B.Y.L.M.
ACT6-scene4
がくぽが先に語っていた『父』とは、南王のことではなかった。最弱種族と称される人間の側、つまり、南王ではないほうの親のことだ。
道理で、語り口に毒がない。
「くっ……っ」
この親子はと、カイトは内心でさらに罵った。
口に出したなら、あれと十把一絡げに語らないでくださいませんかなどと、がくぽから猛抗議を受けるに決まっている。だから口に出すことなく、内心だけでだ。
それで、この親子だ。
この親子は、ひとの考えのななめを行くこと、あまりに過ぎる。どうしたってこう、思いもかけないことばかり、やらかすのか。
もちろん、そうだと言われたわけでもないのに勝手に思いこんでいたカイトも、悪いといえば悪い。
がくぽは南王を母親だとは言わなかったが、父親だと言ったこともないのだ。あくまでも聞かないうちに、確かめもしないのに、カイトが勝手にそう思いこんでいたという話ではある。
――しかしなぜ、そう思いこんだかというところだ。
少なくとも最前から会うに、南王は男に見えたのだ。これは姿をがらりと変えて訪れた、カイトが嫁いで以降の話だけではないし、もっと言うなら、カイトだけの話でもない。
おそらく哥の国の誰も、否、西方揃って、南王を男と信じて疑っていなかったはずだ。
見た形に衣装もだが、声にしても、男だった。
思い返してみても、女だったからああだったのかと、腑に落ちるものはない。それどころか、否、確かに男だったはずと――
「まあ、あれのほうの胎から私が産まれたことは、一応、事実ですから、ええ、そういう言い表し方も、しないではない…でしょうが、ね……」
対してがくぽも、非常に不本意そうな口ぶりだった。
ただしこれは、カイトが誤解していたことに対してではない。ひどく単純に、南王を『母親』と、自分を産んだもの、『母』と称する側にあると説明することに対してだ。
抵抗感の強さは、する説明に如実に表れた。
普段から、無為かつ無駄に言葉を重ねる癖のある、口達者な青年だ。
それにしてもはっきりとしない、微妙な言い回しを重ねられることに業を煮やしたカイトが、つまり母親なのだなと念を押したのに、なんとか返した肯定が、これだ。
なんとか返したが、無為かつ無駄に遠回しで、曖昧さを突き詰めようとする表現だ。
カイトは消化不良を抱える気分で腹がもやついたものだが、がくぽもがくぽで、その程度すらも受け入れ難いものらしい。
「しかして別に、カイト様の認識が誤っているというものでもありませんよ?」
すぐさま取って返すや、大量の否定を付け加え、重ねた。
「妊娠期間は弱体化するとかで、あれは基本、産む側は嫌いますからね。言っても、どうせあれのことです。弱体化など、たかが知れているでしょうに……しかしながら嫌っているので、可能な限りは種つけ側、孕ませる側に回るのだと言っていました。ですので、私の上のきょうだいのほとんどにとっては、あれが『父親』で、間違いはないわけで」
そうといっても結局、『がくぽにとっては母親である』ことに、変わりはないだろう。
産ませる側を『父親』と呼び、産む側を『母親』と称する限り、ほかのきょうだいにとっては父親であろうと、『がくぽにとっては』、どうあっても南王が、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えられた存在こそが、母親だ。
なぜなら南王こそが、がくぽをその身に孕んで、産んだ側であれば――
胎を痛めて産んだ子が長じたなら、ゆくゆくいずれは喰いきる気であったとしてもだ。
それはそれで、これはこれと言う。続柄を表す言葉に、感情は由来しない。
それにしてもこれは、夜と昼とで成長が合わないという、がくぽの変異について初めて問うたときの答え、『体質です』に及ぶ難解さだった。
説明のための言葉数ははるかに費やされているが、そういう問題ではない。
夜と昼で成長が合わないという現象を、『体質』のひと言で片づけたがくぽの親は、がくぽを含め十二人の子供にとって、父親である場合と母親である場合があるという。
精神的な話、あるいは家庭内での役割の、疑似的表現ではない。実際の行動、行為、あるいは生態として、『父親』として種つけをすることもあれば、『母親』として、自ら孕むこともあると。
「私もそうですが、私の父親の場合、ほんとうに人間の純粋種………相手に合わせて変容することもできない、性別が生涯限定されている種族に、『男でしかないもの』として、生まれた。ためにやむなく、自由度の高いあれのほうが私を孕み、産んだというだけの話で……。役割分担に、そこまで深い意味はないかと」
「南王の性別は、どうなっている」
往生際悪く重ね続けられる抵抗をばっさりと切り、カイトは呻くように訊いた。
がくぽが、小さく首を傾げる気配がある。わずかな沈黙は、言うなら、戸惑いだ。
「どうと、いうか………最前、これもお話しした気がするのですが、――そも、南方における性別は、西方におけるそれより多少、幅広く、こと細かにあります。大別するなら、四種ですが……男でもなく女でもないものに、男でもあり女でもあるもの、それに、女でしかないものと、男でしかないもの――」
「……っ」
覚えているかと窺うふうに顔を覗きこまれる気配があり、カイトはますます項垂れた。衝撃が治まるまではちょっと見られたくないと、両手で顔を覆う。
カイトはつくづくと、抱き上げられたままの、この姿勢が憎かった。逃げるに逃げられない。
もちろん降ろされていたところで、どのみち足は動かない。
そういう意味ではどうあっても逃げられないが、抱き上げられたままよりはよほどにましではないかという気がする。少なくとも抱き上げられている現状では、そう。
覚えている。否、思い出した――前提条件が、あまりに違ったのだ。
がくぽにとって『性別』とは、そういうものだった。
カイトにとっては男か女かの二極しかないものだが、がくぽにとって――南方人にとっての性別とは、もう少し幅広く、そして自由度が高いというのが、常識だった。
たとえば先に言った『男でもあり女でもあるもの』――両性型にしても、もとより二性を単体に併せ持つ型や、生まれたときには『男でもなく女でもない』無性型のようだが、相手ができたなら合わせて変異する型など、大別された四種の内から、さらに形態は細かく、多岐に渡る。
四種の時点ですでにカイトにとっては驚きだが、詳細を知れば知るほど、唖然とするしかない。
常識が覆るという感覚では、到底、不足だ。塔の最上段から、長くながい階段を転げ落ち続けているに等しい。そして未だ、底に到達していないという。
しかし南方に生まれ育ったがくぽにとっては、これこそが常識だ。わざわざ註釈を入れるまでもない、非常に一般的な前提条件だった。
――そう、無意識に判断し、話を進める。
もちろん南王の特質、特性についてもだ。
であればこそ当初、カイトがなににあれほど衝撃を受けたのか、誤解している内容について、すぐさま思い及ばなかったのだ。
ひとの世の慣習に合わせてのことなのか、別の理由があるかは定かでないが、公式の場においてはことに、男としか見えないふうを装っていた南王だ。しかしおそらく本来は、両性であるか、無性か――
「そうとはいえ――、正確に言って、あれは両性ではありません。無性とも、言い難い。もちろん、女か男かという、単一性でもない」
「っ?」
ためらいがちに切りだされた内容が、進めていた推測を再び裏切り、カイトはぴくりと肩を揺らした。未だ顔は両の手に覆われ、しかしわずかながら、上に向く。
カイトの様子に気がつくことはなく、がくぽは考えこみながら、説明を続けた。
「つまり、種族によっては、男でしかないもの、あるいは女でしかないものとしか番えないですとか、もしくは男でもなく女でもないもの同士でなければ――といったふうに、性別による繁殖の限定が存在するものも、多いわけです。それ以外の組み合わせでは、愛し合えても子は生せないというような……私の父なども、その例ですね。人間の純粋種たる彼は、自らの性別が『男』で限定されており、子を生すなら『女』としか、番えない」
「ああ」
理解が及ばない範囲の話ではない。聞いているうちに手の覆いが外れ、完全に顔を上げたカイトは、頷くことでがくぽに先を促してやった。
考えに沈むがくぽの焦点は微妙にぶれており、目が合うことはない。ただひたすら、慎重な様子で言葉を続ける。
「が、私のほかのきょうだい――十とひとりの内訳を考えるに、あれはそういった繁殖の限定や限界を、すべて超えている」
常には、考えるより先に口に出しているのではと疑うような、昼の青年のしゃべり方だ。
しかし今は、思い返し、記憶を洗い、吟味に吟味を重ねたうえでという、極端なまでの警戒が見て取れた。
黙って見つめ、先を待つカイトに、がくぽは小さく息をつく。聞こえないほどではないが密やかに、なによりも口早に、がくぽは自分の記憶を吐きだした。
「ええ、そうです…私も含め、十とふたりのきょうだいを『きょうだい』たらしめるのは、あれの血が必ず片輪に流れているという、それのみです。あれを必ず血の片輪とする以外、ほとんどすべての……双ツ子であったきょうだいを除いた、すべてのきょうだいの片親が違いますが、併せて性別も含めた種族もまた、すべてが違います。私も含めて十とふたりのうち、片親が同じ子がふたりいるというのも、双ツ子以外にはありませんが、親とする者は違え出身種族は同じという例も、――まるでない」
口早にそこまで言いきって、がくぽは笑った。思いつきがおかしくて笑ったというより、笑うしかないために、勝手に表情が笑ったというのに近い笑い方だ。
不健康なその笑い方で、がくぽは腕に抱いてよすがとするカイトを見上げた。
「もしも今、きょうだいすべてが生きていたとして、――十とふたりをひと並びにしたなら、壮観であることでしょう。きっと多くの者が、私も含めた十とふたりが血を分けたきょうだいであると、思いもしないに違いありません。いえ、いいえ――違います。『私と』だからでは、ありません」
眉を跳ね上げたカイトが口を開くより早く、がくぽは首を振った。横だ。言われることがわかっていて、先に否定した。
つまりきょうだいとの隔絶ぶりは、いつものあの、無為としか思えない卑下ではなく――
「私だけではない。十とふたりのうち、双ツ子を除いた、誰ひとりとして、です。否、……双ツ子ももしかすると、そうかもしれません。種族的に、あり得ない形だったのだし……ええ、しかしとにかく、そうです。血の片輪しか同じではないからという域すら超えて、あれだけの種族が『きょうだい』として並ぶなど、どうあっても不可能でしかない。いかに南方がなんでもありの、あり得ないことこそがあり得ない地であるとしてもね」
言いきって、がくぽの笑みは苦みを刷いた。
「そも、当事者の――きょうだいであることを知る私自身が、上のきょうだいと私とが、血を分けたきょうだいであると、信じられませんでしたからね」
「…っ」
軽く瞳を見張ったカイトの反応は、いわば無理からぬものではあった。責めたわけでもないし、嫌悪とも違う。単純な驚きの程度だ。
がくぽとしても、理解はしているだろう。断罪されているわけではないと。
理解しているだろうが、がくぽは苦い笑みまま、上向いていた首を戻した。うつむいてカイトから目を逸らし、口早に吐きだす。
「あのころ生きていたなかで……女でしかないきょうだいならばまだ、そう言われればそうなのだろうとも、思えましたが……最奥のもっとも旧き一族たる御方などは――あれ自身は血のほだしが見えるものだったので、最弱種族の私とも、血を分けたきょうだいだと、ごく簡単に納得したようなのですがね。私のほうはそんなものは見えないし、感じられもしないし、どうしてこれできょうだいだと信じられるのかと。幼く、思考から未熟だったということもあるのですが、それをあれは私の力弱さゆえと見て、だからおまえは心配なのだと……」
そういえばと、カイトは記憶を蘇らせていた。
最前がくぽが、秘匿していた自分の身の上を明らかにしたときだ。
がくぽが生まれたときにはすでに、ほかに十一人いるはずのきょうだいのほとんどは、実親たる南王に喰いきられ、いなかったという。
残っていたのはわずかに三人、四人のことで、そのうちの『男でもなく女でもない』きょうだいには、母親のように面倒を見てもらったと語っていた。
その、『男でもなく女でもない』きょうだいのことを、がくぽは旧き一族の出だと言った。そしてあのときも、同じようなことをぼやいたのだ。
あれと自分とが、同じ血を引くとは思えないと――
当時のカイトの状態もあるし、蘇らせた記憶だけでは、確たることは言い難い。
とはいえ直接の氏族名ではなく、本来、敬称のひとつでしかないはずの冠詞を一族名に換えて口にするという、最大の敬意を払うそぶりや、今の様子などだ。
併せて考えると、どうやらそのきょうだいの出身氏族は、南方でもことに敬われ、畏れられているのだと窺える。
がくぽの口ぶりにはあえかな憧憬の響きすらあると、カイトは感じた。それは単に、幼くして別れた『母親』を慕うものとは、違う。
ほかのきょうだいはともあれ、少なくともこのきょうだいに対してくり返される『同じ血を引くとは信じられない』というのには、見た形の違いという以上に、身分差が遥かに過ぎ、畏れ多さから同一視し難いという意味合いが強いのではないか。
――三つ子の魂……
がくぽの、自分から『妻』としたカイトに対するついぞ変わらぬ主扱いと、きょうだいに対する扱いとを並べ、カイトはわずかに疲れた。
この男は、根っからだ。相手のほうはすでに折れているものを、自らが頑迷なまでに。
先行きが暗い。どうあっても自分はこの男の、名目上ではない、本来の意味での『妻』としてもらえる日が、来ない気がする。
――そう言えばきっと、自分が夫であることになにか不満がとか、まるで見当違いなことを言いだすに違いないということまで思いついてしまい、カイトはがくぽの首に回した腕に、あえかな力をこめた。
少しは自覚しろと、促すつもりだ。もちろんこの程度で自覚するなら、苦労などなにもないのだが。
迂闊にも懐旧に沈んだことを責められたか、もしくは慰められたと見たのだろう。それまで暮れた気配を醸していたがくぽが、ふっと顔を上げた。
静かではあれ、まとう気配が変わる。どこか引き締まった、緊張感が漂った。
そもそもの、話の発端を思い出したのだろう。
南王だ。いったい性別はどうなっているのかという。
「つまり、………つま、り…?旧き新しきの別も問わず、種族の相違も構わず、性別も自在……」
口を開いたものの説明となりきらず、がくぽもまた、戸惑いを浮かべて言葉尻が消えた。
相変わらず、いい陽気だ。庭は、屋敷内よりは確かに風が通り、幾分涼しいが、それでもなにもせずとも汗ばむ。日の下にいれば、なおのことだ。
そんないい陽気であるというのにひやりと、背筋に伝うものがある気がして、カイトはさらにしがみつくように、がくぽの首に回した腕へ力を入れた。
考えに沈むがくぽはカイトを見ておらず、きゅっと眉をひそめている。
いつになく厳しい眼差しだ。それだけ真剣だということだろう。
おそらくがくぽにとって――あるいは南方人にとって、南王の性別が不確かであるということは、語るまでもない、ごく当然のことだった。
なにしろ人智を超えたという意味で、『魔』の冠を与えられるような存在だ。
性別だけは常識で測れるというなら、むしろそちらのほうが胡散臭い。だからこそカイトだとて、自分の思いこみが恥ずかしいと悶えたのだ。
が、不確かであることが常識であったとしても、いざ内実を考えてみたときに、改めて気がつくこともある。
これはいかになんでも、過ぎ越してはいないかと。
これはいったい、どういったからくりに因るものなのかと。
地域によって『常識』とされるものには、大きく二通りある。
考えるまでもなくそうせざるを得ないからそうなっているものと、考えることができないためにそうせざるを得ないからそうしているものとの、二つだ。
前者は、生活の知恵などに見られる。おもに気候や風土といったものに合わせて生まれ、土着のものとして発展し、あるいはその変化により、廃れていくものだ。
後者は、思考の停止だ。なにをもっても対応ができない、対抗できない、説明できない、理解できない――
ために、そうせざるを得ないから、そうしているだけの。
前者は理由を聞かれれば、これこれこうだからこうでと、必ずなにかしらの説明ができる。正誤ともあれ、説明の言葉は明瞭だ。
後者は違う。説明できない。思考が停止しているからだ。
思考を停止しただけのものでしかない以上、説明はできない。理由を求められても、なにもない。なぜなら理由を考えることは放棄した。
放棄したうえで、そうせざるを得ないからと、不承不承にそうしているだけだからだ。
理由を問うたときに、曖昧でもなにかの説明らしいものが返ればまだいいほうで、多くは意味のない、唐突としか思えない激しい怒りを返され、ひとの腹に新たなわだかまりを積んでいく――
南王の性別は、後者だ。
否、南王の存在すべてが、後者だ。それでひとは、人智を超えたという意味で『魔』の冠を与えたのだ。
考えてもかんがえても人智の外、超越したところにあるがために、考え及ばせることができない。
できない以上、もはや南王に関して、我らは思考を放棄すると。
これに関してカイトもひとのことを言えた義理ではないが、がくぽとて、基本はそうだろう。
そうでなくとも、南王の子として生まれた定めというものがある。将来的には実親たる南王に喰いきられて終わるものだと、諦めて生きてきた。
思考停止は著しく、けれど、カイトと出会った。異郷の地に芽吹いた花と出会い、これを南王から奪わんと発起して、今の関係がある。
がくぽはもはや、思考を停止させてはいない。停止させてはおれないのだ。
となれば、こういった小さな、関係がないと思える事柄であっても、逐一に考え直さなければならない。
もう一度、新たに、改めて考え、考えぬくところにしか、がくぽが生き延びるすべはもう、残っていない。
わかるから、カイトは不安を抱えても急かすことはなく、静かに夫を待った。
ただ、がくぽはひとりではなく、自分という存在がそばにいるのだと、それだけは忘れることがないようにと、あえかに主張して擦りつく。
そうやって存分に考える時間を与えられ、がくぽは結論を出せたらしい。ややして、確信に満ちた強い光を宿し、花色の瞳が上がった。
愁眉ながらも、信頼をもって見つめるカイトの瞳をはっきり見返し、こくりと、やはり力強さに満ち満ちて、頷く。
「どうしてもとおっしゃるなら、性別の分類は、節操なしでいいと思いますよ」