念のため言うなら、恋人だ。男声型ロイド、つまり同性だが。

ついでに、一度別れて復縁したばかりの相手だ。

がりくった道

2-9

唯一幸いというか、救いがあるとすれば、がくぽが普段着であったことだ。ジーンズにラフなシャツという、非常に現代的ないでたちだという。

それがなんだといって、デフォルト設定を活かした和装であれば本気で異次元な、洒落にならない程度の雰囲気を、今のがくぽは醸しだしていたという話だ。

そのがくぽだが、正確にはカイトを見ていなかった。がくぽの歪む視線が射るのは、自分の恋人を抱えこむ美女たちだ。

それも単に抱えこむのではなく、必要以上に肉感的な部分を強調し、密着する。

「――俺のカイトに、なにをしている?」

「お悩み相談だわね。どっかのナスがボケナスで困るっていう」

滴るような声での問いに、しかしメイコは怯える様子もなく答えた。それどころか、せせら笑いを浮かべてがくぽを睥睨し返す。

「『俺のカイト』ですって『俺の』本当に独占欲だけは一丁前で、ご立派だこと笑いが止まらないわよ。偉そうに言ったってあんたなんか、きれいさっぱりカイトのことを忘れくさったくせにお情けがもらえた途端、気が大きくなっちゃって亭主気取りかってのよ」

「っ!」

相変わらず弾丸のようにまくし立てられるメイコの言葉は、がくぽに向けられている。カイトではない。

それでもカイトは大きく震え、頭を抱えるメイコの腕を振り払った。右腕に絡みつくルカも振りほどき――

「俺の咎ではないな!」

カイトが女体地獄から逃れるより先に、がくぽが吐き出していた。そうでなくとも強いメイコの視線から一歩も引くことなく、むしろ胸を張りさえして対している。

ひたすらに自分の恋人へと絡みつく女体たちを忌々しげに、腹立たしく見据え、がくぽこそメイコへ嘲笑いを返した。

「ああそうだとも。忘れたさ。忘れたな思い出せもせん。思い出しもせんわだからなんだ。だからどうした。だとしても今、カイトは俺のものだ。カイトが今、俺のものであることに、なにか相違でもあるというのか事実と違うことがあると言うに事欠いて『亭主気取り』とは笑わせる。気取りもなにも俺がカイトの『亭主』だ!!」

メイコに負けず劣らずの勢いでまくし立て、がくぽは笑みを消した。激しい怒気に、長い髪が舞うような幻想が見える。

そのまま、吼えた。

「そも、忘れたくて忘れたわけでもないものを、そうも責められる謂われもないわましてや己ら部外者ごときに!!」

「……っ」

空気が震えるような、大喝だった。押す力があって堪えきれず、カイトは束の間、目を閉じた。

がくぽの怒気が向けられた先は、カイトではない。

だとしても空気が熱い。強く、痛い。

重い。

再び座りこんだ――というより、腰が抜けてへたりこんだカイトの頭を、本来怒気を向けられた先であるメイコが堪えた様子もなく抱えこんだ。だけでなく頬を挟んで上向かせ、カイトと目を合わせる。

「ほら、わかったでしょ」

「?」

そう言われても、メイコの差す先がわからない。

反応の鈍い『おとうと』にも、メイコが苛立つようなことはなかった。カイトだからだ。

ただ、笑った。明るく、やわらかに甘く。

「もう大丈夫なのよ、あんたのオトコは。だれかに責められても怒られても、言い返せるようになってるんだわ。なにがなんだかさっぱりで、どうしたらいいかもわからない状態なんて、とっくに過ぎてるの。怒られる謂われもないことで怒られても、責められる謂われもないことで責められても、ただ無闇と謝るしかない時期なんてね、もう終わってるの。自分で自分のこと、守れるのよ。戦えるようになってるんだわ」

「………」

揺らぐ瞳で見つめるカイトに、メイコは一語いちごを含めるように吐き出した。いくら言って聞かせても聞きやしないと怒りながらも諦めることなく、身に沁みこむまでいくらでも言い聞かせてやろうと。

一見した言葉や態度ともあれ、メイコは心配性で過保護な『姉』だ。

見つめるカイトの頭をさらに抱きこんで胸に埋め、メイコはあやすように二の腕を叩いた。

「それでね、血の気が多いでしょ、あんたの男は。もう自分ひとりを守るだけだと、力余りで仕様がないんだわ。あんたのことも囲って構って、甘やかさないと居られないのよ。だから言ってるわね。あんたはもう、甘ったれておきゃいいんだって。ていうか、底が抜けるくらい甘ったれてやらないと気が鎮まらないわよ、あんたの男は。やり過ぎかってくらい甘ったれてべたごろしてくれないと苛ついて、どうしようもなくなるんだわ。馴れてるでしょう。知ってるはずよ。わかるわね?」

「……………」

相変わらず酷い言いようだと、カイトは思った。思いながらもことに反論することなく、戒められているわけでもない頭を動かし、がくぽへと視線をやる。

先には空気を染めるほどの怒気を放っていた男だが、今はなにか、ひどく驚いているようだった。狼狽しているといえばいいのか。

カイトの状態は相変わらずだ。頭にはメイコ、右腕にはルカ――彼女たちはただ存在しているわけではない。殊更の必要以上にカイトに身を添わせ、隙間もなく密着している。

けれど今、がくぽからはそれに対しての反応は読み取れない。

驚いて、狼狽している雰囲気だけがある。

「?」

――なぜだろうと首を傾げるのはカイトだけのようだ。

傍らで話を聞いていたルカが明るい笑い声を上げた。カイトの腕にさらに組みつき、頭を肩に預けとして殊更に密着したうえで、顔だけがくぽに向けてくちびるを開く。

「よくとご覧なさいな、ヤキモチ妬きの曇り目さん。カイトだって男ですのよ。守られるばかりなものですか………愛する相手が弱れば、風避けにも雨避けにもなります。いいえ、より以上に甲斐甲斐しく情を注ぎ、世話をするものですわ。なんといってもカイトは、『おにぃちゃん』ですもの」

こちらもこちらで言い聞かせるようにして、ルカは組みついたカイトの腕をやわらかな手つきで撫でた。

「言ってみれば貴方たち、肝心のところの意思の疎通が図れなくなっているのではなくてお互いにお互いを思いやった結果――かえって遠慮が過ぎてということでしょうけれど。確かに親しき仲にも礼儀ありですけれども、腹を割って話すことが必要なときもあるはずです。ことに今のように、互いの間に溝と壁を乱立させているようなときは、特に」

「………ちっ」

「したうちっ」

気まずく顔を背けたがくぽが漏らしたほんの小さな音を聞き逃さず、カイトは目を瞠った。

驚きがつい、つぶやきとしてこぼれたが、がくぽもまた、その小さな声を拾ったらしい。

ますますもって気まずげな表情とはなったが、首をひとつ振って立て直した。振る首に合わせて長い髪が踊り、窓からちょうどよく差しこんでいた光を返して煌きが散る。

カイトは眩しさと、自分の男の美しさに飽きもせずこころ奪われ、見惚れた。

惚けるカイトと、そのカイトを支えて守る二柱の防壁を見据え、がくぽは先よりは険の取れた、しかしまだ厳しい顔で吐き出した。

「今回の説教は、容れてやる。だが、カイトが俺のものだという主張も譲らん。とっとと放せ。カイトもだ、いつまでそう……」

「ぁっ!!」

ようやく矛先が自分にまで回って来たが、カイトが聞くことはなかった。突然、悟ったことがあったからだ。

メイコに抱えられて不自由ながらも、カイトは右腕を抱えこむルカに顔を向けた。

「ルカルカおっぱい!!おぶら?!」

「え?」

「カイトっ?!」

――非常に急激な話題転換だった。いったいなにがどうなったのか、今それが必要なのか、だれにもわからないほどの。

だれにもわからないものが、しかしカイトにはいつでも必要だった。メイコが曰く言っていた通り、カイトは直感のイキモノなのだ。ロイドがイキモノかどうかは議論が決していないし、厳密に言ってそれを直感と呼ぶかも難題だが――

カイトとは、そういうものだった。

そしてそれは常態であり、メイコにしてもルカにしても、馴れがあった。

さすがに咄嗟には意味が飲みこめず、瞳を瞬かせたルカだが、すぐにその顔に笑みを戻した。妖婦の笑みだった。

淫靡なその笑みで、ルカは抱えるカイトの腕に擦りつけるように、体を上下に揺さぶってみせる。

「やわらかいでしょう直に胸を触っているような感じじゃありませんこと新発売のスポーツブラで……」

「めーこ。も」

「ああそうね、このマンションの女声ロイド全体にサンプル来たらしいから。でもミクやらリンやらはともかく、あたしたちだとほら、やっぱり乳の分量が違うから」

「ねえカイト、やわらかくていい気持ちじゃありませんことこれ、ボリュームも上げるのに締めつけ感が少なくて、しかも触り心地もいいんですの。あ、そうですわ。こういうことは百聞に如かずですわね。触ってみますみましょうか。いいですわよ、カイトなら。ちょっとほら、揉んでみてくださいな」

ルカの手が、『姉』相手には無防備で警戒も抵抗も知らないカイトの手を取る。

彼女たちの『おとうと』は、無垢で無邪気で愛らしい。他の男とは違う。設定年齢や見た目年齢など、大した問題ではない。

もちろん、大した問題となる相手もいる。

いた。

一度は治めた怒気を一瞬で沸騰させた男が、吼えた。

「いぃいい加減にせいよ、この女郎どもぁあああああっっっ!!」