こここんと襖をノックして応えも待たずに入って来たコイビトは、畳に座って迎えたがくぽに、にっこり笑って浴衣を差し出した。
「がぁくーぽっ!着せてー☆」
「ふ………っ」
――お母さん。今年も相変わらず、コイビトは無邪気です。
年々月々日々彩々
架空の母親に架空の手紙を空涙とともに送り、がくぽはにっこり笑っているカイトを、微妙に情けなく見た。
己が抱く恋情も劣情も理解できていなかった頃からの、約束だ。
何度着付けてもらっても『忘れてしまう』というカイトに、がくぽが浴衣を着せてやった。
これくらい、なにほどのこともないから、頼ればいいと。
その後、なんだかんだとあって、今のカイトは『忘れて』いないはずだが、変わらずがくぽに着付けを強請りに来る。
夏は浴衣を、冬――正月には、着物を。
甘やかしてやるのはいい。いいというより、甘やかしてやりたい。
だから、甘えてくれるなら、どーんと来いというものだが――着付け、つまり着替えだ。
肌が晒される。それはもう無防備に、全身。
仕事ならまだしも、完全なるプライヴェートで。
「がくぽ?」
「いや………予想はしていたゆえな。問題ない」
「ほぇ?」
カイトに浴衣が与えられたなら、がくぽにも今年の新作浴衣が与えられた。
着替えて夏祭りに行くぞと、それも毎年恒例の流れだ。
ここぞとばかりにマスターに甘えたい弟妹たちはリビングに残り、大着付け大会を開催中だが、がくぽは違う。
元々着付けのスキルが入っていることもあるし、『マスター』にそういう甘え方をしたいとも思わない。
なので浴衣を持って早々に、自室へと引き上げた。
しかしもちろん、恋人のことを忘れていたわけでもない。
「着付けだろう?してやるから、脱げ」
「んっ!………ぅんっ。………ぇへっ……………」
「…………」
微笑んで促したがくぽに、カイトは頬にぱっと朱を散らして、わずかに恥ずかしそうに頷いた。
あぁあ~~~~~~もぉおおうっ!!
――言葉にするならそんな感じで、がくぽは内心、頭を抱えた。
カイトは素っ裸で来たわけではない。きちんと服を着ている。
着替えるとなれば、当然元の服は脱がなければならない。
だから、脱げと求めた。
カイトもわかっていて、それでも言葉の響きに、瞬間的に照れる。
脱げと傲然と命じられて、恥ずかしがるカイトはかわいい。
脱がすのはこちらの楽しみだからと、普段ことに及ぶとき、がくぽが脱がせてばかりということもある。
目の前で恥ずかしげに服を脱いでいくカイトの姿は、殊更に扇情的だ。
襲わない自信がない。
ちょっと舐めるくらいなら、いや、ちょっと撫でるくらいなら。
がくぽの思考は高速で空転し、どこまでならいいかの妥協点をだめな方向で考え出す。
もちろん、すべてがだめだ。
ちょっとやってが、『ちょっと』で終われるわけがないのだから。
「がくぽ?脱いだ、よ?」
「一寸待て………写経するから」
「写経?!」
惑乱のあまりに素っ頓狂なことを言い出したがくぽに、カイトは瞳を見張る。
カイトはすでに脱いで、下着だけの姿なのだ。これで待たされるのは、多少厳しい。
「がくぽ?えと、あの、だいじょうぶ?」
「大丈夫だ。証城寺まで進んだ」
「しょじょじ?!どこ?!」
言っていることの怪しさが、どんどん増していく。
カイトは慌ててがくぽの前に回り、へちゃんと座りこんだ。座るがくぽに合わせてさらに身を屈めて、覗きこむ。
「がくぽ?…………えと、ね。あの…………俺、……メイワク?」
「そんなわけがあるか!」
「っひきゃっ!」
叫んだがくぽは、ようやくきりっとした表情を取り戻した。
「お主の頼みや願いを聞くことで、俺が迷惑だなどと思うことはなにひとつない。むしろお主はもっともっと、俺に甘えたり願いを言ったりして、頼り縋れ!」
「が、がくぽ…………」
「そもそもお主は、迷惑だとこちらが思うほどに我が儘を言ったこともない。俺は頼れない男なのかと、悩むほどだぞ」
「そ、それはないよ、がくぽ!」
ふっと、悔しげに視線を流したがくぽに、カイトは慌てて叫ぶ。
「がくぽ以上に頼れるひとなんか、いないもん………俺、いっぱいいっぱいがくぽに頼って、ワガママしてるよ?!」
「足りん」
「ぁぅわ」
すっぱり一言で切って捨てられ、カイトは意味不明な呻きを漏らした。
甘やかしたがりの恋人だと、わかってはいるが――
「そもそもなにかあるたびに、俺に『迷惑か』と問うことが、すでに頼りにしていない証だ」
「そんなこと……」
「そうだな、これからはお主が『迷惑か』と訊くたびに、さらなる我が儘を要求することにしようか」
「えと、がく………」
「さらなる我が儘が言えないようなら、そのたびにキス攻めにする」
「……………がくぽ……」
キレた恋人の方向性は、酔っ払いに似ている。
酒に酔う機能のないがくぽだが、カイトに対しては時として酔っ払ったような振る舞いになる。
カイトは諦めて体から力を抜きつつ、とんとがくぽの胸を叩いた。
「わかったから………ワガママも言うし、お願いもするし、がくぽのこと、頼りにする」
「ああ」
生真面目な顔で頷くがくぽに、カイトはちょこりと首を傾げた。
「だから、とりあえず………ええと、その、………俺の上から、どいて?」
「ん?」
「えと、この体勢って、ちょっと…………」
「…………」
――迷惑かと訊かれて、そんなわけがあるかとキレた瞬間に、がくぽはカイトを畳に押し倒していた。
現状、カイトは裸だ。下着は身に着けているが、あまり意味はない。
それでこうして押し倒されるのは、多少、問題がある。昼間であってもだ。
ふわんと頬を染めてがくぽから顔を逸らすカイトは、のみならず、全身も朱に染めていく。
晒された肌が、徐々に徐々に、色を刷いて――
「…………済まん」
「ぅうん。俺こそ…………ん?」
「痕は残さないようにする」
「ちょ、え、がくぽ?『すまん』って」
「祭りの時間にも間に合うようにするし、あとは……歩くに支障が出ないよう、最後までもしない」
「が、がくぽ?!」
叫んで見つめるカイトに、がくぽはあくまでも生真面目な顔のままだった。
しかしさすがに、付き合いもここまで来るとわかる。
やる気だ。なにをと言って、ナニを。言い換えるなら、ヤる気――
「がくぽ!」
思わず一瞬、下らない言葉遊びに逃避したカイトだが、そんな場合ではない。
慌てて身を捩るカイトを押さえつけ、その肌にくちびるを落としたがくぽは、非常に残念そうにつぶやいた。
「――本当に済まん。頼れと言いつつ、実際頼りがいがないな、俺は………これに懲りず、次も頼ってくれ。そのときはたぶん、自制心が存在しているかもしれない」
「っぁ、やぁっ、………っぁ、ふぁうっ」
――がくぽの慨嘆と反省もどきが、組み敷いた恋人の耳に届いたかどうかは、多少怪しかった。