He is too young
「良いですか、ぼっちゃま」
「あー………」
運転手用とはいえ、仕立ての良いスーツに身を包んだ栄に眉をひそめられ、深月は軽く天を仰いだ。
栄といい、その息子の奏といい、どうもこの使用人一家に弱い深月だ。
仮にも深月は主家の息子で、次男ではあっても諸々の結果、次代当主だ。
だというのに、この年にもなって未だに部屋で正座させられ、説教。
古馴染みとはいえ、使用人に。
「子供が子供の時分には、十全に甘やかして育ててやれとは申します。しかしながら、いくら幼いとはいえ、けじめはけじめ、躾は躾で為さねばならぬのもまた、世の習いにございます」
「ぅう……」
栄は深月の反応に構わず、棒でも入れたかのように背筋の伸びた姿勢で、端然と説教を落とす。
栄はいかにも穏やかで人の好さそうな、運転手というよりは執事でもやったほうが似合いそうな、上品さの漂う中年域の男だ。
しかし、奏の父親だ。
一時期、少しばかりやんちゃに振る舞っていた息子のことを指摘されても、『私も若い頃は、そうやって運転技術というものを学んだものでした』と、落ち着き払って応えていたような人間だ。
食えない。一筋縄ではいかない。
「ぼっちゃまが殊の外、小さなお子様に甘いことは存じ上げておりますが」
「ぬししゃまぁ!ぎゅうー!!」
「ぁあ、よしよし………」
「きゃぁああっvv」
正座した膝に乗せたがちゃぽに強請られ、深月は望まれるまま、小さな体を力いっぱいに抱きしめてやった。説教途中であることは、十全に理解してはいたのだが。
がちゃぽは幼い背骨が軋みそうなほど力を入れてくれた深月に、満足したかん高い声で笑う。
ひとしきりがちゃぽをあやしてから、深月は平素と変わらない表情を、黙りこんだ使用人へ向けた。
「………で?続きは?」
「………」
当然のごとくに促され、栄はもともとひそめていた眉を、さらにひそめた。
その間もがちゃぽは深月に擦りつき、しがみつき、甘えてはあやされ、歓声を上げている。
「……………ぼっちゃま。わたくしも、奏が生まれた当初は、強請られるままにだっこをしてやっては、方々を歩き回りました。しかしながらそういうことをすると必ず、家内に怒られたものです。『自分の足で歩くようにさせて!』と」
「あー……」
『本題』を悟り、深月は後ろ暗く視線を彷徨わせた。
深月がいないと不安定になるがちゃぽは、深月の行くところであるなら仕事でもなんでも、必ず連れて歩いているのだが――
取締役として就任するのはまだ先でも、すでにそれなりの役につき、分単位でスケジュールを組まれているのが、深月だ。
幼児の歩調には、合わせていられない。
だからすぐ、がちゃぽをだっこしてしまう。
がちゃぽのほうもまた、すぐ、だっこを強請る。
どちらが先に手を伸ばしているか、よくわからない現状だが、とにかくだっこ過多であることは確かだ。
「ぼっちゃまがお忙しいことは、この栄も、不肖の身ながらよっくと承知しております。しかしながら」
「ぬししゃま、ちゅう!!」
「おい」
膝に乗ったまま伸び上がったがちゃぽは、深月のくちびるを素早く掠めていく。
深月は顔をしかめ、笑うがちゃぽと額を合わせた。
「そういうことは、好きな相手が出来たときにやれと言っている」
「がちゃ、ぬししゃましゅきやも!」
「そういう『好き』じゃない」
「しゅきやも!ぬししゃま、だいしゅき!!ぁは!!」
「ひとの話を聞かんなあ………」
深月はいつものぼやきで諦めをつけ、がちゃぽが悪戯出来ないよう、肩に抱え上げた。
そうして動きをある程度封じたうえで、再び栄へ向き直る。
やんちゃをした息子を警察へ迎えに行ったときですら、否、これまで、どんなときでもきれいに伸びていた栄の背は力を失くし、老木のごとくに曲がり、撓んでいた。
「――栄?どうした?」
瞳を見張る深月に、栄は内臓まで吐きだされそうな、深いふかいため息をこぼした。
「ぼっちゃま……………どうぞ、お兄様の御計略に嵌まることなく、お強く生きられますように………」
「あ?なんの話だ、栄?」
「そのお年なのですから、いつまでもお兄様の御計略に嵌まっている場合ではありませんよ、ぼっちゃま」
「いや、だから……」
――年のことを言うなら、その『ぼっちゃま』という呼び方をまずどうにかしろ。
と、深月が持ち出す前に、項垂れてくたびれ果て、敗北者となった栄は立ち上がって、部屋から出ていってしまった。