B.Y.L.M.

ACT5-scene2

庭に興味がないのかと問われれば、否だ。はっきりと、ためらいも迷いもなく答える。否だ。

興味はある。むしろ強い。

この屋敷に着いた当初、少しばかり端を覗いただけの庭だ。

あの頃は詳細を知らなかったから、実直な屋敷の造りから予想していたような、いわゆる食用と思しき植生帯が見当たらず、ひたすら美麗な花で埋め尽くされた光景に意想外を覚えた。

記憶しているのは、その程度だ。

どういった花がどういった並びで、どれほどあるのか――

毎朝、がくぽは鍛錬のついでに花を摘んできては、カイトの『小腹』を満たすため、降らせる。

その頭、角の周辺には常に、新鮮な花で編まれた花飾りもある。昼間なら、カイトも『お召し替え』ついでに飾られることが多い。

当初は、飢餓状態を少しでも紛らわすためなどと説かれ、押しきられたカイトだ。

しかし飢餓が埋められた今となっても、この習慣は続いた。概ねのことでは主の意向を尊重するがくぽが、これに関しては折れず、なんだかんだと言いくるめては、カイトの頭も飾る。

要するに、飾りたいのだと――自らを飾るのも嫌いではないが、最愛の妻たるカイトのことも、手塩にかけた自らの花でもって飾り立てたいのだと。

どうやら南方人の美意識であるとか、愛情表現の常識といった、そういうものらしいと。

毎朝のように懲りず攻防をくり返し、カイトもそう、悟った。

そして、がくぽだ。カイトの夫は、がくぽなのだ――未だ、偏向と傾倒著しい忠誠を、惜しみなくカイトへ捧げる。

カイトはもはや主ではなく、妻だ。偏向も傾倒も少しは惜しんで欲しい。が、今のところがくぽに惜しむ気配はない。むしろ恋情と相俟って、強くなる一方のような。

つまり、抗しきるのは面倒だ。とても面倒だ。すこぶる、面倒だ。いのちを懸けるほどのことでもないとなれば、なおのこと――

結果、決して馴れたとは言わないが、そろそろ諦めが強くなってきたカイトだ。

なんと言っても屋敷には、カイトとがくぽしかいないということもある。客を迎えたこともなく、来たとしてもおそらく、がくぽひとりで対応しているのだろう。

他者に見られるわけでもないならもはやいいと、こちらは完全に投げやりに、カイトが折れた。

そういった、多少の因縁はあれ、しかしどの花も皆うつくしいとは、カイトも思う。もちろん、がくぽが庭から選りすぐって持ってきているということもあるだろうが、それにしても手をかけていることがよくわかる。

花と通じなければ、力を得ることができないという。

奉仕に尽くさなければ分けてくれないどころか、自分の力を奪われておしまいですよと――

言うがくぽの表情は、隷属を強いられて苦境にある、それではない。生き生きと輝いて、ひたすら楽しそうだ。

夜の少年が少年らしいのはともかく、昼の青年ですら、少年のように無邪気な輝きを宿して花を、庭を語る。

好きなのだ。

庭をつくることが、花の面倒を見ることが、がくぽはほんとうに好きなのだろう。

カイトからがくぽへ、恋慕の情があるかと問われれば言葉を濁すしかない現状であっても、夫婦であり、そして夫だ。

否、よく知りもしないままなった夫であればこそ、彼が丹精こめるもの、愛おしむもののことは、知れる機会があるなら知りたいと、カイトは思う。

だから、がくぽの庭だというなら、それには非常に興味がある――そう、興味があるのは庭全般ではない。

がくぽの、否、夫がカイト以外で手をかけ、こころを傾けるものだからだ。

「……っ」

きゅっと身を竦めたカイトのことは、腕に抱え上げているがくぽには筒抜けだろう。支えにと首に回していた腕にも力が入ったのだから、わからないはずもない。

外――庭に出た。その瞬間だ。

庭に出るかどうかについて、カイトは結局、曖昧なまま、はっきりとした言葉に置き換えられなかった。それを、青年がいつもの強引さを発揮し、連れだしたのだ。

どのみちカイトの足は、逃げるに向いていない。だとしても、はっきり厭だと告げればがくぽもやらないが、カイトは拒絶も明確にはしなかった。

ために、無駄に回る口を今日も過ぎ越して便利に使い、なんのかんのと丸めこむようなことを言いながら、がくぽはカイトを着替えさせ、飾り上げて、腕に抱えると外に出た。

大きな透明硝子をふんだんに使った室内は、西方の、窓が小さく鎧戸で鎖す家と比べれば、雲泥の差というほどに明るい。ほとんど室外と変わらないとすら、カイトは感じていた。

が、こうして外に出てみれば、やはり外のほうが明るい。眩さに束の間、目が痛むほどだ。

とはいえカイトが身を竦めたのは、目に覚えた痛みゆえではない。気後れだ。なにに対してと問われると、答えに窮するのだが――

こういうときに茶化すことも多いのが、昼の夫だ。

そう、昼の青年の口の回ること、必要なことがすべてつまびらかに聞けるのは有り難いのだが、余計なことも過ぎ越して多く、対して相殺というところだ。

相殺というのも、夜の少年から得られない情報を得られるという、そこをあくまでも過大に評価してやってのそれなのだが、ともかく。

咄嗟に竦んだカイトを、しかし今日、昼の夫は茶化すことをしなかった。ただ抱く腕に、力をこめる。

カイトのそれがわずかであったように、がくぽのこめた力もわずかなものだ。それでも抱かれている身には、はっきりとわかる。

ほんのわずかな、やりとり――

「っ……」

カイトは多少、複雑な心地に陥りながらも、瞬間的に硬くなった体を緩めた。がくぽにしがみつく、その力は抜かない。それでも、縋る以外の余分な力は抜けた。

安心した。

それはもう、明確に、羞恥を覚えるほどだ。

夫が応えて、わずかに力をこめて返してくれた。

それだけのことで、カイトのこころは急激に緩んだ。

そもそもなにに対しての警戒で、緊張であったのかも、よくわかっていない。

けれど原因がわからないからこそ、対処も厄介な類のものではある。原因が不明なら、どうすれば解けるかも探りようがないからだ。

それを、ほんの一瞬で解いてくれた。否、解けた。

自分はずいぶん現金だし、夫にかなり、依存しているのかもしれない――

もやつく腹を抱えても、カイトの腕から力が抜けきることはない。そしてがくぽもまた、苦情を上げることはなかった。黙って、頼もしく、カイトを受け止めている。受け止めてくれた。

久しぶりだと安堵して、カイトは内心、首を捻った。

なにがいったい、久しぶりだというのか。外に出たことか――それなら確かに『久しぶり』だ。嫁いできた日以来だから、およそ二月ぶりにもなる。

が、思いもよらず浮かんだ言葉が差した先は、自分の状況そのものではなく、夫に向いていたような気がするのだ。夫のなにかが『久しぶり』だったと、そういう。

しかしいったい、なにがどう久しぶりであったというのか、そこが判然としない。

「カイト様、少し…」

ようやくがくぽが声をかけたのは、照りつける強い日差しの下から、四阿に入ったところでだった。庭の内、屋敷からほどほど離れたところに、こぢんまりとつくられたそれだ。

四阿に入り、そこでどうして声を掛けたかといえば、カイトを椅子に下ろそうとしたものの、しがみつかれていて叶わず、注意を呼んだという。

考えこみ過ぎて、カイトは四阿に入ったことも、がくぽがしようとしていたことにも、まるで気がついていなかったのだ。それでただひたすら、懸命に夫にしがみついていた。

「ぁ、………っ」

「カイト様?」

「…っ」

呼ばれてはたと気がつき、腕を浮かしかけて、しかしカイトはすぐにまた、がくぽにしがみつくよう、腕の力を戻した。

なぜかと、――問いたいのは、カイトのほうだ。

そもそも体格で多少、劣るとはいえ、カイトも成年だ。その体を抱えたまま、目的もなく無闇と庭を巡れというのは、がくぽがいかに優れた騎士とはいえ、負担があるだろう。

なにより四阿というものの役割、機能だ。椅子に座ってくつろぎながら、庭を眺めるという。

外に出たところで、確かに湿気は相変わらず濃い。とはいえがくぽの言った通り、庭を埋め尽くす草花や木、あるいは大地によって、ずいぶん緩和されているのだろう。暑さ自体は屋内よりも多少、やわらかく感じる。

日差しの遮られた影の下、四阿に入ればなおのことで、ほっと息をつける感が強い。今が暑さの頂点ではないから、これからまた気温も湿度もぐんと上がってつらくなるのだろうが、だとしてもずっと楽に呼吸ができる。

ここでまず、ひと息つき、くつろいで――眺めていて気になる場所が出たなら、改めてがくぽに乞うてみればいいのだ。あれが見たい、あそこに行きたいと。

この騎士は、主たるカイトが興味を示してくれたことを歓びこそすれ、運ぶことを面倒だと厭うことだけは、決してない。

憶測でも希望的観測でもなく、カイトは明確にそう、言いきれる。迂闊に遠慮などしようものなら、きっと落ちこんで面倒だとすら。

だから、一度手を離し、椅子に移れと言われて、――なぜ、その通りにできないのか、したくないというのか。

問われても、カイトこそ、困る。

困るが、手を離したくない。離せない。負担になるとわかっていて、夫から離されることが耐えられない。胸がざわつき、もやつく腹が気持ち悪く、世界が回るような心地がする。

するが、なぜ、なにが、どうしてという、原因がわからない。

否、片鱗は掴めている。

不安で、こわくて、怯えているのだ。いったいなににと言えば、――それは未だ、掴みきれない。

根本たるところを掴めていないがために対処のしようもなく、カイトはひたすら自分で自分に戸惑いながら、手を緩めることができない。

放してくれと頼んで、むしろ、さらにきつくしがみつくようになったカイトの背を、がくぽは軽く叩いた。幼子をあやすときのしぐさだ。相変わらずひとをいくつだと思っているのかと腹が立つが、現状、そうされても文句は言えない振る舞いではある。

がくぽは背を叩くだけでなく、首筋に顔を埋めるようにまでしてしがみつくカイトに、諭す言葉を続けた。

「カイト様、少し……ほんの少しです、すぐに戻ります。お茶の用意を差し上げるだけですから」

「…っっ」

ますますもって、自分が頑是ない幼子になったようだ。

カイトは羞恥に身を熱くし、さらにきつく、がくぽにしがみついた。少し、熱が引くまでは、顔を見られたくない。

言われてみれば、言われるまでもなくもっともなことだったのが、いたたまれない。

この、夜でも昼でもあらゆることにまめな夫は、カイトをくつろがせるときには必ず、なにかしらの飲み物を用意する。果実を漬けこんだり絞ったりした果実水のこともあるし、乾燥花や、生の花びらといったものを浮かべた花茶のこともある。

とにもかくにも、ただ椅子に座らせて終わるようなことだけは、決してないのだ。

煮えきらず、返事をしきれなかったカイトに『とりあえず、ちょっと、お試しで』などと言い連ね、半ば強引に庭まで抱えてきた青年だ。それで今のところ、カイトは激しい拒絶を見せていない。

となれば、できれば今日はカイトを外に置きたいらしいがくぽは、少なくとも日が暮れるあたりまでは庭で過ごさせるだろう。

そしてそこまで長く庭で過ごすなら、相応の準備をしたがるのが夫だ。

カイトもこれまでの生活で、すでにその程度は把握しているし、もっともなこころ遣いであるとも思う。

言われるまでもない――はずだが、言われるまで思い至れなかった。

それよりなにより、がくぽから離されてここにひとり置かれることが、ひどく不安で仕方なかった。

置き去りにされるようなことなど決してないと理解しているし、――

「カイト様」

「ぅ……」

再三促されてようやく、カイトは渋々と腕の力を緩めた。機を見誤ることなく、がくぽは素早く、しかししぐさは非常に丁寧に、カイトを椅子に置く。

「っ」

椅子の冷たさに、びくりと竦んだカイトが落ち着くまで、がくぽは中腰の、無理な姿勢で待ってくれた。

こわごわと、カイトがなんとか手を離したところで、がくぽからも素早く身を離す。だからとすぐに距離を空けるようなことはせず、がくぽはその場でわざわざ、軽く膝をつき、略式ながら騎士の礼を取った。

場を和ませるための道化の、茶化す意図のものではない。主の意に染まぬことを強行したからという、騎士としての反射的な動きだ。

「すぐに戻りますので…」

「わかっている」

言い訳を重ねるような口調であやし説くがくぽに、カイトは拗ねた声音で返すのが精いっぱいだった。これこそまさに幼子の所業というもので、がくぽの扱いに憤れる義理もない。

そうは思うが、だからこれが精いっぱいなのだ。

カイトも内心では、そんな自分に頭を抱えていた。感情の制御が、抑制が、難しい――難しくなっている。ことに、昼の夫相手には。

悩ましく眉をひそめ、顔を逸らしたカイトをわずかに眺めてから、がくぽは立ち上がった。

「♪」

うたに聞こえる韻律の言葉をつぶやきながら、四阿から出る。

カイトは自分が置かれた四阿を観察することに注力し、未練がましく追おうとする視線を堪えた。追うのが、視線だけならいいのだが、――

庭の、だいたい、南東端側に建てられた四阿だ。傍らに、この庭の主とも見える古皮の大樹があり、朝の四阿に涼しい影を提供している。

木製の柱四本を支えと立てただけで、腰壁もなく、四方は完全に開けているという、素朴なつくりだ。

四阿としてことに珍しい型でもないが、屋根のみ、カイトには馴染みのないつくりだった。ざっくりとした木組みの上に、なにかしらの非常に大きな葉を葺いて、屋根板の代わりとしているのだ。

複数枚を重ねて葺いて屋根としているものの、だとしても一枚一枚が非常に大きい。ここまで大きな葉を持つ木を、カイトは文献にも知らなかった。

視線を下にやれば、床部分は、切り出されたと思しき石が、平らかに敷きつめられている。

その小さな四阿に、くつろぐために置かれているのは小卓がひとつと、小卓を挟んで向かい合う、背もたれのない椅子二つの、三点のみだ。

否、『小卓』と『椅子』と称しはしたが、三つとも、四角く切り出した石をそのまま置いたといった風情で、配置や高さ、造作から見てそうだろうと判断した程度のことだが。

床部分の石は鈍い色味の、ざらついた風合いだが、小卓と椅子の表面は光を当てれば弾いて輝きそうな材質だ。いずれ大理石だろうが、それにしてもきれいに磨かれている。

「………ん?」

そこでふと、カイトは違和感を覚えた。なにと言うと困るし、不愉快かといえば、そういう類のものでもない。

ただ言ってみれば、ずいぶん新しいなと――

「あ…!」

ここにきて、カイトはようやく気がついた。思わずといった調子で、あとにしてきた屋敷へと目をやる。

そうだ。がくぽがこの屋敷を造ったわけではないだろう。誰かから、譲り受けたはずだ。

全体の古さから、さすがに新築ではないと言える屋敷だ。丁寧に手入れをされているものの、相応に、使いこまれた感がある。

今はカイトとがくぽの二人しかいないが、誰か、屋敷には先住者がおり、なにかのきっかけでがくぽが、それを譲り受けた――

そういう雰囲気で、風情の屋敷だ。

対して、四阿に使われている部材には若干ながら、新しい雰囲気がある。感覚でしかないが、それでも推測するなら四阿はおそらく、がくぽが譲り受けてのち、庭づくりの一環で手掛けたのではないか。

それで、そう。

問題は、先住者とは誰で、いつ、どういった由来でもって、譲渡が行われたのかということだ。

たとえば、空き家になっていたところをがくぽが勝手に貰い受けたという可能性もあるし、力にものを言わせて奪い取ったかもしれず、あるいは親しい誰かから譲られたか、親たる南王から定められたものか――

いかに知らない尽くしの夫とはいえ、そんな、もっとも基本的なことすら、未だ知らなかったのだと。

屋敷の古さとそぐわない四阿の新しい雰囲気から、カイトは今改めて、愕然とするほどほんとうに、まったく夫のことを知らないのだと、思い知った。

「♪」

「ぁ…」

カイトがはたと、目が開いた心地になったところで、うたが戻ってきた。つられてそちらに目をやれば、がくぽだ。しかし遠目には、なにを呪術でもって操っているのか、わからない。

茶器一式を乗せた盆はきちんと手で持っているし、ほかに彼の周りを舞い飛ぶものや、不自然な動きを見せるものはない。

首を捻って見つめるカイトの前に戻ってきたところで、がくぽはうたにも聞こえる韻律の言葉を止めた。その顔があからさまに甘く、蕩ける。

「お待たせ致しました」

「否……」

羞恥から直視できなくなり、カイトはそっと、視線を外した。

どういった甘やかさを中ててくれるのかと、地団駄を踏む心地だ。四阿はずいぶん涼しい造りだったというのに、ひと息に体温が上がった。避暑の甲斐がない。

いったい自分はどこまでうぶな小娘を気取るつもりなのかと、カイトの内心に渦巻くのは、自らへの罵倒だ。罵倒しながらも意味不明な動悸が止まないから、進退窮まるとはこのことだ。

小さく深呼吸をくり返して自分をなだめたカイトだが、すぐにまた、動揺することとなった。

しかも今度は愕然としたあまり、完全に思考が止まった。