B.Y.L.M.

ACT6-scene11

「ひぅ、ぁ、や……っ」

身悶えたところで、小卓に預けた背が不安定に揺らぎ、咄嗟に『落ちる』という危惧に駆られる。

がくぽの背に回させられたカイトの手にはますます力が入り、しがみつこうとした本能が、爪を立てた。

「ひぐっ……っ!」

びくりと震え、痙攣したように引きつったカイトの指が、浮く。

「やれやれ、またですか――『まだ』ですか」

一瞬で快楽を忘れ、蒼白となるカイトを、組み敷いたがくぽは露骨なあきれ顔で見下ろした。

否、『見下し』た。

「ですから、構いやしないと申し上げているでしょう、カイト様。どうぞご存分に……どうせ、ねこの掻き傷と大差ありませんよ。いえ、あなた程度では、ねこにも敵いますまい」

「ぅ、ふぐっ、がくっ……っ」

よくもそこまでばかにしてと、カイトの頬に朱が上る。

かっと熱くなった頭だが、そこから発展することはない。カイトはすぐ、恥ずかしげに瞳を伏せた。

がくぽの態度が、わざとだとわかっているからだ。カイトのためにわざと、ことさらな悪役として振る舞ってくれている。

わかっているから、そうでなくとも正気でい難い状態だというのに、さらにいたたまれない。

そういったカイトの機微も理解したうえで、しかしがくぽが容赦することはなかった。むしろここぞとばかり、畳みかけてくる。

「おや、恥じ入った。ということは、認めましたかあなたはねこより、よほどに愛らしいのだと…」

「ぅ、ちが、ばか……ぁっ」

詰りながら、カイトはがくぽにしがみつき直す。ただし注意深く、爪を立てることは避けて――これが無意味な用心であることは、すでに身に染まされているのだが。

がくぽはわざと、悪役として振る舞うだけではない。カイトがどうでも自分の背に腕を回し、爪を立ててしがみつかずにはおれないよう、姿勢をわざと不安定にもしていた。

とはいえ、がくぽだ。偏向と傾倒著しい騎士で、それがまさか、忠誠を捧げる先であるカイトを取り落とすようなことは、万が一にもない。

たとえその、歪みきった忠誠を捧げる先である主、カイトの腹の内に自分の雄を捻じこみ、快楽を貪っている最中であろうとだ。

カイトもまた、わかってはいるが、咄嗟に恐怖心が勝る。

そもそも正面から対している今は、カイトの現金な足がやはり現金に、『とってもとってもおいしいすてきなごちそう』たる夫を逃がさんと腰に絡みつき、締め上げているのだ。

この二つがあって、たとえ狭苦しい小卓にあえかに背を預けるだけの姿勢とはいえ、そうそう無様に地面へ落ちるようなことなどない。

――が、咄嗟だ。理性が間に合わず、原始的なおそれが勝る。

挙句、快楽を貪らされている今、思考はより眩んで、ますます本能が強い。

強いからなおのこと、現金な足が現金に夫を抱えこんで離さないし、疑いようもない安全も疑って、抉りたくない夫の背を自分の爪で、これでもかと抉ることになる。

「ぁ、ぁうっ、ひ……っ」

「ああ、おかわいらしい……むず痒いようですよ、カイト様、あなたの爪……そも、私の『爪』と比べてご覧なさい。私のならともかくあなたの、こんなやわい、短く切り揃えたきれいな爪で、いったいなにができると思い上がっておられるものか」

「ぇ、ふぇっ、ぁ、がく……がく、ぽっ!」

ぐりりと、ことさらに奥の弱いところを突き上げられて、カイトは悲鳴を迸らせる。

それは二重の悲鳴だ。もはや苦痛と背中合わせにも近い、強い快楽への嬌声であるそれと、それによってつい、どうしても力の入る縋りつく指が爪を立て、夫の背を抉る触感への――

カイトの瞳からぼろりとこぼれる涙もまた、二重の涙だ。過ぎる快楽によって溢れるそれと、こうして再び夫を傷つけたくないと、おそれ怯えるそれと。

いっそまた後ろから挑んでくれれば、この葛藤もない。

が、夫の背に縋りきれない以上に、カイトにはもはや、後ろからという体位が耐え難かった。

昨日に見て、そして今また目にしている、がくぽの様子だ。

背にして聞いていればどこまでも余裕があると、自分ひとりが一方的に蕩かされ、貪らされてと悔しく思っていた相手が、実は正面から対して見れば、快楽に歪んで染まり、陶然とカイトを味わっていた。

過ぎ越した美貌の持ち主だ。なにをしておらずともつい、見惚れて目が離し難い。

それがこうして快楽に蕩けているさまはもはや、毒と同じだ。確実に堕ちるとわかっていて、手放すことができない。その選択が、掴めない。

なにより与えられる眼差しの、表情の、態度の、愛慕に溢れて甘いこと――

たとえカイトが『花』という、慈しみ愛おしまれることこそが生きる糧であるものでなく、ただびとであったとしてもだ。これほどのものを与えられてはもう、――

「ほら、カイトさま…」

「ぁ、あ…っ!」

やさしげな声でやわらかに吹きこみながら、がくぽはカイトが忘我とならずにはおれないところを狙って、攻めてくる。

ただ忘我となり、夢中となってしがみつくだけではない。この二月で覚えさせられた、快楽に溺れ、もっともっとと強請らずにはおれないような、そういうところであり、そういう攻め方だ。

――この体は、男を相手に淫奔だ。

娶られてからというもの、何度もなんどもなんどもくり返した思いをまた新たに刻まれ、ますますもってカイトはがくぽに、自らにそう教えこんだ夫へ、縋らずにおれなくなる。

その背に、爪を掛けずにはおれなくなる。

「ゃあっ、がく、ぁ、も…っ」

「ふふっ!」

ことに快楽の強いところばかりを、捻じこまれた雄でもって突き上げられ、擦られとくり返し、カイトは息も絶え絶えとなって嘆願をこぼす。

対するがくぽの答えといえば、あろうことか笑い声だった。それも、悪役を気取るがゆえの演技ではない、こころから愉しんで、つい、こぼれてしまったという。

快楽とおそれと、綯い交ぜとなった涙をこぼし、喘ぐカイトを見下ろして、がくぽは瞳を細める。身を屈めると舌を伸ばし、こぼれる涙をてろりと掬った。

「ああ、いけません――まずいですね、これは怯えるあなたの愛らしさたるや、天井知らずとはこのことですよ。正面からというのも、いけない。背後からなど比較にならないほど存分に、あなたを観賞し、愛で、堪能できる。もはやあなたの体を慮ってなど、やれそうにもありません。まあもとより、初め以外は言い訳でしたがね」

「が…くぽっ、っぁっ!」

口を開けば大概、ろくでもないことを言う昼の夫が、またひどく、ろくでもないことを言っているような気がする。

常であれば、カイトも眉をひそめて追及したかもしれないが、今だ。とてもではないが、そんな余裕はない。

怯えてもおびえても懲りず、手は夫へ伸び、回って、しがみつき、求める。

理由は理由としても、ごく愉しげにいたぶり、嬲ってくる相手を懸命に見つめ、訴えるカイトの瞳が逸れることはない。

浮かべる怯えは夫を傷つけることであって、それ以外はない。

見返して、がくぽの笑みはさらに陶然と、蕩け崩れる。この男に愛おしさの底はないのかと、カイトがいっそ恐怖を覚えるほどだ。

偏向と傾倒著しく、歪みきった忠誠を捧げる騎士であればきっと、もちろん底など存在しようがないと、平然と答えるのだが。

「――私をうつくしいと言った、あなたの言葉を疑うなどとんでもないが、……ええ、しかし、これでも未だ疑いを抱き続くようなら、さすがに私に、あなたの夫たる資格はないでしょうよ。ええ……」

ため息のようにつぶやき、がくぽはカイトのくちびるにくちびるを寄せた。重ねれば、背に回っていた腕が首に移り、離れたくないとばかりにきつく、抑えこむ。

「ん、んくっ、ん…っ」

がくぽがとろりと落とした舌を、カイトは自らも舌を伸ばして迎え、吸いつく。ほとんど反射の動きだ。同時に、花としての本能が強く出た面もある。

がくぽはしばらく、カイトの好きなように舐らせていたが、そのうち、腰を抱え直した。ぐ、とひと突き、奥深くが刺激される。

「んっ、ぁっ!」

衝撃にびくりと仰け反ったカイトが顔を離し、首に縋っていた腕が束の間、緩んだ。がくぽは素早く頭を上げると、注意深く姿勢を整える。

「ぁ……」

悪役としていたぶるふりをしながら、がくぽは怯えたカイトが息をつき、あえかに落ち着くまで時間を置く。そして多少なり、息が戻ったと見るとまた、くり返すのだ。

ひどく忍耐のいる作業だし、いくら偏向と傾倒著しい騎士とはいえ、よくも続くものだと、カイトは呆れる。

呆れながらも、くり返されることがわかっているから、咄嗟に警戒せずにはおれない。警戒し、容赦を求めてつい、縋るように夫を見上げる。

なにも今日、すぐと克服しなければいけないことではないだろうし――そうそう素早く克服できるようなことでも、ない気がする。

容易く克服してはいけないことのような気もするし、だからといって、こうして夫と正面から対し、縋りたくないのかと問われるなら、答えに窮する。

そして窮する理由は、したくないからではない。

複雑な心境に揺れ、ぶれて迷うカイトの視線を、がくぽはまるで悪役らしからぬ、やさしい笑みで受ける。

『受ける』だけだ。

悪役たる今、がくぽはそこからさらに選り抜き、悦びとともに、カイトの怯えを無惨に踏みにじる。

こんな相手を傷つけたことなど、忘れてしまえと。

なにより、傷つけられた相手こそが、まるで気にしていないのだからと。

そう、カイトの傷に押し重ね、あるいは新たな感触で埋めるために、がくぽは丁寧にていねいに――

何度でも、自分を傷つけさせる。

自らが丁寧にていねいに削り、研いで、尖りもなく棘もなくきれいに整えたカイトの爪を、何度もなんども自らの背に掛けさせ、喰いこませ、刻ませる。

自らが手を掛け世話をしてやっているカイトのやわい爪には、夫を相手にろくに刻めるものなどないのだと。

何度もなんどでも丁寧にていねいにていねいに自分を傷つけさせ、そして嗤う。笑う、わらう……――

「ゃあっ、ぉねが、がくぽ……っ、ひぅっ!」

ことさらに抱え上げられ、奥を貫かれ、突き上げられとして、カイトは滂沱と涙をこぼし、喘ぎ悶えてがくぽの背に爪を立て、縋りつく。

伸し掛かり、容赦なく攻めるがくぽはどろりと蕩けきって、そんなカイトへ陶然と吐きこぼした。

「ああ、なんと力なく、愛おしいのか……虐め癖がつきそうですよ、私はあなたを傷つけるなど、とんでもないことですが、ああ……どうぞもっと、もっと、掻いてください、カイト様――私に縋って掻いて、身も世もなく泣きながら乞うてもらえませんか、もっと欲しいと」

「ぅ、ひぃうっ……っ!」

腹のなかで脈打ちながら膨張するものの感触に、カイトは仰け反る。がくぽは激しく突き上げるのに紛らせながら、そんなカイトが小卓から落ちる危惧を抱くよう、あえかに姿勢をずらしてくる。

そして案の定で、咄嗟に怯えたカイトが加減もなく背に爪を喰いこませると、満足しきって嗤う。

腹の内の存在感はいや増し、これがまさに夫にとって、喩えようもないほどの愉楽に直結しているのであると――

「も、ぉ、も、ぃや……っ、がく、ぅ、ぉなか、ぁあ……っ」

「ああ、欲しいですか私を食べたいならばもう少しぅ、強く、縋りましょうねあなたがきちんと背に縋れたなら、欲しがるものは欲しがるだけ、いくらでも差し上げますから。この程度ではむず痒いだけで、私ももどかしい」

「ぇ、ぁ、あ…ひぃぅうう……っ!」

なんのために泣いているのか、もはやわからなくなりながら、カイトはがくぽにしがみつき、縋った。やはりなににか明確になりきらない敗北感とともに、きつく、夫の背に爪を入れる。

「ははっ……!」

快楽に歪み、溺れる視界に、カイトはそれでも、夫が閃かせた笑みをはっきりと見た。カイトが抱いた敗北感が間違いではない証左として、勝利の悦びに満ちて輝く。

異形であることでどうにか救われるほどの美貌が、異形であることで、救いようもないまでの艶やかさを咲き誇らせる。

追うようにして、腹の奥に吐きだされる熱――

「ぁ……っ、あ、……っ」

仰け反り、痺れるほどの快楽に痙攣しながら、カイトはこころに決めた。

金輪際、決して、絶対に、夫を相手に負い目など、感じてやるものか――

迂闊にそんなものを負えばこうしてつけこまれ、今のような、ろくでもない目に遭わされる。

がくぽは夫だが、同時に、より以上に、騎士だ。偏向と傾倒著しい、騎士だ。

もとより扱いの難しさには悩まされてきたものだが、ほんとうにもう、悩まし過ぎて頭が痛い。

しかしとにかくよくわかったのは、こちらが下手に後ろめたさなど負ってやったり、慮ってやったりしようものなら、こじれにこじれきった忠誠心から、偏向と傾倒著しい方法で解消に励まれるという。

こじれにこじれた忠誠心からの、偏向と傾倒著しいやり方だ。

かえって余計なものを負いこまされかねない。

だから金輪際、夫に負い目を感じるようなことは、しない――

もちろん付き合いも長くなればなるほど難しいことはわかっていたが、カイトはがくぽの背にしがみつき、力いっぱい喰いこませる爪の軋みで、自らにそう、刻みこんだ。