B.Y.L.M.
ACT8-scene11
必要は成長の母と言う。
失敗も成長の母と言う。
成長するとは、かくも大量の母親を要する大事業であるのだが、つまりカイトだ。
なかなか、自分が花であるという自覚を持てなかった。
これは一面、仕方がない。『花』に馴染みがない地域で生まれ育ったうえ、王の花という、一見、ひとと区別のつき難い『花』として咲き開いたからだ。
たとえば花によく馴染んだ南方人であったとしても、力の流れを見たり感じたりできるものでもなければ、カイトもまた『花』であると聞いて、きっと戸惑うだろう。
そういう様態であったから、カイトの花としての自覚は遅れた。
そして遅れた自覚がようやく追いついたところで、だからとすぐさま、花としての力のすべてを知覚し、自覚的に、自在に振るえるようになったわけではなかった。
なにか、紗幕でも挟んだような感じで、うすらぼんやり――なんとなく、掴みつつあるのかなという、希望的観測を得るようになったという。
曖昧で、明確さのまるでない状態で、カイトは今日までを過ごした。
そういうものなのかなと思ってはいたのだが、『そういうもの』だった。
だから、花だ。
本能が強く、自らの思うがまま、望みのままにことを為す。
逆を返せば、望まないことは決して、為さない。
つまり花は、必要だと思ったことならいっさいのためらいもなく行うが、必要ないと思ったことは、いっさいのためらいもなく、行わないのだ。
カイトに残る、ひととしての理性が言う必要不必要は、花にとっての、本能的な必要不必要の判断と同様ではないことが多い。
夫の傍らにあって、穏やかに、安らいで過ごす日々に、花としての――『王の花』としての強大な力は、不要だ。
なくても十分、十二分に満ち足りて、しあわせに生きていける。むしろ過ぎる力のあることこそが、夫との穏やかな暮らしを続けるに妨げとなることのほうが多い。
『不要も極まる』。『必要ない』。
――だから、力の振るい方を覚えなかった。
そこにあるのは漫然とわかっているのだが、掴むことはできなかった。掴まなければという、必至の思いも浮かばなかった。
あるのになあという、詠嘆の程度だ。
それが、今日だ。『今』だ。
南王が訪れ、戦いの火ぶたが切って落とされ、夫が危機に陥った。
このままでは、夫が喪われる。生涯を添い遂げようと決めた夫が、カイトの目の前で、あえなくいのちを散らす。
ここで初めて、『必要』が生じた。
ほんとうに、これまでになく、花として、王の花としての力を振るう、必須の必要が。
結果、カイトはこれまで『本能的に』忌避していた大地へ、同胞へ、助けを求めた。
見ようとしなかったものに目を開き、聞こうとしなかった声に耳をそばだて、図ろうとしなかった交流を繋いだ。
――言っても、ここのところの忌避感は喩えるなら、家出人が実家に寄ることを避ける心理だ。
家出人とは始祖のことであり、その血を繋ぐカイトのことでもあり、実家とはだから、大地のことだが。
未だ、始祖が根を抜いたときまま、強くつよくつよく愛おしみ、慈しみ、案じる大地も同胞も、『繋げた』が最後、帰ってこいの大合唱となることはわかりきっていた。
少なくともカイトの『王の花』としての本能は、ひとに根づくことを選んだ始祖の血をもっとも色濃く還し、やはり夫をこそ根づく先に選んで大地を拒んだカイトの本能は、わかっていた。
ために面倒がって目をつむり、耳を塞いで、交流を断っていた――
が、夫を助けるためには、なりふり構っていられない。
なにより夫だ。夫のいのちだ。
『実家』に頼れば助けられるとわかっていて、自らの矜持のためとかなんとか、むざと見殺しにするようなことなど、できるわけがない。
必要が生じた以上は、ためらいもなく行う。
それが花だ。
だからカイトは自ら望み、本能的に閉じていたものを開いた。そして繋ぎ、『里帰り』を果たした。
重ねた不義理も不問に、まるでなかったことと流して、彼らは歓び勇んでカイトに尽くしてくれた。
大地から根を抜いたことで疲弊しきり、痩せ細って貧相であった子にたらふく食べさせて満たしきり、傷という傷を癒し、――
たとえ『里帰り』をしたところで、未だ放蕩を止めないと、夫のそばで夫とともに生きると言い張って譲らないカイトのためでも、こころよくことわりを曲げ、自らの身を尽くしてくれた。
必要な力の知恵を、知識を与えてくれ、使えるようにしてくれた。
使い方がまずいのは、やはりカイトの習熟度の問題であるが、とにかく使いたいものを使える。
夫を守ることができる。
夫が目の前で殺されることを、むざと見ているだけではない、助けになれる。
それもこれもすべては、必要が生じればこそだ。
必要は成長の母とは、よく言ったものだと――
確かにそうだが、思っても言ってはいけないこともある。時と場合の判断だ。
カイトだとてわかってはいたが、ほかに言えることもないのだ。言ってはいけないとしても、そう言うしかないということも、ままある。
「ぅく…っ」
「っ!」
カイトがびくりと身を竦めたのは、夫の剣幕に怯えてのことで、反射の動きだ。けれどがくぽは、そうは取らなかった。
慌てた様子で、今、自分が拳とともに地に叩き伏せた剣を持ち上げる。
カイトと深くふかく繋がり、結ばれた挙句、命運をともにする剣だ。乱暴に扱うことは、すなわちカイトに拳を振るったも同然のこと。
もとより主から賜った剣であれば、主と同等に尊ぶものではある。
が、今のこれはこころ掛けや、こころ構えの話ではない。現実として、実際に、剣はまた、カイトそのものだ。
ひと息で蒼白となり、剣の埃を懸命に払う夫が憐れで、カイトはおずおずと口を開いた。
「その程度なら、べつに…」
「…っ!」
「ぅうっ!」
慰めのつもりだったのだが、言った途端、やはり凄まじい目でがくぽに睨まれた。
そうだろうと、カイトも思う。『この程度』と言うが、ならば『どの程度』からまずいのか。そんなこと、試せるわけもないというのに。
カイトはきちんと、理解していた。
追いこまれ過ぎて表情も態度もうまくいかなくなっているのであって、がくぽがほんとうに凄まじく、カイトを相手に腹を立てているわけではないことは。
わかるが、同時にだからこそ、いたたまれない。
目の前にいるのは、昼の青年だ。滅多に追いこまれなどしない、むしろカイトが追いこまれ、腹を立てることが多いような、余裕綽々とした男であるというのに――
ここまで、追いこんだ。
それも無理からぬと思うからもう、ひたすらいたたまれない。
夫を救うために必要があってしたことだし、そうでなければ助けられなかったという確信があるから、謝りはしない。
謝れないが、――せめてもう少し、始末のつけられるやり方が良かったと言うなら、同意する。
「その、……」
「剣を、――替えさせて、ください」
よほどに現実的な提案をしてくれたがくぽに、カイトは安堵し、肩からわずかに力を抜いた。
せっかく南王とも戦いきれるほど強くしたのにと、もやつく思いもあるが、仕方ない。カイトだとて、途轍もなく厭だ、こんな剣を振るうなど。
自分の身が折られるかもしれないからということでなく、立場を入れ替えて考えればということだ。
いっそ、自分の身が刺し貫かれるほうがまだましだと、強く思う。
夫にはひたすら同情と、申し訳ない思いしかないから、カイトもどうしてもと我が儘を通す気にはならない。
安堵を見せたカイトに、了承の意を汲み取ったのだろう。
いわば、主に剣を返納する――主従の契りを解消し、忠誠を断つと告げるにも等しい申し出をしたがくぽの肩からも、ほんのわずかに力が抜けた。ようやく息が戻ったという様子だ。
カイトもまた、それを見て取ってさらに安堵し、――しかしふと、思い至ったことがあって、眉をひそめた。
「替えると言うが、――あるのか?」
端的な問いは、剣についてだ。
もちろんこの規模の屋敷だ。もとは鎮護の任を担い、兵も多く抱えていたという。今は誰もおらずとも、名残りの一本や二本、きっとあるだろう。
この屋敷の前の主人たるがくぽの父親にしても、イクサを渡り歩く傭兵であったというし、武器にしても防具にしても多少なり、収集していそうだ。
なにより、そもそもこの屋敷をつくったという、物難そうな初代の主人となれば、絶対的に収集している。決して飾りではない、実用としてだ。
なぜなら、たとえ手練れの兵を山のように揃えても、剣が不足すれば、折れれば、『数』とならないからだ。折れた剣をすぐと替え、無用に兵数を減らさないよう、備えとして必ず余計を持っていただろう。
そうとは思うが、気がかりはやはり、すでに誰もいないというところだ。
どれほど残りがあるのか、数があったとしても、それらは実用に耐える状態で残っているのか。
なにより、南王と戦いきれるほどの銘品であるのか――
そういったものを含めたカイトの問いは、当然の疑問というものだった。駄々を捏ねるというものではなく、むしろこれを疑問に思えないようでは、幾重にもまずい。
これを解消し、カイトをしっかり安心させてやることは、今、がくぽがやるべきもっとも重要な仕事であると言えた。
そしてこれはがくぽにとって、この剣を持って戦えと言われるのと比べものにもならないほど、容易い仕事でもあった。
だから昼の青年は迷いもなく頷き、軽く言った。
「ああ、ええ――はい。それは。西方…哥に行く前、こちらで使っていたものが、残っています」
「ああ…」
がくぽの答えに、カイトは自分の浅慮を恥じた。
そうだった――がくぽは騎士団に入団するときから、すでに剣才際立つとして、注目を浴びていたのだ。
がくぽはなにも、入団してから初めて剣を習い覚え、不自然なまでの急激な速さで頭角を現したわけではない。もとより鍛えていたのだ。
どこでといえばもちろん、南方にあるときからだろう。父親が同居していたときにはきっと、父親が相手をしてやることもあったのではないか。
ふらふらして、屋敷に居つかなかったという父親だが、傭兵だ。そしてまあ、カイトはどうかと思うが、初対面から殴り合いができるような息子でもある。
わずかに聞いたばかりだが、窺える人柄もある。面白がって、遊びがてらに息子を鍛えたことだろう。
遊びがてらであっても傭兵の、しかも家なしのイクサ場暮らしという、根っからイクサびとたる相手の、実戦で鍛え抜かれた剣技だ。がくぽが剣才際立つとして頭角を現すに、これ以上ない師であったろう。
その思い出が、がくぽにとっていいものか悪いものかは、カイトには定かでないが――
その前、南王とともに暮らしていた頃もだ。ある程度、鍛えられただろう。ただしこちらは、南王自身にではない。その臣下だ。
がくぽは最弱の王子としてほとんど構われなかったというが、最低限の戦力は磨かせたはずだ。いずれ南王が喰いきる際に、あまりに弱々しくては喰いでがないからだ。
南王の喰いでを増すため、戦うすべだけはきっと、仕込んだ。
吐き気を催すしかない話ではあるが、がくぽの言いようを聞いていると、端々にそういった臣の姿勢が垣間見える。
誰も、自らの子を喰いきる王を諫めないのだ。もしかしたら諌める臣もいたかもしれないが、結局、がくぽの記憶に残らない程度だ。ことごとく外されていったか、――
とにかくがくぽは、南方にあるときから剣を振るっていた。腕を磨き、鍛えていたのだ。
今の剣を得るまでは、きっとそちらが愛用だったろう。ならば、手に馴染みがないということもないし、振るうに不足はないというものだ。
思いを馳せて、カイトは微笑んだ。
にっこりと。
「――え?」
緩んでいたがくぽがひくりと引きつって、固まる。
カイトが見せたのは、笑みだ。やわらかで、笑みとしか言えない笑み。
笑みとしか、言えない笑みだ。
「……我れは、我が身の程知らずの末の息子に、同情を禁じ得ぬものである。身から出た錆でしかないといえ、まこと此度の王の花たるは」
――南王は、まさしく正しく、王なのだろう。引きつってこぼされた、ほとんどつぶやきのような慨嘆も聞き取れて、カイトの笑みはますますにっこりと、にこやかになった。
おまえが言うな、と。
怒りが透けて見える、そういう、とてもとてもにこやかな笑みだ。
「ぁ………の?」
がくぽにはまことの王たる南王の、末の息子に対する嘆きと憐れみの言葉がきれいさっぱりと聞こえていないようだ。ただひたすら、カイトを見つめている。
ただひたすら凝固して、目の前、それこそ『花』そのものとして華やかに、艶やかにうつくしく笑う、妻を。
がくぽがぴくりとも動けないのをいいことに、カイトはあえかに身を乗りだし、手を伸ばした。
触れるのは、がくぽがどう扱っていいかわからないまま、中途半端に掲げていた剣だ。
カイトの手は柄に触れ、握るがくぽの指をさらりと撫でた。それで、がくぽの指は勝手に開いた。
カイトは空いた柄を握ると、剣を自らへと引き寄せた。
間近で見れば、意匠もはっきりとする。刀身を舐めるように伸びる茎と、咲き開く小花群だ。遠目には刻んだと見たが、間近にすると浮き彫りとも見える。
どちらでもいい。
どのみちカイトの証だ。カイトが力を振るい、身を分けたという。
「かぃ、っ」
意図もせず勝手に開いた自分の手を呆然と見たがくぽだが、すぐに腰を浮かせた。剣は抜き身、鞘に納めていないのだ。刀身が剥きだしであり、扱いを間違えれば怪我をする。
もちろんカイトは、刃物の扱いも知らないほどの幼子ではないし、あるいは深窓の姫というわけでもない。自分でも剣を扱っていたし、そう心配することはない。
本来であれば、だ。
がくぽが腰を浮かせ、しかしなにもできず中途半端な姿勢で止まったのは、カイトが刀身を胸に抱いたからだ。
まるで神期の挿話に出てくる祝福を与える乙女のようなしぐさで、注意深く抜き身の剣を抱いたカイトは、その刀身にそっと、くちびるを寄せた。
瞼を伏せる。間近にして、ささやいた。
「<あにうえさま>」
それが声として発されたものなのか、カイトにはわからない。
わからなくとも、構わない。届ける先が先だ。ひとの声である必要はない。カイトはただ、思いをこめて呼びかける。相手の思う『花』まま、なよやかにしてたおやかに、妖しく、身勝手に。
「<あにうえさま――くろがねの、あにうえさま。折れ給うな、折れ給うな、折れ給うな。あにうえさまは、火と水と砂とをもって打たれ、重ねられ、繋がれ、曲げられるを耐え抜かれ、鍛え抜かれ、磨き抜かれし、まこと強きつよきつよき、くろがねのあにうえさま。此の剣は、あにうえさまの末の末の末のきょうだいが身を分け並べてさだめを同じくする剣なれば、折られに枯れて尽きることのなきよう、どうぞあにうえさまは折れ給うな>」
呼び願って、カイトはそっと、刀身にくちびるを触れさせる。柄との境、根元の近くだ。そこから、刀身を舐めるように茎が伸びる。
伸びる茎を伝い、力が流れる。王の花が、勝利を願って与える祝福の力が。
「<あにうえさま――くろがねの、あにうえさま>」
応、おう、と――
剣は応えた。
カイトは莞爾と笑う。結構、怒られた。鋼のきょうだいはいろいろ、とても気難しいうえに、厳しい。
それでも、小言をこぼしても結局、必ず甘やかしてくれるから、願いを聞き届け、叶えてくれるから、――
相性の良し悪しは置くが、少なくとも、嫌い合ってはいない。そう、互いに言う。
莞爾と笑ったカイトは伏せていた瞼を開き、目の前に跪く夫を見た。見開かれて固まる花色と、ぴたりと視線を合わせ、交渉の済んだ剣をにっこりと――
もはや得意満面に、ほとんど邪気の塊としか思えないほどの無邪気さで、差しだす。
「あにうえさまに、よくよくとお願いしておいたからな?おまえにとって、またと得難き力となるだろう。あにうえさまは気難しいが、そのぶん、一度約束したことは必ず、叶えてくださる」
「か……かぃ、かぃ、と、さ………っ」
ひゅっと、がくぽの咽喉が鳴る。目の前に差しだされる、うつくしい紋様の施された剣を、信じ難いものとして眺めた。
これまで見たことがないほどの絶望に美貌が染まり、呑まれる。
ほんとうに、心底から、夫には同情する。こんなこと、カイトは決してやられたくない。
やられたくないが、所詮やる側なので、やる。あとで報いがある気がするが、仕方ない。
どうあっても曲げられないものというのが、ひとにはある。
ましてや花たる身となれば、曲げられないものは確かに、どうしようとも曲げられないのだ。
曲げられないから、カイトはにこにこと笑いながらがくぽに向かって剣を差しだし、精いっぱいに愛らしく、ことりと小首を傾げてみせた。
「がくぽ?まさかおまえ、私の与える剣を拒むなど――するわけもないな?」
意訳するならそれは、『裏切るのか』となる。