マスターの手が伸び、頭を撫でる。
「貴様……よくよく、俺に嫌がらせをしたいと見える………っ」
「早く慣れろ。嫌がらせ以前に性分だから直したい気がさっぱりしない」
Simple Simon Says...-02-
カイトにとっては気持ちの安定に繋がるマスターのスキンシップは、今のところがくぽに大不評だ。
起動して二日目だから仕方がないのか、もともとの性分なのか――撫でられるたびに、物凄い渋面で唸っている。
唸っているが跳ね除けないのは、ひとえに相手が『マスター』であるからで、それ以上の理由はないだろう。
「貴様な、よく考えろ。その年になって頭を撫でられて、うれしいか」
「ふむ」
牙を剥きだして威嚇するがくぽの頭から手を除けることもなく、御年三十幾歳のマスターは考えこむ。
すごい胆力だ、とかいう以前に、単純に鈍いだけだ。
「俺の頭を撫でそうな人物というと癖があり過ぎるな。なにかを企まれている臭いが芬々だ。落ち着かん」
「わかったら手を除けろ、貴様!」
あくまで言葉で吠えるだけのがくぽから、マスターは手を退けない。
嫌がらせ続行中というわけではなく、考えこんでいて身体機能がお留守になっているのだ。
「かーいーと。おまえは?頭撫でられるのどう?」
自分に水が向けられて、微笑ましくふたりを見守っていたカイトは、一瞬瞳を瞬かせた。しかし穏やかな笑顔を崩すことなく、答える。
「マスターに撫でられるのは好きです。それ以外のひとには、撫でられたいと思いません」
「そうかそうか。ん?そうか?」
納得したように頷いたマスターが、首を捻る。
「それでいいのか?いやよくないだろう。旦那様はどうなんだ?」
「…貴様の口は爛れ落ちて無くなるがいい」
相変わらず頭を押さえつけられたままのがくぽの悪態は、どこか滑稽だ。
視線が落ち着きなく彷徨い、なおさら笑劇の要素を強めている。
がくぽの挙動不審に気がつかないマスターは、空いているほうの手を顎にやって、生真面目に唸る。
「大事なことだろ。旦那様に撫でられるのが嫌だとかなったらしゃれにならん。夫婦生活は破綻だぞ」
「…貴様…」
がくぽには気の毒だが、このふたりを見ているのはひどく微笑ましい。
カイトはそれでもがくぽに気を遣って、できるだけ慎ましい笑顔に見えるように努めた。
「がくぽは構いません、旦那様なのですから。俺を撫でるのは、当然の権利でしょう?」
「…」
「…」
マスターとがくぽが揃って沈黙する。
ややして、マスターはがくぽの頭を軽く叩いた。
「いや俺が悪いと今ちょっとだけ思ったから謝ってやらないでもない。起動して二日のおまえにはかなり荷が勝ちすぎるよな」
「同情するな、不快な!夫婦のことをわかったように!」
「同情されるのも悪くはないぞ?ワガママ言いたい放題してもなんだか見逃されるしな。まあどうせ陰でなんか言ってるだろうがそこはそれ。知らぬが仏だ」
意外と真剣にマスターは言ったが、がくぽは低く唸った。不満が高じすぎて言葉にならないようだ。
カイトは首を傾げる。
マスターとがくぽの会話は理解不能だ。
マスターもがくぽも、ひどく抽象的な次元で噛み合っていて、カイトの理解の範疇を軽く超えている。
がくぽが話しているのを聞いていると、まるで人間のようだと思う。自分と同じプログラムであるとは思えない。
どこからどう見ても不満たっぷりなのに、マスターに逆らいきれなかったりするところが、辛うじてプログラムらしいといえばらしいか。
「起動して二日じゃよくわからないだろうがな。知らないでいてやるのもひとつの親切の形なんだ」
「…」
がくぽの咽喉が鳴っている。どこからそんな音を出す機能があるのだろうと、カイトは不思議な思いでがくぽを眺めた。
獣でもあるまいに、どうやったらそんな威嚇音が出るのだ。
マスターはそこまで言ってようやく、がくぽの頭から手を退けた。
がくぽは警戒する野生動物そのものの、気が遠くなるほどに緩やかな動きで、少しずつマスターとの間に距離を取る。
そのあまりな対応ぶりにも、マスターが気を悪くすることはない。
「カイト」
「はい、マスター」
呼ばれて、カイトは従順にマスターの傍に行った。
行儀よく正座した膝に、マスターの頭が乗る。間違いなく青年型のカイトの膝枕が、マスターは大のお気に入りなのだ。
「貴様、ひとの妻になにをさせるか!」
離れたところから、がくぽが吠える。
カイトの顔を撫でようとしたマスターは、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔になった。
「なにをさせるかってどんなすごいことさせてるの俺?つかカイトに膝枕させるのが嫌ならおまえが膝枕するんでもいいんだけど」
「ピサの斜塔に潰されるがいい。どこをどうひっくり返してのその発想だ」
「意外に気が長いな!」
ピサの斜塔に潰されるって何年がかりだ、と呆れたようにつぶやき、マスターはカイトの頬をつまんだ。
「俺はマスターだからな。たとえ人妻になろうがカイトに膝枕してもらう権利がある」
「はい、マスター」
「…カイト、そなたなぁ…っ」
俺様王様独裁者の態で言い切ったマスターに、カイトが花のように微笑んで頷き、がくぽは肩を落とした。
わかっているがわかっていたが、となにやら根暗くつぶやいている。
黄昏るがくぽに、マスターは気楽に手を振った。
「羨ましいなら旦那様は俺がいない昼間とかに膝枕でも腕枕でもしてもらえ。ああいや。腕枕は旦那様がやるものか。してもらえよカイト」
「はい、マスター」
やはり笑顔で頷き、カイトはがくぽを見た。
渋面で睨むがくぽを、伝説の船妖精、セイレンのように蠱惑的に手招く。
つい招かれてしまったがくぽの顎を掴んで引き寄せ、カイトは小さなキスを贈った。
「…」
凝然と見つめるがくぽに、カイトは甘く爛れた声で囁いた。
「してくださいね、腕枕。楽しみにしていますから――旦那様」