B.Y.L.M.

ACT3-scene5

ある時代、あるところに、一輪の花があった。花は献身的に世話をしてくれる青年に焦がれ、彼と結ばれることを願った。

神の佑助もあり、花は大地から根を抜き、青年と同じ、ひとの形へと変じた。

そして青年と結ばれ、多くの子を生した。

神期が遠くに過ぎた今世となっても、ごく稀にひととして生じる『花』とは、この『花』の血が還ったもの――先祖返りと言われる。

うたうにも似た調子でそこまで語り、がくぽはひと息ついて肩を竦めた。

「そもそもがことに強い、神と同等なるほどの力を持つ花であればこそ、『ひとに焦がれ結ばれることを願う』などという意を持ったのでしょうが……言っても今のは、一般にもっとも流布する、大分、脚色されたお伽噺なんですが」

「ほ……ぅ………」

まるで知識がないもの宛ての、理解を容易くするための導入としてこういったものを用いることは、ごく一般的な手法であるのだが、続きで、流れというものがある。要するにこれまでの、信頼の積み重ねだ。

そこが圧倒的に不足している夫の言いように、カイトはつい、胡乱な目を向けてしまった。

しかしどういったわけか、これは外交用の穏やかな笑みよりよほどに威力が低いらしい。

一連を続ける間に持ち直したがくぽは、今度は堪えた風情がなかった。むしろなだめる表情となって、聞き分けのない幼子にでも言い聞かせるような調子で続ける。

「そうとはいえ、この挿話は花の――ことに、ひとの形代を取って生まれる『花』の特性を、よく表しています。大事なところは押さえていると言いましょうか……それに、そうです。私は今、大分端折って語りましたが、実際はもっと、いい感じの恋物語に仕立てられておりましてね。特に子供などは、諳んじられるほど聞いているにも関わらず、それでも語ってやると歓ぶというくらいで」

「こども……………」

微妙に引っかかる単語があり、関係ないとわかっていても後追いしてしまったカイトだったが、がくぽがその屈託に気がつくことはなかった。

もとよりカイトは胡乱を浮かべていた。その風味が多少増したところで、逐一に気に病む性質でもない。

そこのところでカイトには、すでに確信があった。

がくぽがもしもくよくよと、細かいことを長く気に病む性質であったなら、少なくとも真っ先にこの、減らない余計な口を改めているはずだからだ。

挽回の必要性が高い胡乱さに気がつくことはなく、しかし胡乱は胡乱でそこにある。

がくぽはカイトの真意は察しないものの、弁解の必要性はある程度、理解しているような素振りで話を続けた。

「昨日にも申しました。『花とはなにか?』――『花』とは庭に咲く、あるいは野辺に咲く、あれら花と同様、ひとの胎から生まれ、ひとの形代を取りながら、長じて植生と化すもの、ひとの形代まま、『花』そのものたるものであると」

覚えているかという風情で窺うがくぽに、カイトはとりあえず、頷きを返した。

さすがに昨日の話だ。足は萎えたが記憶に衰えはない。なによりずいぶん衝撃でもあったから、よく覚えている。

カイトの肯いを確かめて、がくぽは記憶を漁りつつ言葉を探すためか、伏し目がちに話を続けた。

「先の挿話にもありましたが、これはひとつの先祖返りであろうというのが実際、大勢の結論です。いつの頃かはっきりはしませんが、――いずれ、変身と異種交雑が盛んであった頃といえば前代神期ですから、その時期でしょう。『花』がひとの血に混ざった。理由はまあ、あの頃の気質というものを考えれば、恋い焦がれたという、それそのままでいいのでしょうが」

説き聞かせつつ、自らでも検証を深めるようにそこまで言って、がくぽは顔を上げた。再び、カイトを見る。

「それでその、混ざった『花』ですが――挿話にあったような、野辺に揺れる花がたまさかにということではなく、先にも申し上げた通り、前代神期の神のひと柱か、もしくは同等の力を持つほどのそれか………なににせよ、前代の血筋でしょう。決して後代の出自ではない。後代には不可能な御業ですから」

「そう、なのか?」

不明だとくり返しながら、ここばかりは確信を持ったがくぽの言いように、カイトは瞳を瞬かせ、首を傾げた。

カイトとしてはまず、がくぽの『不可能』がどのあたりにあるのかが、よくわからない。

そうと言われればそうなのかとも思うが、目の前、後代神期の続きたる今世に、がくぽという、巻き角と大翼を負った、前代神期に語られそうな存在がいる。

これは不可思議の力もやすやすと操るうえ、どうにも万職を極めようとしている疑惑がある。

不可能がないとは言わないが、少なくともカイトにとっての『不可能』よりずっと先に、がくぽの不可能はあるだろう。それが結局、どの程度の距離が開いているものなのかという。

戸惑いに瞳を瞬かせ、小首を傾げて見つめるという、ある意味ひどくいとけない様子で――もちろんカイト本人に、そんな自覚はいっさいない――先を待つカイトへ、がくぽは瞳を細めて微笑んだ。

それは赤面したくなるような、否、うっかり見てしまったが最後、赤面するしかない、甘い香に溢れた笑みだった。

がくぽからすれば、カイトのいとけない様子に触発されたというものだろう。しかし自覚もないまま、ただ甘い香に中てられたカイトだ。

そうと感じた途端、意味不明な動悸を急激に高まらせることとなってしまった。

「……っ」

カイトは杯を持つ手にきゅっと力を入れ、自分の体からふわりと立ち昇る気がする熱を、懸命に堪える。鎮まれと、気がつかれないようにと、必死に祈り、願った。

だからいったいいつから自分は、こんなうぶになってしまったのかという話だ。

玄人筋の、達人のとまでは言わないまでも、少なくともうぶを気取れば失笑される程度の年齢であり、経験であるというのに。

情けなさが天井知らずで募るが、凌駕してときめく。夫の罪作りなことといったら、いっそ恨めしい。恨めしいが、とにかくときめく――

くり返しの、終わりと果てが絶望的なまでに見えない。

幸いにしてと言おうか、がくぽがその様子にまで気がつくことはなかった。話の先、専門家でもなく、外ツ国出身であって前提とする常識の違うカイトにわかりやすい説明を探し、すぐに伏し目となっていたからだ。

そしてようやく考えをまとめ、ふいと顔を上げたとき目にしたのは、驚いたように杯を見つめるカイトだった。

その手前だ。

なんとか早急に自分を落ち着かせようと思ったカイトは、手に持ったまま、忘れかけていた杯の中身を咽喉に流しこんだ。行いに釣らせることで諸々、併せて呑みこめないものかと画策したのだ。

多少、慌てて杯を口に運び――中身を流しこんで、むせこまないまでも、驚いた。

温かったのだ。

この杯が用意されてから、経た時間というものがある。確かに温暖な――あるいは熱帯の――気候ではあるが、だからと温かい飲み物がまるで冷めないような気温ではない。ある程度、温度を失っていていいはずだった。当然カイトも、そう思いこんでいた。

ところがカイトが含んだそれは、初めに口をつけたときとほとんど変わらない熱を持って体内に入った。

火傷をするほど熱いわけでもなし、吹きだしたり咳きこんだりといったことまではしないが、意表を突かれるに十分な温度は保っていた。

おかげで意味不明な動悸は治まってくれたから、当初の目的は果たしたわけだが。

それにしても、どうやらがくぽが掛けた術は一時的な温度調節だけでなく、持続させることまで含んでいたらしい。

気が利く、気の回る夫だと――

「カイト様?」

「ああ、否………」

どうかしたかと問われて、カイトは曖昧に言葉を濁した。温かくて驚いたと言えばいいだけの話でもあるが、これまでの流れがある。

ここで切るのも得策ではないと判断し、カイトは小さな吐息とともに軽く、頭を振った。それで道を逸れた自らの気持ちを立て直す。

「後代には不可能の業だと……そう判断する根拠は?」

「ええ……」

なにかしらを探ろうとする不審の間はあったものの、がくぽは結局、そこに食いつくことはなかった。少しばかりくちびるを空転させてから、改めて話を続ける。

「根拠といっても、できないと、ただそれだけですが」

あっさり言いきって、がくぽは迷うように視線を彷徨わせた。再び不可思議を宿して小首を傾げたカイトに、困難を示し、わずかに眉をひそめる。

「喩えば、――南王の冠被りたるあれは、『人智を超えた』と、他国に噂されます。南方において、旧き一族と比した際にも、あれは突出した力と知識とを誇っている。異種と交雑し、繁殖する特異能力もある。だとしても、これを再現することは不可能です。一代限りならともかく、世代を重ねるなら、必ずひずむ。ひとの胎から生じ、赤子のときには確かにひとでしかなかったものを、長じて植生へと移すような無理は――しかもひとの形代は保ったまま、挙句、何世代にも伝わらせて絶えさせないなど、いったいどういったからくりか……ええ。さっぱり理解が及ばない」

ほんとうに意味がわからないといった風情で、がくぽはぼやく。そう、説明したというより、ぼやきだ。

しかしぼやかれたことはつまり、カイトのことでもある。

カイトは『花』だ。少なくとも南王はそう言うし、がくぽもまた、カイトをそう呼ぶ。

ひとの胎から生まれ、しかしひと非ざる、植生のもの――

この体には血が通い、流れだせば赤く、この体は断てば肉の赤身を晒すだろうに、そんな花に覚えはないのにも関わらず、カイトは植生なのだという。

赤い花や黄色い花、背の高いのや低いの、一重の花弁に八重のもの――ひと口に『花』といえ、雑多に種別があるように、この形、この特性でカイトは『花』なのだと。

「こういった、今となっては喪われて戻せない御業は、およそ前代のものです。前代より続く旧き一族も、血や形を遺しはしたが、御業のほとんどは喪った。あるいは喪ったとして、もはや今世に還らせようとはしない。ために我々はただ、『あれもこれも花であるように、あなたも花だ』と言うことになる。そうとしか言い表しようがないからと」

そこまでほとんどひと息に言って、がくぽはため息のようにこぼした。

「すべてつまびらかに説くとした、あなたへの誓言を違えているも同じですが……」

「否……」

反射で首を横に振り、けれどカイトは結局、もう一度、今度は意を持って、同じしぐさをがくぽに与えた。

「違約というほどのことではあるまい。だからといって納得したと、容易く言ってやるわけにもいかないが……私が花であると、おまえが確信する理由はなんだそもそも、私は通常の花と反応が違うと、昨日も言った。でありながら、それでも花だと確信した。その根拠は?」

「ああ、それは簡単です」

静かに問うたカイトに、がくぽはわずかに明るい声音となった。答えるに容易い問いだということだ。

見つめるカイトに、がくぽは拳を掲げてみせた。ぐっと、握る。筋が浮いた。

「あなたは私に力を与えた」

「え?」

ほんとうに簡単な答えだった。ただしカイトに自覚のあることではない。

いったいいつ、どうやってと困惑を示したカイトに、がくぽは筋の浮く拳を示したまま、軽く首を傾げた。

「曲がりなりにも最弱たる身の私が、南王の冠被りたるあれの首を掻き飛ばし、掛けられた呪いを弾き返せたのはなにゆえか――あなたが与えた力に依ってだ。私の力は花に依存する。私だけでなく、南王の冠被りたるあれもですが」

軽い口調でそこまで言ってから、がくぽは一拍置いた。先より少しだけ治めた、慎重な様子で口を開く。

「あなたが私に力を与えられたことによって、あれもまた、あなたを『花』と確信するに至ったのでしょう。なによりも私の力が、花のみに依存すればこそ」

「否、待て、がくぽ……いつだつまり、哥にあった頃だな南王の求めも未だなく、おまえが入隊して……私がどうやって、なにを」

慎重な様子ではあったが、あえなくカイトは混乱した。困惑して、片手で額を押さえ、記憶を漁る。

力を――そもそも力を与える方法とは、なにかなにをどうやれば、力を与えるというのか。

花とはなにかと幾度か問うなかで返された答えに、『花とは力だ』というものもあった。

だとしても、与えるなら方法があるはずだ。なにかしらの儀式を踏んだという。あるいはがくぽが呪術を用いる際のように、特別な文言を唱えるといった。

カイトは西方、哥の国の出だ。呪術が縁遠く、一般でも日常でもない。

カイト自身、折々に定められた祈りの文言程度は唱えるが、それでがくぽがうたう韻律のように、なにかが起こったことはない。それは単なる『言ノ葉』、『文様』でしかないからだ。

記憶され、意味もなく羅列される、幼児のそれに似た。

カイトの困惑と混乱はわかるのだろう。がくぽはわずかに言い淀んだものの、呑みこむことはなかった。

「初めのひとひらは、騎士に叙勲された際――あなたは私に剣を授けた。祝福の詞、言祝ぎとともに剣に触れ、そして私に与えた」

「なにも起こらなかった」

即座にしたカイトの反駁は、がくぽを差している。つまり騎士に叙勲する、その儀式の際だ。

儀式の記憶はあるが、なにか特別なことが起こればこそ、記憶していたわけではない。薄れるほど遠いことでもないから、残っている程度だ。

特別なことなど、なにもなかった。

ただ、初めて正規の騎士装束に身を包んだ少年が、常にも増してことさらにうつくしく、ずいぶんと見栄えの良い騎士ができたものだと、微笑ましく思ったという。

主たるカイトの前に膝をつき、騎士としての礼を取ったがくぽは、剣を享けた瞬間、多少、身を強張らせ、動揺したに似た顔は見せた。

けれどそれ以上に大きく反応することもなく、なにかしらの奇跡が起こるわけでもなく、儀式は滞りなく終わった。

しかし時系列を辿れば、そうだ。あのあとすぐから、南王の要求が始まった。カイトを花と呼び、我が元で咲けという、例の――

そもそもがくぽを哥の出身であると疑ってもいなかったから、あれとこれとを繋げて考えることも、今までしてこなかった。

がくぽが実は南方の出であり、まさか南王の実子であって、しかもカイトを探るために遣わされた密偵であったなら、どこかで確証を得ればこそ、すべての歯車は回り出したのだろう。

けれどその、きっかけだ。

「そも花とは、そう易々と力を与えるものではありません。私だとて、あの場であなたが私に欠片なり、ほんのわずかですら力を与えることがあるとは思っていなかった。けれどあなたが私に剣を授けた瞬間、私の身に力が駆け巡り、漲った。束の間、息が詰まるかと思うほど」

「なにもしていない!」

「愛してくださったでしょう」

「はっ……?」

不明が募り、焦りままに叫んだカイトへ返されたがくぽの答えは静かだったが、脳天を貫くほどの衝撃ではあった。

うつくしい少年だとは思っていた。

カイトだけの話ではない。騎士団では噂の美少年だった。からかわれることも多かっただろう少年は、わずかでも威迫を増そうとしてか、常に不機嫌めいた表情と態度で、結果、先輩や上役から注意されることも多かった。

それもそれでまた、カイトからすれば微笑ましい話題ではあったが、――『愛した』?

カイトの惑乱に対して、がくぽに疑問はないようだった。

おそらく思考が乱れたカイトに配慮してだろう、むしろ淡々とした口調で、なんでもないことのように続ける。

「先にした挿話を覚えていますか『青年に焦がれた花は、ひとの身となって子を生した』という……これはひとの血に花が混ざったことを表してもいますが、同時に、力を与えたことの比喩でもあります。なぜなら花が力を与えるのは、愛おしむ相手の、その幸いを祈るとき。幸いを願い、請うときに、花は助けとして力を与えるのですから」