The Key Of The Kingdom-05-
うたいましょう、と最初に誘ってきたのは、カイトだ。
それからずっと、ふたりでうたうのはカイトの求めに応じて、そうでなければマスターに求められてだ。
がくぽから、うたいたい、と望んでうたったことはない。
それに理由があるにはあったが、ただ単純に、妻のうたごえを聴いているのが好きだったというのも大きい。
自分のうたごえは、マスターがどれほど調声してくれてもどうでもよかったが、カイトのうたごえは違った。
それが夫である自分のためではなく、マスターに捧げるためのうたごえだとわかっていても。
美しいと思った。
得難いものだと。
共にうたうと、伸びる音に震えた。くるまれて、進むべき道を指し示されているような安心感が、そこにはあった。
どれほど最新型ともてはやされても、がくぽはまだ起動したばかり、迷い多きロイドだった。
いや、最新型となり、細かな感情が増えた分だけ、迷いも悩みも多くなった。
その悩みを下らないと吹き飛ばし、迷う道を共にたどってくれるのが、カイトのうたごえ。
誰よりも愛おしい、妻のうたごえ。
「…」
詞が尽きて、うたが終わる。
残響を耳に、がくぽは胸を撫で下ろす。どうにか、カイトに負けずにうたい終えられた。
「す…っごぉおい、カイトさん、がくぽさん…っ」
煌めく星を飛ばしながら、リンがつぶやく。その頬が興奮に赤い。
「やっぱり、きれい…っ」
「そうですか」
やわらかに微笑んでこそいるものの、賛辞に応えるカイトの言葉に熱はなかった。いつもなら当然の顔をして、ありがとうございます、と答えるはずだ。
自慢の才能を持ち寄る場に、マスターは自分を連れて行かないだろう、とつぶやいた夕方の一件もある。
それほどに先日のマスターの言葉が気になっているのかと、がくぽは気忙しくカイトとマスターを見比べた。
「ミキ。どうだ」
自分は感想を言わず、マスターはまず、弟に声を掛けた。
ある意味正しい選択だ。
マスターに心酔している奏が賛辞以外を口にするはずもなく、それならばロイドに対して辛い評価の弟に意見を訊いたほうが、有益だからだ。
深月のほうはなんとも言えない渋面で、兄によく似た仕種でこめかみを叩いた。
「兄貴、方針を変えたのか?ずいぶんと、なんと言うか」
そこまで言って、深月は言葉を探すように瞳を回した。ため息を吐く。
「青いほうが、悪魔的だぞ」
「はははっ」
カイト信奉者のリンが咬みつくより早く、マスターが笑った。ずいぶんと楽しそうだ。
「若さまっ、笑ってる場合じゃないでしょっ!!カイトさんが悪魔だなんて、この腐れぽんぽこぴーは救いようがないわっ!!」
「こらリンっ、はしたない!女の子が腐れ(ぴー)なんて」
「いやマスター、リンそこまで言ってねえ!」
咬みつくリンに、奏がぼけなのか本気なのかわからない言葉を上乗せし、珍しくもレンがツッコミに回った。
どちらかというと奏の本心の吐露のほうに疲れた顔で、深月はいきり立つリンを見た。
「ならばおまえはなにも気がつかなかったのか、小娘。わずかだが確実に、こいつのうたごえは変わっていただろうが」
「そんなの!」
緊張に体を強張らせたカイトに気がつくことなく、リンは威勢良く片膝を立てた。高い破裂音を立てて、膝頭を叩く。
バナナの叩き売りにも似ているその恰好で、元気よく叫んだ。
「前よりずっときれいになって、こう、むらむらっと色っぽくなって、いやーんっ!!女の子になに言わせるの、この嗜虐趣味の変態小児性愛者がっ!!」
罵倒だけ声色を変えて、しかし全体としてはかわいらしくリンは身をくねらせた。レンが舌を出している。
「貴様が小児に入るかどうか、もう一度よく吟味しろ、小娘」
「ぬぁんですってぇ、ミキの分際でっ!!」
カイトもがくぽもいるというのに、リンが少女としてやってはいけない表情を晒す。今にも深月に飛びかかりそうな跳ねっ返り娘に、奏が慌てて取り縋った。
「「リン」」
奏とカイトの声が揃う。
背後のマスターに怒声を浴びせようとしていたリンが、瞬時におしとやかな女の子の面を被り直した。
「はい、カイトさんっ!」
声までワントーン上がっている。見事なまでの変貌ぶりに、わかっていたことでも奏は涙を拭った。
騒ぎも気にせぬ風情で穏やかな表情のカイトが、軽く首を傾げた。穏やかな表情だが、見慣れているがくぽにはわかる。珍しいほどに、カイトは緊張している。
「俺の声、変ですか」
「えええっ」
意外な言われように、リンは悲鳴を上げる。がくぽは咄嗟に手を伸ばして、膝に懐くマスターの頭を撫でるカイトの手を取った。
カイトは瞬時、がくぽに視線を流し、しかしすぐに、ムンクの叫びを再現しているリンへと顔を戻した。
「変わったのでしょう。変ですか」
「変じゃありませんよぅうううう!!!」
身悶えして、リンは叫ぶ。拳を振り回し、カイトに迫った。
「むしろ、すっごくすっごく素敵ですよぅ!しっとりつややーんで、うるうるぽわわーんで!」
「…すみません、わかりません」
カイトの言葉はこの場合、居並ぶ男すべてのこころを代弁していた。
リンは身悶えして、擬音語を尽くす。
言いたいことはなんとなく伝わるが、あまりに女の子過ぎて、男にはやはり理解が及ばなかった。
「…奏。俺の声、変ですか」
いかにひとの機微に疎くても、これでは埒が明かないとカイトにもわかったのだろう。同じ問いを、ロイド相手の会話に慣れている奏に振った。
突然の指名に、奏はあたりを見回し、救いを見いだせずにわずかに腰を引いた。
「変などということは…。きれいですよ。どうなさったんですか、そんな訊き方をなさるなんて」
「…」
揺らぐ湖面の瞳が、怯える奏を見つめる。奏は手近でグレている子ヤンキーを抱えこんだ。
歯を剥く子ザルを盾に、困ったようにカイトと、それを愉しげに聞いている彼のマスターを見る。
「ぼっちゃまの言うとおりではないですが、特に最近は…その、色めいていらして」
「だから、はっきり悪魔的だと言えばいいだろうが。いや、なんだ。魔性というのか?」
呆れたように口を挟んだ深月が、ひどくいやそうにカイトを眺める。
思わず身を乗り出して妻を庇おうとしたがくぽを見やり、鼻を鳴らした。
「男同士で夫婦など、兄貴もなにを考えているのかと思ったが…」
久しく聞いていなかった正論に、がくぽは眉間に皺を刻んだ。カイトの肩を掴んで引き寄せる。
カイトはまったく平静な顔で、心底から忌まわしそうな顔の深月を見つめていた。
「おまえでも、こころ動かされることがあるらしいな。今のおまえは、昔の取り澄ました天女ではない。人間の男に惚れて、どうにか振り向かせたいと悪知恵を働かせる、悪逆な女神のようだぞ」
「よくわかりません」
澄まして言ったカイトを、深月は嘲笑った。
「旦那にべた惚れ状態だと言っているんだ。どうにか愛されたい、振り向かせたい、そのこころを手に入れたいと、全身で足掻いている。それがすべて、声に出ている」
「――っ」
侮蔑する口調に、がくぽの頬に朱が散る。妻を貶められた怒りに眦が裂け、腰を浮き上がらせた。
しかしなにかするより早く、砕けよとばかりに床が踏み鳴らされた。
「ぁああったりまえのこと言わないでよねえ!!カイトさんとがくぽさんはらっぶらぶ夫婦なのよ!!お互いにお互いをべったべた惚れ惚れ状態よっ!!ミキの入る隙間なんて一寸三分もないわっっ!!」
「なんだその微妙な用尺?!」
破壊魔女王のクラッシャーボイスに、深月が顔を歪めて耳を塞ぐ。
奏が死にそうな顔で、腕の中のレンの頭を締め上げた。締め上げられたレンは顔を歪めてもがくが、意外に力強い奏に抗しきれない。
「そうだったんですか?」
「…そなたな…」
意外そうにつぶやいたカイトに、がくぽは項垂れた。どこのなにに「そうだったのか」と驚いたのか、訊きたいような訊きたくないような。
そのままカイトは、感心したように深月を眺めた。
「あなたとしたことが、今のはとても参考になりましたよ?ぼんぼんのくせに、どうしたんです?」
「…これだから、兄貴のロイドは嫌いなんだ…っ」
がくぽに罵倒されたときより、リンとレンに咬みつかれたときより、奏に遣り込められたときより、よほどダメージを受けた顔で、深月は唸った。
それまで黙りこくってカイトの膝に懐いていたマスターが、かん高い笑い声を響かせる。
そのまま、腹を抱えて笑い転げた。