに高笑う。
「やれやれ。仲が良くて結構よ!」
「めーちゃん?」
メイコに呆れたようにつぶやかれても、カイトは話が見えていないままだ。マスターは笑っているが、妹はなぜか潰れてしまったし、困惑するしかない。
説明を求めてがくぽを窺うと、静かに酒を啜っていた恋人はいつも通り、落ち着いた微笑みを向けてくれた。
「大丈夫だ、カイト。俺がいる。どんな事態であれ、すぐにも皆、見つけてみせよう」
「ふや???」
やはり、意味不明だ。
しかしそれ以上の説明もなく、がくぽは穏やかに微笑むだけだ。
マスターにしろメイコにしろ、ミクにしろ――まともに説明して貰えそうもない。
経緯はわからなくても現状を呑みこんだカイトは、ややして頷いた。
「うん。がくぽだもんね。頼りにしてるからね!」
無邪気な信頼を込めて笑い、恋人の頬にキスを落とす。
「これでいいの………?!いや、いくないよね。いくないよね?!!」
床に伏せったまま往生際悪くつぶやくミクに、マスターはウインクとともに親指を立ててみせた。
「いいんですよ、ミクさん!そりゃ、ふたりっきりも醍醐味ですけどね。やっぱりしあわせは、ひとに見せつけて、なんぼです!」