ロイドの運動能力は、代を重ねるごとに飛躍的に向上している。

とはいえ、それにしても。

new year kiss

「がくぽー、気をつけてね」

「大丈夫だ」

旧型で、新型のがくぽより運動性能で劣るはずのカイトにそう声を掛けられて、がくぽは眉をひそめる。

危ないというなら、がくぽよりカイトのはずだ。

だがカイトは怖じける様子もなく、先にいる。

「リンちゃんもレンくんも、ふざけたらだめだよ!」

「はぁーい、おにぃちゃん!」

「わかってるよ毎年のことなんだしさあ!」

「ミク、花火ってどっちだっけ?」

「えっとねー、あっち川のほう!」

カイトにミク、リンとレンのきょうだい四人がはしゃぐのを、がくぽははらはらと眺めた。

現在、屋根の上だ。

マスターが仕事の鬼とはいえ、さすがに大晦日の夜にまで仕事は入れず、家族全員が揃って年越しそばを食べた。

そのまま忘年会へと雪崩れこみ、酒とジュースが飛び交い、騒がしい時間が始まった。

そして、だらっと流していた紅白が、最後のステージを迎えるという、もっとも重要な場面になって、

「そろそろだよ!」

のミクの叫び声で、リンとレンが跳ねるように立ち上がり、カイトががくぽの手を引いた。

「気をつけてくださいね」

酒が入って血色がよくなっているマスターが、手を振る。メイコもおざなりに猪口を振った。

「私たちも、下にいますから」

「うん!」

カイトが笑って、手を振り返す。

「行こ」

「いや、どこに…」

戸惑うがくぽが連れて来られたのは、マスターの部屋だった。

ロイドたちの手には自分の靴がある。

マスターの部屋からベランダに出て靴を履くと、そこから柵に上り、器用にも屋根にまで上がった。

「カイト殿」

真冬の最中だが、天候は落ち着いている。風が強いわけでもなく、空気は冷えているが穏やかだ。

屋根の天辺に集まったきょうだいたちの元に追いついたがくぽに、カイトは夜目にも鮮やかな笑顔を閃かせた。

「あのね、ここから新年の花火が見えるんだよ特等席なの!」

「…」

カイトが指差す方向には、高い建物が少なく、平屋が続いている。

とはいえ花火が見たいなら、屋根に上る危険を冒さなくてもいいはずだ。

どうして屋根だ、と呆れるがくぽの背にミクが、どんとぶつかってくる。

「恒例行事なんだよ。毎年、ボクたちこうやって、屋根の上で年越ししてるんだよー」

「夏の花火大会も、こうやって屋根に上って見るのよ今年はお仕事で見られなかったけど!」

「すっげ、特等席なんだぜよく見えるし、混んでないし!」

リンとレンが子供らしく、はしゃいで言う。

がくぽは気忙しげにベランダを見下ろした。

「まさか、マスターも?」

酒が入っていたマスターだ。

がくぽも付き合いで呑んでいたが、メイコと違って酒に酔う機能はない。

どこまでも素面のままだからこうして屋根に上りもしたが、マスターはあからさまに危ない。

そうでなくても、運動能力に優れているとは言い難いのに。

カイトはリンとレンとともに屋根の先端へと行き、あそこになにが見える、これが見えるとはしゃいでいる。

残ったミクが、珍しくもがくぽの腰に抱きついて笑った。

「マスターとめーちゃんは来ないよ。……おにぃちゃんも、これまでは、上がらなかった」

「カイト殿も?」

屋根の上で年越しなどという、お子様向けの愉しいアイディアを逃すカイトとも思えない。

ミクはがくぽの腰を、ぎゅ、と力を込めて抱いた。

「危ないもん」

「それはそうだろうが…」

カイトには甘えても、がくぽにはそういうしぐさを一切見せないミクだ。

戸惑うがくぽに、ミクは顔を上げて笑った。

「だれのせいでしょう?」

「…」

それは、あからさまにがくぽのせいだと言っている言葉だ。

だが、なにがどうなって、どうしてそれが自分のせいになると?

眉をひそめるがくぽから離れ、ミクは軽い足取りできょうだいたちの元に行った。

「…俺がなにをしたと」

今までは危ないから上らなかった。

けれど今年は上る。がくぽのせいで。

「……さすがの俺でも、屋根から滑り落ちるのを掴まえるのは至難の業だぞ」

そのためには常に傍にいなければいけない。

がくぽは慣れない傾斜の上を慎重に歩いて、きょうだいたちの元へ行った。

「がくぽ、あのね!」

「落ち着け」

「うん!」

近づいたがくぽに、カイトが笑顔を向ける。暗いなかでも、その笑顔は輝いて見える。

「そろそろですよ!」

唐突に下から声がして、がくぽは身を竦ませた。

リビングにいたマスターが、部屋に移ってきたらしい。

ミクから上らないとは聞かされても一瞬ひやりとして、がくぽはベランダを見る。

「がくぽ、こっち真ん中座ろう!」

「あ、ああ」

カイトに腕を引かれ、屋根の天辺の、さらに真ん中に連れて行かれる。

カイトは躊躇いもなく屋根に座り、がくぽを笑顔で見上げた。

光には逆らえない虫の性で、がくぽはカイトの傍らへと腰を下ろす。

「ミク姉、時計は?!」

「持ってるもってる。えっとねえ、あと三分!」

「うーわー!」

弟妹たちは落ち着かずに足踏みする。

ちなみに、コートも羽織らないいつもの薄着だから、寒さに強いロイドといっても、さすがに冷えているというのもあるかもしれない。

「たのしい」

そんな弟妹たちを眺めていたカイトが、ぽつりとつぶやく。

穏やかな笑顔だ。

「……そうだろうな」

カイトが好きな要素が詰まっている。

いつもは上らない屋根、新年を迎える高揚感、はしゃぐきょうだいたち。

どうしてこれまで、危ないなどという理由だけで上っていなかったのか、わからない。

そしてどうして、今年は上る気になったのかも。

「…カイト殿」

「マスターもめーちゃんも、来られたらいいのに」

「それは止めろ」

続いたつぶやきに、がくぽは渋面になる。

酒酔いで屋根など、どこのとんちきだ。新年早々に新聞沙汰になることが目に見えている。

下手をすればお悔やみ欄だ。

「だってこんなにたのしいのに」

相変わらず笑顔で言うカイトに、がくぽは眉間を押さえた。

「酒が入っていなければな。酒が」

「でもさー」

ふいに、ミクが顔を突っこんでくる。

「夏の花火大会は、ここで、マスターもいっしょに、ビール呑みながら見るよ?」

「…っ」

二重三重に眩暈がして、がくぽは項垂れた。

酒酔いで屋根など、どこのとんちきだ…。

「あ、一分切った!」

ミクが顔を上げ、屋根の端へと行く。ベランダへと身を乗り出した。

「マスター、カウントダウン始めるよー!」

応える声はないが、ミクは気にしない。屋根の天辺へ戻ると、そこがステージであるかのようにすっくと立った。

「リンちゃん、レンくん!」

「「っしゃぁ!」」

三人で集まると、持ち出した腕時計を覗きこむ。

「さんじゅう!」

「にじゅうく!」

「にじゅうはち!」

かわるがわるに、カウントダウンを始めた。

思わず見つめるがくぽの頬が、やさしく撫でられる。

「っ」

顔を向けると、微笑むカイトと目が合った。

「がくぽ、今年一年、どうもありがとう」

「…」

改まって言われても、返す言葉が咄嗟には思い浮かばず、がくぽはくちびるを空転させる。

こういうときに、気の利いた言葉でも言えるようになればいいが、まだそこまでの経験が足らない。

ただ、もどかしい想いだけが募っていく。

「こちら、こそ」

どうにか返した言葉に、カイトがさらに微笑みを深くする。

冷えた手に頬を撫でられて、がくぽの視界が眩んだ。

出会って、過ごして、こうして隣にいる。

言いたい言葉がどうしてもあって、それを告げることもできないままに、年を越える。

新年になったところで、言えるあてもない。

彼にとって、自分は永遠におとうとで。

かわいいと愛しんでくれても、それ以上の感情など負担なだけだろう。

だから、想いは胸に降り積もっていくだけだけれど。

「…どうか」

「じゅう!」

「きゅう!」

「はち!」

弟妹のカウントダウンは、ほとんど絶叫になっている。

深夜の、屋外。

それでも許されるのが、大晦日で、年越しの不思議というものだ。

がくぽは頬を撫でるカイトの手に触れた。

「どうか、来年も」

傍に。

ただ、傍に在るだけで、それだけでいいから。

声が震えて、言葉が咽喉に絡む。

それでもくちびるを開いたがくぽに、カイトの顔が近づいた。

「さん!」

「にい!」

「いち!」

弟妹が、屋根の上だというのに足を踏み鳴らす。

「「「ぜろ!!!」」」

声を合わせての絶叫とともに、花火が打ち上がる。

その轟音に重なるように、不安定な足場もものともせずに、三人が跳ね上がった。まさにステージ状態だ。

「「「しんねんあけましておめでとう!!!」」」

はしゃぐ声と、連続して上がる花火の音。

深夜とも思えない、騒がしさ。

だが、がくぽの耳にはなにも入らなかった。

くちびるに、くちびるの感触。

ひんやりと冷えたカイトのくちびるが、がくぽのくちびるを塞いでいる。

どれくらい続いたのか、時間の感覚すら消えた。

驚き過ぎて身動きひとつ取れないがくぽから、カイトがくちびるを舐めて離れる。

「新年明けましておめでとう、がくぽ」

笑顔とともに、囁かれる。

轟音に掻き消されそうなその小さな声は、しかしがくぽの耳に、これ以上なくはっきりと聞こえた。

「今年も、よろしくね」

夜目にも鮮やかなその笑顔は、ひどく艶やかに見える。

今のキスの意味がわからない。

見つめるがくぽの頬を撫で、カイトは首を傾げた。

「知らない新年明けたその瞬間は、傍にいるだれにでもキスしていいんだよ」

「…っ」

それは確か、アメリカとかそこらへんの習慣だ。

さすがにキスとハグを習慣にしているだけあって、カイトにはその習慣ももれなくインプットされていたらしい。

悪習にもほどがある!

がっくりと肩を落としたがくぽになにか言うより先に、座りこんだカイトに、興奮最高潮の弟妹が飛びついてきた。

「おにぃちゃんおにぃちゃんあけましておめでとう!!」

「あけましておめでとう!!」

「ことしもよろしくな!!」

溺愛されるおにぃちゃんはわやくちゃにされて、しあわせそうに笑う。

「うん、よろしくね!」

応えながら、弟妹の額に頬に、キスを落としていく。

大好きなおにぃちゃんにキスを貰ってさらに興奮した弟妹は、見境を失くし、明るい笑い声とともにがくぽにまで飛びついてきた。

「がっくんがっくん、あけましておめでとう!!」

「がっくがく、あけましておめでとう!!」

「ことしもよろしくしてやんぜ!!」

「落ち着け、三人とも屋根の上だ!!」

キスの余韻に浸る暇もなく、落ち込む暇もない。

悲鳴を上げたがくぽに、ぼさぼさ頭になったカイトが高く笑った。