B.Y.L.M.

ACT7-scene1

遅れていた自覚が追いついたところで、カイトの日常にさしたる変化が起こったわけでもなかった。

急に力の制御ができるようになるでもなし、眠っていた力が目覚め――そもそもそんなものが『眠っている』かどうかも不明なのだが――、劇的にどうこうなるといったようなこともなく。

庭に出ても、初めの疎外感こそ薄れたが、ことに花樹の言うことがわかるようになったという気もしない。うっすらとした意思を感じることはあれ、これはむしろ、昔から植生に馴染みのある夫のほうがよほどではという。

そうやって、さしたる変化もないまま、がくぽとふたりきり、日常は淡々と過ぎる。

そう、わけもわからず始まった結婚生活でも半年を過ぎると、相応に日常というものができてくるものだ。

夏季は進み、夜昼を問わず暑さが緩むこともほとんどなくなったが、逆に言って、これ以上暑くなることもないというところにまで達した。

当初はどこまでも、天井知らずに暑くなる一方なのではないかとも危惧したが、もちろん、そんなことはない。当然ながら、限りはある。

限りはあるが、それが救いと同義ではないだけだ。

同じ『夏季』と表しても西方と違い、南方は気温だけでなく、湿度も高い。頭の天辺から足先に至るまで、肌のすべてを覆われて息が詰まるような蒸し暑さは馴染みがなく、カイトの気力も体力もいいように削られた。

それこそ、夏季の最初に枯れた――眠りにつくことを選択した同郷の花、勿忘草の気持ちが、よくわかる。

これは無理だ。

もしも夫がおらず、そして避暑に尽力してくれなければ、カイトはきっと正気を失っていた。

まずは正気を、そしてゆくゆくはいのちを――

疲労困憊のあまり大袈裟に、誇張して言うわけではない。

がくぽも言っていた。南方においてもっとも無為と人死にが出るのは、この季節だと。

体力の落ちた老人や、暑さに馴れない幼子などがことに、しかし彼らのためにと無理をした若者なども――

生まれ育ちが南方であり、それこそ始祖の代から南方暮らしであったとしても、まったく油断はならない。

それが南方の夏季であり、夏季の盛りの暑さというものだった。

そしてこれがまず、カイトが馴染まなければいけなかった日常でもあった。馴染むというより、諦めをつけるというのが、正確なところかもしれないが――

そうやってなんとか過ごしてきたカイトだが、半年も過ぎたその日には、朝から多少の変化があった。

「雨が降るな」

朝、青年の夫がいつものようにひと通りの日課を終え、花を抱えて寝室へと戻ってきたところで、カイトは言った。挨拶もそこそこという勢いでだ。

言われたがくぽといえば、きょとんとして窓に目をやり、眩い朝日に照り映える濃い青空を見た。

暑さにのし上げられる雲は潔癖の白さであり、朝とも思えないほどに、もはや気温も湿度も高い。今日も一日よく晴れて、非常に暑くなるのだろうと、すでにうんざりするような。

天気の現状なら、カイトもよくわかっていた。

現状――『今はそう』だ。

しかし今日はその、照る日と暑い空気との間にひと筋、ひどく冷たい空気が通っている感があった。

相変わらず濃い、花や果実の甘く重い香りのなかに、たとえば千切ったばかりの草だとかの、生臭いにも似た水のにおいもある。

もとより他地方人より、西方人は雨の気配に敏い。南方人が暑さに対して一家言持つように、砂地に生きる西方人は、雨や水の気配に関して抜きんでるところがあった。

それにしても今日は、これまでよりずいぶんはっきりとわかったものではあったが、カイトは深く気にしなかった。

なにしろ、暑い。ひどい蒸し暑さが、過ぎ越して続いた。

それを断ち破る気配をいつもより濃厚に感じたところで、おかしいことなどなにもない。むしろ当然というものだ。

「――雨、ですか」

つぶやき、がくぽはカイトへ顔を戻した。ここ最近といえば、朝の起き抜けからぐったりと――より正確に言うなら、今日も変わりなく暑いということを察して絶望し、うんざりしているのだが――していることが多かったカイトだが、今日は違う。

寝台に座りこみながらも、どこか浮き立つような様子だ。表情が明るく、軽い。

「なるほど」

頷き、がくぽはまず、手を開いた。

「♪」

抱えられていた花がばらりと散り、寝台から、遠い窓へと身を乗りだすようなカイトの頭上で浮く。

呼ばれるように顔を上げたカイトに、がくぽの謳ううた――うたに聞こえる韻律の言葉、呪言に合わせ、一輪いちりんが、ふわひらと舞い降った。

「んっ…っ」

眺めているだけのカイトの咽喉が、なにかを呑みこむように動く。あえかに頬が染まり、満腹したねこにも似た様相で、瞳が細められた。

最後の仕上げとしてがくぽは身を屈め、上向くカイトのくちびるを軽く、吸っていく。味を確かめるようなそぶりをしながら、もう一度、窓の外へと目をやった。

「まあ、そういうことでしたら……今日はうまいことすれば、浴室へ逃げずに済みますかね。あれほど言い聞かせておりますのに、どうにもあなたは、浴室で涼むのがこころ引けるようですし…」

「ぅっ……!」

独り言にも似たがくぽの言いに、カイトは緩んでいた表情を歪め、呻いた。

偏向と傾倒著しい忠誠を捧げる騎士が、妻と成してもしつこく主と仰ぐカイトを相手にだ。いったいなにをそうも言い聞かせたかといえば、南方で生きるうえで必須の心得、あるいは鉄則とでもいうべきものだ。

つまり、『涼むことをこそ、なにより優先せよ』という。

生まれ育ちから南方である生粋の南方人であっても、下手を打てば即、いのちに関わる暑さだ。

西方出身で馴染みのないカイトとなればなおのことというもので、がくぽはここ数月ずっと、カイトの避暑に全力を懸けていた。

朝、まずは必ず庭に出し、大地と身近に触れ合わせることは、変わらない。

だが逐一に、こと細かにカイトの様子を見て、暑さに負けて萎れてきたとなったらすぐさま、屋敷に戻す。そして屋敷の内でももっとも涼しい部屋に連れこんで、――

その、『もっとも涼しい部屋』だ。

浴室だった。

この屋敷においてはということだが、床も壁も陶製板を使う浴室は、昼日中のもっとも暑い刻限であっても、空気が比較的ひんやりと、冷涼さを保てていた。

窓が大きくて明るいのはほかの部屋とも変わらないのだが、配置の問題もあり、日陰になる時間帯がより長いというのも、理由として大きいだろう。

しかしなにより、浴室だ――浴槽に冷たい水を張れば、簡単に涼むことができる。

全身を浸からせるまでではなくとも、足先を浸けておくだけでも、ずいぶん違う。それでも酷暑だと思えば、頭から水を被ることも容易いし、だからいっそ、水を張った浴槽に全身を浸からせてもいい。

夜はさすがに寝室へ戻るのだが、日の沈む直前の、ぎりぎりまでを浴室で過ごすのが、ここしばらくのカイトの『日常』というものになっていた。

補記するなら、夜の寝る際の涼みには、がくぽは力を使う。呪術を用いて起こした涼風で寝台を囲い、暑気を払って、カイトを寝かせてくれるのだ。

それを昼間もやればという話もあるが、『力』だ。無尽蔵ではなく、使えば減る。

そしてとにかく、すべてにおいて容赦なく削られる、南方の暑さだ。

使わないで済むなら使わず、温存しておきたいというのが、がくぽの言い分だった。浴室に逃げればこと足りるというなら、そうするべきだと。

同時にそれこそが、この暑さを何度も乗り越え、ここまで生き抜いてきた南方人の、生きる知恵でもあった。

くり返すが、たとえ生粋の南方人であっても、まったく油断できないのが南方の夏季であり、盛りの今の暑さだ。

温存できるものは温存できるときには温存するのが大原則であり、鉄則なのだ。

というわけで、力を使うことなく最上にして最適の涼みを得られる、浴室である。

もちろん、がくぽだ。カイトをただ、浴室に放り置くようなまねはしない。どうにも浴室こそが、もっともカイトが過ごしやすそうだとわかった時点で、内装を整え直した。

とはいえ、そうそう大掛かりなことをやったわけではない。濡れても問題のない材質の、くつろぎやすい椅子と、ちょっとした茶器一式を置ける小卓とを運びこんだ程度だ。

その程度ではあれ、とにかく、整えられてしまったわけだ。

しかし、これもくり返そう――浴室だ。いくら暑いとはいえ、日常に過ごす場所ではない。

少なくともカイトには、非常な抵抗感があった。いくらなんでも、ここへ日常として避難するというのはどうなのかと。

常にためらいが勝ち、時に、運ぼうとするがくぽに抗ってもしまう。

「今、おっしゃるからにはきっと、相応に早い時間から降りだすのでしょうしかもそのご様子から察するに、そこそこまとまった、涼めるような量が……四阿にいる間であると、いいですね」

「くぅ……っ!」

「しかし、そうか。そんな量の雨…――」

相変わらず、窓の外の空模様を窺うようにしながら言うがくぽに、カイトは拳を握りしめ、ひたすら呻いた。

念のために補記すれば、がくぽのこの発言に関しては、嫌味でも皮肉でもなかった。こころからカイトのためを思い、そうであるといいと、ほんとうに願っての言葉だ。いわば思いやりであり、やさしさだ。

わかってはいるのだが、後ろめたさが強いカイトはどうしても、棘を含んで受け止めてしまう。

そうまで後ろめたく思うくらいなら抵抗しなければいいのだが、浴室だ。浴室なのだ――

いかに鷹揚な性質とはいえ、カイトにも曲げ難いものはある。これと比べれば、同性相手の『妻』となることのほうがまだ、受け入れるに容易かった。

そこに気がついてしまうと、ますますもって複雑さが交錯し、解き放ち難く絡んでこじれるわけだが。

とにかくなにか言い訳を、否、言い訳をするなどみっともなさの重ね掛けであるから、むしろなにも言い訳することなく、さも当然のことであるかのような顔をして…――

「っ?!」

後ろめたさとともに余計なことを高速で考え巡らせていたカイトだが、ふいに愕然として顔を上げた。

未だ、晴れやかな窓の外を窺っている夫を見る。

「ぁ……っ」

「っ、かい、と、さま、っ!」

声にもならない声とともに、思うより先にカイトの手が出た。寝台の傍らに立つがくぽへ伸び、まるでむしり取るかのように袖を掴む。

はっとして振り返ったがくぽは、愕然と、ほとんど恐怖に近い色を浮かべて縋りついてくるカイトに束の間目を丸くし、それからくちびるを引き結んだ。一瞬の、束の間のことだ。

すぐに表情を和らげると、恐慌を来したようになっているカイトへ、自ら手を伸ばす。寝台に腰かけながら、おかしなふうに固まるカイトの体を素早く引き寄せ、きつく、抱きこんだ。

「熱烈な抱擁ですね……そうでしょうお待たせすることになるとしても、水を浴びて汗を流してきたのは、正解でした。まあ実際、行うのは術ですからね、廊下を歩きながらで済む。これでお待たせするなら、いっそ才能だ」

「……っ」

常と変わりない昼の夫の軽口を、カイトはその内に囲われ、自らもきつく縋りながら、震えて聞いていた。

――離れる。

あえて、なんとか言葉に直すなら、そういうふうになるだろうか。『離れる』と。もしくは、ずれる――

突如、顔面を殴られたような感覚だ。思いもせず突然に、顔面を強か殴り飛ばされたような衝撃をもって、カイトはがくぽの――昼の青年の『こころ』が『ずれた』と感じる。

ひととしての感覚ではない。花――ひとの見た形のまま植生へと変ずる、『花』としての感覚だ。

不可能がないと言われた前代神期の先祖返り、もしくは遺産とでも言うべきものが『花』であり、持つ力だ。であればこそなおのこと性質が悪く、とてもではないが抗えない強さで、時に本人たるカイトにすら牙を剥く。

ひとの見た形まま植生へと変じたカイトは、『根づく』先を大地ではなく夫、がくぽに定めた。

だからと別に、『根』へと意味を変えた足を、がくぽの体に埋めこんだという話ではない。

呪術や、そういったさまざまの不可思議が身近でなかったカイトには理解が容易くないのだが、『絆を結んだ』とでも言えばいいのか。がくぽはそれを、カイトがいのちを預けてくれたと表現したが。

そう、いのちだ。確かに『預けた』。

預け先である夫には、そのことを重々承知してもらったうえで、言動を選択してもらう必要がある。

普段のこまごましたことはさほど気にする必要もないが、なにか大きな決断を下すようなときだ。自分ひとりが、あたらいのちを散らせばことが解決するなど、思ってもらっては困る。

がくぽがいのちを散らせば、諸共に預けたカイトのいのちも散るのだと、がくぽが犠牲となることは同時に、カイトもまた、犠牲になることであるのだと、よくよく理解しておいてもらわなければ――

この問題は数月前、すでに解決したはずのことだった。

がくぽが、カイトが無上の信頼をもって自らに『根づいた』のだと、証立てにいのちを預けてくれたのだと、自覚してくれたことで。

それで、夜はいいのだ。夜の夫は、問題ない。

夜の少年のそばであれば、カイトはいつでも落ち着いて、微笑んでいられた。年長者としての余裕を持ち、少年を少年扱いすることもできる。

夜の少年のこころは常に、安定して、カイトに添ってくれているからだ。

しかし、昼がだめだった。

昼間、カイトは時としてふいに、こういった症状に見舞われては不安定に陥った。

離れる、あるいは、ずれる――なんでもいい。言葉に直しきれない、そういったすべてを掛け合わせたようなものだ。

どうしてなのか、なにがきっかけかも、わからない。説明のための言葉も、言葉を持たない『花』の感覚であるがために言葉にならず、結果、説明できないのだ。がくぽへもそうだが、なによりカイト自身にだ。

『なにかはわからない』。

わからないが、がくぽの、昼の青年のこころが、カイトにうまく向いていない感がある。嵌まらず、ずれているという感が。そして、ずれたまま『離れる』と――

そう、警鐘が鳴り響く。突如、前触れもなく。

『いのちがずれる』衝撃は言葉にもし尽くせず、カイトは恐慌を来さずにはおれなくなる。

恐慌を来し、『ずれて離れる』夫を引き留めようと、引き戻そうと、手を伸ばさずには。

くり返し、大きな変化もなく過ぎる日々をして、日常と言う。

わけもわからず始まった結婚生活も半年を過ぎ、相応に日常ができてきた。くり返し、大きな変化もなく、この恐慌をどこかに潜めたまま。

厭だと、カイトは狂いそうな心地で思う。こんな日常は厭だ、これを日常に組みこまれるのは厭だと。

しかし現状、起こる理由もわからないから解決のすべも見えないこの恐慌は、カイトの日常の一部だった。カイトの昼間の、くり返されてくり返される――

「しかしまあ、私も詰めが甘いというか……しくじりましたよ」

自らを責める言葉ではあるが、がくぽの表情であり、声音だ。どこか空っとぼけるような、のんきな風情があった。

「あなたがこう、愛らしいおねだりをしてくださるとわかっていたなら、汗を流すだけでなく、鉄鋼鎧も着こんでくるべきでした」

――がくぽの、止まることなく叩かれる軽口は、わざとだ。恐慌を来すほどの不安から、縋りつかずにおれなくなっているカイトをなだめようと、がくぽはことさらに茶化すような、とぼけた言葉を重ねる。

そうやって軽い言葉と、あやす手で背を撫で、がくぽはカイトの理性が早く戻るよう、努めてくれるのだ。

「ご存知ですかあれは日の下なら地獄ですが、こういった日陰で、よくよく冷やしてやれば、いい涼感具というものでしてね。北の地方で冬場、身に着けてみればおわかりになるかと。もちろん、あまりの冷たさに心の臓が凍らなければね、生きて教訓にもできるということですが」

「どれだけ口が回るんだ、おまえは………」

微妙に疲れて、カイトはつぶやいた。

目を閉じると、がくぽの望みとは反対に、縋る手に力をこめる。すりりと胸に、鉄製どころか革製の軽装鎧すらない、薄い服地で隔てられただけのそこに、ことさら擦りついてやる。

理由を説明できずとも、否、説明できないからこそ、『花』としてのカイトが不安定に陥り、そう振る舞わざるを得なくなっていると、昼の夫はすぐに察してくれる。

だからと、なにをきっかけとしたのか、はっきりした理由までは推し量れない。が、いずれ自分のこころ模様絡みだろうとは――

以前、根づかれたことを自覚していなかった時分に見せたカイトの不安定さが、がくぽの記憶には鮮明に残っている。同じような振る舞いを見せれば、今度もまた、そうなのだろうと。

たとえ理性が戻ったあとにしても、いったいどういったことだったのか、カイトが言葉で説明できないということも、がくぽはよくよく理解してくれている。

そも、いかにひとの見た形を保てても、『花』は花だ。

本来的に、ひとの言葉など滅多に使わない。たまに言葉を発したとしても、意味を取るに非常に難解なのが常だ。たとえ見た形がひとであろうと、意思の疎通などまともにできるものではない。

がくぽは本来の、通常の『花』の様態を知っている。

よく知ればこそ、花は花でも例外を極め、ひとの時分とほとんど変わらぬカイトが突如、言葉を失うことにも、さほど不便や不満、不安といったものを訴えない。

カイト自身がもどかしい思いをしていることは憐れんでくれるが、世話役たる自分の面倒のために憤ることはない。

ただカイトが覚えるもどかしさをほどけないものかと、こころを尽くしてくれる。

そうだ。

『こころはここにある』。

泣きたいような心地で、カイトは懸命に自分へ言い聞かせる。

夫はここにいて、カイトをしっかり抱きとめてくれている。あやす手に、なだめる言葉に、片鱗でも面倒だという感情は含まれていない。

花というのは便利なものだと、カイトは嘲る心地で思うのだ。

ひとの身で洞察したのであれば、自分に都合のいい思いこみをしているだけかもしれないと、いくらでも反論できたものを、花としての知覚にはそれがない。

思いこみではない確証のせいでなおのこと、夫に縋って離れられない。

『離れる』というのが、どういうことなのかは、わからない。

けれど『離れる』。

昼の夫は、根づいた自分から『離れる』。

浮いて、離れてしまう。であればこそ、こうしてずれもする。

夜の夫には、決して感じないものだ。覚えない危機感だ。

頼りがいという点で言えば、昼の青年のほうがよほどだ。体格といい、精神面といい。

そのはずだ。

そのはずなのに――

「カイト様」

「おまえは私の名だけ囀っていれば、もう少しましかもしれないと思う」

縋りついて離れないまま、つけつけとした口調で告げたカイトに、がくぽはくっと、咽喉を鳴らした。吹きだしたのだ。

くつくつくつと、体の全体が揺れている。余程におかしかったらしい。

そうだろうともと、さらにへそを曲げて思いながら、カイトはひたすら懸命に、がくぽへ縋りつく。

「ならばカイト様、お望み通りに――ああ、いえ、ひと言の例外をお願い致したく」

未だ笑いを残しつつ、ことさらに恭しい調子で言い、がくぽはカイトの耳朶にくちびるを寄せた。

「愛していると」

「んっ…っ」

吹きこまれたくすぐったさに身を竦ませたカイトを抱き、がくぽは構うことなく続ける。

「愛しております、カイト様――我が最愛の妻にして、花」

「…っ、っ」

さらにぶるりと身を震わせ、カイトはわずかに顔を上げた。ひどく胡乱そうに、微笑むがくぽを見返す。

「――ひと言かほんとうにそれは、『ひと言』か?」

糾す響きに、がくぽはまた、くっと咽喉を鳴らした。吹きだして、けれどなんとか堪える。

目元を染めながらも、懸命に瞳を尖らせて睨むカイトを、がくぽはやわらかに見返した。ぷるぷると震わせつつ、ひどく苦労して、朱紅のくちびるを開く。

「どうでしょうねええまあ、あなたが信じてくだされば――きっと、ひと言ですよ。我がもっとも愛おしの妻にして、花たる御方」