腕の中にカイトがいて、離れない。
なんとはなしにがくぽが向かったのは、自分の部屋ではなく、カイトの部屋だった。
きみがいない-06/終演-
ベッドに腰掛けて、首にしがみついたままのカイトを膝に下ろす。
頭に顔を埋めると、さらりとした髪の感触と、香る甘いにおいに、がくぽは撫でられるねこのように目を細めた。
「…がくぽ」
「ああ」
首にしがみついたままのカイトが、わずかに顔を上げる。
その声をもっと聴きたいと見つめ返して、がくぽは眉をひそめた。
「…泣いていたのか?」
「っ」
目の周りがほのかに赤い。泣きじゃくって擦ったような痕だ。
自分がいない間に、なにをそんなに泣くような目に遭わされたのか。
「だれに虐められた?!」
「ちちち、ちがうちがうちがう!」
抱きしめたまま迫ったがくぽに、カイトは腕の中で暴れた。
「いじめられたんじゃないよ!むしろみんな、すっごくやさしくしてくれたよ!」
それはほんとうのことだ。
『なぜか』さっきまでずっと頭の中がはっきりしなくて、薄らぼんやりしていたカイトを、だれも放り出すことなく、丁寧に面倒を見てくれた。
カイトは感謝しているし、いじめられたかと言われれば、それはまったくその反対なのだと即答できる。
「…では、なにゆえ泣いた?」
「…それは」
問い詰められて、カイトは口ごもる。
なぜといって、それは、なぜといえば、なぜというか。
「…わかんない。気がついたら、泣いてた」
「…」
がくぽは胡乱な目つきになって、カイトを見つめる。
けれど、カイトにとってはそういうことだった。
理由もわからず、いつの間にか泣いていた。
理由もないままに、いつの間にか涙がこぼれていた。
「………涙腺、故障したのかな」
「…」
まじめにつぶやくカイトを、がくぽはますます胡乱な眼差しで眺めた。
「今は泣いておらぬようだが」
「うん。なんか止まったね」
あくまでまじめに答えるカイトだ。
なにか言おうとして、がくぽは肩を落とすともう一度強く、カイトを抱きしめた。
「がくぽ?」
カイトが腕の中でうれしそうに呼ぶ。
それがすべてでいいような気がした。
自分の腕の中に閉じ込められる、その事実だけで。
「あのねあのね、がくぽ」
「ああ」
「たのしかった?」
「ああ」
無邪気な問いに頷いて、それからがくぽはカイトの肩に顔を埋めた。
「有意義な仕事だった。企画書通りの、いや、企画書以上の」
「うん」
「だが…」
言い淀み、がくぽはますますカイトにすりついた。
「カイト殿が居れば、もっと、たのしかっただろう」
「…」
吐き出した本音に、カイトは応えない。
とはいえ、がくぽはカイトに応えてもらおうと思っていたわけではなかった。
ただ、伝えたかったのだ。この一言だけ。
沈黙がしばらくふたりを支配して、それからカイトはがくぽの髪を引っ張る。
「俺はね、俺は……ええっと、あのね。なんか………」
言葉を探し、それから無意味だと放り出して、カイトは笑った。
「さびしかった」
言葉がこぼれて、初めて、カイトは自分が寂しかったのだと気がついた。
そうだ、寂しかったのだ。あれは、寂しいという感情。
メイコに告げようとして、言葉を探している間に置き忘れられた、感情。
寂しかった。
「がくぽがいなくて、さびしかったよ。ものすごく足らなくって……さびしかった」
家族の不在はすべて、空漠を生んで寂しい。
だれがいなくても寂しいのだけど、そういうのではなく――こころに、虚が空いたように。
虚から、ほろほろとなにかがこぼれていってしまうような。
「…カイト殿」
「うん」
がくぽの腕は、ますます強くなる。
寂しいのも仕方がないのかもしれない、とカイトは思った。
こんなに力強く抱きしめてくれて、甘やかしてくれるひとがいなかったのだから。
そのひとは、ただ甘やかしてくれるひとというだけでなく、とてもとても大好きなひとで。
だれよりも、特別に大好きなひとで。
「あのね、がくぽ」
がくぽに体を預けて、カイトはつぶやく。
「だいすき」
なんの考えもなく、なんの計算もなく。
ほとんど無邪気にこぼれた言葉に、がくぽは束の間止まった。
腕の中のカイトを見下ろせば、ほわほわといつもの通りに笑って見返してくる。
そこになんの衒いも躊躇いもないから、きっときょうだいとして。
きっと、他愛ない言葉。
「だいすき」
くり返しこぼれた言葉に、がくぽはカイトを抱く腕に力を込めた。
不自由な体を身じろがせて、カイトが腕を伸ばす。がくぽの頬を撫でると、顔を寄せた。
そっと、頬に送られる親愛のキス。
「おかえり、がくぽ」
改めて迎えられて、キスとともに歓びを伝えられて。
「…………ただいま」
ささやき返して、がくぽはカイトの額にくちびるを落とした。そのまま、ゆっくりと顔中にキスを降らせる。
「がくぽ」
「ああ」
カイトもまた、お返しにキスをくれる。
互いにキスを送り合い、自然とそれは、くちびるに辿り着いた。
触れ合った瞬間にわずかに震えたカイトに、がくぽは抱く腕に力を込める。背を撫でて辿り、後頭部を押さえた。
「カイト」
「ぁ……っ」
やさしく名前を呼ぶと、カイトがそっとくちびるを開く。そこに舌を差しこんで、がくぽはやわらかに口の中を辿った。
「んん………ん………っ」
カイトは懸命にがくぽに縋りついて、キスに応える。
顔に降らせるキスまでは、親愛のキスで済む。
けれど、くちびるにする親愛のキスは。
口の中まで探って、舐め取るようなキスは――
「ぁ……………っくぽ……………っ」
痺れた舌で名前を呼ぶと、がくぽはちろりとカイトのくちびるを舐めた。そんなことでまで、背筋に痺れが走る。
潤んで見つめるカイトに、がくぽはそっと花色の瞳を伏せた。
「厭か」
耳に吹きこまれる声に、カイトはびくりと震えて瞳を閉じた。