B.Y.L.M.

ACT5-scene10

「……っ」

カイトはほとんど無意識に、がくぽへ縋る腕に力をこめ、こくりと唾液を呑んだ。

とうとう、言った。

とうとう、自ら思い立ち、とうとう、自分から、言った。謝った。謝れた。

できるならカイトは、すぐにもがくぽに『赦す』と言ってやりたかった。

そんなことは大したことではない、おまえが自ら気がつき、正して謝ってくれたことが大事だ、私はおまえを赦そう――

とてもとても言ってやりたかったが、言えなかった。

理解できなかったからだ、いったいなにを謝られたものだかを。

なにを謝られたか理解できないうちに、赦すとは言えない。あとで事実が判明したときに、それは赦せないと翻すわけにはいかないからだ。

カイトの信用問題にも関わるが、それよりなにより、赦されたと一度は安堵したがくぽのこころに、刻まれるだろう傷だ。

それは単に『赦されたことがない』よりよほどに悪く、夫のこころを刻み、殺すことだろう。

悩ましいにもほどがある――

カイトは懊悩していた。がくぽをじっと見つめ、言葉を探していた。

謝罪の中身が難解だったわけではない。否、難解だったのだ。

つまり、含まれる意味だ。単純な言葉は理解に容易いようでいて、逆に含む意味が多岐に渡って複雑化することが、ままある。

そこを補うべき知識といった前提条件が未だカイトには不足していることを、馴れない謝罪をやることで頭がいっぱいになっている少年は慮れなかった。

だから、『根づく』ということだ――カイトはちらりと、自分の足に目をやった。

足だ。

しかし今、『花』として咲き開いて以降は、『根』へと意味を変じた。

カイトに対して『根づく』と言った以上、おそらく『足』のことだろう。足が――

カイトはなんとかして幼い夫に報いようと、懸命に思考を振り回した。

そもそも『根づく』ということの、原義だ。

植生の、ひとの見た形ではない野辺の花にそれを使うなら、言葉通りの意味だ。根づくとは、彼らの末端、いのちの支えである根が、大地に馴染むことを言う。

そこから発展し、ひとなどに対しても、新たな地に住みついたことをして『根づく』と評したりするが、さて今だ。

がくぽは、カイトががくぽに根づいたと、言った。

広義に見て考えて、ひとがひとに根づいたと――用法として、あまりない。

とはいえカイトは正確にはひとではなく、植生だ。実際に『根』を持つ。植生のそれとは見た目や役割が違うが、足は『根』だ。だからといって大地に埋める必要はなく、ましてや『根づいた』というがくぽの体に埋まっているでもない。

足はカイトの足として、独立してそこにある。言うなら、どこにも『根づく』ことなく。

「……っ」

く、とくちびるを噛み、カイトは一度、目を閉じた。

だめだ。なんという不甲斐ないことか。せっかく少年が勇気を振り絞り、果たしてくれたそのときに――

肝心の自分が応えてやれないとは。

しかし降参だ。無理だ。混乱しきった。

生半な対応が取れない以上、肚を括るしかない。

覚悟を決めると、カイトは瞼を開いた。せめてもの誠実の証として、離れたくない体を無理に、がくぽから離す。

――離そうとしたが、カイトの意思のみでは離し難い、繋ぐ手には力がこめられた。引き留めるしぐさだ。

それもそうだろう。謝罪の直後にこうして身を離すということは、言葉に因らず『赦さない』と言われているも同じだ。

そうでないことも実際多いのだが、謝る側は咄嗟にそう受け止めがちだと、カイトもよく知っていた。

憐れな思いも募るし、誤解される可能性も理解したうえで、それでもカイトは甘える姿勢に戻ることはしなかった。繋ぐ手だけはほどくことなく、力を緩めることもなく、二人の間に置く。

そのうえで、全身を硬直させて答えを待つ少年へ、そっとくちびるを開いた。

「がくぽ……すまない。その、つまり、……『根づく』とは、なんだ?」

「…っ!」

問いに、案の定でがくぽは、花色の瞳を大きく見開いた。

常には大人びようと、ことさらに威迫をつけようと、眇められていることの多い瞳だ。そうやって無防備に丸くすると、表情は年相応以上に幼くも見える。

状況が状況であれば、幼じみた夫の様子を愛らしいと微笑ましく愉しむカイトだが、今は胸が痛んだ。受けた衝撃の度合いが、ありありと測れるからだ。

胸を痛ませつつも、しかしここで引くわけにも折れるわけにもいかない。

カイトは軽く、首を傾げてみせた。

「『根』というのは、私の『足』のことだろうこれになにか、問題が生じていたということかそれとも南方独特の、なにかの言い回しなのか?」

「ぁ……」

穏やかで、ゆっくりとした口調をこころがけて問いを重ねたカイトに、がくぽの体が解ける。表情もやわらぎ、少なくとも当初の衝撃からは立ち直ったようだった。

そして思考も戻った少年はすぐさま、自身の配慮のなさに思い及んだらしい。

西方出身であり、未だ南方、もしくは『花』に関する知識の浅いカイトに対して、前提たる説明が不足していたと。

「……っ」

美麗な顔が、壮絶に歪められた。奥歯が軋む音が聞こえる。

つぶさに見ながら、カイトは空いている手で、夫と繋ぐままの手をやわらかに覆った。ぴりつく筋をほどくように撫でる。

カイトの顔を見れば、困惑はあれ、怒りがないことはすぐにわかるはずだ。

せっかく謝ってくれた夫へ即座に応じることができず、いたたまれない思いはしていても、説明不足への憤りや苛立ちといったものは、ないと。

至らぬ身への憤りと落胆に瞳を翳らせていた少年も、そういうカイトの思いはなんとか、読み取ってくれた。

なにより今は、自らへの憤りに囚われている場合ではない。詳細をと、主が求めているのだ。

――何度でもくり返すが、実際のところ、カイトはすでにがくぽの主ではなく、妻なのだが。

「す……、ふ…………っ」

浅く早い呼吸から、深く、緩やかな呼吸へ。

意識して自らを鎮めたがくぽは、表情を改めると、ようやくカイトとまともに見合った。次いで、至らぬ自分を律するためか、あるいは罰する意味合いでか、繋いでいた手をほどこうともした。

が、これはカイトが赦さなかった。

カイトとても、誠意の証として甘える姿勢は諦めたが、夫が赦してくれるなら、どうにか触れ合ったままではいたいのだ。とてもまともな思考とは思えなかったが、しかししたいものは、したい。

気難しい年頃の少年といえば、謝罪の続きなのだろうか。攻防は一瞬で、今日は大人しくカイトの意に添うことにしてくれたらしい。ほどかれかけた手が、固くきつく、繋ぎ直され――

とはいえ、今は夜だ。白むどころか、これから更けていこうという刻限の。

となればいるのは夜の少年であり、難しい年頃のただなかであるために、日常の些細なことですら言葉が閊える。

迷うように花色を揺らし、がくぽの目はカイトの足へと向かった。起き上がるときに手でもって身に寄せ、軽く膝が折られているものの、基本的には投げだされているような足だ。

昼には動いたが、今は動かない――

「………触れます。いいですか」

「……っ」

繋いでいない片手を上げ、ひらりと翻してみせたがくぽに、カイトは咄嗟に身を強張らせた。

求められたのは、体のどこかしら、適当にということではなく、『足』だ。カイトの足に、触れてもいいかと。

カイトが身を強張らせ、竦ませたのは反射の動きであって、昼間、南王がしてみせたときのように、抵抗感や憤りといったものが沸いたわけではない。

ただ、鋭敏なのだ――なんでもないときに触れられても、驚くほど感じる。

この『感じる』というのはもちろん、単に『触れられたことがとてもよくわかる』という意味ではない。なんの気なしに夫が触れただけのことが、濃厚な愛撫を施されたも同じという。

説明の不得意な少年が、これまでは力づくで押し流すばかりであった少年が、なんとかカイトに説明してくれようとしているのだ。

ようやくしてくれた謝罪を、無為に保留としてしまっているという負い目もある。今度こそ、きちんと応えたい。

応えたいが、触れるのは夫だ。『夫』なのだ。生半な気持ちでいれば、よほどにまずいこととなる。

「……っ」

すでに肌を染め、全身を羞恥にぷるぷると震わせ、瞳には涙まで浮かべて、カイトはくっとくちびるを噛んだ。

一瞬だ。

それで覚悟を決めると、ゆっくりと頷いた。止められず、羞恥に震えながら、懸命にくちびるも開く。

「いい。さ、われ」

「……」

拙い吐きだしになった。手を掲げたままのがくぽが、わずかに愁眉となる。

もしかしてこれだと、嫌がっているのを堪えているように見えるだろうかと思い至り、カイトは束の間、くちびるを喘がせた。

肌という肌が、さらなる朱を刷く。

すでに日は落ちて、昼間よりは多少、過ごしやすくなっている。それでも相応の陽気だ。ちょっとしたことで、すぐに汗ばむ。

汗ばむことで焦りが加速されと、いつもの悪循環に陥りつつ、カイトは閊える咽喉を押して、恥を吐きだした。

「ただっ……お、まえに触れられる、のは……いつでも、きもち、よくて……悦過ぎ、て、……か、感じて、しまう、のでっ………ぁ、もちろん、今は、そうではない、のは、理解しているのでっよ、よくよくわかっているから、へ、ヘン、に、ならない、ように、が、がまん、する。がんばる、が……っ!」

さすがに、目を合わせては告げられなかった。ましてや相手が自分より年若の、少年だ。カイトの気分を表すに、恥を忍んでなどという言葉では、とても生温い。

うつむき、寝台と見合いながらなんとか告げたカイトだが、やはり少年の反応は気になる。

――これが昼の、青年の夫であればあまり、気にならなかった。わかるからだ。

つまり、こういった場合、昼の夫は笑う。

きっと、絶対的に、疑いようもなく、昼の青年であれば、まず笑う。それも、冷笑や微笑といったものではない。あの、破壊的で爆発的な、大笑だ。

ほかの部分では読み難いのが、昼の青年だ。成長しきった挙句、器用になり過ぎた彼の考えや感情はひどくねじくれて、辿りにくい。

しかし、あまりにも危機的だからだろうか。カイトは青年の夫が、あの大笑を見せるだろう条件だけはすでに把握し、理解しきっていた。

おかげで今のところ、予想したときに外れたことは少ない。予想が当たりながら、これほどうれしくないこともそうはないと思うが。

対して、夜の少年だ。

ほかのときなら、不器用な彼の考えや感じていること、次に取るであろう手を読むことは、そう難しい仕事ではない。時に読め過ぎて、憐れになるほどだ。

が、あくまでもそれは、カイトに年長者としての余裕があるときだ。年長者としての矜持を保っていられる場合であって、今のように、崩れたときはわからない。

それで、カイトはちらりと視線だけ、素早く上げてがくぽの様子を窺った。

これは案の定というもので、がくぽは目を丸くしてカイトに見入っている。愁眉も解けているから、『嫌がっている』という誤解をしていたとしても、きっと解けたことだろう。

目的は果たした。

目的は果たした――が。

「ぅく……っ」

「っ!」

いたたまれない数瞬が終わる様子を見せず、羞恥を極めたカイトはとうとう、くすんと鼻を啜った。

それでようやく、がくぽもはっと、我に返る。

こうなっても未だ頑強に繋がれていた手に力が入り、体が引き寄せられた。咄嗟に抵抗を思いつけず倒れこんだカイトを、がくぽはしっかりと受け止め、そこでようやく手が解かれる。

代わりに倒れこんだカイトの体が、きつく抱きしめられた。

きつく、きつく、きつく――

「……がくぽ」

カイトのほうが先に落ち着いて、身じろぎしながら小さく声を上げた。

胸元に倒れこんだ姿勢できつく抱きしめられ、正直、視界の自由がない。あまり見えるものがないのだが、辛うじて窺えるがくぽの首筋が、これ以上なく赤い。

挙句、顔を埋めたことで間近にある胸も、激しく動悸を刻んでいることが、隠しようもなく伝わってくる。

せっかく落ち着いたものがつられてしまいそうだが、同時にひどく微笑ましく、年長者としての感慨も戻ってくる。

カイトはほとんど無意識に、がくぽの胸に額を擦りつかせた。それは甘えるしぐさだ。無意識なのだが。

「んっ……っ」

抱きしめるがくぽの腕にまた力が入り、さすがに体が軋んで、カイトは小さく呻いた。

それでも腕の力を緩めることができないまま、少年は小さくちいさく、吐きだす。

「俺が我慢したくない……っ」

――非常に困難なことではあったが、カイトは吹きだすことを懸命に堪えた。

微笑ましさと、愛おしさと、安堵と――

募る感情は強く、堪えることはひどく困難だった。

それでも少年の矜持を思えば、笑うのは幾重にもまずい。だからほとんど必死と言える努力を費やし、カイトは笑いを内に収めた。

そうやってカイトが戦っている間に、がくぽもがくぽで自己との戦いを果たしたものらしい。

ややして小さな吐息とともに、腕の力がようやく緩んだ。

だとしても抱えた体を離すことはなく、がくぽは再び、片手を翻す。多少の自由を取り戻し、顔を向けたカイトへ見せた。

「触れます」

「あ、…っああ」

油断していた。

カイトはうっかり和み、緩ませてしまった腹に、慌てて力を入れる。無意識に手が上がり、縋るようにがくぽの胸元を掴んだ。

がくぽもがくぽで、いろいろ堪えすぎて据えた目でそんなカイトを確かめ、しかして容赦はせず、閃かせた手を伸ばした。

「んぁっ……っ」

――覚悟を決めていようが、それでどうにかなるなら、苦労はないのだ。

触れられた瞬間、やはりカイトは堪えようもなく喘ぎ、震えた。