B.Y.L.M.

ACT6-scene12

カイトが受け入れさせられた、あるいは流しこまれた力は、勿忘草の群生、それひとつ分ではない。

どころか、彼の花の力は、ほとんど含まれていないという。

ではいったいなにのといえば、『庭』だ。

庭の花、果樹、大地――がくぽの屋敷が属する敷地の、がくぽが育てたその『庭』すべてのものの力が、勿忘草という、カイトと同郷のものの身を介し、流しこまれた。

補記するなら『すべて』とは、庭に属するもの『すべてから』という意味であって、『庭が持つ力のすべて』ではない。

ひとつひとつが提供した力は、今回の場合、わずかだ。がくぽが喩えるには、『挨拶』程度の。

しかしこの場合、数が力だった。いくら『こぢんまりとした』といっても、やはり相応の広さを持つ庭であり、数多くの植生が、それも非常に力強く咲き誇って、ある。

ひとつひとつがわずかでも、もとより力溢れるものの『わずか』であり、最終的に数だ。

そしてそれだけのものを、漏れることなく滞りなく、すべてカイトへ媒介しきるという大役に力を使い果たし、彼の花は枯れた。あるいは、眠りについた――

「もちろん、弱った状態での、間際の力です。あれだけであれば、役を果たしきるには不足だったでしょう。直前にあなたが与えた力があったからこそしおおせたというなら、それは確かです。否定はしません。それをしてあなたがあなたの罪だと唱えるなら、――まあ、もはや言うべきはない。…としか」

四阿の椅子に、カイトを抱えて座ったがくぽは淡々と説く。

膝に抱えられ、がくぽに組みつくようにして凭れるカイトは、億劫な目を閉じた。束の間だ。開くと、茫洋と視線を投げる。

配置の問題だろう。四阿にほど近い場所に植えられていた花だが、枯れて地に伏せた今は、見えない。生き生きと咲き誇るほかの花が、うまく姿を隠している。

これも世話役の計算だろうかと、カイトは鈍い頭で考えた。そうである気もするし、たまさかという気もする。

だがどのみち、見えない。

見えないし、もう、聞こえない。耳元でかそけく、けれど脳髄を直接に揺さぶられるような、あの声は。

わたしをわすれないでと――

残ればいいのにと、カイトは頭を凭せ掛けたがくぽの肩に擦りつき、願う。

あれほど強く揺さぶるのだから、もう少し、残っていればいいのに――

あれこれと道を逸れている間に、中天にあった日は、西への傾きを大きくしていた。

もっとも日差しが強く、暑さの過酷な時間はあえかに過ぎたが、まだ名残りは濃い。

じっとしていても汗が滲むようだが、挙句にカイトは、がくぽとぴたりと密着している。膝に乗るだけならまだしも、組みつくように抱き合っているのだ。

日が翳ろうが沈もうが、暑い。この格好でいる限りは、うんざりするほどひたすら暑い。

しかしいくら南方の生まれ育ちで暑さに耐性があるとはいえ、がくぽはどうしてこうも、涼しげな風情なのか。

美貌も過ぎ越すと、暑さもおそれをなして和らぐものだったろうか。それにしては密着している自分への恩恵がないような気がするのだが。

――朝に起きてからの、時間の経過による疲れもあるし、起こったさまざまな不可解に絡む、精神的な疲れも濃い。

そのうえ余計な事後の疲れまで追加されたカイトの頭はひどく働きが鈍く、ともすれば逃避に走る傾向にあった。

これではいけない、こんなことではと思うし、だからがくぽだ。暑さに負ける様子もないが、疲れた素振りも見えない夫だ。

鍛え抜かれた騎士であれば、基幹の体力が違うことはわかっているが、それにしても納得し難い。

「は……」

あえかに息をつき、カイトは少しでも体力を保つため、瞼を下ろした。

暗くなりきらない暗闇のなか、無意識から夫の肩に擦りつく。甘えるしぐさとともにすんと鼻が鳴って、多少の名残りはあれ、今は落ち着いた雄の香りを嗅いだ。

先には興奮を煽ったものだが、今はこころが安らぐ。

いつもながら、いったいどういったからくりかと疑問を過らせつつ、カイトは安らぎに任せ、億劫な口をなんとか開いた。

「言うなれば、――歓迎会。………の、ようなものであったと、いうことか『花』として、この庭に迎え入れようと」

がくぽが折に触れて語る『花』の様相は、聞けば聞くほど、カイトのこれまでの常識を覆す。

まずなにより、過激だ。過激で、短気であり、暴君と等しい。

もちろん同時に、ひどく憐れみ深く慈しみ深い存在ではあるのだが、その表し方すら、独善的な傾向が強い。

とにかくひとの話など聞かないし、都合もおかまいなしで、できることをするばかりと、したいようにするし、したくないことは枯死してでも拒絶するし、――

そして非常に身につまされることに、カイトも今や、その仲間だ。

そう、新参の仲間の『花』たるカイトを、その、過激の集合体である『庭』が迎えるにあたり、なにかしら歓迎の意を表そうと、画策したとしてだ。

それはもう――過激なこととなるだろう。

カイトの以前の常識通りであれば、花たるものの催す『歓迎会』とは、上流階級の婦人が開くお茶会のごとく、穏やかで落ち着いたものであったろう。

が、がくぽが語る限りのそれらであるなら、然もありなんというものだ。喩えるなら、騎士団の新人歓迎会の様相を呈するであろうことは、想像に難くない。

となれば必然、具合を悪くするものも出るし、あるいは重傷を負うものも出るだろう。むしろ出ないほうが驚く。逆に具合が悪いのかと、歓迎したくない理由でもあるのかと、勘繰るようだ。

そして彼らに、その意気は要所での職務遂行まで取って置けといくら言ったところで、聞く耳を持つものではない。

そもそも騎士たるものが職務以前に重傷を負ってどうするのかという話なのだが、それも実力のうちであるし、究極的には運であり、やはり運も実力のうちだからと、右から左に流されて終わりだ。さもなければ左から右だ。どのみち流される。

ここの感覚が、実のところ、傭兵と大差ないのだ。

否、『騎士』という名ゆえに一見、お行儀が良さそうだと感じる分、性質の悪いことといったら、傭兵をはるかに凌ぐ。

「……っ!」

――そこまで考えを及ばせたところで、そうか、花とはつまりあれらかと、カイトは目が開くような思いで、認識を改めた。

道理でがくぽとの相性がいい。

カイトはがくぽに組みつき、肩に頭を預けている。どういった表情を晒しているかなど、がくぽには見えないはずだが、なにかしら不穏な気配は察したのだろう。

支えるようだったがくぽの手が、なだめるようにカイトの背を撫でた。どこかためらいがちに、口を開く。

「いえ、その………確かに、歓迎会の一種では、あるでしょうね。ただ、まだ……ええ、善意の解釈と言いますか、ご認識が甘い。――かと」

然もありなんと、カイトは億劫そうにがくぽへ懐いたまま、同意した。

花が騎士と同等であるなら、カイトの認識は確かにきっと、常に甘い。どう甘かったかは不明でも、きっと必ず、甘いのだ。

忠誠は本物であり、捧げられた剣にどれほど信を置いたとしても、最終的なところでいつも、騎士のやりように対するカイトの認識は甘く、後手の対応を迫られる。

なにしろ、騎士団に所属する騎士となればまず、相応の家格から排出されているはずだというのに、連中の考え方の基幹だ。筋肉だ。

それも鍛え上げて、岩のように固くなった筋肉だ。

この階級であればもっとも優先とする家格や政治的派閥が、二の次なのだ。

これを一に保ったままの騎士がいないとは言わないが、長く残らない。否、残れない。そも、その程度の覚悟ではイクサ場において生き残れないし、大多数を占める二の次の連中が『残しておかない』。

その齟齬に気がつくまで、カイトが騎士団を御するにどれほど苦心惨憺したものか。そして気がついたところで結局、基幹がまるで違うカイトの認識は甘いと、頻繁に思い知らされるだけだった。

だから今更そうと指摘されたところで、カイトに衝撃などない。然もありなんと、諦念とともに思うだけだ。

自棄じみた覚悟を固めるカイトに、がくぽはため息のように告げた。

「繋がれた――『繋いだ』のですよ、庭に。この、南方の大地に」

「っ!」

ぱっと瞳を開き、カイトは反射で頭を上げた。驚きに見張られた湖面の瞳が、気弱な色を宿す花色と合う。

――見合って、数瞬のことだ。

「…?」

なにをそうまでと、カイトは自らの、過剰とも言える反応を訝しみながら、強張った体の力を抜いた。

がくぽの背に回っていた片手が離れ、なんの気なしに自分の足に――左の足首に、触れる。

がくぽが触れれば過ぎる快楽に踊るし、がくぽ以外が触れようとすれば憎悪に正気を灼き切る足だ。だが、自分が触れる分にはそこまでの感覚は呼び覚まさない。多少、以前と違うにしても――

こぢんまりとした椅子とはいえ、座るがくぽの尻の余りで、わずかに幅が残る。動かないカイトの足は膝を折って、そこに大人しく乗せられていた。だから手を伸ばせば、すぐに触れることができる。

座り方の問題だろう、足首は裾から出て、肌を晒していた。指に触れるのは、なめらかな肌の質感であり、それだけだ。

無骨な鉄枷の感触でもなく、その下に厚く巻かれた絹布の感触でもない。

気弱ではあっても逸らすことなくカイトと見合い、がくぽは微笑んだ。

「西方で生まれ育ったあなたは、未だ西方のものだった。西方が、色濃くその身を染めていた。そも、口にするものすべてが南方のものとなれ、屋敷に篭め、大地と遠かったですからね。繋がりが希薄だ。あれらはどうも、それが気に食わなかったものらしい。もっときつく、なにより早く、南方の大地と結ばなければ、いつあなたがいなくなるものかと」

「おまえだな」

きっぱりと吐きだしたカイトに、がくぽは視線だけ、軽く天を仰いだ。

「おまえの庭で、おまえの花だ。おまえだな」

容赦なくかけられる追い討ちに、がくぽはくるりと瞳を回す。そっと、カイトを窺い見た。へらりと笑う。

「言葉もないとは、まさに正しく、こういうときのことを言うのでしょうね。そうでしょう?」

「それだけ言えるなら十分だ。なにも困ることはあるまい」

けんもほろろに言うカイトに、がくぽはとうとう、顔から天を仰いだ。そうとはいえ、四阿のなかだ。瞳に映るのは葉で葺かれた屋根だが、端には暮れかけの空も見えるだろう。

「なにやら、どこかで聞いたような気がする返しです。覚えがあり過ぎて、悪寒がするようですよ?」

つぶやいたがくぽは、秀麗な眉をひそめ、すぐに姿勢を戻した。

戻るともはや、不快は残っていない。多少の気後れした感は残っているが、その程度だ。

「それが――、先ほどのからくりで、内実です」

締めて、切れ長の瞳が歪んだ。なんとか笑みを保とうとしながら、滲む悔恨が強過ぎて、隠しきれない。

「そして、あなたを庭に連れだしたならきっとこうなるだろうと、わかっていたはずなのに見通しきれなかった。あれらのやりようを防ぐことはできないにしても、事前にあなたへ、こころ構えを与えることはできたというのに」

懺悔の言葉に、カイトは足首に置いていた手をがくぽの首へ戻した。凭れかかる姿勢にまでは戻らず、歪む花色の瞳を見つめる。

カイトの表情は静かであり、無垢であるとも言えた。なんの感情も窺えない、鏡のようにがくぽの感情を返すものだ。

返される自分の感情に、がくぽはさらに表情を歪め、けれど言葉は止めなかった。

「あなたが受けた衝撃も痛みも、軽減することができたものです。なにより呵責の念となれば、覚える必要もなかった。こうまで負担をかけたのは私の認識の緩さと、そのための見通しの甘さに因るものだ。あなたが」

そこで、がくぽは言葉を切った。カイトの瞳から、ことさらに焦点を合わせて揺らがせず、大きく息を吸う。

吸われた息が吐きだされたのは、言葉とともにだった。

「あなたが、王の花なれば――」

「………………」

二月かと、カイトは考える。

がくぽに嫁ぐ形で南方に来て、二月だ。その前からのと、その後に判明していくものと、雑多さまざまにことはあれ、だ。

それまでもカイトは、人生のほとんどを王太子として、学ぶことに費やしてきた。もちろん長じてからは実践も増え、外交の場に出て対応もしたし、騎士団を率いることもした。

けれど幼いころからの人生を振り返るに、長じてからすらカイトの時間の大半は、知識を得ること、膨大な量の情報を捌くことに費やされてきた。

そして、それだけやってすら、この二月だ。

訊いてばかりいる。

いったいどういうことなのか、いったいなんであるのかと。

知らないこと、わからないこと、理解できないこと、聞いた記憶のないこと、見た覚えもないこと、過去に学んだがすでに忘れたこと、学ぼうとも覚えようともしなかったこと、忘れたことすら忘れたこと、――

二十年にも及ぶ人生の歳月のほとんどを、机上での学びと情報の収集に費やしてきて、未だこのざまだ。

いったいなにをしてきたのかと思う。いったいどれだけ無駄を重ねたものかと。

同時に、――どうしようもなく、たのしい。

見えたと思っていた世界が、限りのあった世界が、端をおぼろに、霞んで広がっていく。広がり、霞んでいく。

開いていく。

拓いていく。

得難い経験だ。年齢も経れば経るほど、簡単にできるような経験ではなくなっていく。

それが、できる。与えられる。

自分の半生に忸怩たるものは覚え、けれどどうしようもないと、カイトは笑う。

どうしようもないのだ。どうしようもなく、たのしいのだから。

広がる。

拡がる。

自分が、開いていく――

悔恨を滲ませても過ぎ越している夫の美貌を陶然と眺め、カイトはくちびるを開いた。

訊く。何度目か、幾度目のことか。

いくつめの、それか。

「王の花とは、なんだ?」