B.Y.L.M.

ACT4-scene1

カイトが男、同性であるがくぽに娶られ、妻とされ、二月余りが経過した。

だからと抵抗感がまるでなくなったわけではないし、羞恥心が減じたということもない。けれども馴れは、確実にある。

なによりも『味を覚え』た。『夫はおいしいもの』だと――

単に、『食べるもの』だと覚えたのではない。それならばまだ救いもあったし、逃げる隙もあった。

違うのだ。

カイトの体は、こころは、『とてもおいしいもの』だと、夫を覚えた。とてもおいしくて、挙句に腹が膨れて充足感を得られ、言うことなしの逸品だと。

そんなことは決して口に出さないし、意識したくもないが、態度にはどうしても出る。

普段の生活のなかでは取り繕ってもみせるが、最中となると無理だ。堪えようがない。

そもそもが理性の箍を外されるような行為だ。制御や統制が利き難い状況で、貪らされるものだ。しかもまるで自覚はないが、実のところカイトは、瀕死に近いほどの飢餓状態にあったという。

そう、飢餓状態で与えられた、覚えた味だ。

――飢餓状態で与えられるものなら、なんでも旨いと感じる。

カイトに自らの味を覚えさせた夫は、悪びれるふうもなくそう嘯いた。

どれだけ極悪なのかと、憤りもした。

なによりも、たとえそうだとしても厭は厭のはずで――

「ぁ、………んんっ、ん、く……っ」

ぺたりと床に座りこんだカイトは、寝台に腰かける夫、がくぽの股間にくちびるを寄せていた。もちろん、単に寄せているわけではない。

下穿きの隙から表に出された夫のものに、口でもって奉仕しているところだ。

これまでにされたことはあるが、したことはない。

ためらいも大きく、カイトの手つきも口の動きも覚束ない。

「んぅ……ぁ、は…っ」

「ええ、お上手ですよ、カイト様……それにとても、おかわいらしい」

「ぅく……っ」

自分がされたときのことを思い返しながら懸命に奉仕するカイトに、がくぽは子供でもあやすような調子で言う。くしゃりと頭を撫でられて、カイトは眉をひそめた。

相変わらず、ひとをいくつだと思っているのかという話だ。

そのうえ言うに事欠いて、『お上手』とは――そんなわけがない。したことなどないし、いずれすることがあると想定して、されていたこともない。

同じ男の器官ではあるから、なんとなしにここが悦いだろう、あれは厭だろうと、見当がつく程度のことだ。

実際、がくぽの反応がそこまでいいとは、カイトには思えなかった。ずいぶん時間が経った気がするのに、まだ射精には程遠い感触なのだ。

――もちろんこれは、カイトが羞恥と気後れのあまり、時間の感覚が微妙となっていることも大きい。不慣れな行為でもあるし、緊張もある。真実、長時間に渡っての奉仕を強要されているわけではない。

なにより、がくぽだ。

もとは、王太子であったカイトに忠誠を誓った騎士だ。諸事情あって身を偽っていたとはいえ、捧げる忠誠はこころからの真実であり、言うなら恋慕の情も相俟って、偏向と傾倒著しい。

挙句、思いあまって本来の役目を放りだし、カイトを妻にまでした。

が、だからと大上段に構えて無体を強いるわけでもない。実態は騎士のままだ。それも、偏向と傾倒著しい、ほとんど隷従に近い忠誠を捧げる類の。

カイトは主として敬われることがほとんどであり、無体な扱いは滅多にされないが、逆々で面倒極まりない。

そういう男で、夫だ。

こういった奉仕をカイトが本気で嫌がれば、即座に退くだろう。もう止めたいと、止めると本心から言えば、それでも強要するようなことは、決してない。

それは言われるがまま大人しく、こうしているカイトにもわかっていた。

たとえ射精の間際、もっとも男として追いつめられた瞬間であろうと、がくぽがきっとそうするだろうことに疑いもない。とにかくカイトの日常とは、この偏向と傾倒著しいあまりに暴走しがちな騎士をどうなだめ、常識の範囲内で対応を取らせるかというところに費やされているのだから。

だから思うことがあるなら、嫌がれば、もう止めると宣言すればいいだけだ。

そうできない理由がもしもあるとすれば、『これはおいしいもの』だと、身に沁みて知ってしまった――それだけだ。

――飢餓状態で口にしたものなら、なんでも旨いと感じる。

がくぽはカイトを妻とするにあたっての自らの仕打ちをそう評したし、カイトからしても、概ね異論のあることではない。

たとえば腐りかけの残飯であっても、瀕死とまでの飢餓状態ともなれば、涙を流して旨いと感激し、頬張るだろう。

それは確かだ。しかし真実ではない。

飢えが満たされ、食べることに不自由しなくなったとき――

そのとき、残飯はやはり残飯であり、腐りかけのものは腐りかけの味だ。いつまでも恒久的に、腐りかけの残飯を至上のご馳走として、歓び崇めて口にすることはない。

ある意味でもって幸いであり、別の意味でもっては絶望的な結論だ。

二月も経ってようやく飢えが満たされ、改めて考えたときに、カイトの夫、『神威がくぽ』というのは間違いなく、まさに正しく、『とてもおいしいごちそう』だったのだ。

飢餓だったから、夢中になって『食べ』られたのではない。

たとえ腹が満たされ、不自由がなくなったとしても、くり返し食して飽きることがない類の、『とてもおいしいごちそう』だった。

たとえほんとうには『口で食べる』ことが初めてであったとしても、怯えもなにも凌駕するほどに、あさましくもなるほど、『とてもとてもおいしいもの』――

「ん、くふっ……っ、んぷ……」

堪えきれず、甘えるような鼻声をこぼしながら、カイトは剥きだしにした先端を舐め、舌を入れ、吸い上げる。添えた手では、垂らした唾液を塗りこむように陰茎を扱いた。

すべてのしぐさが不慣れで覚束ず、いっそあどけない。

口でするのは、初めてのことなのだ。

――なるほど、わかりました。下の口でばかり『食べ』ていると、『食事』だという感覚が出ませんかならばちょっと、上の口のほうで『食べ』てみましょうか。

他愛もない会話が流れ流れて、今日、なぜかそういう結論になった。

にこにこと笑いながら、それはもう、日の燦々と照りつける南方の昼日中に相応しい、煌びやかな笑みでもって、がくぽはカイトにそう提案した。

昼のがくぽは、絶世の美貌を誇る青年だ。その背には、闇すらも明るく見えるほどに昏い、射干黒の巨大な翼を負うくせに、なにもなく佇んでいるだけでも空気を輝かせる。

それが、まるで威力の加減もせずに煌びやかに笑えばもはや、眩さに目が潰れそうだ。潰れないまでも、カイトの胸に起こるおかしな、鎮まり難い動悸をどうしてくれるのかという。

挙句にだ。なにが『ちょっと』だという話だ。

いくらカイトがひとではない、ひとの見た形を取った『花』という、前代神期の先祖返りを起こした奇跡の身だとしてもだ。

口は上下にふたつもないし、そもそもがくぽがにこやかに、『食べ』させようとしているものだ。

――喰いちぎってはいやですよ。まあ、あなたがどうしてもと望むなら、ええ。容れましょうが。

ためらい、怯えるカイトを、がくぽは寝台脇の床に座らせた。そのうえで自らは寝台に腰かけると、未だ勃起する兆しもないものを、そのカイトの目の前に出す。

それで言ったのが、これだ。

単なる戯言なら良かったが、カイトは知っていた。たとえにこやかな言いであったとしても、青年の覚悟は真実こころからのものだ。

だからそういうろくでもない覚悟は要らないと、何度言ったか知れないというのに。

しかしがくぽはにこやかに、穏やかに、譲らずきっぱりと覚悟を決めていた。偏向と傾倒だ。偏向と傾倒だ――著しく、救いようもなく。

下手なことを言えば、ろくでもないことにしかならない。

わかっているカイトは仕方なく、なにも聞かなかった顔で夫と向き合った。

とにかく求められたことであり、しなければならないことだ。目の前に突きだされた、未だ頭を垂れてあるもの――

言ってみればそれまでカイトは、勃起していない夫のものを見たことがなかった。

これは当然のことで、いかに南方の気候が温暖で、もしくは熱帯であろうと、常態のがくぽはきちんと、上下ともに衣服を身に着けている。股間を曝けだして日常を送りはしない。

これがカイトの前で表に出されるのは、カイトを組み敷き、いわば『夫婦の営み』を行うときに限られた。そして興奮も極まった状態で出される以上、当然いつでも、勃起している。

ただ、それがあからさまに表に出されるころには、カイトのほうも快楽漬けにされているのが常だった。

あまりまじまじと観察できる状態でもなし、しようとしたこともないのだが、とにかく勃起していない状態のものをこうも間近で見るのは、さすがにほんとうに初めてのことだった。

とはいえ夫のものに限らず、あるいは他人の、もしくは自分のものでも同様なのだが――

いかに自分で持っていようとも、そうしげしげと観察する部位ではないし、機会もない。

ましてや他人となれば、こうも間近で見る――見せられるような状況は、少なくとも王太子たるカイトの生涯には、これまでなかった。

しかも時刻は昼日中で、天気もいい。窓に透明硝子を多く、大きく使った室内は、窓を開けていようが閉めていようが、日の光の恩恵を存分に受け、外と変わらず明るい。夜の不安定な、揺らぐろうそくの明かりの下で見るわけでもないから、皺のひとつひとつまで丹念に数えられる。

いっそ、夜の闇に目が誤魔化された状態ならまだ、思いきることも容易かっただろう。

これではあまりになにもかもが明白だ。逃げださなかったのは、逃げられなかったからだとしか言いようがない。

反発も抵抗もしないものの、とはいえ戸惑い、ためらいが勝って、自ら動けもしないカイトの手を取り、がくぽはまず、しなだれてやわらかなそれに触れさせ――

「んん……っ、ん、んくっ?」

ちゅぷちゅぷと、根気よく舐めしゃぶっていたところからぷくりと滲んできたものがあり、舌先に味の変化を感じたカイトは、ぱっと瞳を見張った。

そして、ほとんど反射だ。ためらう間も考える間もなく、ちゅくりと啜り、飲んでしまった。

「ん、ぁっ……っ?!」

「カイト様?」

滲んできたものがあり、それを自分が飲んでしまったと――

意識したかしないか、実のところ判然としない。あえかなものだったのだ。だとしても口内から咽喉を通り、体内にそれが入ったのは確かだった。

否、確かにわかった。

微妙な羞恥から朱を刷いていたカイトだが、次の瞬間にはそれどころではないほどの熱が、腹の内から湧き上がった。ほとんど爆発するような感覚だ。

もっとも似ている状態は、酒精の強い酒を飲んだときかもしれない。ひと口含んだ瞬間、あまりに強い酒精が口内から咽喉から内腑から、粘膜という粘膜を灼いて、挙句腹のなかで爆発し、脳天まで突き上げるという。

そしてそれほどの酒ともなると、ひと口でろくでもなく酔うものだが、これも同様だった。

「ぁ、はふ、あ……ぇあ……?」

「カイト様どう……」

緊張はあれ、そういった意味では油断しきっていたところで、強い酩酊に襲われたのだ。

視界が眩み、世界が揺らぐ。そうでなくともいい陽気で暑いものを、さらに倍化させるような熱がカイトの全身を冒し、汗が噴きだした。

ただしカイトが飲んだのは、酒ではない。だからカイトにも、初め自分がどうなったものか、さっぱりわからなかった。

たたびとになぞらえれば、強い酒による極度の酩酊が、感覚としてもっとも近い。

とはいえこのときカイトが似ていると思ったのは、飢餓が極まったところでそばにいる『とってもおいしいごちそう』――がくぽが立ち昇らせる、雄の香を嗅いでしまったときの、それだった。

もとより盲愛を注ぐカイトを相手には、常に雄を香らせる傾向のあるがくぽだ。そばにいれば芬々と香っているのが常態なのだが、飢餓を抱えているわけでもなければ、カイトに大した影響はない。

しかし未だ、ひととしての意識が強く、花としての感覚を把握しきれないカイトはたびたび、『花』としての自らの飢餓を見過ごす。

飢餓だ――単なる空腹ではない。いのちに関わる事態であり、早急に対応が必要な状態だ。勝つのは本能であり、理性は容易く敗北する。

飢餓も極まり、本能が勝った状態でがくぽの雄の香、つまり『とってもとってもおいしいごちそう』のにおいを嗅ぐと、カイトは激しい酩酊に襲われる。視界が眩み、言葉が閊え――

懸命に残していたなけなしの理性も飛んで、夫に妻として貫かれることをのみ求める。

なによりそれが、もっとも早く、容易く飢餓を埋め、癒す方法であればこそだが。

どのみち酩酊だ。激しく強く、逆らい難く避け得ない。

「ぁ、はふ…ぅ…」

「……カイト様」

どこか戸惑い、強い羞恥とあえかな屈辱感とを醸していたカイトの表情が、完全に蕩け堕ちた。甘く熱っぽい吐息をこぼすと、カイトはとろりと蕩けきった表情まま、再びがくぽの雄に口をつける。

そこにもはや、先までの戸惑いもためらいも見えなかった。