買い物帰り、突然の雨降り――

傘は、二本。

「ちっ」

ゲーマーズ・レイン

「し、舌打ちっ?!がくぽっ、舌打ちなのっ?!」

思わず素直な本音を駄々漏らしたがくぽに、傍らに立つカイトがわずかに身を引いた。

本日のお買い物当番であるがくぽとカイトは、二人で連れ立って近所のスーパーへと出かけた。

空模様は微妙だったものの、すぐに降りそうな気配もなく――

傘を持たずに出かけたら、店から出たときには見事に降り出していたという、淀みない梅雨の罠ぶり。

とはいえ、いるのはスーパーだ。財布に金も残っている。

この季節、安いビニル傘は必ず置いてあるものだから、もう一度店の中に戻って買えばいいだけ。

安いとはいえ余計な出費だから、家に帰ったあとの家長よりの、ゲンコツとお説教は免れない。

だからといって、傘を買うなとは言われない。濡れて帰ったほうが、さらに怒られる。

どちらにしても怒られる、容赦のない選択肢――に現れたのが、奇跡の第三の選択肢だった。

奇跡を起こした救いの天使の名は、リンとレン。

仲良しの双子の弟妹は、家からわざわざ兄二人の傘を持って、迎えに来てくれたのだ。

そう、二人の傘。

傘が二本。

自分たちは、相合傘だが。

「がっくがく………リンとレンがせっかくカサ持ってきてあげたのに、イキナリ舌打ちって………」

「…………っぅ…っ」

兄二人が最強の姉に怒られるのを未然に防いでやろうとして、いわば善意でお迎えに来たリンとレンだ。

それを迎える第一声が舌打ちというのは、さすがにあまりというもの。

元はかわいらしい、大きな瞳を冷たく眇める下の妹に、がくぽはわずかに仰け反った。

傍らのカイトですら、微妙な非難の目だ。がくぽの不利も甚だしい。

弟のほうは小ばかにした表情で、生意気に鼻を鳴らした。

「やぁっぱり、にぃちゃんと相合傘して帰ろうと目論んでたな、最バカ兄。俺とリンみたいな、萌えもえ愛らしいろりしょたカプならともかく、成人男子二人で相合傘じゃ、不自然極まりねえだろ自制しろ、最バカ兄!」

「……………っふっ」

がくぽは完全にナナメを向いて、笑った。敗北の笑みだ。

今回の場合、レンの言うことはすべて容赦なく、的を射ている。全弾的中、瀕死だ。

だがこれであっさりと、敗北を認めることもない。

ナナメ笑いから一転、爽やかにオトコマエ過ぎて、胡散臭さ最高潮の詐欺師の笑顔となったがくぽは、反抗的な目で睨む弟へ向き直った。

「『最愛の兄』だなどと、そう何度も呼ばれると照れるぞ、レン殿。そのようにつんけんしながら最愛と連呼、つまりは兄相手にツンデレか俺を萌えさせてどうしたいのだ、困った弟め!」

「んがぁああっ?!」

がくぽの曲解に、レンは総毛立った。一度仰け反ってから体を戻し、顔を真っ赤にして喚く。

「なにが『最愛』だ、ちゃんと聞けっ、この最バカ兄っ!!バカって言ってんだよ、バカってこの最バカ!!」

「はっはっはっ、ツンデレの言う『バカ』は、『好き』の裏返しであろう?!このようなところでそうも好きすき言われると、さすがに俺も照れるぞ、このツンデレ弟!」

「ひっ、ひぎぃいいっ、バカぁっ!!バカ兄ぃいいっ!!この最バカぁあああっ!!」

しらしらとからかい続けるがくぽに、レンのほうは微妙に本気の涙目で掴みかかる。

体格と力、そして基本的な器用さに歴然たる差、隔たりがあるのが、この兄弟だ。

レンが掴みかかって来たところで、がくぽは小揺るぎもしない。

どころか胡散臭過ぎる爽やかオトコマエ笑いのまま、これ幸いとばかりにレンの頭を小脇に抱えると、その髪を容赦なくわしゃわしゃと掻き混ぜた。

「……………おにぃちゃん」

「ぅ……ん。ええと、ごめんね、リンちゃんお迎え来てくれたの、俺もがくぽもうれしいよ。ありがとう」

「んっ」

胡乱な目を向ける下の妹に、カイトは笑って屈み、前髪を掻き上げてやると額にちゅっとくちびるを落とした。

問題は多々あるが、あれはがくぽの照れ隠しだ。

カイトに耽溺するあまり、ここ最近はネジがすっ飛んでいるがくぽだが、基本の礼節は失われてない。雨の中を迎えに来てくれた相手に、いきなり舌打ちをこぼしたことを、ひどく恥じている。

本来ならば、すぐさま頭を下げて平謝りするだろう――が、相手はリンとレンだ。

きょうだい、家族。親しき仲にも礼儀あり。

それでも素直に『ごめんなさい』が出てこない理由は、ふたつ。

そうと言ったところで素直に受け入れはしない、気難しい年頃の弟妹相手だというのが、ひとつ。

そしてもうひとつは逆説的に、『親しき仲』だからこそ。

家族として気を赦せば赦すだけ、他人行儀に頭を下げて平謝りすることが、照れくさい。

そうやって閊える咽喉から出される、照れ隠しとしての、弟への余計なからかい。

問題はあるが、がくぽが『家族』を『家族』として認めて受け入れた、さりげなくも確かな証――

ある意味で、双子の弟妹と同じく『思春期』に入っているのが、今のがくぽだ。

わかるカイトは微笑んで、謝れないがくぽに代わって妹の頭を撫でる。

「二人が来てくれたの見て、俺もがくぽも、ほんとにほっとしたの。ね?」

「………うん。いいよ、わかってる……リン、がっくがくの考えることなんて、お見通しなんだから」

ねこのように瞳を細めて笑ったリンが許しをつぶやいたところで、弟を構い倒したがくぽが振り返った。

「リン殿肩車は好きか?!」

「かたぐるま?!」

唐突な言葉に、リンは瞳を見張る。カイトも意図が飲み込めず、きょとんとしてがくぽを見た。

そのリンのすぐ傍に来たがくぽはというと、笑って頷く。

弟に向けた笑みとは違い、爽やかで男前だが、胡散臭さはない。ただ大人の男、幼い弟妹を持つ兄としての、頼もしさだけがある。

がくぽはカイトに自分の傘と買い物袋とを渡しながら、腰を屈めてリンと目線を合わせた。

「そうだ、肩車だ。好きか?」

「好きよ大好きっ!」

「では、してやろう!」

「ええっ?!」

リンが元気いっぱいに答えた途端、がくぽはその体をぐいっと持ち上げ――言葉どおり、本当に『肩車』してしまった。

「きゃ、きゃぁあ、きゃあっ?」

「暴れるなよ、さすがに堪える」

「だ、だってがっくがく、……………ったっかぁああいっよっっ!!ねえねえ、おにぃちゃんったっかぁああいのぉおおっ!!」

一瞬は驚愕からもがいたリンだが、すぐにそれは無邪気な歓声に取って代わった。

言われる前からがくぽの頭を鷲掴みにして自分の体を安定させ、『高い』景色にはしゃぐ。

「………大丈夫なの?」

はしゃぐリンに笑い返しつつも心配そうに訊いたカイトに、がくぽはくちびるを笑ませた。

「暴れないでくれればな。ぎりぎりというところだ」

「…………もぉ」

無理をすると、わずかに頬を膨らませたカイトだったが、ふと気がついて傍らを見た。

「………………………………………」

「………………………………………」

壮絶に恨みがましい目の、弟がひとり――乱された髪を直しもしないまま、はしゃぐリンと、彼女を軽々担ぐがくぽをじっとり見ている。

弟妹三人を見比べて、カイトはちょこんと首を傾げた。

手を伸ばして、乱れたままの下の弟の髪をきれいに梳いてやりつつ、困ったように笑う。

「えと、……ごめんね、レンくん。おにぃちゃんはさすがに、レンくんのこと、かたぐるま、ムリ………」

「そっ!!そんなこと、言ってねえしっ!!」

実際、レンが恨みがましかったのは、相方を取られる危惧にだ。

カイトもだがレンにだとて、逆立ちしてもリンを肩車するなどという芸当は、出来ない。

それを、易々とやってのける相手――

そういうジト目だったのだが、残念なところで抜けている兄二人は、そうとは取らなかった。それはそれで、少年の矜持は守られている。

しかし別の少年の矜持は、守られていない。

「そうか、ツンデレ弟も肩車して欲しいか。しかしさすがに俺も、二人一度は無理だな」

「ちちちちち、ちがうって言ってんだろっ?!あとヘンな呼び方すんなっ!!」

慌てて叫ぶレンに構うことなく、がくぽはわずかに首を仰け反らせ、上目でリンを見た。

「リン殿、レン殿とじゃんけんしてくれ」

「えー、じゃんけんレンが勝ったら、こーたい?」

がくぽの髪を殊更に鷲掴みして、リンはわずかに頬を膨らませた。

すぐに交代するのでは、つまらない。レンにも楽しませてやりたいが、もう少ししてから――

「いいから。ほら」

年よりさらに幼い態度の妹に穏やかに笑い、がくぽは支える太ももを、促すようにぺちぺちと叩く。

「むー。しょーがないっ、レンっイくよっ!」

「だから聞けっ違うって言って……」

懸命に否定しようとするレンに構わず、リンは拳を振った。

「仁義なきさいしょはぐーっっ!!」

「血で血を洗うじゃんけんほいっ!!!」

――『かわいらしいろりしょたカプ』を標榜しながら、微妙に血生臭い掛け声だ。

継いでその結果に歓声を上げたのは、リンのほうだった。高々と、勝利の拳を掲げる。

「やったぁ、ぐー×ちょき!!リンの勝ちぃっ!」

「ぅぐっ、つい………っ!」

『つい』釣られてしまったレンは、ちょきを出した手を押さえて呻く。

がくぽは肩の上ではしゃぐリンに苦笑しながら、カイトに顎をしゃくった。

「カイト、傘を――」

「えあ、うん」

促されて、カイトは訳がわからないまま、持っていたがくぽの傘を差し出す。がくぽは上目となりながら、はしゃぐリンの太ももをぺちぺち叩いた。

「リン殿、傘を差せ」

「えっあ、うん、カサ?」

はしゃいだ勢いまま特に考えることもなく、リンはカイトから傘を受け取って広げる。

自分の頭上に花が開いたことを確認すると、がくぽは一度体を揺すり、リンを抱え直した。

そのうえで、足を踏み出す。

「『ぐ・み・こ』」

「ふぇっ?!」

「はぁ?」

掛け声とともに、がくぽはスーパーの庇の下から、雨天下に。

進んだのは、きっちり三歩――

立ち止まると、きょとんとするきょうだいを笑いながら振り返った。

「リン殿、もう一度じゃんけんだ」

「えなに、どういうこと?」

頭上から身を屈めて、リンはがくぽの顔を覗きこむ。

がくぽは笑ったまま、同じくきょとんとしている、未だスーパーの庇の下の兄弟へと顎をしゃくった。

「じゃんけんだ。勝った方は、『その分』だけ先へと進む。そうやってレン殿が俺とリン殿に追いついたなら、肩車交代だ。次はリン殿が、俺とレン殿を追いかける」

「ああ…………!」

「ぅっわ………っ!」

リンが上げたのは純粋な感嘆の声だったが、レンが上げたのは微妙に悲鳴だった。

子供の遊びだ。

ぐー・ちょき・ぱーのそれぞれに、対応する『掛詞』を決め、じゃんけんに勝ったほうがその掛詞の数だけ、歩を進める――一種の、人間双六。

もう一度言うが、子供の遊びだ。主に小学生くらいの。

リンもレンも幼いとはいえ、そこまでではないし、がくぽにしても――

それでもがくぽは堂々と笑っているし、担がれたリンも納得すると、ぱんと手を叩いて賛同を示した。

「やる!」

「ぁああ、もぉおおう…………!」

「ぁははっ」

頭を抱えるレンは、相方がやると言ったら断れない。この年で肩車など、されてみたいが見られたくない。

複雑なお年頃の弟の懊悩に笑って、カイトはよしよしと頭を撫でてやった。

遠回りで、伝わっていない気配もあるが、これはがくぽなりの謝罪だ。傷つけた弟妹に対する、精いっぱいの。

「ほらほら、レンくん次、始めないと。帰れないよ?」

「ぅああぅ、にぃちゃぁああ…………っ」

自分の傘を広げながら促したカイトに、レンは壮絶に恨みがましい目を向ける。

笑いながら、カイトは弟の踏ん切りをつけさせるべく、一歩――

「待て、カイト。お主もだ」

「ほえ?」

歩き出そうとしたところで、がくぽから制止が入った。

「お主も加われ。ひとりだけほてほて歩いても、面白くもなかろうが」

「え、それはそうだけど………」

カイトはきょときょとと、瞳を瞬かせる。言う通りではあるが、しかし――

カイトの言葉を代弁すべく、リンが体を折ってがくぽの顔を覗きこんだ。

「でも、がっくがく。おにぃちゃんにはさすがに肩車、できないでしょどうするのじゃんけんだけ?」

問いに、がくぽはにっこり笑った――爽やかオトコマエで、これ以上なく晴れやかに、胡散臭く。

「確かに俺でも、カイトを肩車するのは無理ゆえな………カイトは肩車ではなく、姫抱っこだ!」

「ひめ………」

高らかな宣言に、カイトはきょときょとんとしてがくぽの言葉をくり返し――笑った。

確かに、肩車は無理だ。が、いわゆる姫抱っこ、腕に抱え上げることは、がくぽは常から易々やってのける。

それにおそらく、リンとレンだけでやらせているより、カイトも加わったほうが盛り上がるだろう。そういった盛り上げは、カイトがもっとも得意とするところだ。

非礼も吹き飛ぶほどに楽しければ楽しいだけ、がくぽの『謝罪』は成る。コイビトとして、協力することに否やがあろうはずもない。

むしろ、協力させてほしい。

「んっいーよ、やるっ!!」

「「ひぎぃいいいっ……………!」」

拳を突き上げて高らかに宣言したカイトに、悲鳴を上げたのは壮絶に引きつった弟妹だ。

おにぃちゃんは、わかっていない。

さっぱりわかっていないが、姫抱っこだ――公道で。

相合傘とべったり密着いちゃいちゃと、両方が淀みなくできてしまう、無敵のアイディア。

しかも弟妹が共にいて、『ゲーム』の最中だとのカムフラージュも可能。

こんなに腹黒い企みもないというのに、がくぽの浮かべる笑みの胡散臭さたるや、まさに最高潮だというのに、――おにぃちゃんはなんと無邪気で、そして、救いようもなく鈍いのか。

説明しようにも、わかってもらえる自信がまったくない。

ということは、リンとレンに打てる手はひとつ。

「れ、レンっ、レンっまけ、ま、負けられないよっ?!」

「わか、わかってるっここが、鏡音の結束の正念場っつうか、にぃちゃんって、じゃんけん………」

強い。

絶対に勝つとまでは言わないが、勝率の高さは家族一を誇る。

不利だ。圧倒的に。

それでも、勝たなければいけない勝負がある。負けることを赦されないイクサが。

「さて、いつまでも愚図愚図していては、食材も傷む。そろそろ……」

「よっしリンちゃん、レンくん、いっくよー!」

至上最凶に胡散臭い笑みを浮かべる下の兄と、いつも通り、無邪気に愛くるしい笑顔で拳を振る上の兄と――

促された末の弟妹は、悲愴な顔で覚悟を決めた。

逃げ場はない。

戦うしか。

「お家断絶さいしょはぐー!!」

「骨肉争うじゃんけんほいっ!!」

――追い詰められたろりしょたの上げる掛け声は、どうしても血生臭かった。