「いくらなんでも、不毛じゃね?」
不満たっぷりにこぼしたレンの言葉に、がくぽが鼻を鳴らし、カイトはおっとりと首を傾げた。
「ならば貴殿ひとりで、逆らえばよかろう」
「合理的な判断だと思うけどなあ…」
兄たちふたりの言い分に、それぞれものすごく言い返したいことがあって、しかしうまく言葉にすることが出来ずに、レンは口を噤んだ。あまり口がうまくない、年頃の少年なのだ。
そのまま、浴槽の中へと沈んでいく。
バスタイム・クルセイダー
現在、兄弟三人で入浴中だ。
仲の良い兄弟とかそれ以前の話で、最強無比の家長であるメイコに、問答無用で叩きこまれたのだ。
男声三人での仕事を終えて、帰る道すがら、雨に降られた。
そろそろ家が近かったことと、なににつけても大雑把な男の性格が遺憾なく発揮されて、雨宿りすることもなく、傘を買うこともなく、濡れて帰った――ら、家に着く直前で、まさかの土砂降りへの転向。
あとちょっとの距離だったというのに、走っても無駄だったバケツ雨。
「水も滴るいーおとこって、こういうこと言うんだよ!」
――という、カイトのあさってな弁明には、メイコの鉄拳が降り、冗談ではなく水が絞れる状態の三人は、諸共にバスルームへと叩きこまれた。
別に構わないはずだ。
男三人、それも兄弟。たかが風呂。
されど、風呂。
「――ぶごぼごぶぼ」
「レンくん?溺れてるの?」
湯の中で不満をつぶやいていると、いっしょに湯船に浸かっているカイトが心配そうに訊いてきた。
「うぼぼえぼべべ」
「レンくん?」
「…溺れてねーし」
家庭用としては広いほうに入るこの家の風呂だが、男三人も入ると、さすがに窮屈な感覚は否めない。
とはいえ、窮屈などということは些細な問題だ――問題にすらならない。
今現在、問題なのは。
「放っておけ、カイト殿。レン殿はまだまだ遊びたい盛りなのだ」
「んん……それはわかってるんだけど…」
「ふたりして俺をいくつだと思ってんだ!」
派手に湯を跳ね散らかして抗議したレンに、カイトが曖昧に笑い、――がくぽの顔は、見えない。
ひとり洗い場にいるがくぽは、浴槽に完全に背を向けている。
それだけなら、別にいい。
レンから見ると気取り屋で、神経質ながくぽらしい態度だと、鼻を鳴らして終わる。
問題なのは。
「なー、にぃちゃん…」
「んー?」
いつもどおり、ほわほわと笑って、カイトが首を傾げてレンを見る。
ただし、洗い場からは不自然なまでに完全に目を逸らして。
そう、不自然極まりない。
レンの記憶する限り、こういうときに、「たのしいね!!」とかなんとか言って、いちばんにはしゃぐのは兄のほうだ。どっちが遊びたい盛りかわからない。
それが、おとなしいとか。
あまつさえ、ずっと――ずっと、がくぽから、目を逸らしているとか。
あまりにも、不自然なまでに、完璧に。
今までの兄だったら、絶対。
「あのさ、この体格差って、むしろもう、悪意じゃね?」
「ほえ?」
試すつもりのレンの言葉に、カイトは意味がわからないときょとんとした。
レンは自分の、少年であることを差し引いても薄っぺらい体と、カイトの、年から考えると細身な体を示し、最後に、背を向けていてすら無闇に男らしい肉付きのがくぽを示す。
「おんなじボーカロイドなのにさ…この差!絶対、ラボの陰謀だって!それとも、時代がだんだん、むっきむきを求めるように変わってきてんの?」
「だれがむっきむきだ!」
後ろを向いていてすら、レンがなにを指して話しているかわかったらしい。
がくぽが苦い声で吐き捨てる。
背を向けたまま。
いつもなら、それこそ、こちらを毅然と睨み据えて文句を言ってくるはずなのに。
背を向けているのは、頑固に後ろを向いたままなのは、その理由は――
「むっきむきって」
渋面のレンをきょとんと見ていたカイトが、ほわわんと笑ってがくぽの背中へと目をやる。
「レンくん、言い過ぎ。確かにがくぽはきれいに筋肉ついてるけど、むっきむきってほどじゃ…」
笑っていたカイトの言葉が、尻すぼみに消えていく。
レンの居場所を奪う勢いで湯に沈みこむと、また浮き上がり、頭を振った。
いつもおっとり綻んでいる顔を、珍しくも厳しくしかめて、――唐突に、赤く染まった頬で。
吐き出される声は、苦しげだ。
「レンくん……………なんか、おにぃちゃん、のぼせたみたい…」
「は」
「カイト殿?!」
はい?!
レンが兄の素っ頓狂な発言に反応するより早く、背を向けていたがくぽがものすごい勢いで振り返った。
慌てた様子で、浴槽の縁へと手を掛けて身を乗り出す。
「大丈夫か?!」
「ふえ?!ええ、ええっとぉ……っ」
咬みつくように訊かれて、カイトは揺らぐ瞳を大きく見張る。
しばしがくぽと見合っていたその顔が、みるみるうちに真っ赤に茹で上がり、顔だけで済まずに、色はそのまま全身を染め上げて。
「きゅぅ」
「にぃちゃぁあああああん?!」
あり得ない擬音を最後に、カイトは意識を失ってしまった。力を無くした体が、ずるずると浴槽に沈みこんでいく。
「カイトっ」
叫んだがくぽが手を伸ばし、その体を支える。
意識を失った体は常より扱いにくく、重いはずなのに、そんなことはまるで感じさせない軽々としたしぐさで、浴槽からカイトを救い出した。
「カイト、カイト……っ!しっかりせいっ!」
つぶやきながら、シャワーから水を出して浴びせかける。
「あー……」
出遅れたレンは、軽く目を眇めた。
言いたいことが山ほどある。というか、本来、ツッコミはがくぽの役目のはずなのに。
「あのさー…」
「カイト…っ、カイトっ」
聞こえないようだ。
レンは手近にあった洗面器を掴むと、がくぽの頭めがけて容赦なく投げた。
コントロールには自信がある以上に、この距離で狙って外せたら、それはもはや才能だ。誇っていい。
「がっ!!」
下手をすれば昏倒者二名に増えるそれに、小さい悲鳴を上げるだけで耐えて、鬼面になったがくぽが振り返る。
レンはもうひとつの洗面器を指に引っかけて回しながら、目を眇めてがくぽを見返した。
「人間じゃねえんだから、そんなんで冷やしても仕様がねえだろ。風呂出て、水拭いて、服着せて、マスター呼ぶ」
「あ………ああ!」
数え上げるように一言ひとこと、区切りながら言ったレンに、それはそれとして言うべきことがあるはずだ。
しかしがくぽは、抗議のこの字もしなかった。
ぐったりしているカイトを抱え上げると、慌ただしく浴室から出て行く。
脱衣所で暴れ回る音がして、静かになったと思った直後に、珍しくも悲鳴じみた、がくぽのマスターを呼ぶ声。
「…」
ひとり浴槽で、レンは存分に体を伸ばした。
返す返すも。
「不毛じゃね…?」
姉たち辺りなら大喜びで食いつくネタだが、レンは複雑なお年頃の少年だった。なにより、兄のことが大好きで。
あんな兄は、知らない。
あんな…――
「……………不毛だ」
つぶやいて、レンは目を閉じた。
熱に弱いロイド用の湯温はどこまでもぬるく、いくら浸かっていても湯あたりの心配などない。
レンは心ゆくまで、のんびりとバスタイムを愉しんだ。