B.Y.L.M.
ACT7-scene11
ほんの少し、休憩の時間を貸してくれという話ではなかっただろうか。お茶をする程度の時間、構ってくれてもという。
「ぁ、ぁあ……っ、ぁ、ゃう…っ」
長い指がつぷりとカイトの、妻としてよくしつけられた奥所へ入りこむ。
馴れたもので、差しこまれた指は惑うこともなくすぐさま、カイトのもっとも弱いところを探り当てあてた。わずかにこりりと凝る場所を、容赦もなく突き、撫で、揉む。
「ぁ、がく、ぁあっ、ぁ……っ」
自由にならない体を震わせ、カイトは首を振り、ぼろりと涙をこぼした。悦楽が過ぎたあまりだ。
長椅子に横たえられた挙句、巨体が伸し掛かってきている。
否、がくぽ単体であるなら本来、『巨体』とまでは言わない。が、昼の青年だ。その背には成人した体をも軽々包みこむほどの、巨大な翼がある。
がくぽは長椅子に横たえた体の、カイトの首元に顔を埋めたまま、大きく体を動かさない。カイトを逃がさんと、抱えこむがごとくだ。
翼も同様で、いつもは背にそびえているものが今は前のめりとなり、天幕か、さもなければ布団かというように夫婦の檻と化している。
そうでなくとも雨降らしの厚い雲に覆われ、真昼間であっても薄暗い。闇すら明るく見える射干黒の翼に覆われれば、なおのことだ。隙間から差しこむ光も弱く、まるで――
「ぁあっ、ぁ、やめっ、がく、っ」
「ああ、強過ぎましたか?香りが一段と、濃く……悦かったんですね。ったたっ」
しらりとつぶやく青年の長い髪をなんとか掴み、カイトは容赦なく引いた。ようやくわずかに顔を上げた夫を、きっとして――現状で可能な限りということだが――睨む。
「きゅ、ぅけい、だと………っ、ここ、まで、したら」
「欲しくなりますでしょう?」
「っ!」
悪びれる様子もなく答えられ、カイトは潤む瞳を見張った。
伸し掛かる異形の夫が浮かべる笑みは、いっそ無邪気だ。
「寂しい思いをさせられました――が、それは私だけのことではなかったと、思いたい。というわけで、カイト様。身も世もなく欲していただけませんか」
「な、にを、いっ……」
――絶句するしかないことというのは、ある。
悪びれることもなく、いっそ無邪気な笑みでもって強請られたことに、カイトは反駁しきれず、咽喉を鳴らした。
求めるにしても、求めるものがある。応えるにしても、応えられるものとそうでないものとが、厳然と。
しかしがくぽはカイトの衝撃に構わず、奥所に差しこむ指を増やす。
「ひ、ぁっ!」
ぐっと指が張り、ことさらに拡げる動きをされ、無駄とわかっていてもカイトはもがいた。抵抗や反抗とは違う。募り過ぎてもはや拷問のようになっている悦楽を、なんとか逃がさんとしてだ。
易々と押さえこむがくぽは、目を細めてそのさまに見入る。くちびるが歪み、笑みをつくった。
「そうですね、『旦那様』。ええそうしましょう、『だんなさま』。聞こえておられますか、カイト様?『旦那様に犯されたい』と、おねだりしてください。後半が難しいようなら、『だんなさま、おねがい』でも、ぃったたっ!」
まさに舌禍だ。ろくなことを言わないにもほどがある。
さすがに腹に据えかね、カイトは掴んだままだった夫の長い髪を容赦なく引いた。それこそ、まとめて抜けてもまったく構わないとばかりの力だ。
同時に、きっとして睨む。頬は赤く、瞳は潤んで、息は荒げたままだが。
正面から受けたがくぽは、曖昧な笑みを返した。曖昧で、流す笑みだ。とろりと、くちびるを開く。
「私はあなたの騎士でもなく、ましてや使用人でもない。夫です。たまにどうも、お忘れになるようですからね?私への呼びかけを『だんなさま』とすれば、少しはご自覚いただけるのでは?」
「どの口で、そういうっ……っ」
どうやらカイトが思っていたよりずっと深刻に、夫はへそを曲げていたものらしい。
呆れるやら腹が立つやら、――しかしカイトが今度、反駁しきれず言葉を失ったのは、理由が違った。
愕然とする。どうして今と、思考を過ったのはそんな言葉だ。
どうして今――カイトを組み敷き、弄び、挙句、無体を強請りもして、なのにどうして『今』。
『離れた』のか。
どうして今、『離れる』のか――離れられるのか。
ほんの刹那だ。わずかな、いつもと比べれば、ひと瞬きという程度の。
けれど、どうして『今』だ。なにがいったい夫のこころに掛かって、ずれたのか。
ここ数日はずっと、落ち着いていたものを――ようやくこうして触れ合おうという今、『今』だ。
刹那の逡巡など、がくぽ自身に意識できることではないだろう。それほど、わずかにもわずかな時間であったからだ。
カイトにしたところで、まさかという思いが残る。残るが、この感覚は否定しようがない。
瞳を見開き、言葉を失うカイトを、ただ、自分の強請ったことの無体さゆえと思っている顔で、がくぽは笑う。愕然としながら、手足はむしろ必死の思いで夫を求め縋りつくカイトへ、その衝撃の由来も度合いも知らず。
「ひと言で構いませんよ。一度きりです。これから先、ずっとそうしろとまでは、言っておりませんからね?いえ、もちろん、あなたが日常からそうしたいとおっしゃるなら…」
「……っ」
察することもなく続く軽口に、カイトはこれ以上なく腹が立った。
きゅっときつく、カイトのくちびるが引き結ばれる。決して言わないと、口になどしてやるものかという、決意の表れだ。
こうして自分を組み敷き、辱めながら、なににこころ掛けて、『離れる』のか。なにがそれほど掛かりながら、ひと言とても言ってくれずに自分を妻と呼び、自覚が足らないと詰るのか。
――カイトのほうからきつく問い質しでもしない限り、がくぽの性質からして、自ら口を割ることなどないだろうという思考は、これでも過った。
しかし今、この状況にあっては、カイトもまた、意固地を起こさずにはおれなかった。
「おやや………」
理由は知らず、由来もわからず、けれどカイトが『へそを曲げた』ことは伝わったのだろう。
がくぽは小さくつぶやく。いつもの、ひとをやたらに幼子扱いしてくれる、それだ。この状況では、カイトの頑なさをますます増幅させるばかりの。
「厭ですか?それほど?妻として夫を強請るは………私を『夫』と呼ぶは、それほどに」
「?!」
ひやりと、腹が冷える心地がして、カイトはびくりと竦んだ。
また、だ。また、離れた。ずれた。カイトからこころを浮かせ、離れた。刹那ではあるが、また――
手足はすでに、浮つく夫に縋りついている。あとできることといえばとばかり、カイトの体は反射だけで、未だ咥えこんだままのがくぽの指をきつく締め上げた。
離れたものを、離れゆくものを懸命に引き留め、縋るしぐさだ。
だとしても、カイトに深い意図があったわけではない。反射であり、本能的なものだ。
が、当然、がくぽに自覚はない。
いいように取ったのだろう。がくぽはうっそりと笑い、会話のためにあえかに浮かしていた体を戻した。容赦なく伸し掛かり、抑えこむ体勢に戻って、奥所に突きこんだ指をさらに深く、呑みこませる。
「っふ、ぅっ」
堪えきれず、びくりと引きつり震えたカイトを、がくぽは飢えた獣の瞳で眺める。
「ほら。あなたの体はすでに私の妻だ。夫たる私が欲しいと、寂しい空白を埋めて満たしてくれと、強請っておられる。すでに体がこうなのですから、――」
――この体は、男を相手に淫奔だ。
娶られてからというもの、すでに何度となく思い知らされたことを、またも深く、刻みこまれたような心地がする。
傷に傷を重ねる、自分の夫はなんと酷い男なのか。
「…っ」
再びきつくくちびるを引き結んだカイトは、きっとしてがくぽを見た。
見て、――
手が、緩んだ。
そうまでされてなお、離れたこころをおそれて縋っていた手が、食いこませていた爪を浮かせる。
空は分厚い雲に覆われ、昼日中といえども、暗い。
窓が大きく、すべてにふんだんに透明硝子を使った屋敷であれば、西方のそれとは比べものにもならないほど、明るい。明るいが、これまでの夏の日照りと比べれば、ひどく暗い。
うつむき、あるいはほかのなにかで、なけなしの光が翳れば一瞬、目が眩むほどに――
カイトを見つめて、花色の瞳が揺れている。
常には澄んで明朗な青年の瞳が翳りを宿し、苦痛を堪えて揺らぎ、惑う。追いつめられ、追いこまれて思いつめ、一途に強いが、ひどく偏狭な思いこみに囚われた――
まるで初めのころの、少年のような。
窓を背にして暗く、翼を覆いにして、さらに光は翳る。だから、中途半端な闇に馴れきれず、眩んだ目がそう、見せただけのことかもしれない。
だとしてもそう思ってしまえば、カイトは恨みの爪を浮かさざるを得なかった。
憤りなど、すぐに忘れる。
痛みを与えたくない。慈しみ、いたわってやりたい。なぜなら彼は、――
カイトのこころが溢れるより先に、青年のくちびるが開いた。小さく、吐きだされる。
「こころまで、――私の妻と成っても、もはや構いますまい?」
「っ!」
ぱっと、瞳を見開いたカイトの表情を、青年はどう読んだだろう。咄嗟に開きかけたくちびるを、こぼしかけた答えを、――
少なくとも、自分にとって良いものだろうとは、さほど期待しなかったのだろう。
開いたくちびるをこれ幸いとばかり、がくぽは覆い被さってきた。がぷりと、喰らいつかれるような勢いでくちびるが食まれ、奥所に休んでいた指がまたもカイトの弱いところを嬲りに蠢く。
「んっ、んんっ、んーーーっ!」
一度は浮かせたカイトの指もまた、爪を立てて夫に縋りついた。
拒むことも思い浮かばず、捻じこまれる舌に蹂躙され、突きこまれた指に嬲られ、カイトはただ、与えられる快楽にもがき、喘ぐ。
苦しさにきつく閉じた瞼から、ぼろりと涙がこぼれた。
傷に傷を重ねる。
傷に傷を重ね、さらに傷を、手酷く惨たらしいまでの傷を、重ねに重ね、いたぶり尽くす――
自分は、夫にとって、なんと酷い妻なのか。
誠実を尽くしてくれる夫に対して、不実を返し続ける自分は、なんという――
夫が、がくぽが、カイトへの愛情を隠したことはなかった。
なぜ妻と望んだのか。愛したからだ。
なぜ妻と望むのか。愛しているからだ。
他のことは隠すし、誤魔化しもする困った夫だが、それこそ不実を極め尽くしたと言っても、まったく過言ではないが――
カイトを愛しているということだけは決して誤魔化さず、隠さなかった。
臆すこともなく、あるいはそのためにひどく臆しながら、カイトにこころを差しだし続けた。もっともやわく、もっとも脆いところの、こころを。
――与えられる愛情に、安穏とし過ぎた。
物思うことがカイトになにもなければ、そうは考えない。なんと図々しい主張をしてのける男だろうと、むしろ厭うだろう。
体を勝手にするのみならず、こころまで望むとは、強欲の極みだと。
けれど違う。
嫁いできた当初ならともかく、こうして日々を過ごし、相変わらず隠しごとの多い夫について、少しずつでも理解が深まれば、思うことが出てくる。物思わずにはおれない。
捧げられる真摯な愛情に、感じ入ることなく過ごすことは、無理だ。
それこそ、情がない。
なによりカイトは花であり、花とは情の強いものだった。
気に入らなければ、自らのいのちを懸けても排する。しかしてもしも、気に入ったなら――
「ぁ、ふぁ、あ、ぁく、っ」
「違いますよ、カイト様。『旦那様』です。これではまだ、不足ですか?」
自分が為していた夫への仕打ちに惑乱し、動揺しきって理性を失ったカイトに、がくぽは気がつかない。くちびるを解放すると首へと辿り、ふわりと立つ花の香気を味わいながら筋を舐め、かじりついた。
がくぽのくちびるが触れ、牙が当たり、舌がぬめるたび、カイトはびくりと震えながら花の香を強くつよく燻らせる。
『とてもおいしいごちそう』である夫を猛らせ、昂ぶらせるための香りだ。『とてもとてもおいしいごちそう』をたっぷりと、腹いっぱいに喰らうための――
けれど今、カイトは空腹ではない。力は満ちている。それでも夫に弄られ、嬲られて、煽られた体が香る。
香るのはなにより、『夫に』昂ぶって欲しいからだ。
昂ぶって、妻たる自分を求め、滾って欲しいからだ。
――この体は、男を相手に淫奔だ。
過る思考に、カイトは首を振る。横だ。それは否定だが、今、否定したいのは、自らの淫奔さではない。
――この体が淫奔なのは、『夫を相手に』だ。
男を相手に、誰にでも彼にでも節操なく開く体ではない。開く股ではなく、開くこころではない。
政略や計略の果ての産物でもなく、社会契約に基づく記号でもなく、肉とこころをもって求め、接して、ともに生きる相手。
傍らに添って、ともに生き続けると、自ら決めた。
決めたというのに――