「んっとね、俺、ケーキつくるよ!」

長男の発言に、マスターは軽く瞳を見張った。

「ケーキですってそれってつまり、伝説のベタ展開狙いですかお約束の踏襲というやつですか?」

「?」

マスターの発言は、ときどき、というより頻繁に意味がわからない。

きょとんとして湖面のように澄んだ瞳を見張ったカイトを見て、頭を突き合わせていたミクがため息をつく。

「マスター、それ、おにぃちゃんには難しいよ。おにぃちゃんだよ?」

「そうよぉ、おにぃちゃんよ確かにおにぃちゃんだったら天然でやってくれそうな感じはするから、つい食いついちゃうマスターの気持ちはわかるけど」

同じく頭を突き合わせていたリンも言う。

大家族用の、大テーブルを囲んでいるのは、マスターにカイト、メイコにミクにリンレン、家族全員マイナス1。

いないがくぽは単身仕事中だが、これはマスターが半ば仕組んで入れた予定だ。

どうしてもがくぽ抜きで話し合いたいことがあったのだ。

「って、つまりアレか?にぃちゃんが、伝説のベタ展開なアレの役割を担うと、そういう話してんのか?!」

わずかに遅れて女性陣の話を理解したレンが、悲壮な声で叫ぶ。

彼はおにぃちゃんが好きだった。単純明快に、同じく姉妹たちに虐げられる同志として。

アレアレ叫ぶレンに、ミクとリンが含み笑う。

「やっだぁ、レンくん、やらしーい。なに想像してんの?」

「レンったらぁ、どんなこと想像してんのよぉ、もぉ」

「ぁがあああ!」

粘着質な声に、レンは断末魔の悲鳴を上げた。

別にいやらしい発想も発言もなかったはずだ。

だが、なんだろう、このダメージ。

テーブルに沈んだ脆弱なおとうとをあっさり見限り、椅子にふんぞり返って座っているメイコが、落ち着いて発言する。

「それ以前にねどうして、その役割をカイトに割り振ろうとしているのかが、疑問なんだけどうちにはカイトでなくても、かわいい女の子がこれだけいるでしょ?」

「ええっと、アレとかソレとか、いい加減なんの話なの…?」

こっそりと口を挟んだカイトは無視されて、ミクとリンがきょとりとした顔を見合わせた。

「え、だってがっくんでしょボクの王子様はおにぃちゃんひとりだもん、ないない」

「そうよぉ、がっくがく相手でしょあたしの王子様はレンだけだもん」

平然とのたまう。

テーブルに沈んだレンが、わずかに回復の兆しを見せた。安いのは少年ゆえだ。

「それに、そう、だったらめーちゃんはどうなのよ」

「あたし?」

ミクの指摘に、どこまでも偉い家長はさらにふんぞり返った。

「あたしに王子様が必要だと思ってんの要るのは家来か家僕か、さもなければ奴隷と下僕よ」

そして、その家来か家僕か以下略のために、どうして骨を折ってやらなければならないのか、というのがメイコの言いたい結論らしい。

「ええっとぉ」

「ああ、はいはいマスターは家来でも家僕でも奴隷でも下僕でも呼び方になんて拘りませんよ!」

「なんの話よ!」

小さい声を上げたカイトはまたも黙殺され、元気いっぱい手を上げたマスターへとメイコが平手を叩きこむ。

後頭部を叩かれてうれしそうなマスターはしまりを忘れた笑顔で、途方に暮れるカイトを見た。

「つまりですね、カイトさんが伝説の裏技奥義、誕生日ケーキクリーム塗れ、というのをやるのかって話なんですけど」

「たんじょうびけーきくりーむまみれ?」

説明してくれたらしいその単語が理解不能だ。

きょとんとするばかりのカイトに、マスターはまじめな顔になった。

「男の夢ですね。愛する人が初めての誕生日に焼いてくれたケーキ(失敗風味)、ちょっと焦げてたっていいさ、クリーム塗っちゃえばわかんないわかんない、いっしょにクリーム塗ろうよ、から始まったふたりの共同作業、おふざけがいつしか」

「で、それをなんで男のカイトが、男のがくぽにやるのかって話よね」

マスターが綴るあほ物語を強引に打ち切り、メイコが眉間の皺を揉む。

カイトは瞳を瞬かせ、首を傾げた。

「夏だしがくぽだし、スポンジ焼くんじゃなくて、さっぱりめのレアチーズケーキにするつもりだったけど…」

ツッコミどころが違う!

と、ここにがくぽがいればツッコんだだろうが、いないのでどこまでもスルーされる。

「クリームを塗れば問題ありませんよ」

マスターは大真面目に答える。

「クリームでも、がくぽ甘いの苦手だし」

「クリームは甘さ控えめでいい。けれど量はたっぷり。ここは譲れません」

「別にいいけど…」

繋がっているようで、実は繋がっていない会話だ。

メイコはさらに眉間の皺を深くし、ミクとリンは首を傾げながら顔を見合わせた。

「それで、マスター。めーちゃんじゃないけど、なんでマスターはおにぃちゃんにその役割を任せようとしているわけ?」

代表して訊いたミクに、マスターは瞳を瞬かせた。

残念なことに、だれがどう見ても、その表情は無邪気に見えた。

「どうして?」

「…」

訊き返され、全員が黙る。カイトとその他の沈黙が持つ意味は違ったが。

ミクの眉間にもリンの眉間にも皺が寄り、ロイドたちはそれぞれ思案する顔になった。

「…やだ」

いちばんに声を上げたのは、レンだった。

「やだやだ。にぃちゃんはみんなのにぃちゃんなのそんなのずぇえったいに認めない!!」

「うーん」

レンが口を開くともれなく弄ぶ、小悪魔を通り越して貴族悪魔と化している姉妹たちも、これにはすぐさま飛びつかなかった。

こちらは本物の無邪気できょとりとしているカイトを見やり、本物かどうか怪しい無邪気さできょとりとしているマスターを見やる。

「…カイトの気持ちはどうなるのよ」

代表して口を開いたメイコに、マスターは心外そうに瞳を見張った。

「私にそれを訊くのね?」

「あんただから訊くのよ」

通常なら答えに詰まる問いにきっぱりと返して、メイコはなにもわかっていない顔のおとうとを視界の端でちらりと見た。

「あんたはなにか考えがあるみたいに振る舞うけど、ほんとになにか考えがあることのほうが少ないもの。出たとこ勝負で転がされたら、堪んないわ」

「え、めーちゃん」

口を開いたのは、言われたマスターのほうではなく、まだまだきょとりとしたままのカイトのほうだった。

「考えがあるマスターって、どんなの?」

「…」

沈黙と静寂。

ほんとうに破壊力があるとはどういうことなのか、だれもが痛感していた。

「あれ、ええっと…」

困ったように視線をうろつかせたカイトが、ふいに表情を輝かせる。だれが反応するより早く、立ち上がった。

「がくぽ、帰ってきた!」

叫んで、玄関へと走り出していく。

「…まあ、アレですよ」

マスターが、視線でその背を追う。

メイコはわずかに思案する顔になり、さすがのミクとリンもごく複雑そうに顔をしかめた。

「なるように成れ、というのが私の信条ですが」

「違うわよ。成るようにする、よ」

「まあ、時としてそんなこともあるわ」

メイコの反駁に悪びれもせずに返して、マスターは頷く。

「私としては、なんだか放っておくとカイトさんは一生、自分の気持ちの変化に気がつかなそうな、そんな微妙なおそれがあるのですよ……」

マスターの指摘に、全員がまた、黙りこむ。

ごもっとも過ぎて、反駁のしようがない。

「でも俺はやだ」

珍しくも強情に言い張ったレンに、片割れは愛らしく小首を傾げた。

「リンは…」

「俺はやだ」

言葉を重ねたレンの頭が、軽く吹っ飛ばされる。容赦のないお姫さまだ。

吹っ飛ばしておいて、それでも愛らしいまま、リンは戸惑う顔で騒がしい玄関のほうを見やった。

「がっくがくが、おにぃちゃんにふさわしいひとなら…」

「俺はやだーーーっっ!!」

吹っ飛ばされても懲りることを知らずに叫ぶレンの頭を、ミクが片手でテーブルへと潰した。空いているほうの手をぐ、と握って拳を固める。

「いいこと言うね、リンちゃんそう、要するにおにぃちゃんにふさわしいひとかどうかってことだよねもしがっくんがボクたちが認めざるを得ないようなオトコなら、ボクだっておにぃちゃんを譲り渡すことに否やはないもの。ボクたちは決して狭量じゃない!」

力強く言って、にんまり笑う。

ミクの笑顔の意味を正確に読み取って、リンの顔も邪悪な笑みに歪んだ。

「うん、そうだよがっくがくがふさわしいひとなら、リンだってよろこんでおにぃちゃんのこと任せるよふさわしいだけのものを示せたらね!」

「ね!」

邪悪な方向で協定を結んだ妹たちを見やり、しかしそれを止めることなく、メイコはマスターへと視線を流す。

「うつくしい姉妹愛ですねえ」

「あれが美しいなら、世の中に醜いものなんてなくなるわよ」

ツッコんで、天を仰いだ。

「当人同士に任せておきなさいよ、こんなこと…」

「だから、それじゃ絶対進展しないわよ」

大真面目に言うマスターに、メイコは肩を竦める。

「あたしが見るに、がくぽはそれほど忍耐強いほうじゃないわ」

言い切るメイコを、マスターは笑って見た。

「私が見るに」

手が伸びて、メイコの頬を撫でる。

「彼は愛しいものを守るためなら、自己犠牲など厭わない。こころすら、殺して満足に笑うわ」

「…」

思案する顔になったメイコの耳に、戸惑うがくぽの声が届く。

まとわりつくカイトを突き放せない。受け入れることはできないけれど、跳ね返すことも。

けれど、メイコに言わせれば。

「まだ、そこまでのものとは思えないけど」

どう考えても、マスターもきょうだいたちも、先走り過ぎている感がある。

マスターはこっくり頷いた。

「カイトさんに負けず劣らず、がくぽさんも鈍いのよ」