曲がりくねった道
第2部-第14話
カイトは知っている。
悋気に駆られていないときのがくぽというのは――『がくぽ』というのは常態、非常に優秀な男だ。繊細に機微を読み、分析し、解答を導くに長けたロイドだ。
カイトは知っている。
そう。
カイトは、知っている。
知っているのだ。
「………っ!!」
「当たりか」
堪えきれずに身を竦ませたカイトの肩を掴んで止めつつ、がくぽはため息のようにつぶやく。
どこか脱力したようでもあるその手を跳ねのけ、カイトは身を起こした。逃げようとして――ほんのわずかな攻防の末、がくぽの腰に跨り座る形で縫い止められる。
背を仰け反らせて凝然と見つめるカイトの腰を捉えて逃げ場を封じ、ベッドに悠然と横たわる男はくちびるを笑みに歪めた。
「絶景だな。服を着ていなければ、だが」
「ぁっ、くぽっ!」
「はははっ!!」
腰に跨られた恋人がなにを言いたかったのか、わかるカイトは頬を染め上げて非難を叫んだ。ことこの手のこととなると思考が爛れきっている男は、案の定で明るく笑って返す。反省のはの字もない。
そんな場合かと、カイトは涙目で頬を膨らませた。
言われなければ考えもしなかったものが、そう指摘されてしまえばどうしても意識がいって、腰が落ち着かない。
多少の位置取りだけはなんとかずらしたが、がくぽの腕は強く、腰から下りるには至らない。
「……っっ」
追い詰められ、毛を逆立てるねこに似た様子のカイトを、がくぽは穏やかな顔つきで眺めた。喩えるなら仏のようなとも言える風情だが、これでいて力づくでカイトのことを抑えこんでいる。
しかしまるで窺わせず、笑みの形のくちびるが静かに開いた。
「そうか、怯えてな。怯えておったか。怯えが勝ったは、俺よりお主か。で、なんだ。なにに怯えておる?ここまで気がつかなんだで、無為といたぶった詫びだ。なだめてやるゆえ、言え」
「………」
促すがくぽを、カイトはつい、湿気った目で見下ろしてしまった。最愛の男相手にそんな眼差しを向けたくはないがしかし、堪えきれない瞬間というのはどうしても存在する。
なんだってこう、カイトの男というのは、無闇やたらと偉そうなのだろう。
詫びだと、言葉だけは殊勝だが、最終的には命令形だ。なにより口調と声音だ。困惑するカイトをたのしんでいるふうで、少しも反省や謝罪の気持ちが伝わらない。むしろ新たに、いたぶられている感。
もちろんカイトとしては、がくぽに反省や謝罪を促したいことに思い当たる節はないのだが、がくぽ自身はあるという。
ならばもう少し、やりようというか、誠意の示し方というものがないだろうか。
「………まあいーや」
――眼差しのみならず、心理様態としても束の間湿気ったカイトだったが、それほどこだわりたい件でもない。すぐに投げた。キャッチされた。
「投げたな。投げるなカイト。投げる前に言え。今投げたはおそらく別件で、直接に俺の問いとは関係ないことであろうが、まあ言っておけ。練習だ。練習は大事だぞカイト。なににつけ、練習の機会を疎かにするものではない」
「ぇー……………」
立て板に水と促され、カイトは天を仰いだ。絶好調だこの男。舌禍が止まらない。
がくぽというのは基本、聞いていることのほうを好むのだが、これぞと決めれば弁を振るうに躊躇うことはない。しかも語彙が豊富だ。なにを言っているにしろ、舌禍甚だしい。
このモードに入ったときのがくぽから被った、これまでの害の数々といえば――
「……………」
「うむ」
カイトの空気が変わったことを、がくぽは敏感に察して頷く。先までのからかう様子はない。静かで、落ち着いて、いたわりに満ちている。
掴んでいた腰をやわらかに叩かれ、吐き出してしまえと促され、カイトはがくぽから目を逸らした。
逃げてもにげても、腰が落ち着かない。気がする。
疼くのはがくぽではない。
カイトだからだ。
恋人であるということを知り、『絶景』となる瞬間の、自分の状態を知るカイトだから――
「………れ、は」
口を開いたが、やはり声が出なかった。舌も回らない。引き千切るほどの力をこめても、震えて重い。戦慄くくちびるも邪魔で、うまく言葉の形がつくれないからさらに、言いたい言葉が難しくなる。
「ぉ、れは、………」
話すことに全力を懸けるカイトの体は傾ぎ、肩が喘ぐ。跨るがくぽの体の脇に手をつき、なんとか体勢を保とうとはするが、無様なほどに腕も震えている。いつ崩れ、がくぽの上に倒れてもおかしくはない。
確かに、そうだ。
カイトは認めた。
自分は怯えている――怯えていたのだ。ひどくひどく怯えて、心底から恐れていたのだ。
恐れているのだ。
復縁した最愛の男――自分を覚えていない、けれど自分は覚えている、この恋人を。
がくぽはカイトを知らないが、カイトは知っている。
『がくぽ』がどういう男で、どういう相手で、どういう恋人であったか。
カイトをどう扱い、カイトはどう扱われて、――
がくぽは知らない。
カイトは知っている。
それが断絶だ。
絶望的に。