B.Y.L.M.
幕間ノ二/後編-界ヲ結フモノ
「しかし、な……主導権?が、移ったと、言われても……」
不貞腐れたのも一瞬で、カイトはすぐ、気忙しげにつぶやいた。意味もなく、手を握って開いてとして、困惑の瞳ががくぽを窺う。
『自覚がない』のだろう。
花として咲き開いたものの、カイトに関してはそれがずっと、問題となっていた。昨日はなにか、掴んだものがあったらしいが――
だからどうという、大きな変化もないようだ。少なくとも、今のところは。
「おそらく昨日の、庭との………交流、の際ではないかと。先にも言いましたが、私は力不足も甚だしいですからね。愛し子たるあなたを守るにこころ許ないと、切り替えが行われたんでしょう」
「私は」
なにか反駁しかけたカイトを、がくぽは片手を上げて遮った。もう一度、空へ――辿って、下へと。
今、術の補強を解いてしまった目には、もう、はっきりとは見えない。おぼろに、そうらしいと感じる程度だ。
だから記憶を蘇らせるだけなのだが。
「根を補強した?……と、いうような感じでしたね。根というか、礎、土台…あるいは柱?ですか。屋根――上部は未だ、私が張った網ままです。だから状況としては、芽吹いたと言ったほうが、近いのか…骨組みの、足元部分をまず、がっちり固めたというような」
「………なんだか、愉しそう――だ、な?」
きょとんとした風情で、カイトはつぶやく。首を傾げ、窺う瞳ががくぽをじっと見た。
それへ、がくぽは笑い返す。
愉しいと言うなら、そうだ。愉しい。
守りはカイトが、がくぽの最愛の妻が固めてくれた。固めてくれるのだ。
自分ひとりではない。ひとりきりで、戦うのではない。カイトがともにいる。
カイトがいて、ともに、戦ってくれる。背を預ける相手がいて、がくぽは戦うことにだけ、敵を屠ることにだけ、集中できる。
誰かに片翼を担ってもらえることが、最弱の身なれば、どれほど有り難いものか。
なるほど、これは夫婦らしいと――
そんなことを言えばきっと、カイトを困らせるだけだ。だから、余程に口が滑りでもしない限り、言いはしない。
言わないようにしようとは思うが、さて、どうにもはしゃいで滑りがちな最近の口だ。どこまで堪えられるものか――
「おそらく、伸びしろがあるのではと思うんですよ。今が完成形というのでは、なくね?主導権を取ったとは言いましたが、今はまだ、私と半々という程度ですから。いずれ、あなたがひとりで結界を担えるようになったらと考えると……きっと、うつくしいのではないかと」
「う……つく、……?」
さらにきょとんとして、カイトは首を傾げる。きゅっと眉間に皺を寄せ、空から大地へ、目を凝らして見つめるようなしぐさを取った。
懸命なところに悪いが、愛らしい。愛らしさも過ぎるしぐさであり、様態だ。
突き抜けて愛らしく、がくぽは笑みを堪えきれない。
ただしカイトにばれる前には、なんとか誤魔化すべく、がくぽも併せて空へと視線をやった。
「植生なのです。いえ、本物のということでなく、見た形がということですよ?花の力ゆえにそうなのかどうかは、わかりませんが………私が張ったのは、ほんとうに面白みもなく、『網』といったものなんですが――ああ、そうだ。藤棚だとか、蔓薔薇で覆った回廊だとか、ああいったものを想像してください。木枠があって、そこに、植生が這い、全面を覆って、花を咲かせる――きれいでしょう?」
「ああ………」
喩えがよく、想像が及んだのだろう。カイトの雰囲気が和んだ。ちらりと視線をやれば、表情も緩んでいる。
なんとかやり過ごせたと安堵したがくぽだが、一瞬だった。カイトがはっとしたように、瞳を見開いたのだ。
「どうしました?」
促すと、カイトはきらきらとした、滅多にないほどの輝きを湛えた無垢な瞳で、見つめてきた。あえかな興奮とともに、言葉が吐きこぼされる。
「天蓋なのだろう?それで今は、『芽吹いた』ところで……育つのだよな?ならば育って空一面、覆ったなら、もう少し、この暑さというか、日差しが遮れないか?もっと全面に、一面で日陰をつくれれば、暑さもましになるだろう。ああいったものの下では、相応に涼しかったと覚えている」
「………はぇ?」
今度、きょとんとするのはがくぽのほうだった。言われている意味が、まるでわからない。
しかしがくぽの反応如何ではなく、カイトはすぐ、またも、はっとした顔となった。気難しく、考えこむ。
「否、駄目か……だめだな。私はともかく、ほかの花には日の光が必要だな?なにしろ南方産で、この強い日差しをこそ常態に育つのだから……遮っては、つらいな?」
「え、いえ、は?カイト、さま……?ほかの花というか、あなたにも日の光は必要ですが………」
まじめに検証を重ねていくカイトに、がくぽは虚を突かれたまま、喘ぐように返した。
「遮りませんよ?だってカイト様、今、いかに目が粗いとはいえ、『網』がかかっている状態でも、骨組みだって渡してあるそれも、庭に影なんて、差してはいないでしょう?たとえあなたの、花の力とはいえ、伸びて一面を覆うようになったとしても、日を遮って影をつくることは」
「……っ!」
「えっ……ぇえっ………っ」
――なにやらいっそもう、あどけないまでの驚きの瞳が向けられ、がくぽは圧されてじりりと後ろに下がった。
砂地が多く、乾いた気候の西方出身であるカイトは、南方の湿気含みの暑さが苦手だ。日差しにしても、南方のほうが強く、厳しいらしい。
そういったところで、カイトはすでに萎れ気味だ。がくぽにとっては未だ季節の走りであり、本番はこれからというものなのだが――
カイトの追いこまれ加減は、どうやらがくぽが想定していたよりずっと、深刻であるらしい。
常であれば、がくぽがこうまで委細かみ砕いて説くまでもなく、すぐと自らで気がつくはずだ。それが、非常に真剣に、まっとうまじめに検証した。検証してしまった。
そしてそのことを指摘してやっても、羞恥を募らせるより、口惜しさが先だっている。いつもならもはや、全身を赤く染め上げ、頭を抱えている頃合いだというのに――
まるで癇癪を起こす寸前の駄々っ子のような目を、がくぽへ向けてくる。とてもではないが、笑える事態ではない。
「ぅ……っ」
「いえ、まあ、あれです。ええ、つまり、そうです。あなたが力を伸ばし、完全なる担い手となってくだされば、きっと、あれとてもこれまでほど、気軽には渡れなくなるはずです。相応の準備を強いられ、面倒な思いをすることでしょう。となれば、これまでのような、不躾な訪いは減りましょうし………暑さとあれとを比べれば、防げればいいのはどちらであるか、言うまでもありませんよね?」
「ぅ、ぐ……っ」
「ええ……っ?!」
南王と暑さと、どちらを防げるのがいいかと訊いたなら、カイトはきっと南王のほうだと答えると、がくぽは思っていた。迷いもなく即答で、一瞬で割りきれるだろうと。
それが、これだ。悩んでいる。懊悩だ。まさかそこまで、この暑さに苦しんでいるとは気づいてやれなかった。
カイトはこれから夫婦として、長の年月をがくぽとともに、南方で暮らす。であるからには馴れろと、――
気安く言えないのが、南方の夏季だ。
なぜと言って、生まれも育ちも南方である、先祖代々の生粋の南方人がまず、いっさい馴れない。
南方の夏季は長く、過酷だ。あまりの暑さに、死者数が無闇と増えるのもこの時期であるし、好戦的な氏族も多いというのに、イクサは決して行われない。
明確な規約や協定があるわけではないのだが、不文律として、夏季にイクサは起こされない。
起こしたところで、自滅しかないからだ。服の一枚でもつらいところを、分厚い防具など身に着ければ暑さが篭もり、動くほど、確実に死期が早まるのだから。
避暑地がないわけではないが、いかに南王の子とはいえ、最弱の末子には敷居が高い。
それに避暑地と銘打っても暑さの度合いは比較の程度でしかないし、できればこの屋敷の内で、日常に、もっと過ごしやすい方法を考えてやらなければ――
それも、ぐずぐずとはしていられない。早急に、今すぐにだ。
暑さを舐めてかかると、痛い目どころか死に目を見る。
それだけは、南方人が誰よりも強く噛みしめている危機感であり、突出した感覚でもあった。
焦りが募ってそわつくがくぽを、とりあえず押し止めたのは、カイトがこぼしたため息だ。
元が王太子ということもあるが、カイトは自制の強い性質だ。どうやらなんとか、自ら思いきってくれたものらしい。
「愚かなことを言った。赦せ」
「ぅ、あ――あ、ぃえ………」
がくぽは、自ら謝るのも不得手だが、謝られたものを『赦す』のは、もっと不得手だった。
赦すのは、強者の権限だ。最弱たる自分にそんな権利はないと、どうしても腰が引ける。
明瞭な答えを返せなかったがくぽだが、カイトがそこに深く構ってくることはなかった。カイトにとってはこだわりもない日常会話、定例文程度の感覚でしかないからだ。
「とにかく、力を伸ばせばいいのだな。で、試してみればいいだけのことだ。ひとのわざでできぬことでも、花のわざならできることもあるかもしれないし……天蓋一面だな?うん、そのために、――まずはやはり、知識だな。力を伸ばせと言われても、そも、なんの力で、どう伸びるか不明が過ぎる。そうだな、初めに花、それから呪術……否、風土から先に学ぶ必要があるか。史学…を学ぶなら、併せて地理、天文学、数学…」
「あの、カイト様、カイトさま……」
割りきった方向が、盛大に違った。
挙句、ひどくきまじめに数え上げていくカイトの指の、折られる数と、重なる回数だ。並べ立てられる、今後の予定だ。
言うなら『他人事』であるはずなのだが、がくぽは聞いているだけで眩暈がしてきた。積み上げられる書物を想像しただけで、気が遠くなる。
そう、騎士として率先して鍛錬に励み、庭仕事を好むがくぽは、屋敷に篭もって書物と格闘するということが、謝ることの次程度には、苦手だった。やらずに済むなら、やらないでおきたいという。
がくぽは自らの首を締め上げられているような心地で、掠れる声を上げた。
「それきっと、――以前の、名残りですよね?今はもう、そこまでされる必要も…」
言いかけて、がくぽはさすがにまずいと言葉を呑みこんだ。
きっと生まれたときから重ねてきたであろう、カイトの血の滲むような努力と労苦をあえなく、『必要のない』ものとした企みには、がくぽも加担した。
概ねは南王のせいであるが、カイトは今、がくぽの妻として南方にあるのだ。
なにをするにせよ、『必要ない』という言い方だけは、まずい。
言葉を呑みこんで、がくぽは間断を置かなかった。カイトが深く考えるより先にと、言葉を変え、口を開く。
「あの、つまり、最前から不思議だったのですが、――哥の王太子教育というのは少しぅ、過ぎ越して、厳しくはありませんか?私を基準とすることに意味はありませんが、そうではなく、私が知るどの国、あるいは氏族のものと比べても、かなり厳しいものではないかと…」
いったいどうしてそこまでするのかと、理由を問うがくぽを、カイトはきょとんとして見た。意想外なことを訊かれたという風情だ。
しかしなにがカイトにとって、意想外であったのかという話だ。
「そんなもの、当然だろう?私の足元の、危うさだ。能う限り、盤石に寄せるべく――誰にも難癖のつけられぬよう、足元は固められるだけ固め、少しでも支持を増やすよう、努めねば」
「え?」
喩えるなら、日が東から昇って西へ沈むことを説くような、カイトの言いようだった。
さも当然と放たれた言葉に、しかしがくぽは反って不可解を重ね、瞳を瞬かせる。
少なくともがくぽが哥にいたしばらくの間、いわば『下っ端』の目線から見ている限り、カイトの地位は盤石のものだった。
ひとり子たるカイトには、対抗馬となるきょうだいがいるわけでなし、あるいは、簒奪を目論む佞臣が蔓延っているというふうでもなし――
その鷹揚さと、下支えする知識の確かさ、教養の深さや判断力、決断力、実行力といったものから臣民の支持も篤く、非常に期待された王太子だったと、少なくともがくぽは見ていた。
がくぽが騎士として務めた、動機が動機だ。逆らえないからいるものの、なにあれ南王の役に立つことへの抵抗は強い。
確かにそう、積極的に情報収集に務めたわけでもないから、見落としがあったというなら、否定の根拠もないのだが。
そうやって、がくぽとカイトとで、意想外を視線でやり取りすること、しばらく――
ふいに、カイトが笑った。
「まあ、そうだな。今は必要ない。必要ないが、習い性というものだ。私はそうしなければ、落ち着かない。ずっとそうしてきたし、その効果を知っている」
「………はあ」
すべてのことに関してなんとも言えず、曖昧な肯いを返したがくぽを、カイトは笑って見た。そこに、からかうような、微妙にあくどい色が含まれている。言うなら、企みを秘めた悪戯っ子の表情だ。
カイトのそんな表情を見たのは初めてであり、がくぽはつい、状況を忘れて見入った。
気にせず、カイトは意地悪く歪めたくちびるを開く。笑う声が芝居がかって、がくぽへ問いを放った。
「哥の民草なれば、よほどの箱入りか生まれたてでもなくば、私の地位が危ういことなぞ、誰でも知っていることだぞ?――神威がくぽ。おまえほんとうに、哥の出身か?」
「ぅっ?!」
いわば、『終わった』はずの話を蒸し返され、意表を突かれたがくぽは盛大に詰まった。
だから、そう。概ねのほとんどすべてにおいては、南王のせいだ。
南王のせいではあるが、がくぽが気力もなく、深く慮ることもなく加担したのは、確かなことだった。
喰いきるそのときまでは、きっと存在など忘れて放り置いているだろうと思っていた南王が、どういったわけか、がくぽへ間諜を命じた。
実に、幾年ぶりか――最弱の末子がひとり暮らすこの屋敷へ、急に現れたかと思えば、南王は一方的に命じたのだ。西方、哥の国へ行き、一騎士として身を立てよと。能うなら、王太子の側近くへ侍れと。
南王の普段の、あの通りの言葉遣いであり、人智の内にあるものとの、絶望的なまでの交流能力の低さだ。実の子たるがくぽとて人智の内にあるものなれば、まともに意思の疎通が図れたことなどない。
命じられた内容も意味不明だったが、なぜ自分を選んだのかが、がくぽにとってはもっとも不可解だった。
難は多かれ、絶大なる力や諸々に惹かれ、集う信奉者は後を絶たないのが南王だ。有能な側近なら、いくらでもいる。
最弱にして親しみもない末の息子を使うより、力の多寡からしても、知謀といった面からしても、そういった側近を用いたほうがよほどにいいはずだった。
けれど南王はがくぽにのみ声をかけ、行かせた。
ただしこれは、今――カイトが『王の花』であるとわかった『今』となれば、不可解は薄い。
がくぽは都合のいい伝承と考え、流していた『王の花』だが、こうなって改めて調べ直しを進めている『今』、すべてではなくとも、その片鱗は掴みつつあると思う。
人智を超越したという意味で『魔』の冠を与えられ、最強の名を欲しいままに振る舞っているような南王が、警戒と用心とを極めたのだ。その結果の人選であると。
なぜなら、単なる『花』であればともかく、『王の花』ともなれば、手に入れれば南王にも匹敵する――凌駕する力を得ることができるからだ。
たとえば、千余年前の記録だ。『王の花』は西方一帯を一度、完膚なきまでに完全に、滅ぼしている。
もちろんその当時には未だ『王の花』の名はなかったが、力の質などから考えて、そうだ。
結果、西方は生き物すべて、それこそ雑草一本、虫の一匹まで残らず絶え、岩すら砕けて、砂地と化した。生き残ったものはおらず、西方の歴史はそこで一度、途切れる。
その後、またどこからか現れた王の花によって花が呼ばれ、水が湧き、ひとが住まうようにはなったものの――
千余年を経ても回復の傾向は見えず、西方は未だ、異常なほどに大地の力が弱いままだ。
今世に於いて人智を超え、最強の力を誇る南王とはいえ、ここまでの災禍は及ぼせない。ここまでの力は、ない。
滅ぼすだけならできても、完全に途絶えさせ、ましてや千余年を超えても力を及ぼし続けるのは、無理だ。
南方には、神期から続く旧き一族がいる。
諸侯諸族は南王の『力』にのみ従っている面が大きく、こころからの忠誠を誓うものは、少ない。覆すすべがないから、敷かれているだけなのだ。
その、諸侯諸族が『王の花』の存在を知ったなら、――
間違いなく、争奪戦が起こる。
今は南王の敷いた結界に従い、大人しく留まって南方から出ることはない彼らだが、もしも『王の花』を得るため協定を結び、力を合わせて結界を破るようなことがあれば、――
外に出て、その力を振るうようなことがあれば――
ひとの国など、ひとたまりもなく滅びる。
南王がひとの国の存亡など気にすることはないだろうが、だとしてもゆくゆくには自らへの脅威だ。
諸侯諸族に秘し、先んじて万全とことを運ぶため、最弱の末子は都合が良かったのだろう。
あまりにも南王を身近にし過ぎて気力がないから、馴れはしなくとも逆らうこともない。よしんばことがあっても、最弱なれば抑えこむも容易い。
なによりその子はひとの血を引けば、夜と昼とで成長速度が違うという特異体質さえ封じれば、ひとの国に紛れるにもっとも適する。
とはいえ結局、『王の花』や力と関係ないところで、南王は最弱の末の子からの造反に遭い、こういう結果となったが――
おそらく夏季の間に、諸侯諸族の間に噂が広まる。南王の最弱たる末の子が、『王の花』を手にしたと。
伝統的に、暑さの過酷な夏季の間は、諸侯諸族も動こうとはしないはずだ。先の、酷暑ゆえの不文律だ。
しかし夏季が明けたなら、がくぽも相応に覚悟を固めなければならない。カイトが、『王の花』自身ががくぽを選んで根づいた以上、南王ほどに厄介な敵となる氏族はないだろうが――
一瞬は詰まったがくぽだが、すぐと持ち直した。さっとカイトの前に膝を突き、騎士の礼を取ると、真摯を装って見つめる。
「我が君よ、つまびらかに、明らかたるわたくしの出自までをもお疑いになるとは、情けない。もしやわたくしの、あなたへの揺るぎなき忠誠をこそ、お疑いか?なれば…」
「おまえは…」
見えみえの小芝居を打つがくぽに、カイトはぱっと瞳を見開く。湖面の瞳はすぐに眇められ、頭痛を堪えるためだろう、ひどく皺の刻まれた眉間を押さえた。
「少しは悪びれなさい」
「ええまあ、気が向きましたら」
「っっ!!」
反省が皆無以上に絶無である返答に、カイトがさすがに壮絶な目を寄越す。
しかし一瞬だ。自らの夫の不誠実さに、カイトは馴れた。そこは馴れてはいけないのではと、むしろがくぽが気を揉むようになっているのだが、カイトは馴れて、そしてあっさり流した。
「――それで、カイト様。その…」
かえって居心地の悪い思いを抱き、話を変えるつもりで促したがくぽに、カイトはすぐには応えなかった。一度は置いた杯を取ると、未だ霜つくほど冷えたそれをひと息に流しこむ。
「おいしい」
幼いほどの笑みが浮かび、ひどく幼気に響く声が小さくこぼす。
カイトはその、無邪気な笑みまま、自らに跪く――今やただひとりの騎士を、見つめた。
ただひとりの騎士にして、同性の夫だ。
歪むことのない穏やかな笑みで、カイトはくちびるを開く。
「そもおまえは、いかに南王が相手とはいえ、ただひとりにして替えもなき、哥王の遺児たる私を、どうしてああもあっさり、供出することを決められたと思っていた?いかに陛下――歌王が未だご健在とはいえ、たとえ新たに子を生そうとも、陛下のお血筋では、哥において意味はないのだぞ?」
「それは、っ…」
はっとして口を噤んだがくぽに構わず、カイトは笑う。穏やかにして、過ぎ越して、鷹揚な――
あまりに鷹揚で、無為と踏みにじられた自らの努力にも、覆されて戻れない栄光にも、怒りも恨みも抱くことなく。
ただひたすらな諦念と、より以上に、達観と――下ろした荷の、重さを懐かしむかのような。
「未婚で、継嗣もなかった私がこうなっても、『後継者』を案ずることなくおれるというのが、いいところだな」
清々と笑って吐きだされた結論をこそ、がくぽは自らの無気力と慮りのなさ、勇なきがための罪過として、深くこころに刻んだ。